エレベーター
「またか」
マンションの12階から1階へと降り立った首藤 雅は今日も言い知れぬ違和感を感じていた。
雅の部屋があるのは12階。1階まで下りる手段としてはエレベーター以外に階段がある。
しかし12階と言う高さから階段で、まして朝の出勤時に肩で息をしながら階段を利用する人間などいない。
となると当然備え付けのエレベーターを使うわけだが、その言い知れぬ違和感、異変を感じたのは
雅がこのマンションに越してきた直後から起こっていた。
恐らくどの階から降りても同じだろう。おまけに雅の感じている違和感を、感じずに生活している人がほとんどだと思う。
それくらい微妙な違和感ではあるのだが、上の階から1階へ降りてきたとき、その異変を感じるのだ。
1階に辿り着き、ドアが開いたときにそれを感じる。別にエレベーター内に誰かが居るとかではなく
辿り着いてドアが開いたときにそれを感じるのだ。
「なんなんだろう・・・」
雅は開かれたドアを前に、しばし立ち止まり周囲を見渡した。
だが特に変わった様子があるわけでもない。何の変哲もないエレベーターである。
小さな溜息を一つ着き、雅がエレベーターから出ようとした。
「おっと・・・・」
その時、右足のつま先がエレベーターの縁に当たり、身体がわずかに前のめりになった。
「一段上がってる・・・まただ」
そうなのだ。雅がエレベーターに違和感を感じるときは、何故かいつも出入り口が一段上に上がっている。
通常のエレベーターなら降り易い様に出入り口の縁と水平になるのだがそれがなく、違和感を感じるときは一段上がっている。
しかし常に一段上がっているわけではない。ちゃんと水平になるときもあるのだ。
単なる故障や接触の問題なのだろうかと考えるのだが、このマンションはまだ新しい建物だ。
入居の際、不動産屋からは「まだ建って半年なんですよ」と聞いている。
わずか半年でエレベーターが故障などするだろうか。
おかしな点は他にもある。上の階から1階へ降りてきたとき奇妙な音がするのだ。
「くしゅ」と言う効果音のような音が聞こえる。そんな時は決って出入り口が一段上がっている。
逆を言えば、1階へ辿り着く直前に「くしゅ」と言う音がしないときは、出入り口は水平になるということだ。
更にその「くしゅ」と言う音が鳴る直前に子供の声が聞こえる場合もある。
どんな言葉なのかは分からないが、通学途中の子供たちが外で遊んでいるのだろうと思うのだが
いざ1階へ辿り着き、マンションの外に出ても、そこに子供の姿はない。
「まさか呪われているのか・・・・」
奇妙な声に音声。しかもそれはエレベーターと言う完全なる密室で起こる現象。
それは心霊現象と結び付けるには打って付けの材料となった。確かに気味が悪い。
「俺に霊感は無いはずなんだが」
雅はそう言うとマンションの外に出て会社へと向かった。
その日、仕事から帰って来た雅は、例の如く1階でエレベーター待ちをしていた。
5,4,3,2,・・・と正面の上部に設置されているケージがゆっくりと動く。
そして1階に辿り着き、ドアが開いたとき、雅はまたしても違和感を感じた。
エレベーターの出入り口が一段上がっている・・・・。
今回は自分が外から入ってきたため、奇妙な音は聞こえなかったが、今朝と同じように一段上に上がっているのだ。
「気味悪いな」
雅は思わずすぐ横にある管理人室を見た。窓が閉まっており、内部からカーテンが掛かっている。
どうやら今は不在のようだ。
落ち着かない足取りで内部に入ると、12のボタンを押した。
12階へ付く間、雅は嫌な雰囲気に包まれていた。考えたくはないが、何か霊的な何かがあるのだろうか。
そう思うと一刻も早く12階に付く事を願った。
12階に到着すると雅は逃げるように外へ出ると、そそくさと自分の部屋に戻った。
翌朝、雅が何気なく朝刊を読んでいると見慣れた景色が映る写真の上に「子供、行方不明相次ぐ」と言う見出しを見つけた。
新聞によると、雅のマンションのある周辺で最近、幼稚園から小学校の低学年の児童が行方不明になっているらしい。
一ヶ月ほど前から相次いでおり、昨日も近くの幼稚園に通う女児の行方が分からなくなっているようだ。
警察当局では誘拐の可能性もあると見て捜査をしている。
「物騒だな。この近くじゃないか」
新聞に掲載されている周辺の写真は雅が出勤の際に通る場所だった。このマンションから百メートルも離れていない場所だ。
ただでさえ少子化の進むご時世である。未来の担う子供を誘拐するとは言語道断だ。許される事ではない。
時計を見ると時刻は既に出勤時間を示していた。雅は少々慌てながら家を後にした。
今日のエレベーターに変化は見られなかった。1階に到着する際も極普通であり、一段上がる事も無かった。
だが連日あまりにも不審な部分が目立つため、雅は管理人に事の事情を説明した。
すると管理人は「良くあることですよ」と言って真剣に扱ってもらえなかった。
しかし雅がそれ以上に突っ込みを入れると、管理人は「では今度業者に見てもらいます」と言ってメモを取っていた。
管理人の態度はいかにも面倒臭いと言った態度で、本当に業者を呼ぶかどうか疑わしかった。
この分だと自分で調べた方が早いかもしれないなと、思った日の帰り道、雅はある事を思い出した。
「そう言えばこのマンションにはエレベーターシャフトがあったな」
エレベーターシャフトが完備されているマンションと言うのは、そうあるものではない。
田園調布や代官山などの、いわゆる「セレブ」を感じさせる地域のマンションには設備されているが
通常の都心の高層マンションにシャフトがあるのは珍しい物件に入る。
だが「建って半年」と言う年数と、耐震偽造などが取り沙汰されている今日の建造物には
それなりの設備を置くと言う認識が強まっているのかもしれない。
入居の際に説明を受けたのだが、エレベーターシャフトの中には緊急用のもう一つのエレベーターがある。
普段は使われない緊急用の物で、それは管理人室のコントロールパネルで捜査することが可能らしい。
火災などで上の階に取り残された人を救いやすくするための配慮である。
管理人室からエレベーターを自在に操作することが出来れば、万が一の場合、生存率はかなり上がる。
あくまで災害用に設置されたエレベーターだった。
その事を思い出した雅は、妙な好奇心をそそられた。エレベーターシャフトなど映画の中でしか見たことが無かった。
それに一連の違和感を突き止められそうな予感もした。
「ちょっと見てみるか・・・・」
そう呟いたときには既に雅の身体は行動を起こしていた。
エレベーターシャフトの入り口はどの階にも設置されている。緊急時にどの階からでも侵入できるように配慮されているのだ。
おまけに入り口には簡単な鍵しか掛けられておらず、大人であれば誰でも外す事が出来た。
それもやはり緊急時に救助隊が即座に入っていけるように考えての設備だった。
エレベーターシャフトに入ると、中は想像以上に開けており、下へ繋がる空洞と、その横にハシゴが備え付けられている。
万が一エレベーターが止まってしまったときは、このハシゴを使って上り下りするのだ。
ハシゴのそばには小さな液晶画面が壁に組み込まれている。緊急用のエレベーターが何階に停車しているかを表示するためのものだ。
雅は自室がある12階のエレベーターシャフトの鍵を開け、中に入った。
「あれ?なんで2階で停まっているんだ?」
液晶画面には「2」と言う表示が浮かんでいる。それは緊急用のエレベーターが2階で停車している事を意味している。
通常、緊急用のエレベーターと言うのは常に1階に停車しているのが普通である。
エレベーターと言うのは停車する場所が高ければ高いほど、電気代が掛かるのだ。
それに災害時に救助隊が使用するとき、エレベーターが1階に停車していないとどこに停車しているかが分からなくなる。
その分救助に時間を要し、救える命も救えない可能性があるため、緊急用のエレベーターは1階で停車させておく事が義務付けられている。
しかし画面には「2」と言う数字が表示されている。これは一体何を意味するのか・・・。
いろいろと考えたが、どう考えても「2階で停車でさせなければならない理由がある」としか考えられなかった。
雅の身体に緊張感が走る。もしかしたら一連の違和感はこの辺に原因があるのかも知れない。
そう考えると違和感が不適で起こる事も説明が付く。
雅は液晶画面のディスプレイにある12のボタンを押した。
緊急用のエレベーターは管理人室以外にも、このシャフト内でも操作する事が可能だった。
下へと続く空洞から低い唸りのような音が響く。2階に停車してある緊急用のエレベーターが上がってくる音だ。
「なんだか不気味だな・・・・」
まるでやってはいけないことをやっているようで、ちょっとした恐怖を感じた。
もしかしたら自分は危険な事をしているのかも知れない。止めるなら今のうちだ。そう思った。
だがそういう思いとは裏腹に、好奇心はもはや絶頂を迎えている。子供の頃から好奇心大盛だった雅の性格である。
しばらくすると何も無かった空洞から低い唸りと共にエレベーターが姿を現した。それはまるで小さな箱のような姿だった。
12階で停車するとしばし静寂が訪れた。「開閉」のボタンを押さない限りドアは開かない。
雅の指は震えた。高鳴る好奇心と恐怖の両方が入り混じった奇妙な感触。
本当に良いのだろうか・・・・だがこれで全てが解決するかも知れない。
そう思ったとき、雅の指は決して開けてはならぬ扉を開けていた。
その瞬間、雅の時間がわずかに止まった。目の前の惨状を理解するのに要した時間である。
気が付くと雅は、この世のものとは思えぬ悲鳴を上げ、失禁していた・・・。
それから数時間後、雅の住むマンションは無数のパトカーに包囲され、20人を超える警官たちで溢れ返っていた。
警官たちはこの事件の実行犯・・・つまり犯人が誰なのかすぐに分かったようだ。
第一発見者である雅の証言を元に、このマンションの管理人「五十嵐 保」(いがらし たもつ)容疑者が逮捕された。
警官たちの手厚いケアによって錯乱状態はやり過ごした。それでもあの地獄絵図は一向に消えず
瞼を閉じると鮮明に浮かんできた。
雅が緊急用のエレベーターで見たもの。それはもはや原型を留めない子供の死体だった。
しかも1体ではなく、判断が付く限りでは5人もの子供が変わり果てた姿となって転がっていたのだ。
警察の話に寄れば発見された子供の遺体は全て潰されていたという。
後に明らかとなることなのだが、事の真相はこうである。
逮捕された五十嵐は元々性的な異常を持った、いわゆる「異常者」だった。
彼は数日前から近所で遊んでいる子供を誘拐し、拘束した上にシャフト内に閉じ込め、降りてくるエレベーターで潰したという。
エレベーターが下に下りてくるという事は当然、中には人が居たのだ。
更に五十嵐はその一部始終を撮影しようと、緊急用のエレベーターの下にカメラを設置。
これによって子供が潰される瞬間を撮影できるようになった。
緊急用のエレベーターが2階で停車していたのはこのためである。
1階に停車させておくとその瞬間を撮影する事ができないからだ。
雅が推測した「2階に停車させなければならない理由」は的を得ていたのだ。
何故今まで遺体となった子供の存在に気付かなかったのか、と言う点については
シャフト内は完全に密閉されており、尚且つは壁が分厚い。それによって異臭は外に漏れる事が無く
拘束され、シャフト内に閉じ込められた子供の悲鳴が届かなかったと推測された。
逮捕された五十嵐は素直に犯行を認め、動機については「子供を潰すのが快楽だった」と話しているという。
五十嵐は逮捕されたが、雅の心は重かった。
何故なら五十嵐の供述で、雅が感じていた違和感と縁が一段上がっているという奇妙な状況の理由が分かってしまったからだ。
まず、時折1階の縁が一段上がっている事については、まさにその瞬間、雅の足元で子供が犠牲になっていたのだ。
一段上がっていた理由は、その段差に潰された子供の存在があったから一段上がっていたのだ。
押し潰された子供の身体が縁につかえ、平行にならなかった。
更に1階に停車する瞬間に聞こえた子供の声も、潰される瞬間の子供の悲鳴だったと判断する事が出来る。
つまり自分が乗っていたエレベーターで子供を潰したと言う事なのだ。
勿論そんな気などない。最初から知っていたら助けただろう。
だが理論は別としても、子供を潰したのは雅自身だったのだ。
それ以後、雅は2度とエレベーターを使う事は無かった。
END