「なんでも言うこと聞いてあげる」
つとつと、とパジャマ姿でやってくるなり灰原は口を開いた。
リビングで、眠れない退屈しのぎの雑誌から顔を上げて、呆然とする俺。
「は?」
「だから、言うこときくわ」
「なんで?」
「今日はあなたの日だから」
ああ、9月10日だからって。あと、5分で今日おわるんですけど。
「300秒もあるのよ、贅沢ね」
腕を組み見透かしたように薄く笑う。
「いきなり言われたって、思いつかねーよ」
すると、唇をヘの字にして、眉を寄せて不機嫌を目一杯表現し始める。
「せっかく言ってるのよ? 大好きって言うとか、子猫たいに甘えてみせるとか、ほっぺにチューとか、頭をなでさせるとか、色々あるじゃない」
俺は灰原をじっと見る。
「全部」
「――え?」
「いま言ったの全部。あと、その色々ってやつも」
彼女は、金魚みたいに口をパクパクさせた。上手く言葉がでないらしい。
「な、な……」
みるみる顔が赤くなる。
「言い出したのは灰原じゃん? 時間もったいないから、まずチューからな」
くっと腕を引くと、呆気なく俺の腕の中に納まる。
「頭は俺が撫でてやっから」
うながすように、ふわふわの猫っ毛を手で梳く。
「め、つむって」
言われた通りにすると、頬に彼女の唇が微かに触れた。
瞳を開けると俯きっぱなしの灰原。
「猫みたいに甘えてみてよ。どーすんの?」
手を伸ばしきゅっと俺を抱きしめ、そのまま動かない。
これとない程真っ赤になっている灰原を見たいのはヤマヤマだが、それは気が引ける。
「灰原、大好きって言ったらそれで終わりにしてもいいよ?」
そっと耳元で囁くと。
「本当?」とくぐもった声が帰ってくる。
「ほんとう」
「わ、わかったわよ」
「うん?」
だ、と呟く震えた声。
「聞こえない」
「……すき」
「大はつかねぇの?」
「――ダイスキ」
うわ、棒読みだ。
「ほんとか?」
思わず問い返すと。
「うん、大好き」
素直に返ってきた。
「あ――」
それから口を閉ざしてしまう。
沈黙。
それから、流れる静かな時間。
「このまま運んでやるよ」 そう言って、抱き抱えたまま立ち上がる。
いわゆる子供抱き。
眠いのか何の抵抗もない。
ふと、灰原はリビングの時計に目を遣った。
すこぶるヤバイ。
灰原が俺を抱きしめた時点で今日は終わっていたのだから。
「はいば」
「サービスしてあげるわ」
ほっとしたのも、つかの間。
「高くつくけどね」
END。 |