珍しく終電に間に合ったものの、よくよく考えると間に合わなかった方が良かったのかもしれない。
金曜日の終電の混み具合と云ったら!
呼吸もままならない密室空間。
くわえて季節は盛夏。
誰のものともわからぬ、湿った肌と密着していた事をふと思い出し、凛子は半目になりながら、高いヒールを玄関で脱ぎ捨てる。靴は揃えるものという概念は、疲弊しきった彼女には最早なく、さらに玄関口でストッキングまでもを脱ぐと、そのままそこに放置して、壁のスイッチへと手を伸ばした。
蛍光灯の白い光が、明滅したのち、パチンという音をさせ、消える。刹那浮かび上がった廊下はいつも通りだったのだが、彼女は盛大に溜息を吐いた。右手に持つコンビニの袋が、がさりとむなしい音を立てる。足元の障害物をなるべく避けるように探り探り前へ進むと、ややしてリビングへと続くドアへとたどり着いた。
リビングといっても大した物では無い。八畳程の広さをした部屋が縦に並んでいる為、手前の部屋にテレビやらソファやらを置いてリビング風に使用しているだけだ。
正確に言うと1LDKではなく2Kが彼女の住む城となる。
二つの部屋にキッチン。浴室とトイレ。学生時代に住んでいたワンルームの部屋に、毛が生えた程度の余裕があるレベルの部屋。それが二十六歳となった彼女の居城である。
風にあおられて揺れるカーテンの外は闇色をしている。慌しく出勤した朝方から、この部屋の主であるところの彼女が帰宅する今まで、ベッドルームとして使用している部屋の窓は、無用心なことに開けっぱなしだったらしい。小さく肩を竦めて凛子は壁面を指先で探り、スイッチを押す。
しかし一向に室内に明かりは点らない。リモコンで操作したんだっけ? とローテーブルへと手を伸ばす。ばさばさと腕に引っかかって落ちたのは、積み上げられている書類だろう。然程気にする事なく、目的のものを探り当てると、気持ち天井にそれを向けた。ピ―と言う軽い電子音を立て、室内は刹那のうちに煩雑な日常を照らし……
そして、パチンという音をさせ、暗転した。
「もーー! なんだっつーーの」
疲労が倍に増したような気がする。
凛子はぼやく様な声を上げてそのまま底に座り込んだ。確か、家電製品が壊れるのは重なると聞くけれど。
珈琲メーカーが壊れたのは一週間前で、エアコンは昨日。冷蔵庫もなんとなくやばいような。つらつらと思い浮かべながらも、いや違うだろ、と首を振った。
照明がつかないのは、蛍光灯が切れた所為だ。新しいものを買ってくればそれで済む。しかし、ここのところコンビニエンスストアや飲み屋以外の店舗が開いている時間に帰宅した記憶が無い。一人暮らしの超絶多忙なお姉さんの買い物は、専らネットショッピング頼りだった。
「コンビニに蛍光灯って売っていたっけ……。また外にでるのは、さすがに面倒」
もう一度だけ、疲れたような溜息を吐いて、ビニールの袋へと手を伸ばす。指先が冷たい金属に触れ、彼女は迷うことなくそれを取り出した。プルトップを引き上げ、あおる。単純なことに、喉の奥で弾ける炭酸が、一日の疲労を洗い流してくれるような錯覚に陥る。一気にそれを飲み干すと、彼女は気合を入れるように立ち上がり、リビングから続く三畳ほどのキッチンへと向かった。信じられない事にキッチンの明かりも弾けるような音を立てたのち消えてしまった。そして二本目の缶ビールを求めて開けた冷蔵庫も、動作していない。
「うわ、停電?」
なんとなく嫌な予感を覚えて冷凍室を空けると、ひんやりとした冷気が降りてくる。買い溜めてあるロック氷は、まだ溶けていない。電気が落ちたのだとしたら、それほど時間が経っていないことを指し示している。
「さーいーあーくー」
ぶつぶつとつぶやきながら再び冷蔵庫をあけ、凛子はそのままそこに座り込んで、まだ十分に冷えている缶ビールを飲み干した。
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