「同席してもいい?」
いきなり声をかけられて、俺は箸を持つ手を止めて頭を上げた。見知ったセミロングの女性だ。名前は萩原愛美。
俺はちらりと辺りを見回した。ほぼ満席で席を探してうろうろとしている人もいる。この状況なら、まあ仕方ないだろう。
「べつにいいけど」
簡素な言葉を口にして食事に戻る。萩原は「ありがと」と礼を言うと、トレーをテーブルに置いてから椅子に座った。
「あれ、またラーメン?」
「……たまたま今日これにしただけだって。それを言ったらそっちだって前と同じ注文じゃん」
「まあねー」
そう言って、笑いながらスプーンを持ってカレーに手をつける。それからはあまり会話をせずに淡々と食事を進めた。だいたいいつもこんな感じだ。
萩原と初めて会話をしたのは同じ授業で隣席同士になった時だった。その日、俺はたまたま筆記用具を忘れてしまい、おずおずと彼女に貸してくれるよう頼んだ。彼女は快諾してくれて、俺はノートを取り逃すことを免れた。そこで言葉を交わしたのは授業の始終だけだった。
翌々日、また彼女と同じ講義を受けることになった。教室に入ると、後ろの席はほとんど埋まっていた。前のほうはどうも苦手なので空いているところを探していると、彼女の隣が残っていた。一昨日に物を借りただけに、さすがに無言でいるのも失礼と思い、俺は「あの時はどうも」と声をかけながら席についた。この時、教授が教室に入ってくるまでいくらか会話してから、それ以来同じ授業では同席することが多くなった。
……といっても、それ以外で一緒にいることなどほとんどなく、親しい友とは言いがたかった。今日だってその時の俺のように、たまたまここの席が空いていたから選んだだけなのだから。前にも食堂で同席したことはあったが、その時もやはり混んでいただけだ。誘ったこと、誘われたことは一度もない。
しばらくしてどちらかが食べ終われば、一方を待つことなく席を立つことだろう。前だってそうだった。もっと良い関係になりたい、という思いもあることにはあるが、なんとなく自らが積極的になっていくのは気が引けた。もともと俺は内気な性格なのだ。そのせいで部活に入っていた高校時代はともかく、バイトのためにサークルなどに入っていない今は、大学内の友人と呼べるようなヤツは一人もいない。……はたから見れば、俺と萩原はどういう関係に見えるのだろうか。
「ごちそうさま」
そんなことを考えながら、俺はラーメンを完食した。例の如く「んじゃ」と軽いあいさつをして席を立とうとした時、萩原は「ちょい待って」と俺を引き止めた。
「ほい」
と何かを差し出してくる。見ると、市販されているよく見る板チョコ。コンビニで百円ちょっとで買えるようなものだ。俺は顔をしかめて訊ねた。
「……何これ?」
「見てわかんない? バレンタインデーだからあげる」
笑って答える彼女に、俺は「……ども」と短く言って受け取った。男として義理チョコほどむなしいものはないと思う。これ以外で貰えるチョコは、もちろんうちの母さんからだけだろう。バレンタインにチョコを贈るって誰が始めたんだ? クリスマスとバレンタインは特定の人間にとっては本当に憂鬱な日だ。
「あ、そうそう。大学の中でそれ食べるのは止めたほうがいいよ。そういう人に見られるし」
「余計なお世話だ」
そんなことをするほどバカではない。俺は貰ったものをバッグにしまい肩にかけると、今度こそトレーを返すために席を立った。そして萩原の横を通ろうとした時、軽い調子の声をかけられた。
「ちゃんと家で食べなさいよー」
「んな何度も言わなくてもそうするっての」
むなしくなる追撃を受けて、俺は苦笑しながら彼女を後にした。
大学後のバイトから帰り、俺は自室に直行した。ばたりとベッドに倒れ込み、ぼーっと天井を見上げていると、妙に小腹がすいてきた。いつもより店長が酷使してきたせいだろう。……そういえばあの人、独身なんだっけ。
それが原因だったらなんとも迷惑な話だ、と思いながら何か冷蔵庫からつまもうと部屋を出ようとしたところで、萩原に貰ったものを思い出した。まあ腹の足しになるだろう、ということで俺はバッグから板チョコを取り出した。
外側の包みをはがしたところで、アルミ箔に一枚の紙がセロハンテープで止められているのを見つけた。その紙には電話番号とメールアドレスがかかれている。
「…………」
やっと理解した。そういえば、しつこく家で食えと促していたのはこのためか。軽いヤツだと思っていたけど、かわいいところもあるもんだ。
……と、考えている場合ではない。俺はどうすりゃいいんだ? 十分近く考えあぐねた挙句、俺はとりあえず彼女に電話をかけた。少しして相手と繋がった。
「あ、もしもし?」
「バカじゃないの?」
一瞬、思考停止する。開口一番にバカってなんだ? どうも女の考えていることは理解しがたい。文句を言ってやろうと口を開きかけた時、向こうから先に言われた。
「ホワイトデーに同じようにこっそり伝えるとか、そういう趣向とかないの?」
「…………あぁ」
なるほど、そういうことか。俺は呆れ混じりに「気が利かなくてスマン」と謝った。なんというか、この調子だとネタで贈った感じだよなー。
儚い期待を打ち砕かれながらも、俺はちょっと抗議をしようとして、また先を越されてしまった。
「……メールアドレス、ホワイトデーによろしく」
「え?」と言った時には既に通話を切られていた。唐突なことで、俺はその場で硬直していた。これは、つまり、そういうことか?
しばらくして、俺は微苦笑を浮かべながらケータイをしまった。
明日、あいつがどんな反応をするのか楽しみでしかたない。 |