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降る夢

作者:芹沢 忍
他のサイトでも掲載したものです。
 新刊が届いた。差出人は木村真由子。高校時代からの長い友人だ。彼女は夢を実現し小説家となっている。残念ながら専業とはいかないが、ささやかながら作品を発表し、新作が出ると毎回欠かさず送ってくれるのだ。

 鹿嶋安海かしま やすみ

 画数が多く嫌になる自分の氏名だが、彼女の細く流れる文字で見ると何だかとても嬉しい気持ちになる。ポストから大切に取り出し、部屋に入る前に封を切った。
 出てきたのは文庫本の新刊だ。表紙を見て私は首を傾げた。真由子のペンネームでは無かった。広告などで良く見かける売っ子作家の名前。
「おっかしいなぁ…何で他人のを送ってきたんだ?」
 ショルダーバッグを下ろしながら1DKの室内に入り、ベッドの上に座り込んだ。封筒の中を確かめたが何も無い。手紙が挟まっているかもと思い、本をパラパラめくってみたが栞とチラシ以外は見つからない。
「真由子の事だから、きっと何か理由があると思うんだよね…」
 スーツのままでベッドへ寝転がり、俯せになって数ページ読んでみた。面白そうだ。読むのが止まらなくなりそうなので、本の世界に入り込む前に慌てて栞を挟むと本を閉じる。独り暮らしのOLは明日に備えることが多いのだ。面倒だなぁと思うけれども洗い物と入浴だけは済ませなければ。バタバタと狭い住まいを移動し、私は久しぶりに真由子のことを考えながら用事を進めた。

「恨むぞ、真由子ぉ~」
 起きて一番に目覚ましの音楽を止めながら呟いた。送られて来た本はやはり面白く、平日にも拘らず一気に読み終えてしまった。お陰で寝不足だ。幸い今は比較的仕事が緩い周期に来ている。今日の仕事は半分捨てると固く心に誓いながら起き上がると、薬缶をコンロにセットしながら玄関へ新聞を取りに向かった。
 新聞を取って部屋に戻った途端にルルルルルと電話が鳴った。ディスプレイを覗き込むと真由子の名前が表示されている。やはり昨晩何かあったなと思ったのは間違いではないらしい。普段は絶対、朝に電話なんてかけてこない。多分、とても悩んだ末での電話だろう。私は目を覚ますために、まだ起き切らない頭を思いきり振ってから受話器を取り上げた。
「おはよう。どうしたぁ~?」
 なるべく軽く言ってみる。受話器の向こうはシーンとしていて何だか落ち着かない気分になる。
「真由子だよね」
再び声をかけると、微かだが息を吐く音が聞こえた。私は受話器に意識を集中させた。
「…安海ぃ。会いたいよ。直接会って話したいことがあるんだぁ」
 真由子の沈んで掠れた感じの声に、心配がゆっくりと頭を擡げる。ヤバイくらいに沈み込んでいるのが手に取るように判る。そう思った瞬間に、私は迷わず真由子を自宅へ誘っていた。
 電話を切ってから、キッチンの椅子に腰かけ、テーブルに突っ伏す。会社はズル休み決定だ。始業時間まではまだ間がある。真由子もこれから家を出るなら2時間はかかる筈だ。突っ伏しながら時間を計算し1時間半寝直す事を決めてからベッドへと向かった。置き抜けの声で会社に電話したら、おそらく風邪で誤魔化せるだろう。
 真由子は大丈夫なのかなと思いながらも、強すぎる睡魔に襲われていた私はベッドに着くなり撃沈した。もちろん目覚ましのタイマーセットは忘れなかったけれども。

 軽快な弦楽の音が聞こえる。時計を見やると時間は8時を少し過ぎたくらいだ。一瞬ヤバい!と思ったが、先刻の経緯を思い出しほっと胸を撫で下ろす。音楽は流したままで、改めて起き出し、まずは身支度。少し寝足しただけだが、かなり頭がすっきりした。これで真由子の話しもきちんと聞ける。明日は土曜で休みだから徹夜になってもOKだ。
 取り敢えずは会社に電話を入れておかなくてはいけない。ワザと声を低めて、なるべく嗄れるように、絞り出すように。受話器を取る前に声を出し、耳で響きを確かめた。よし、これなら大丈夫と演技を決めてから会社に電話を入れる。上司には厭味を言われたが、それなら辞めると思えるくらい愛着の無い会社だ。大事な友人がやってくるのだから厭味なんて電話を切って即忘れた。
 真由子は深刻な話しをしに来るのであろうが、久々に会うのでついつい浮かれた気分が顔を出す。シリアルバーの朝食を取りながら、沸かしたお湯をインスタントコーヒーが入ったマグに、次いで余った分はポットへと注ぐ。
 お茶菓子は確かこの間ラスクを買ってあったなと棚を覗きこむ。ランチョンマットはマーガレットの刺しゅうがされた若草色の可愛いのがあると引出しを調べる。自分の落ち着かなさに、まるで初めて彼を家に招待しているような気恥かしさを感じて赤くなった。
「頼られて嬉しいからって…程があるよなぁ」
 気を紛らわせるために口に出してみるが、気恥かしさはあまり変わらなかった。
 落ち付かなげに迎える準備と身支度を整えているうちに、玄関の呼び鈴が鳴ってしまい、私は気を静めるようにと自分の頬をぺちぺち叩いてから玄関に向かった。
 チェーンキーを外すのがもどかしい。外したチェーンがカシャリと音を立てて落ちるのを聞き、ドアのロックを解除すると静かに押し開けた。
「いらしゃい」
 目に飛び込んできた真由子の姿はとても寒そうだった。冬の寒さに凍えていたというのもあるだろうが、それよりも心の底が冷え切っている感じがする。久しぶりの対面で私を見ても、堅い表情が取れないなんてことは今まで無かった…と思う。
 真由子は何か言いたそうに一瞬私を見上げたが、目が合いそうになる寸前に視線を逃がした。その行動が気にはなったが、冷えた玄関に立たせたままというのは良くない。
「寒いからさ、上がってよ」
 促して室内へ誘う。小さくお邪魔しますという声が聞こえ、ドアが閉まる重い音がした。 鍵を掛けておいてねと伝えてから、紅茶派の真由子の為に紅茶を用意する。程無くして現れた真由子に、私は無言でマグカップを付き出した。真由子は両手でマグを包み込むと、温かいねとようやく軽く微笑んだ。
「とにかく座って。お茶もお菓子も結構あるから、ゆっくりと話そうよ。ここが落ち付かなければ部屋のテーブルでダラダラ・コースもOKだよ」
「ダラダラって」
 一先ず真由子の気持ちを解したかったので、直ぐに「ごろごろでもいいけどね」と付け足した。
 今度は笑顔。上手く行って良かったと少し安心する。
「で、どっちにする。部屋行く?」
 真由子がこくりと頷いたので、トレイに用意してあったお茶道具をそのまま持って移動した。ポットは乗らなかったので一度往復。往復しながら真由子に伝える。
「そこら辺りのクッションとかブランケット、適当に使っちゃって。ベッドに腰かけちゃってもいいし。真由子の楽な格好で落ち着いちゃってくれる」
 解ったという返事をして真由子が部屋に消える。そこで思い出した。昨日届いていた本。ベッドサイドに置きっぱなしにしてある。話したいことってあの本の事じゃないだろうか。
「失敗した…」
 くだらない話題からさり気無く本題に移れるようにと考えていたのに、本を見付けられたら即本題に入ってしまうだろう。しかし、さっさと本題を促した方が、却って無理をさせないで済むかもしれないと、前向きに考え直した。
 部屋に戻ると真由子がベッドに腰掛け、手近にあった大きなクッションを抱え込んでいた。彼女の右手には例の本。無表情で見つめる瞳が冷ややかだった。
「安美、読んだ?」
 沈んだ声の問いかけに、私はこくりと頷いてポットを置くと、真由子の真向かい側にぺたりと座り込んだ。
「真由子の書く話っぽいよね」
 この言葉に真由子が固まった。もしかして地雷を踏んだかもしれないと焦る。
 私から話しを振るには気が引けるし、真由子も話そうとはしそうにない。沈黙は重く、時だけが進む。置時計が秒針を刻むチッチッチッという音がやけに耳に付き、気持ちは居心地の悪さにざわつく。
 ここは一先ず息を抜こうということで、まだトレイに乗ったままの自分のマグカップに手を伸ばし、中の液体を口に含む。含んだ瞬間に真由子が言った台詞は、思いきり私を驚かせた。
「私のなんだよね。その作品」
 真由子の言葉に含んだ紅茶が音を立て喉を通過した。勢いが良かったらしく、一部が気管へ入り、私は激しく咳込んだ。咳込みながらも、どういうことと問う事は、勿論、忘れなかった。
「新しい担当が付いたって、前に話したっけ」
 確か半年くらい前だったと思う。デビューからずっと一緒に仕事をしてきた女性編集者が産休に入るという話しを聞いたのは。新しい編集が男性で、あまりヤル気の見えない人物で戸惑っているということも言っていたなぁと、頭を半年前に巻き戻し再生してみた。
「担当と合わないって言ったね」
「その担当にね…」
 真由子がそこで口籠る。本をベッドに置いて表紙を指でなぞる。
「この作家のゴーストにされたの。勝手にね」
「はぁ、何それ!」
 出版社の編集ともあろう者が盗用なんて真似をするのか。腹が立つ以上にショックの方が大きい。真由子の書いているのは、小さいながらも長い間良い作品を出版している、本読みの中では老舗の評判の良い会社だ。真由子の冷え切った姿を思い出して悔しい気分になる。そんな様子になるのも当然だった。
「書いた原稿、全く手を加えないで、そのまま本にされた」
 きつく、きつく、真由子がクッションを抱き込む。声の調子は淡々としたままなのが恐ろしい。さっきまでは泣くのかと思っていたが、そうではなく、極限まで怒りを抑え込んでいるらしい。その姿は、ひんやりとした冷気まで放っているように感じる。
「抗議したら、『売上の6%をゴーストライターに支払う事に、先方と話し合って決めたから』だってよ。名前だけでその作家は何%かの売上持ってくってことじゃん!」
「そ、そうだよね」
「しかも、最悪なのが『彼の方が名前が売れてるから、会社の売上も上がって、しかも貴方の普段の印税よりも良い金額になるんじゃないですか。うちも普段彼に払う印税よりも出費が低く抑えられるので大助かりなんです』って、ざけんじゃねえよ!」
 噴火した。物凄い溶岩流が噴き出してる感じがする。そりゃあ、噴火もするわなぁ。馬鹿すぎだわ、その担当。しかも正しいと思ってる節がある台詞回し。出版社にいちゃいけない奴だなと、激流を受止めながら思う。普段が口べたなのに、この饒舌っぷり。どれだけ心の内で怒りを反芻していたのだろうか。少し逃げたい気分になってくる。
「私に無許可よ、無許可! 先方の作家や編集長には、私がOK出したって言ってたらしいのよ。見本誌を編集長から送ってもらって、初めてそんなことになってるって知ったのよ!」
 怒りが治まらない真由子は、抱いていたクッションを大きく振り上げ、ベッドに叩き付けた。私のお気に入りのクッション… 買った目的は似たような用途だから、まあ、良いけれど、生地が破けたりしないか少し心配になる。
「編集長に電話してそのこと言ったら大慌てしてたわ。で、詫びは入れてもらったけど、この作品は、公式的には私の作品ではないってことにさせてくれってさ」
「うわ、最悪だわ。作家にその仕打ち」
 流石にこれには黙って聞いていられなくなりを口出した。
 真由子は売上よりは作品を読んでもらいたいタイプの作家だ。普段は事務職をこなし、仕事が終わってから作品を書く。休日や有給を取って、編集部と打ち合わせをしたり校正をしたりしている。本当に書くのが好きなんだなぁと、社会人になって書くのを止めてしまった私は、いつも感心して作品に目を通しているくらいだ。
 読者には夢を見せたいと言って、甘過ぎると言われるような、ファンタジックや感傷的な作品を書く事が多い。盗用された作品も彼女らしい、最後は心がほわっとするような温かな作風だった。
「本の帯にさぁ、『待望の新作!これは彼の新境地だ!』とか書かれてて。私の書いたモノだから、新境地も何も無いっつうの!」
 本の内容を思い浮かべて、私は溜息を吐きたくなった。目の前の彼女が書いた作品だとは、今はとても思えない状況である。
「お金が欲しいとか、そういうことじゃなくてさ、自分の話が他人のモノになっちゃうんだよ。納得し合ってるならいいけれど、書いた本人がこんなに納得出来てないのに、会社側はお金で無理やり納得するようにって言ってるみたいじゃない」
「うんうん」
 もう、全部吐き出させちゃった方がいい。腹を括ってとにかく聞く。そう決めると何だか気楽に構えていられる気分になった。
 合間にお茶を継ぎ足し、ひたすら相槌。愚痴も途中から同じ事を焼き増ししたようになってきた。
 怒っていると思ったことが口からポンポン飛び出してくる。自分も経験があるから解るけれど、頭が沸騰してる間はとにかく話すだけ話してしまわないと気が済まない。そして、人に話す隙を与えない。学生時代に自分が全く同じ事を真由子にやったなぁとしみじみ思い出した。

 小休止を挟みながら、ハイテンションで語り続けていた真由子も、疲れてきたのか喋りのトーンが、段々と落ち着いた色を帯びてきた。外は陽が落ちかけている。テーブルのお菓子も既に残ってはいない。
「はぁー、疲れた」
 ようやく真由子が話すことに根を上げる。
「そうだねぇ」
 私も聞き疲れてぐったりだ。お互い暫し沈黙。しかし、それを破るように真由子のお腹がグググ~っと鳴った。思わず顔を見合わせる。すると私のお腹もキュルル~と続いて鳴った。二人で爆笑。ようやく明るい感じになった。
「ねぇ、ご飯食べに行こうよ、ご飯。お腹空いたってば」
 笑い過ぎて浮かんだ眼尻の涙を、指で拭いながら私は言った。
「そうしよう。お菓子だけじゃ駄目だってお腹に催促されたしね」
 いつもの調子が戻ってきた真由子が、早々に立ち上がる。私も立ち上がりコートを手にした。昨日放り出したままのショルダーを手にし、準備万端だ。
 真由子もコートを羽織り、バッグを肩に掛けていた。大きめで何だか重そうに見える。何気なく覗きこむと厚めの茶封筒が入っている。
「何か荷物重くない。中身出していけば」
「え~、うん…まぁ、大丈夫だから持ってく。帰る時うっかり忘れても困るものだからさ」
 返答に少し躊躇いがあった感じがするが、とにかくご飯が先だ。何を食べるか二人でわいわい騒ぎながら外に出た。
 外に出て少し歩くと、お互いかなりお腹が減っていると気付き、直ぐに食べられる場所でということにし、回転寿司屋で食事をすることにした。入るなり黙々と食べるだけの女二人に、店員さんはさぞかし驚いたというか、引いただろうと思う。店内で会話を始めたのは、すでにかなり満腹になり、ゆっくりとアガリを啜っている時であった。
「夜景見に行かない?」
 ポツリと言ったのは真由子だった。
「夜景かぁ。ここら辺だと20分くらい歩けば高台に行けるけど、展望台とかは無いよ」
「構わないよ。とにかく高いところだったらいいかなぁ」
 真由子は何か含む所があるような言い方をしていた。
「じゃあ、腹ごなしに歩きますか」
 席を立ち二人でレジへ向かう。会計を済ませて外に出ると、この季節にしては暖かい風が吹いていた。
「いい風だね。ちょっと強いけど」
 舞い上がる軽いウェーヴの髪を抑えながら真由子が穏やかに笑う。散々語って少しは気が済んだのだろうか。
 だらだらとくだらない話をしながら、近くにある小高い丘へと向かう。そんなに高い場所でもないし、しっかりとした設備がある公園でもない。ただ単に少し高台にある広場といったもので、少数の防風林とベンチが置いてあるくらいの場所だ。夕方だと高校生の恋人同士が時間を潰していたりする。時々大人の恋人同士もいるが、案外人通りの多い場所なので、いちゃつくには都合が悪い場所だ。そんな場所なので、暗い時間帯でも女二人で来れたりするのだけれども。
 斜面側に並ぶ防風林の脇に立つと街が一望出来る。すっかり陽が落ちた街には、家々に温かな光が満ちていた。二人で黙って街並を見下ろす。
 こうやって見ているとただの風景なのだけれど、その中の人々は、さっきまでの私達のように何かドラマを抱えてるのだろう。
 学生時代にはそんなことをよく考えていたなぁと、真由子を見やる。多分、彼女は今でもそんな事をよく考えているのだろう。そうでなければ、物書きなんてやっていけないのではないだろうかと思う。
「そんなに高い所じゃないから、夜景というよりは、ミニチュアの模型を見てる感じがするね」
 そう言いながら真由子はバッグの中から茶封筒を取り出す。さっき家を出る時に指摘した重そうなものだ。
「持って来たんだよね」 
 そして、寂しげに、泣きそうに、彼女は、封筒を開け始めた。中には出力された原稿が束になって入っていた。愛おしげに見つめると紙の上に柔らかく指を滑らせる。暫く動きを止め、原稿を見つめ、大きく息を吸い込み、用紙の両端を掴むと、思い切って左右に引き裂き始める。
「パソコンのデータは家を出る前にキレイに消してきた。これを処分したら、この作品は私のものでは無くなる。…一生ね」
 かなりの厚さだった。彼女が紡いだ夢は、丁寧に、生み出した者の手によって、小さく、小さくなってゆく。小さな紙片に変わった夢は、舞台で使う紙吹雪くらいのサイズに千切られ、入っていた茶封筒の中に再び収まった。
 茶封筒を抱えて夜景を見下ろしてから、真由子はゆっくとり辺りを見回す。私も釣られて同じような動作をする。人影は無かった。
 人がいないことを確かめたかったのだろう。真由子の取った行動がそれを物語った。
 彼女は紙片掴み取り、思いきり斜面の向こうへと撒き始めた。風が吹き上がり、その風に舞い上がった紙片は、ゆっくりと宙を漂った。
「雪みたい」
 真由子が言う。
「春なら桜の花びらに見えるよ」
 私は言った。
 彼女の夢がはらはらと散る。舞い上がり再び彼女の元へ。失ったものは元には戻らない。けれども、再び降り積もって新しい苗床を作るだろう。その苗床は大きなものが育つかもしれない。
 手元に降りてくる無数の夢を彼女は両手を広げて迎え入れる。そしてようやく一筋涙を流した。
「思いっきり泣いとけ!」
 その言葉で何かが外れたかのように、真由子は顔をくしゃくしゃにし、大粒の涙を流し、大きく声を上げて泣いた。
 街へ何かを訴えるように見えるその姿を少し離れて見守る。通りすがりの人が怪訝な表情でこちらを見るが気にしない。
 どれくらい時間が経ったのかは、正直、判らなかった。グスグス鼻を鳴らしながら私の元へやってきた真由子は、開口一番に「意地悪」と言った。
「放っておいた方が思いきり泣けるでしょ?」
 学生時代に言われた台詞をそのまま返してから、私は彼女の頭を抱え込んだ。
「馬鹿ぁ、また泣くじゃん」
 子供をあやすように真由子の背を軽く叩く。彼女は、少しの間、されるがままにしていたが、時間が経つに従って、流石に恥ずかしくなってきたのか、遠慮がちに私を押し退けた。
「…もういい」
「はいはい。全部出し切ったかな」
「出しきった…と思います」
 赤い顔で真由子が言った。泣いていたせいか、恥ずかしいからか、どちらで顔が赤いのかは判らないが、表情はすっきりとしていた。
「じゃあ、帰りましょうか。泊まってくでしょ?」
「うん、是非泊まらせて。泣き疲れたよ」
 苦笑しながら話す真由子は、少し楽しそうな様子に見えた。
「あのさぁ、思うんだけども…」
 真由子が視線を街並に向ける。
「例の雪…花びらでもいいけれど、あれって不法投棄だったりする?」
「でしょ? って、今更何を言ってるかな、この子は!」
 すっかり元気になったらしい真由子を見て私は嬉しくなった。
 降り積もった夢は、この次にどんな芽を育てるのだろうか。案外面白いものが育つかもしれない。少し先を想像しながら、私は思わず顔が綻んで来るのを感じた。
 真由子は今度の事をこれから先どのように処理していくのだろうか。多分無駄にはしないだろう。きっちりと自分の中で昇華させ、失くしたものより大きく深いものを生み出すに違いない。何だかそんな気がしてくる。
 真由子が手招きする。私は笑顔で答える。
 私達は足取りも軽く、温かな明かりが灯る街並へと向かった。
久しぶりに小説を再会した直後に書き始めたものです。案自体はかなり昔に浮かんでいたものでしたが、ラストシーンは書いたものとは全く事なり救い難いものでした。それが嫌だったのか、キャラクターがいきなり激怒(笑)。気がつけばかなり違った終わり方になっていました。キャラの暴走という話は良く聞いていましたが、自分のキャラが暴走するのは実は初体験で、かなり「何で、何でそう動く!」とパニックになったことが作品を書いていた時の一番の思い出です。

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