ハワイ旅行をした際に、お土産として配布する為に大量購入したキャンドルが、テーブルの上に並べられている。ゆらめく炎の光が室内に大小の影を落としこむ。
ソファの影。ダストボックスの影。転がっているカバンの影。何かの空箱の影。いすに引っ掛けられたワンピースの影。ゴミのつまったコンビニ袋の影。なぜか、トイレットペーパーが二つ転がっている。その近くの生成りをしたカーペットが茶色い染みを作っていることから、あれを拭こうとしたのかもしれない。と胡乱にそれを眺めながら彼女は考えた。
クッションの間には、失くした! とこの前から探していたメガネが挟まっている。救出されたメガネはフレームが微妙に歪んでいたが、凛子は構わず目に付くところに置いた。こうして改めて見ると
「きったない部屋」
二十代後半に突入した女性の部屋とは思えない。
高宮凛子二十六歳――これでも女性向けファッション雑誌編集者――は、失笑すると手近にあったクッションを引き寄せ、ごろんと転がった。因みに働くお姉さんの戦闘服はとっくの昔に脱いでおり、いまはノーブラにキャミソール、下はパンツ一枚。誰にも見せられない格好だが、ここ2Kの城では彼女が主である。ちなみに恋人は社会人になってから居ない。つまり唐突な夜中の訪問に怯える事無く、好きな格好で好きなだけ弛緩している事が可能だ。
偏った持論だが、汚部屋はキャリアウーマンの勲章だと思う。芋虫のように寝転がりながら、スナック菓子をつまみ、三缶目のビールを開けた。だらしが無い事、この上ないのだが、明日は久しぶりの休日だった。うっかり夜更かしをしても徹夜になることはなく、それどころか朝寝を存分に楽しめる。平日半休を土日出勤の代わりに当ててきたこの四ヵ月の中では、非常に魅力的な単語がずらずらと脳裏に浮かぶ。
週末。休日。朝寝。
昼からビール。
涼しくなったら買い物。
あ、蛍光灯買わなきゃ。
エアコンの修理もか。
それに――掃除?
いやいやそれは日曜日でも良いや。
明日ぐらい一日怠惰に過ごそう。
それにしても電気はいつになったら復旧するのだろうか。
ごろんと体の向きを変えて、カバンの中から携帯電話を取り出す。キャンドルの炎と比べ物にならない無機質な明りになんとなく安心して、凛子は液晶を撫でた。時刻はまもなく午前二時。帰宅してそろそろ一時間は経つ。なんとなしに顔をあげた先が捉えたのは、玄関へと続く暗い廊下に突如差し込む眩い光だった。
やっとかよ、と内心で毒づきつつ、次の瞬間には違和感を感じ、凛子は勢いよく起き上がった。妙な、気配。廊下を照らす光はこの部屋のものではなく、玄関の向こうから室内へと漏れてきている。そして、何かの影。凛子は息を殺しクッションを抱きかかえると、影へと目を凝らす。
強盗か、それとも。
数日前ニュースで流れた、集合住宅における性犯罪が脳裏を過ぎる。忽ちのうちに嫌な汗が浮かぶ。玄関付近で足を止めていた影がドアが閉まるのと同時に動き出す。探るようにとゆっくり歩を進める影に、凛子は金縛りにあってしまったかのように固まる体を震わせる。
そして、影が、廊下とこのリビングの境界を踏んだ瞬間、勇気を振り絞って飲みかけの缶ビールを投げつけた。が、すぐさま体が引き倒され瞬く間のうちに、腕をねじり上げられる。何が起こったのか一瞬理解できなかった彼女の視界に飛び込んできたのは、侵入者――美麗な顔立ちをした男だった。
「とんだ侵入者だな。イズラルの手の者か?」
「なっ!? なにすんのっ!?」
「こういった場面で『何をするのか』と問われたのは初めてだ」
薄く笑った男が、凛子の顔の横に何かを突き立てる。視界の端が捕らえた炎のあかりに反射して揺れる銀色に、背筋が凍りつく。
「動くな」
低い男の声に、注意は引き戻され、凛子はえも知らぬ恐怖に身を震わせた。
「さて……」
額づくように凛子に顔を寄せた男の亜麻色の髪が落ちる。酷薄そうな笑みを浮かべていた唇が開き、それからどういった理由か固まった。青灰色に彩られた瞳は数度瞬きを繰り返し、凛子から視線を外す。そして僅かに身を起こした男は、自身に問いかけるでもなく、言葉を紡ぐ。
「ここは……どこだ」
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