その20 禰禰
静かに襖を開けた頼重の目に
間近に控える侍女が二人
両人とも険しい表情
禰禰に従い甲斐からついてきた彼女たちの厳しい視線に
「すまんが。。。さがってくれ」
と
乞うように挨拶をした
態度はできるだけ和やかにして
付き従う侍女にはけっして当たり散らしたりしない。。。
「禰禰。。。」
狭い奥部屋の隅が「屏風」で囲ってある
その奥に禰禰がいる事はわかっている
やむことなく
小さく続くしゃくりに
すぐには近寄らず襖の近くに座って
「わしじゃ。。。」
と
距離を取った所から
頼重はささやくように呼びかけた
返事はなく
ただ
泣くその音だけが続く
わかっていても腹が立ってしまう
報告が来てすぐにココに閉じこめられたのだろう
「逃げ出す」など。。。
こんなにも気の弱い禰禰にできるハズがない
きっと
怯えてしまっている
「禰禰。。。。顔を見せておくれ。。」
すすり泣く音は聞こえても返事は返ってこない
頼重は息を深く吸ってみた
夏の中にあって冷えた空気
奥向きのこの部屋は昼でも暗い
真夏の近づくこの季節には涼しくて丁度よいのだが
寅王丸から引き離され
一人
この部屋に込められてしまった禰禰の事を想うに心が痛む
しばし沈黙の後
ゆっくりとした口調で語りだした
「憶えておるか?そちが輿入れでわしの所に来た日の事。。。あの日も。。そちはそうやって屏風の後ろに隠れておったな。。」
三年前
和睦が決まり「禰禰」が武田からやって来たとき
もちろん
頼重は。。。。乗り気ではなかった
早くに「正室」を病でなくしていたからか
その後釜にどうだと言われても
もとより「和睦」の品で来るの女なのだから
軽い気持ちではいられなかった
これは
諏訪の主たる者の「任務」。。。。
と
重い気分だった
祝言の時,禰禰を初めてみた。。。
ずいぶんと「小さな女」で
華奢な肩や身の丈に
和睦の元,橋渡しとなる「子」を作る事は出来るのか?
まるで「幼女」。。。
と
心配になってしまったほどだ
何かに
期待していた自分を裏切られた気分になった
「粗品」を渡された
と
当時「禰禰」は十二歳。。。
それでも
当然「初夜」を迎えるわけだが
。。。。
すでに側室を持ち子供も「娘」ではあるが持っていた頼重は
どうにも乗れない気分でいた
とはいえ
武田から着いてきた侍女たちの手前
初夜の日,寝所に向かわなかった夫などと陰口をたたかれるのもイヤで
とりあえずの「儀礼」として閨に向かった
襖を開けて。。。
姿が見えない
それはともかく
部屋を見回すまでもなく目の前に大きく鎮座する物に驚き怪訝な表情を作った
「屏風」?
今まで見たことのない大きな屏風が部屋の真ん中を仕切っている
豪奢な飾り枠のついた
水墨の山水画
嫁入りの道具にしてはちょっと。。。可愛くない
その後ろから
微かだが物音がする
頼重は咳払いをし気を取り直したが。。
内心は困ったものだと思った
十二歳。。。
婚儀に行く歳としては珍しくもないが
やはり見たまま。。。まだ子供と
「出てまいれ」
興をそがれたし
もとより「抱こう」と思って意気込んできたわけでなし
しかし
顔も見ないままと言うわけにもいかないし
このまま部屋を出るわけにもいかない
静かすぎる部屋
気の利いた言葉もでてこない
だが
沈黙も辛い
「話をいたそう」
とりあえずでも言葉を交わそうと屏風に向かって声をかけた
「はい」
弱い返事
子供の声。。。
やっと聞いた新妻の声はやはり若すぎる鼻にかかった声だった
ところが
返事は戻れど一向に姿を見せようとしない
首をひねりつつ
「。。このままか?顔は見せてはくれぬのか?」
顔は祝言の時
少しは見ていたが
話をするのにこの大きな塀越しという事はなかろうと
どうしたものかと問えば
「こちらで。。。伺います。。。屏風の近くで。。。」
と
小さく声は震えていた
頼重は可笑しくなった
どこの家でも嫁入り前には所作を教え無事に初夜を過ごせるようにしているハズだろう
ましてや
和睦とはいえ半ば「謀略」でよこされた姫だ
子作りにやっきになっていても不思議じゃない。。。。ハズなのに
どうも
この「禰禰」という姫はそういう事を知る間もなく諏訪に来てしまったようだ
思えば
頼重の娘も九歳。。。大差ない
吹き出しそうになったがそこは抑え
「わかった。。わしは屏風の前で。。話をしよう」
頼重自身少し和んだ気分になった
無理はしなくてもいい
この姫も望んで諏訪にやってきたわけではない
見ず知らずの地に
少しのお付きの者と
「和睦」のために送られてきたこと。。。。
それはこの幼い姫様にとってどれほど心細い事だろう
屏風の前に座り言った
「さあ。。。何から話をしよう」
屏風の後ろの声は答えた
「あなたさまの事。。。教えて下さいな。。。」
それは昨日の事のように思い出せる
出会いの時の話だった
「憶えております。。。」
思い出話にやっとはっきりした落ち着いた声が返ってきた
頼重はその場で何度か頷いた
「朝。。起きたらそちはわしの膝の上で寝ておった。。。」
膝をさすりながら妻の声に努めて明るく
そして柔らかく答えた
あの日の朝
屏風を背に寝てしまった頼重が寝ぼけ眼で見たのは膝の上で眠っていた
まだ
あどけない顔の可愛い「禰禰」が
自分を見あげながら
「おはようございます」
と
微笑んだ事
はっきりと恋に落ちた瞬間
わすれもしない。。。
「。。。出てきておくれ。。。禰禰」
収まったハズの嗚咽が聞こえる
涙ながらの声が屏風越しに届く
「怖いのです」
「恐れる事はない」
強い意志をそれでも静かに妻に伝える
手を屏風に伸ばし続けた
「禰禰。オマエと私。寅王丸。。武田にとって良き絆になっている報告は何かの間違いだ。。」
諭す
少しでも言葉を
気持ちを伝えて楽にしてあげたい
震えているのはわかってる。。伝わってくる
だから
「あなたさまに。。。嫌われたら生きてはいけません。。」
禰禰
「禰禰。。。顔を見せておくれ。。わしがさみしい」
迫る危機
それはまだ混乱
何が始まっているかわからない
頼重にだって見えないものがあり
それでもそれに立ち向かわなくてはならない
ならば
こんな時こそ信じられるぬくもりに近くにいて欲しい
そんな弱気が頼重の言葉を震えさせた
それに禰禰は気がついた
屏風から飛び出し
そのまま頼重の胸の中に飛び込んでいった
「私は何もわからないのです。。。どうしてこんな事になったのかも」
小さな身体全てで頼重の中に入って来た
その
温かで柔らかい身体を覆い
強く抱きしめた
言い聞かすように自分にも
妻にも
「禰禰。。。大丈夫。。大丈夫だ。。わかっておる」
髪を撫で
優しく口づける
涙でぐっしょり濡れた頬を手で拭う
「兄様(晴信)は決して諏訪を攻めたりなど。。。私は何も。。わからないの。。」
「わかっておる」
城の中で
自分が妻を信じない事はない
小さな肩を大きく震るわしている禰禰が何か「謀」を知っている訳がない
「わかっている。。。」
その言葉をくり返した
禰禰は大粒の涙を溢れさせながら
一生懸命の声で頭を頼重の胸に押し付けながら
「。。どんな事があっても私は頼重様の妻です。。諏訪の女です離れたくない。。。のです」
そこまで言って声はうわずり
涙と混ざった
霞みいりそう。。
でも
願うように
「キライにならないで。。禰禰をずっと。。お側に置いてください。。」
涙の瞳が見つめる
顔を見た
なんて悲しそうな。。
そんな顔しないでくれ。。。。
小さな手をとり
自分の胸に
身体を抱きかかえた
「わしが放さん!どんな事があってもオマエを放さない。。。禰禰」
頼重の目にも一筋の涙
強く
強く
抱きしめた
ただ
強く
愛し続けた |