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雨上がりの向こう側。 -Beautiful rainy days-

作者: とち

『雨』と言うテーマで書き上げた作品です。

他の作家さんの作品は「雨小説」と検索すると見つかると思います。是非、読んでいってください。

いつか見上げた雨の空は、私にとって一番の思い出。

けれど、いつも見上げる雨の空は、私にとって暗く、冷たく、悲しい過去の日々。

そして今日、雨は私を濡らしていく。


季節は巡り巡る。

あれから、もう―――一年。

春が来れば夏が来て、夏が過ぎれば秋が来る。一秒と言う確かな時間を、しっかりと、でも確実に刻み続けながら時を流れる。

そんなことを考えていたら、一つだけ気になることがあった。

それは何があっても私達の側にいて、何が起こっても私達の側からは離れないもの。

何処にでも、それは当たり前のようにある『時間』と言う名のモノ。

時間は誰の指図も受けることなく流れていく。

それが、私には羨ましくて仕方がなかった。そんなコトが出来て、私もそんな風になれたなら、どんなに良かったかと今も思う。

一分、一秒、世界の何処で何が起きようとも流れる時間。

私もそんな風に、昔のことが何でもない笑い話のように忘れられるのなら、それはどんなに楽なことだったか。

後ろを振り向かず、ただ前だけを見て進むことが出来たら、それはどんなに苦しまずに済んだことか。

いっそのこと、今までの全てを忘れてしまいたい。昔の記憶も、思い出も、夢も希望も。その全てを掻き消してしまいたい。

けど、出来ない私が必ずいる。

それが出来ないのは私が弱いから?

私自身が忘れたくないから?

今頃になって考えても、そんなこと分かるはずがない。

考えても考えても、それでも何にも分からないのに、なのに思い出とかは昔のまんま私の心の中に深く焼き付いている。時間が経てば経つほど、それは私の中で美化されて余計に私の中に残ってしまう。

それが私には嫌で仕方なかった。

もう、忘れたかった。

思い出したくもないって、そう思っていた。

でも、そんなこと私には出来ない。たぶん出来そうもない。ううん、私には絶対に出来っこないんだ。

だって私の家族を、私の妹を忘れることなんて、そんなこと私には無理。

それが出来ないのは私が弱いからじゃない。私が臆病だからとか、そんなことじゃ絶対にない。そんなこと最初から分かっている。

だって、家族だから。

私の大切な、私が見ていてあげなくちゃいけない家族。だから私には、亜美のことを忘れるなんて絶対に出来ない。

だからこそ、勝手に流れていく時間に憧れる私。

絶対に叶わないと、夢物語だと知っているからこそ憧れを抱く私。

矛盾しているかもしれない。私の追いかけている夢が絶対に叶わないことだと知っているのに、それに向かって突き進む私。そこには何にも意味がない。それこそも知った上で、それでも時間と言う時の流れに憧れを抱いている。

もしかしたら私、あの日から止まってしまったのかもしれない。

いつか、またいつか進み出す私を夢見ながら、時間に憧れたのかもしれない。

そんなことを毎日のように思っていた。


私の心の中にあるモノ。

私が今もずっと覚えている大切な思い出、忘れることの出来ない日々の思い出は雨の日が続いている。

どうして雨が多いのか、私には分からない。ただの偶然かもしれないし、本当にどうでもいいようなことが理由だったのかもしれない。

その理由に初めて気がついた時、その日もやっぱり雨が降っていた。

いつもより大粒で、なのに冷たくないような雨が私を濡らしていた。


五月の初め、もうそろそろ梅雨の時期が迫ってきた頃。

私の記憶の中に埋もれた思い出の日々がある。

あの時は、妹がいた。

「神社に行こう?」

亜美が私に詰め寄るように誘ってきた。

「なんで神社なのよ。あそこ何にもなんじゃない」

「いいから行こうよ?ねー、お願い」

「亜美だって子供じゃないんだから、一人で行ってくればいいのに」

「それじゃ駄目なの、真美ねぇが来ないと意味ないんだってばー」

真美ねぇとは呼ばれても、私と亜美の間に大きな年の差とかがあるわけじゃない。本当はそんなこと無いはずだったんだ。

だって、私達は双子だから。

顔も、体も、身長も、体重も、見た目も全て一緒。逆に違いを見つけようとするのが大変なくらい、私達はそっくりな双子だった。

ただ、ちょっとした違いだけで姉と妹として別けられただけ。

そんな私達でも違っていたことと言えば、性格と髪型くらいだと思う。

「はいはい、わかったわよ。で、何しに行くの?」

「散歩ー」

半ば強引にして決められた雰囲気もあったけど、それでも神社に行くことに決定した。

「いつ行くの?」

「今から」

「今から?」

「うん!」

外は曇り空。天気予報だと雨が降るらしい。そんな中をどうしてわざわざ神社に行かなければならないのか?その時の私には、まだ何も分からなかった。

「雨降るよ?」

いちようの忠告をする。

もしかすると亜美は天気予報を見忘れたのかもしれない。それで、あんなことを言っているのかもしれない。そうなんだと思う。

けれど、そんなこと亜美には何にも関係がなかった。

「そうだよ」

まるで雨が降って欲しいような言い方。

ううん、本当は『欲しい』じゃなくて雨が降ると何処かで確信している。だから私に向かって堂々と言えることが出来る。

そんな彼女を見ていると、私より亜美の方が姉なんじゃないかと思う時も多々あった。

それでもドジな所を見た後には、やっぱり私の妹なんだと思う。

「じゃあ何か持っていくものはある?」

「ないよ」

「手ぶらで行くわけ?」

「そうだけど」

何かおかしい?って言う顔を私に向ける亜美。そんな顔をされる私からだと、私が何か間違ってしまったように錯覚する。でも十年以上も一緒にいると、亜美の突拍子な行動にも慣れてきたんだろう。そんな顔をしたからといって、私が動揺することはない。

もともと亜美は私と違って男っぽい性格をしていた。男っぽいと言うか、性別が女だと言う以外の全てが男っぽかったのかな。見た目は私と同じ、おしとやかな女の子って感じで私に負けないくらい可愛いのに、でもそれ以外の亜美は女の子のイメージから離れていくような気がする。

性格はどちらかと言うと大雑把で無計画な人。行き当たりばったりな人生は亜美にとって当たり前で、いっつものように何か大きな壁に激突している。

服だってスカートとかは絶対に穿かないし、ジーパンと派手さのないシャツを着ているような人。

それが亜美という名の妹、その姿だった。

「いってきまーす」

「それじゃ、行ってきます」

「行ってらっしゃい。雨降りそうだから気をつけてね」

お母さんに一言告げて家を出る。

妹が先頭を歩く形で玄関の扉を押し開けると、その開いた隙間からちょっとだけ冷たい壁が妹と、私と、お母さんと、家の廊下を通り過ぎて行った。

扉を大きく開け、外に出て、曇った空の空気を一杯に吸い込む。姉妹だけの時間に少しの嬉しさを覚えながら、私達は歩き出した。

あの思い出の地――神社へ。


町は活気に溢れていた。

空模様が良くないにも関わらず、町には人が溢れ、声が飛び交い、何処かの祭りの前夜祭のように賑やかな雰囲気を漂わす。

子供が商店街を駆け回り、それを見て笑いながら世間話をする親達。近所のおばあちゃんが散歩をして、高校生っぽい二人組みが何処かへ歩いていく。

こんなに人が多いのは、きっと今日が土曜日で休みの日だからだろう。平日とは比べものにならない程の人が商店街に集中している。それでも見かける人や、すれ違う人に知らない人は殆どいない。隣近所や近くに住む人達、知り合いの親や先生たちにこの商店街で会うと世界ってモノは意外と狭いものだったりするのかなって思ったりもする。

どんな人に会おうとも、何人もの知り合いに会おうとも、ここには確かにたくさんの人が集まっていた。

町は、本当に活気に溢れていた。

「真美ねぇ、早くー。急がないと先に行っちゃうよー?」

「そんなに急がないの。もう少しゆっくり歩きなさい」

私の前をどんどん歩いていく亜美。

「駄目だよ、急がなきゃ」

「散歩なんだから走らないの」

遅い私に向かって、と言っても私は普通に歩いているだけで亜美が速すぎるんだけど、振り向きながら堂々と言い放った。

「善は急げって言うでしょ?」

「散歩の何処に善があるのよ、全く」

「細かいことは気にしないの。そうやってるとシワ増えるよ?」

「余計なお世話だっ!」

「わー、怒った怒った」

「こら、待てーっ!」

私から逃げるように走り出す亜美と、それを本気で追いかける私。たぶん追いつけないと思う。あんまり足には自信がないと言うか、運動が好きと言う性格でもない。

そんな問題以前に、私は別に本気で怒っているわけでもない。私が本気で怒ったりでもしたら、物の一つや二つは平気で壊れただろう。いわゆる普段は大人しい人が一度でも怒ったら止めようがないような人達、その辺の人間なんだ。

それに、私は滅多なことがない限り怒ったりはしない。無闇にやたらに怒るのは好きじゃないし、怒ること自体好きでもない。

「本当に怒ったからねーっ!」

だから、そんな言葉も真っ赤な嘘。単なる冗談の内の一つ。口から出たデタラメ。

「わー、恐い恐い」

走る亜美。

「待ちなさーいっ」

追う私。

「あら、菊池さんのじゃない?」

「二人とも元気だねぇ」

それを暖かい目で見守る町内の人達。

私は、自分が思っている以上に幸せだった。家族と言うモノに恵まれて、妹と言う存在に喜び、町内と言う周りの人達に可愛がられ、本当に幸せだった。

だから笑っていられた。いつまでも、ずっと笑顔でいられることが出来た。どんなに辛いことがあっても笑って忘れることが出来た。


―――そう、あの頃の私は『忘れる』ことを知っていた。


だから忘れることが出来たんだ。

だから笑っていられたんだ。

私も、何かを忘れることが出来て、それで笑って生きていける人間だったんだ。どんなに辛いことがあっても、どんなに馬鹿みたいなことをしても、どんなに自分を情けない人だと思っても、それでも笑っていられることが出来た。

いつまでも、どんな時も『笑う』ことが出来た。

あの頃の私は、ちゃんと笑っていたんだ。


結局、亜美には追いつくことが出来ないまま、神社に着いてしまった。

「遅ーい」

そう言って待つ亜美には疲れの色が全く見えなかった。私が着くまでに休んだからってこともありだろうけれど、それでも亜美の顔は爽やかそのものだった。

「もっと、ゆっくり走りなさい、よ」

それに比べて私は滅茶苦茶そのもの。足はもう棒のようになっていて、最後の頃には歩いて神社まで来た。途中からは走っていないって言うのに、体は疲れきっていて、筋肉は悲鳴を上げている。やっぱり運動をしていないと体力は持たないし、何より厳しい。せめて体力くらいはつけておけば良かったなんて今更思ったりもする。

しばらくの間、私は神社の石段に座って休んでいた。へとへとの体で何段あるか数えたことのない石段を登りきる自信が私にはなかったからだ。少しでも体を休ませて上げないと半分も上れないと思う。

せめて息くらいは整えようと何度か深呼吸をした。新鮮な、森の澄んだ空気のように綺麗な酸素が私の体へと流れていく。ここが、この神社が森に近いからかもしれない。空気に明確は『味』って言うのはないけど、それでもここの空気は美味しいと思う。

そんな時だった。

「真美ねぇ、ちょっとここで待ってて」

亜美がそう言って立ち上がる。

私が首だけで頷くと、そのまま何処かへ走り去って行った。その後姿は疲れを全く感じさせないように見えて、さっきまで本気で走っていたのが嘘のように軽やかな足取りだった。

自分の妹ながら綺麗なスタイルの亜美。私の自慢でもある亜美だけれど、そう言う所は他の女の子と同じように羨ましく思っている。

そんな亜美の後ろ姿を、私は見えなくなるまで見続けた。どんなに小さく映ろうとも、それでも見えている限りはずっと追い続けた。やがて見えなくなってしまうまで、私は亜美だけを見続けていた。

吸い込む空気にはちょっとだけ湿り気があって、見上げた空にはどんよりとした白っぽい雲が全体を包み込み、まるで今にも雨が降り出しそうな雰囲気だった。

「あ、傘なんて持ってきてないよ」

亜美が戻ってくるまで空を眺めていようと思っていたら、ふいにそんなことを思い出したりもしていた。

確か、自分から言っていたと思う。今日は雨が降るからとか何とか、私が言っていたような覚えがあった。なのに、そんなことを言った私が傘一つも持ち歩こうとしていないのは何故だろう?このまま雨が降り出しでもすれば、帰った頃にはびしょ濡れになって風邪でも引いてしまうかもしれない。

ううん、私はきっと風邪を引くだろう。

亜美は違うかもしれないけれど、私なら風邪くらい簡単になってしまうに違いない。

「お待たせー」

飛び出した時と変わらない涼しそうな顔を浮かべて亜美が帰ってきた。その手には冷たい缶ジュースが握られていて、その缶ジュースを私に差し出す。

「はい、これ。炭酸だけど」

「何?私にくれるの」

「貸しにしといてあげる」

「なまいき言っちゃって」

愚痴を零しながらも、ありがたく炭酸ジュースを貰って開ける。タブを引っ張るとプシュっと音が鳴って中からシュワシュワと炭酸が出てくる音が聞こえた。

一口飲んで喉を潤す。

疲れきった体に炭酸は滲みるほど効いた。ほんと生き返るような気分。何かをしたわけじゃないけど、ご褒美を貰った気になる。

「ふー、美味しい」

「そう?良かった。じゃあ早く行こう」

「え、もう行くの?」

「だって、このままここに座ってたら絶対に風邪引くよ」

そう言って手を前に差し出す。てっきり私に手を貸そうとしているんだと思ったけど、本当は違った。

その手の平に一粒の雨が落ちる。

「ほら、雨」

「え、降ってきちゃったの?」

「だから、早く行こう。じゃないと真美ねぇ濡れちゃうって」

「わかったわ」

空き缶をゴミ箱に捨てようと思ったけど、近くにゴミ箱が見当たらなかったし、探してる間に降り出してずぶ濡れになるのも嫌だったからそのまま石段を登りだす。

「真美ねぇ、早く。濡れるよ」

そうやって心配そうに声を掛けながら私の先を行く亜美。何度も振り向いて私に声を掛けてくれるのは嬉しい、心配に聞いてくることは姉として本当に嬉しい。嬉しいはずなのに素直に喜べないのは亜美の声がどう聞いても楽しそうな声にしか聞こえないからかな?

私に心配そうなセリフを言うのに、その声音は実に楽しそうに聞こえる。まさか、のろまな私を見て楽しんでる?もしそうだと言うのなら、それは素直には喜べない。酷いようなら、ここは姉として叱る必要もあるだろう。

「ふふ――…」

でも、それは私の単なる勘違いだったのかもしれない。ううん、勘違いだったんだ。それは亜美の姿を追い続ければ、ずっと見続ければ分かる。その石段を登っていく姿を余すところ無く見つめ続ければ分かってしまう、分からなければいけないこと。

亜美は決して私なんかを悪くは言わない。

そんなこと改めて言う必要がないくらい当たり前で当然なこと。亜美は、私だけじゃない皆を悪く言うことなんて一度も無い。絶対に、他人のことを下に見ない。それよりも自分を常に下に置いたような物言いをするのがいっつもだ。友達と話している時でも、先生と、親と、私と、彼氏と、誰とでも話をする時は必ず自分を下に置く。

昔から亜美はそんな性格だったんだ。

だから、亜美が私のことを悪く言うことは絶対にない。

そう言い切れる。

「あは…わぁ――ふふ…」

あんな風に楽しそうな亜美を見てると自然と私も笑いたくなってくるのが不思議。あの笑った顔を見てると私もつい笑いたくなっちゃう。

石段から見上げた亜美の姿は、降り出した雨に濡れながらも輝いて見えた。きっと、雨があったから輝いたんだと思う。雨が降らなくても輝ける亜美は、雨が降ったその時から今まで以上に輝いていた。誰が見ても綺麗と思うほどに、綺麗と言う言葉しか当てはまらないと誰もが思えるほどに、亜美は本当に輝いていた。

私が、私も亜美と同じように濡れているのも忘れて見続けていた。その、私の先を行く光り輝いた亜美の姿を―――。

「あーあ、濡れちゃったね」

そう言う亜美の声は、やっぱり楽しそうに聞こえる。

雨はとうとう本降りになったみたいで、ザーザー音を立てながら地を濡らす。ちょうどお賽銭箱の脇で雨宿りをすることになった私達はもう十分なじょどに濡れている。体はちょっとだけ冷えたような感じがするし、早く着替えないと本当に風邪を引くかもしれない。ここの神社は他と比べたら明らかに小さいほうで、誰か住職みたいな人がいるような所じゃないし、そんな人を見たこともない。ただお社とお賽銭箱とカランカラン鳴らす鈴があるだけで言ってみれば殺風景、雨が降らなければ静か過ぎるような神社。

「亜美、寒くない?」

「大丈夫だよ。それより真美ねぇだって寒くない?」

「私も大丈夫。でも参ったわね、この雨」

これじゃあ雨が止むまでここから動けそうにない。でもいつ止むかはわからないし、かと言って濡れながら帰るのも体に良くない。意味合いは違うかもしれないけど、こう言う状態とかを八方ふさがりって言うんだったかな。

「それも大丈夫だよ」

「何、どう言う意味?」

嬉しそうに言う亜美に私は首を傾げた。亜美の言っている意味が良く分からなかった。こんなに雨が降っているのに何処が大丈夫なのか私には分からなかった。

「だって、どんなに強い雨が降っても必ず晴れるから。だから大丈夫」

ふいに亜美が私の手を引っ張って走り出す。

「ちょ、亜美?まだ雨が…」

「大丈夫、ついて来て」

神社の裏手に回って茂みの中を進んでいく。やがて辿り着いた場所は丘の上、私達の住む町を一望することが出来る場所に着いた。

「わぁ…」

思わず声が出る。

こんな場所があるなんて全く知らなかった。まるで私自身が鳥になった気分がして気持ちが良かった。私達が住んでいる町は上から見るとこんなにも小さかったんだ、なんて思ったりして驚いたりもした。

目の前に広がる景色は新鮮そのもので、綺麗だと思った。

「ここ、私だけの場所なの。ここから町を見てると、鳥ってこんな気持ちで空を飛んでるのかなぁって思ったりもして楽しいんだ。でも今日からは私だけじゃない、真美ねぇと二人だけの場所になったね」

「ほんと、綺麗…」

「私ね、雨って嫌いだったんだ。だって濡れたら大変だし、風邪引くかもしれないから。でも、でもね、ここから見る雨は好きなの。ここから見てると雨も好きになるの、そうなることが出来るの。だって――…」

亜美が空に顔を向ける。

雲の隙間から顔を出す太陽が光の架け橋を大地へと下ろしだす。それは一つだけじゃなくて、何本もある。大きいものもあれば、糸みたいに細いものもある。下に広がる町が光に染められ、白い雲と光る太陽の狭間から落ちる雨が光り輝く。

雨が、静かに止もうとしていた。

「ちゃんと見ててね。絶対に目を逸らしちゃ駄目だよ」

亜美が念を押すように言う。それに私は頷いた。

やがて雨が止み、雲が晴れ、太陽が顔を出し、光に溢れた町の上に、大きなそれは出来上がった。

それは七色の輪。

町の右端から、町の左端にまで続く大きな半分の輪。


―――そこに、大きな大きな虹が見えた。


「私、この虹が好きなんだ」

隣で同じように虹を見る亜美が喋り出す。

「大きくて、綺麗で、何回見てても飽きないくらい、ここの虹は好きなの。でも、虹って雨が降らないと見れないでしょ?そんなこと思って雨を見てたら、雨も好きになったの。上手く言えないけど、好きになれたんだ」

今の亜美はどんな時の亜美よりも素直なんだと思う。もし私も雨が嫌いな人だったとしても、こんな風景を見たら絶対に好きになっていると思うし、私以外の人がそうだったとそても同じだったと思う。

だって誰もが認めてもおかしくないくらい、その景色は綺麗だから。

「それにね、もう一つだけ好きな理由があるんだ」

「何か聞いても良いの?」

亜美を見て言う。

その姿はまるで恥ずかしがる子供みたいに見えた。

「うん、聞いて欲しい。だって、ここから降る雨を見てるとね、どんな雨だって絶対に止むんだって分かるから。どんなに大きな雨でも、どんなに長い雨でも、ここから見てると絶対に止むんだなって、何年も何十年も降ることってないんだなって実感できるから」

「そうだね、本当に良く分かるわ」

今の私達には、私達の胸の中には、言葉では言い表せないような何かで一杯になっているんだと思う。こんなに胸が一杯になるのは初めてかもしれない。幸せで、嬉しくて、それ以上の何かで一杯の私達。

「帰ろうか?」

「うん」

そんな年でもないのに、自然と手を繋ぎながら歩いた。


季節が何回も巡って、また五月。

今日も雨が降っていた。あの日のように冷たい雨がザーザーと音を立てて、私の住む町を濡らしていく。

その中を傘も持たずに歩いた私は神社へ着いた。

「また、来ちゃった」

もう何回も来ている。数えるのも嫌になるくらいたくさん、それも雨の日だけ。

「あー、風邪引くかも」

濡れた体で、濡れた石段を登っていく。

何でこんなことをしれるかなんて自分でもわからない。ただ、やらなきゃいけないんだと何処かで思っている私がいる。今までここに来ていた誰かの変わりに、今度は私が行かなきゃと思っている私がいる。だから、雨の日には必ず外へ出かけている。傘も持たないで、何処にも寄らないで、濡れてることなんかお構いなしで、神社へと。

ほんと、何やってるんだろ私。

神社の裏手に回って町を見下ろす。降り続ける雨に、白い雲に私は顔を上げる。

「やっぱり無理だよ。我慢、でき、ない…」

雨が止もうとしていた。

雲の隙間から顔を出す太陽が光の架け橋を大地へと下ろしだす。それは一つだけじゃなくて、何本もある。大きいものもあれば、糸みたいに細いものもある。下に広がる町が光に染められ、白い雲と光る太陽の狭間から落ちる雨が光り輝く。

やがて雨が止み、雲が晴れ、太陽が顔を出し、光に溢れた町の上に、大きなそれは出来上がった。

それは七色の輪。

町の右端から、町の左端にまで続く大きな半分の輪。

雨が止んだ。

「雨、やま、ないよ…」

でも、その虹を私は見れなかった。まだ見えなかった。見たくても見ることが叶わない。見たいのに、見ることが出来ない。

だって、私の中はまだ雨が降り続いているから。

あの日から一度も止むことなく、降っているから。

「虹、が見れ、ない…、よ」

雨が私の頬を伝って落ちる。

一粒だけじゃない、たくさんの雨が私の中から溢れてくる。必死に抑えても止まらない雨が瞳から零れて落ちる。

止まない雨を、私の中の雨を、どうにも出来ないまま私は崩れ落ちた。

私は、大声で泣いていた。

誰かと一緒に見ていたはずの虹はもう見えなくて、二人だけのはずだった場所は私だけの場所になっていて、何もかもが崩れ落ちていった。欠片すら残らないほどに壊れていった。直すことが叶わないほど砕けて散った。

その代わりに残る思い出は、余計に私を苦しめる。

白く澱んだ雲が私を包み、やがてそれは雨を降らせ、ずっと止むことのない、きっと止むことを知らない雨が降り続く。

願わくば、この雨が止んでくれますように。

願わくば、あの虹が見れますように。

そう思いながらも、またこの場所で私は泣いている。

まるで、あの日の雨のように―――。

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― 新着の感想 ―
[一言] 切なすぎる。うん、久しぶりに泣いた。
[一言] 読ませていただきました。 キャラクターが生き生きとしていて、会話文を読むことが楽しみになってしまいます。もちろん、地の文のテンポもいいので、そういう現象が起きるわけなのですけど。物語は、「嘘…
[一言] 神社の様子や雨の情景、そして雨上がりの光と雲と虹の風景はとても綺麗でした。そういう景色が見えた気がしました。双子の姉妹のやりとりもどこかノスタルジックな雰囲気があって好きでした。雨と涙をリン…
2006/06/26 13:39 さすらい物書き
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