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成中

作者: 峯岸

災害復興ボランティア団体に所属した成中にとって、3.11の震災は人生で一番の大仕事でもあった。


団体が用意した制服に着替え、福島に入り込んで最初に住民から言われた言葉は「このボケナス! もっとはよ来いや!」


統一された制服を着ていたボランティア達は、行政職員と間違われ、罵声を浴びせられる事はしばしばある。しかし、それは前例がなかった事であり、3.11のような異常な大規模災害についは、ボランティアのベテランですら想定外の災害だでた。成中も罵声を浴びせられるとは思ってもみなかった。


罵声する者は、切実な状態であるのを認識しているからだろう。それは現地の有様をみれば誰もが理解できたし、言葉通りに受け取らなくてもいい。


しかし、成中は気にしていた。

活動中、活動後以降も成中の頭は、その罵声が繰り返し響いた。


成中がその罵声を気にする理由は、親父に言われた言葉と似ていたからでもある。

「このボケナス!」

成中は父親によく、そう罵られ、家の手伝いをやらされていた。


【手伝い】なのか、【親の人生の尻拭い】なのか、分からない業務を押し付けられる日々に、いつしか不良の道を歩んでいた成中だった。

しかし、成中は気付いた。親の言い分は全てが甘えだっということに


親に従うのは甘やかしであり、【役に立ってる】訳ではない。それに気付いた成中は、人の役に立つとは、どういうものか考えた。


どんな仕事であっても賃金報酬あるし、どんな仕事をしても、その業種の雇用枠を一つ奪ってしまう仕組みがある。純粋に人の役に立つ事とは、利益の発生しない事、つまり損するところからしか役に立つ行為は存在し得ないものだと結論した。


紆余曲折ありながら、成中はボランティア活動に参加する事になるのだが、震災で出会った最初の住民は、成中とっては父親そのものの様な人だった。


とはいえ、他にも救援を必要としている人はいる。1000人中1人程度の罵声なんて気にしてたらボランティア活動なんてできない。成中も他のボランティア達と同様に、その時は集中して活動をしていた。


成中の疑念が膨れ上がったのは、その日の夢だった。トラックのコンテナ内で寝ている時、過去の出来事が夢に出た。


父親に怒鳴られ、家の手伝いをやらされてるとき、イライラして妹に八つ当たりした事を思い出した。


成中は考えていた。もし罵声を浴びせた人をボランティア対象から意図的に排除したら、どうなるか考えた。

必然的にストレスの、はけ口は弱者に向かうのだろう。自身が妹に八つ当たりしたのと同じように、誰かが被害を被る。


成中は結論した。

奉仕が単なる甘やかしだったとしても、援助を行うなのは意味が無いとは、言いきれない。

そう思ったとき、成中は妹を思い出した。

家を出て置いて来た妹についてだ。


成中が親を拒んだ分、妹がその分親を援助する羽目になっているはずだった。


元々裕福でない成中家はボランティアをして他人の為に生きるなんて余裕はない。成中の生き方は分不相応でもあった。


成中は妹がどうしてるか、ときどき連絡は取り合っていたが、家の実情は怖くて聞けなかった。


妹は元気にしてるから案外大丈夫なのだろうと、深くは考えていなかった。


成中は家には戻りたくないのは、親に会いたくないから、というのが大きな理由であるが、父親は既に死んでいる。


成中が家を出て10年もせずに死んだ。


成中は父親の葬式に出なかった。父親を恨んでるから、だけではない。


親孝行をしたくても出来なかった母に対して、合わせる顔がないから、家に帰りたくないのである。


成中家の財政は火の車だった。それは父親が他界する前から続いていて、祖父、祖母の介護負担にて家計は火の車だった。


成中は子供の頃はともかく、大人になる頃には、不幸せな親しか見なかった。介護に追われた親たちを見て、将来に希望は持てなかったし、不良してた分、誇れるものはない。将来、親の様に介護人生をして苦労しなきゃいけない未来に絶望した。


社会での居場所も家庭での居場所も両方無かった成中は、実力も肩書きも一切関係ない世界であるボランティア業界に、だからこそ興味を持った。

リア充しか参加しないようなボランティア活動である。それに、参加する事で、自身がリア充であるかのように錯覚することで心の安定を測っていた成中であった。


成中の心を支えたのは、奉仕の精神であり無償の奉仕であるが、

実際は成中自身が家庭環境の逃げ場、或いは人生の逃げ場として、選んでいただけだった。


成中は無償の奉仕をしてはいない。その事に気付いたとき、これまで目を逸らしていた実家の存在が、頭を支配した。

親孝行できた選択肢さえ切り捨ててきた成中は、今更、どんな顔をして親に会いに行けばいいか分からない。



成中は

親に甘えた記憶が少しだけあった。

兄貴だからと、多くを我慢する日々が当たり前だった。


我慢を辞めて家出した自分に、強い後ろめたさを感じていたから、戻るにしても、何らかの稼ぎが必要だも思った成中だったがら、しかし、成中には肩書きもなければ、底辺の仕事を頑張る気力もなかった。


親を支える為に生まれた訳じゃない。同期の世代は皆就職して恋愛したり結婚したり、している。


自分だけが取り残され、自分だけが、なにもない。


前を向いて1から何かを頑張るには、ブランクが、大き過ぎる。


成中はボランティア活動の際に得られる弁当や住民のおすそ分け、貰える笑顔が生き甲斐だった。もしボランティアしていなければ不良のままで、万引き人生なんかを繰り返して、犯罪者人生から抜け出せなくなっていたかもしれない。


成中自身がそう自覚していのもあり、1から前に進んで親孝行をする気力がない。

成中には、親孝行をするなら、楽したい願望が強くある。


成中はこれまでのボランティア人生で、散々人に奉仕してきた側だったから、人より頑張ってる自負心があった。

なぜこれ以上がんばって親孝行しなきゃいけないのか、成中自身でも納得がいかない。


同時に自身の日々の生活、経済がカツカツなのも全く納得がいかない。


人よりスタートラインが悪いだけ、人より家庭にちょっと多くの不幸があった、だけ。人生で怠慢してたのは、子供の頃だけで、それ以外はボランティアでずっと頑張ってきた。


それなのに同世代と比べて何もない。


将来の行く末を意識すればするほど、現在の自分の存在が否定されている様な気がする。

何かを得たいなら犯罪をして得なければ割に合わないと成中は思っていた。


そんな中、ボランティアメンバーの1人が暴行を受けた。

自衛隊が多くのいるとはいえ、電気もつかない避難所である。

トイレに行く場合は、簡易式の使い捨ての紙トイレで済ます為に、多くの人は懐中電灯を手に、外の林に入っていく。


災害地域の治安は完璧ではなく、女性は暴行を受けレイプされるリスクがある。ボランティアメンバーもその事はある程度の説明を受けていて、必ず誰か連れていけという指示があった。


その女性は「一回くらいいいや。今まで大丈夫だったし、ボランティアなんだから人の手を煩わせられない」と思ったのだそう。


結果的に悲惨な末路を辿ったが

その時、成中が思ったのは仮に女性が事件を避けられたとしても、その後で別の女性が被害者になったのではなかろうかという事


被害にあう覚悟が少なからずあった被害者と、そもそも覚悟すら無かった被害者を比較すれば、前者の方がまだマシかもしれない。


成中は何もない自分を満たす為の【何か】を求めている。

成中は、

その【何か】がなければ欲求不満から、自身も犯罪者になりうるかもしれない事を自覚している。


何もない自分を素直に受け入れられる人は割と多い。多くの人はカネや帰るべき場所等があるからこそ、余計な事を考えなくていい。それらが無い者は【何か】を得ていないと、悪の道に引きずり込まれかねない。


この事件の犯人は、もしかしたら自身と似た存在であり、【何か】を得る手段と機会に乏しかった人なのだろうと、成中は推察していた。



成中は、しかし、思う。

このままでは良くない。いつか【何か】を得られなくなるかもしれない。そうなったとき、自殺できればいいが、大人しく自分は死ねるだろうか。

オカネを稼いで、将来の安定を得なければ、この先の自分があるとは思えない。


と、思うものの

だからこそ、自身が変わるべきなのか疑問する。


何もない自分が、人より何もない自分が、人より多くを貢献していて、でも、人より何もない。


このまま努力して社会の仕組みに屈服したとして、まるっきり無かった事にされる。人より多くを貢献した事がまるですっぽり無かった事にされるのではないか。


成中が自分から世間に対して貢献アピールをしたところでカッコ悪い。見返りを求めた時点でもうボランティアでないのだから胸を張れない。いや、そもそも、悪いことしてないのに胸を張れないなんて、それ自体がおかしい


成中には何もない。ない事自体が胸を張れず気持ちを後ろ向きにさせる。

しかし、成中は自身に何もないままで、朽ち果てる事。死ぬこと。それそのものに焦りはなかった。


成中は、ただただ、極論して死ぬのが怖い。怖いから何かをしていないと、考えていないと、心の正常さを保てない。


この土地は多くの死体があり過ぎる。死について考え過ぎてしまう。

死を目の当たりにした人間は、

強くなるより、弱くなる。


災害にかこつけて罪を犯す者は、弱さを実感している証拠だろう。人はいずれ死ぬ、だからこそ死ぬ前に、死ぬ前に好きなこと(犯罪)をやる。


成中は奇しくもレイプ加害者と被害者のお陰で【何か】を得た。


この【何か】は知識の分類物だとしたら、知識として世の中の役に立つのでなければ、得た意味が無い。

知った事全てが自己満足でしかないなら、これまでの自分の何も無い人生は本当に何も無いかのよう


成中の仮染めのボランティア精神は限界に近付いていた…


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