僕は妃と話ができない
僕の結婚が決まった。
父である僕の国の皇帝が、小さな王国の王を斬首して完全支配下に置いた数日後。
そう聞かされた僕は、諦観半分でその詳細を確認した。
「……要するに、あの小国の王位継承権を、穏便に乗っ取るんですね父上?」
「そういう事だ皇子よ」
玉座に腰掛けた父帝は、悪びれず頷く。
「処刑した当代王は散財好きのボンクラだったが、あの国の王家はそれなりに名君を輩出した歴史ある血統であり、国民もその王室には誇りを持っている。我が国の属国として無理に新王室を立ち上げるよりも、儂の息子であるお前と、あちらの王族の生き残りを結婚させて子供を作り、合法的に王位を継承させたほうが角がたたんだろう。と家臣達と話し合ってな」
「……そうですか」
それでなんで僕が、とは聞かない。
亡国の王家乗っ取りを説明する父帝と父帝の重臣達は欲深だが、これでなかなか属国の扱いを心得ている古狸達だ。
名門だがさほど影響力を持たない貴族家出身である第三妃の次男。全体的に見ると第五皇子である僕なら、属国の傀儡王として最適だと判断したんだろう。下手に権勢を持つ実家出身の妃が生んだ皇子じゃあ、どんな野心を抱くか判らないし。
……うん。文句を言える立場でもないし、大人しく政略結婚の駒となるしかないだろう。覚悟はできている。
――という事で、相手は誰だろうか?
捕らえられている姿を見たが、確か王弟の長女と王妹の次女がまだ未婚で、どちらも中々の美少女だったっけ。
どうせ毎日顔合わせるんなら、より好みの方――肉感的な美女である王弟の長女がいいんだけど、でも王弟の長女は父帝好みでもあるし、もしかしたら父帝の後宮行きだろうか? だとすると僕の相手は、ちょっと胸は残念だったがかわいい外見の、王妹の次女かな? まぁそれも悪くないけど。
……ああ、既婚の姫を無理矢理離別させて、僕に再嫁させる可能性もあるのか。それは勘弁して欲しいなぁ。ただでさえ恨まれてるのに、更に殺意を込められそうだ。
「――という訳で皇子よ、お前の妃は、あのボンクラ王の第一王女だ」
「――えっ?」
――だが父帝が続けた言葉は、僕の予想を遥かに外れたものだった。
「……処刑された王の、娘ですか?」
「うむ。お前も確か会っているはずだな」
「は……はい。……国王が処刑された、その夜に……」
「血筋的にそれが一番良いだろう。かの国の第一王女を、お前の王妃とする」
「え――えぇえ?!」
柄にもなく動揺し、仮にも皇帝の前で僕は大声を上げてしまう。
――でも、無理だ。その選択はない。だって、あの姫君は。
「ち……父上、血筋と言うならば、王弟か王妹の姫君達でも充分なのでは?」
「ああ、あの二人は儂の後宮に入れる事にしたからな」
二人もかよこのエロジジィ!!
……という叫びは内心だけに留めておこう。でも本当にこの父帝は枯れない。だから後宮の女達の戦いも終わらない。そして僕の兄弟達は増え続ける。
いや、そんな事より。
「……父上、その御言葉は……お考え直しになられませぬか?」
「……ほう、何故だ?」
僅かに声のトーンを落とした、父帝の静かな問いかけ。
それだけで胃が重くなり、僕は頭の上から押し潰されるような重圧を感じる。流石は最高権力者。皇子なんて地位、玉座の男にはなんの意味も持たない。
「……それは」
……でも、できれば考え直して欲しいと、僕は初めて見た彼女を思い出し、そう思う。
「……彼女は……僕と話すらできる状態ではありません」
柔らかく波打つ金の髪と、雪のようにきめ細かな白い肌。薔薇色の頬。薄紅色の唇。鮮やかな深い碧色の大きな瞳。
十人目にすれば十人『美しい』と答えるだろうかの姫君が、僕と話す言葉を持たず、僕や僕の母国である帝国の存在すら理解していない事は、初めてその姿を見た僕にもすぐに判った。
……だって、彼女は……。
「……」
……今思いだしても、胸が痛くなる。
父である国王が殺されたその夜。かの姫君は、軟禁された部屋で敵国の皇子である僕を初めて見た時……それは嬉しそうに、笑った。
恐怖も怒りも怨嗟も無い、まるで幸せそのもののような笑顔を、あの子は浮かべたんだ。
「……うむ、それはそうだろうな」
そんな彼女を思い出したのか、父帝が頷く。
父帝の慈悲を、僕は期待するしかない。
「父上、現在のかの姫君は話もできず、自分の現状すら理解できず、王妃としての役目を果たすことなどとてもできません。……誰かの監視下におき、そっとしておくべきではないでしょうか? ある程度の生活を保障しておけば、王家直系をないがしろにしているわけではないという、対外的な喧伝にもなりますし……」
あの笑顔を壊したくない……そんな事を彼女の国を滅ぼした国の皇子である僕が思うのは、大した欺瞞だろう。
「ぼ、僕としても……この大事な時期に、妃と話ができないのは困りますし……」
でも本当に、そう思ったんだ。
……彼女にこのまま笑っていて欲しい。……親の仇なんかに関わることなく、穏やかに暮らして欲しい……と。
「……皇子よ、お前は優しい男だな」
嘲るような、それでいてどこか情を感じさせる父帝の声が玉座から響いた。
戯れでも酔狂でもいい。その情をどうかかの姫へ向けてくれと、僕は父帝に祈る。
「――だがそれはできん」
……それが届く事は無かった。
「王室の直系血筋を継承してこそ、王位の正当性を国民に納得させる事ができるのだ」
「ですが――っ」
「例え王弟、王妹の姫達であろうと、直系には適わぬ」
「っ……」
「直系の姫を取り込まねば、その直系血筋を利用しようとする者達が必ず出てくるだろう。さすれば国が乱れる。――例え現状の姫がどうあろうと、お前は彼女を妃とせねばならんのだ。……判るな皇子よ?」
悔しいほどの正論だ。
……そうだ。この大帝国の皇帝は、僅かに抱いた情に左右されるようなヤワな精神構造をしていない。
例え個人的にかの姫に憐憫を覚えていたとしても、それで最良と思われる手段を捨てたりはしない。
「……判ります」
……彼女を利用する事は、決定事項なんだ。
そう理解した時、僕はまた痛みを覚えた。
僕は皇子だ。皇位継承権も低く、駒として利用される義務を自覚し、従順な皇子として生きる忍耐と諦観の時間が、僕にその義務を納得させた。
……だがかの姫は、それすらできないのだ。
「判るのならば、かの国の王として、お前はかの姫君を妃とするな?」
「……はい」
……何も知らない、判らない、僕と交わす言葉を持たない美しい姫君。
それが不幸なのかは判らない。判らないけれど……苦しい。
「お前は儂に似ず、優しい男だ。……まだまだ愛する事はできぬとしても、かの姫を気遣い、大切に扱う事ができるだろう」
「……」
「……お前の妃になるのならば、かの姫もそう不幸ではないと儂は思うぞ」
そうであればいい。
いつもならば恐怖と苦痛に耐えながら聞く父帝の言葉にすら縋るように、僕は祈った。
そして。
「ばぶーっ。ばぶーっ」
「うんうん……仲良くしようね……僕の妃」
「ばぶばぶーっ♪」
――僕(十六歳)と妃(生後三ヶ月)は、夫婦となった。
……君とはいつになったら、話せるようになるんだろうね?
一発ネタ消費したい症候群発症。
皇子……大帝国の第五皇子。十六歳。生母の地位も皇位継承権もほどほどの政略の駒。色々諦観していたが、亡国の姫――何も判っていない赤ん坊に同情する。
亡国の姫……亡国の第一王女。父王はボンクラ。天使のようなベビースマイルが通常装備の、とっても美乳児。
二十数年後には、普通の仲良し夫婦になってそうです。