浮気の真相
第二回犯罪が出てこないミステリー大賞参加作品です。
「お前、その時本当に彼女と一緒に居たのか?」
そう言って孝はしきりに首を捻る。
「他人の空似だよ」
僕は孝にそう言って席を立った。
孝曰く、僕が彼女と会っていた同じ時間、彼女は他の男と歩いていたというのだ。それを孝は目撃したのだと。彼女が二股をかけていると思った孝はそのことを僕に知らせてくれたのだ。ところが、その時間は間違いなく彼女は僕と一緒に居た。孝はその時の彼女の服装や彼女に兄弟が居るのかなどを根掘り葉掘り聞いてきた。
「他人の空似だよ」
僕のことを心配してくれる孝には感謝をしたい。けれど、彼女のことをとやかく言われるのは心外だ。僕は孝と別れて家に帰ると、早速彼女に電話を掛けた。
「もしもし、麻由美…」
『おかけになった電話は電波の届かないところに…』
僕は電話を切ってメールを入れておいた。
翌日、僕は近所の本屋に出掛けた。以前から読んでみたいと思った小説を買いに。その帰りに麻由美が他の男と歩いているのを見かけた。僕はその場で麻由美に電話を掛けた。
『おかけになった電話は電波の届かないところに…』
僕は電話を切って彼女たちの後を尾行した。二人は雑居ビルの地下にある喫茶店に入って行った。僕もその喫茶店に入り、離れた席から二人を見張った。しばらくすると、彼女が席を立った。どうやらトイレに行ったようだ。その時、僕の携帯にメールが入った。それは昨日のメールの返事だった。
『浮気なんかするわけないよ。だってその時、私たち一緒に居たじゃない』
僕はすぐに返信メールを送信した。席を立った麻由美がトイレからメールしているのではないかと思ったからだ。
『今どこに居るの?』
『自宅だよ』
『これから会えないかな?』
『いいわよ』
僕は今居る喫茶店を伝えると、そこで彼女を待った。席を立った彼女はまだ戻ってこない。すると、席で待っていた男は携帯を取り出し話し始めた。男話し終えると、彼女が戻って来るのを待たずに店を出た。その後、30分経っても彼女は戻ってこない。そうこうしているうちに麻由美が店の入り口から入って来た。席を立って戻ってこない彼女と同じ服を麻由美は身に着けていた。麻由美は僕を見つけると手を振って僕の前にやって来た。
「待った?」
「今、来たところ」
「良かった」
「ここ、すぐに分かった?」
「うん、ちょっと迷ったけど。ユウくんはここ、よく来るの?」
「ああ、まあ…。家から近いしね…。ゴメン、ちょっとトイレ行って来ていい?」
「うん、どうぞ」
僕はトイレに行くと、未だに出てこない彼女がまだそこに居るのかどうかを確かめた。トイレは手洗い場を挟んで両側に男女別で設けてあった。僕は女子トイレのドアをノックした。返事が無いのでそっとドアを開けてみた。中には誰も居なかった。ここは地下なので、外に出る窓もない。念のため、男子トイレも確かめてみたけれど、同じく、外に出られるような窓などはなかった。彼女がここに入って来たのは間違いないのに、出てこないまま消えてしまった。
僕が席に戻ると、麻由美は昨日のメールについて聞いてきた。
「孝君が見たのは本当に私だったのかしら?だって、その時、私、ユウ君と一緒に居たよね?」
「きっと、他人の空似だよ。麻由美と一緒に居た僕が証人だもん。それ以上の証拠はないよね。孝のヤツ、自分に彼女が出来ないものだからひがんでいるのかな?」
「それにしても、不思議ね。その人、私と同じ服を着ていたのよね?」
「同じかどうかは判らないけれど、服の種類や色合いは共通していたかな…。もしかして、麻由美って双子だったりする?」
「まさか!兄が居るけど、女の兄弟は居ないわ」
「そうだよね。ところで、今日はずっと家に居たの?」
「ううん、午前中はハチの散歩に出かけていたわ」
「そうか。何度か電話したのだけど」
「充電が切れていたから、昨日の夜からずっとホルダーにに置きっ放しだったの」
「そうか…。ところで今日、この後の予定は?」
「ごめんなさい。6時半から麻衣たちと女子会なの」
「じゃあ、ここにもそんなに長居はできないね」
僕たちは店を出たところで別れた。そして、麻由美は駅の方へ歩いて行った。僕は家の方へ歩きだして、すぐに麻由美の後を追った。麻由美は女子会へ向かうため、上りの電車に乗った。僕も同じ車両の離れた場所に乗った。
二駅先の駅の改札を出たところで、麻由美は二人のメンバーと合流した。それから、チェーン店の居酒屋へ入って行った。僕は店の入り口から少し離れたところでそれを確認した。三人は奥の個室の方へ通されたようだった。僕はその後どうするか少し迷った。一人では入り辛い店ではあったのだけれど、意を決して店に入った。
「いらっしゃいませ。お客様はお一人ですか?」
僕がそうだと答えると、店員は僕をカウンター席へ案内してくれた。取り敢えず、生ビールと枝豆を注文すると、僕はトイレに立つふりをして麻由美たちが通された部屋の方へ歩いて行った。気付かれないようにさりげなく部屋の前を通り過ぎた。麻由美たち三人の他に既に三人がそこで待っていたようだ。僕はそのまま席に戻り、生ビールを飲み干すと、店を後にした。
孝から電話があったのは店を出たすぐ後だった。
「やっぱり、どう見てもお前の彼女だよ」
孝はまた、麻由美が他の男と一緒に居るというのだ。しかも、二人は今、孝の目の前にいるのだと。
「お前、今、どこに居るんだ?」
僕が聞くと、孝は僕たちがさっきまで居た喫茶店の名を口にした。
「まさか?」
僕はもう一度居酒屋に入り、トイレに忘れ物をしたと店員に告げて麻由美たちが居る部屋を確かめた。麻由美は確かにそこに居た。僕は店を出ると、孝が居る喫茶店に向かった。
僕がそこに着いたときには彼女たちは既に帰っていた。孝が一人で僕を待っていたので話を聞いた。
「写メ撮っといたんだ」
孝は携帯で撮影した二人の写真を見せてくれた。そこに移っていたのは僕が見掛けたのとは違う男といるカップルだった。女性の方は確かにトイレで消えた女だった。撮影された時間は正に、麻由美が女子会の会場に居ることを僕自身が確かめた時間とほぼ同じだった。
僕はそれまでの経緯を孝に話した。
「じゃあ、多分、どっかに外へ出るドアかなんかがあるんだよ」
孝はそう言ってトイレに向かった。孝は入念にトイレの中を調べ始めた。しばらくすると、孝は店の入り口から入って来た。
「お前、どうやって…」
「ちょっと来てみろ」
僕は孝に連れられてトイレに行った。孝は手洗い場の脇にあるドアを指した。そのドアなら僕もさっき確かめた。中には清掃用具が入っている。孝はそのドアを開けると、清掃用具が置かれているスペースの脇にカーテンが掛けられている所へ入って行った。カーテンを開けるとその奥にドアがあった。そのドアを開けると、そこは吹き抜けの様になっていて地上へ上がって行く階段があった。彼女はここから店を出て行ったのだ。
彼女がトイレで消えた理由は解かった。けれど、電車で二駅離れた場所の女子会会場と同じ時間にこの喫茶店に居たことの説明がつかない。僕はもう一度、孝が撮影した写真を見せて貰った。何度見ても、そこに写っているのは麻由美だとしか思えなかった。その時だった。
「おい!」
孝が急に声を出した。孝は入り口の方を見て僕に声を掛けたのだ。僕が振り返ると、そこには麻由美が居た。男と一緒だった。それは僕が最初に見た男とは別の男だった。僕は思わず呟いた。
「真由美!?」
麻由美は僕に気づいたらしく、一緒に来た男を先に席に着かせると、僕たちの方へ歩いてきた。
「あなた、もしかして雄二君?」
僕はその声を聴いてギョッとした。男の声だった。
「そうなんだね。このことは麻由美には内緒にしておいてくれるかな?」
「ど、どういう事ですか?あなたはいったい…」
「僕は麻由美の兄で健太」
彼女、いや、彼はそう言って携帯のウェブサイトを見せてくれた。それは女装クラブのサイトだった。健太はそこの会員で女装に興味があるという会員を勧誘するのにこの店を使っているのだと言った。そして、健太は以前ここでアルバイトをしていたのだという事だった。だから、あのドアの事も知っていたし、途中で居なくなったのは店の中では携帯がつながりにくいから外で電話をしていたらしい。話が長くなりそうだったから連れにはそのまま帰って貰ったのだそうだ。それから健太は次の会員を迎えに駅まで行ったのだと。
僕は本屋の帰りに見かけて、麻由美が浮気をしているのではないかと心配になって後をつけてここに来たこと、その後ここに麻由美を呼び出したことなどを健太に話した。
「それって、超ニアミスだったんだなあ。麻由美は浮気をするような子じゃないから安心してくれ。それにしても、もう、ここは使えないなあ」
小柄で、麻由美と似たような背格好をしているため、最初は麻由美の服をこっそり来ていたのだけれど、今は自分で買っているのだと健太は言った。
「真由美と同じ服を着ていたって?それは偶然だよ。たまたま同じ服を着ていただけさ。服や化粧の仕方は麻由美を参考にしているからね」
同じ時間に同じ服を着て別の場所に出没していた麻由美は実は麻由美の兄が女装した姿だった。
「それにしてもそっくりですね」
「そうなんだ、小さい頃はよく双子だと間違われていたほどだから」
僕と孝はそんな健太をまじまじと眺めた。健太も僕たちをなめるように見返している。僕は思わず、健太に言った。
「僕たち、女装とかには興味ないですから」
「あら、残念ね。そっちの彼は似合いそうなんだけどね」
孝は驚いて立上った。それを見た健太は苦笑しながら孝に言った。
「大丈夫だよ。女装はただの趣味で、中身はれっきとした男なんだから。そっちの気は全くないよ。こう見えてもちゃんと彼女だっているしね」
健太はそれだけ言うと、僕たちに向かってウインクをして、待たせてある男の方へ戻って行った。
その夜、僕は麻由美に電話をした。
「ユウくん、私の後をつけて来たでしょう?ユウくんが私たちの席の前を通ったの、麻衣が気が付いていたのよ」
「いや、面目ない。どうしても気になって…。でも、疑いは晴れたから安心して」
「やっぱり疑っていたのね」
「ゴメン、ちょっとだけ」
「うーん、まあ、許してあげる。それより、疑いが晴れたってことは例の私に似た女の正体が判ったってことなの?」
「うん、まあ…」
「ねえ、誰?」
「それは…」
まさか、それが女装した麻由美の兄だとはさすがに言えない。
「それはやっぱり孝の見間違いだったらしいよ。あの後も同じ子を見たらしいんだけど、よく見たら全然違う子だったんだって」
「なんか怪しいわね…。まあ、いいわ。それより、今度うちに来ない?兄貴が会いたいんだって」
「お兄さんが?」
僕はちょっと考えたけれど、男の健太に会ってみたい気もあったのでOKした。
その後、僕たちは結婚することになった。折からの就職難にやっとこさ入った会社は小さな工務店だったこともあり、将来を心配して渋い顔をしていた麻由美の父親を説得してくれたのは健太だった。
健太の女装趣味はずっと続いている。今では女装クラブの会長をやっている。孝が副会長に収まっていることを知った時には僕も驚いたけれど、あの時健太が言ったように案外、様になっているのかもしれない。