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久しぶりの投稿です。
早速ですが、新章に突入しました。
夏休みに入る前に終わらせる予定です。そして、そのころにはそのころらしいことを書きます。
リアルの季節、行事でやっていくので遅らせることだけは避けたいですねぇ。
二万四千文字ほどと長めですが、話数増量を避けるためなのでご理解ください。単子本サブタイトルひとつ分ほど、って感じですね。
ではでは、お楽しみください
♯08[  序  ]
 どんな修飾語でも表せない、最高の愛がある。
 自分の心すら気づいていない、淡い恋心が有る。
 美しいと思える者が、それを思える自分が――ここに在る。
 俺は出来損ないの主人公だ。


 CROSS!〜物語は交差する〜♯08[  序  ]


 「……」
 ――ここも、最後か。
 俺は纏めた荷物を肩にかけ、片手で下方に抱える。
 我が家を見上げた。
 これまで過ごした日―――そのすべてが美化されていて、感傷的にさせる。
 名残惜しさを押し殺し、俺は身を翻した。
 少し歩くと、二人の少女が歓迎してくる。
 一人はくしゃくしゃと撫でたくなる茶色いショートヘアの少女。
 一人はさらさらとした艶やかなロングヘアの少女。
「弟君〜♪」
 ロングヘア少女の一人が俺に気づき、満面の笑みを浮かべて片手を振ってきた。
 もう一人の少女が、俺にペコリとお辞儀する。
 俺は二人に微笑みかけ、歩みを速めた。
 俺が追いつくと同時に、俺に手を振っていた少女が俺の脇に駆け寄ってくる。
 その手に抱えられているのは、少女の美しさに似合わない古めのスーツケース。
 控えめな感じを持つ可憐な少女のほうは、申し分ばかりのキーホルダーで修飾した大きめの背負うカバンを腕で抱きしめていた。
 性格と真反対に大きく突き出した箇所がカバンに潰され、可哀想に思える。
「俺が背負ってくよ、近いんだし」
 言葉よりはやく、背負いカバンを奪い取って肩にかけた。
 少女は嬉しそうに目を細め、微笑む。
「優衣ちゃんだけずるいな〜」
「美姫姉は転がすだけだろ……」
 俺はそう苦笑いを浮かべる。
 子供っぽく頬を膨らませたロングヘアの少女も、困ったように微笑むショートヘアの少女も、目は嬉しそうに輝いていた。
 そして、きっと俺もそうだろう。
 俺達は巣から飛び立つのだ。
 新たな世界で、新たな風を受け、新たな空気を吸うことになる。
 心が高ぶらずにはいられない。
「――さぁて」
 俺は足の向きを変えた。
 過去ではなく、未来へと――
 俺は歩み始める。隣にいてくれる人があるから、恐かったり寂しかったりはしない。
「いくか、二人とも?」
 俺の呼びかけに、二人の少女は微笑みと頷きを返してくれる。
 互いが互いに、いろんなことを思いながら歩き始めた。
 どちらが速いことも、どちらが遅いこともなく、同じスピードで。同じテンポで。
 振り返ることもなく、ただ隣にいる者を信頼して、前を向いて歩き始めた。
 季節は――夏。




「朝からずっっっっっと、同じ時間を過ごしていたのだ。
このような機会でしか反抗期になれんだろう?」
「そうそう。女の子にも第二次反抗期があるんだから。
この旅行が終わったときにはもう同じ屋根の下で過ごしたくな〜いとか言われちゃうかもよ?」
 説明しよう。
 俺達、つまり俺と美姫と優衣は、家を出ていくことにしたのだ。
 ――だが。
「でも、二年三年も合同っていうのはどうかな?
生徒会とかに監視され続けてるからあ〜んなことやこ〜んなことも起こらないかもよ?」
「ふむ。だがなのだから新たな出会いフラグもたちまくり、いや、たたせたいもの大多数。だと思わないかね?」
 ――つまりはそういうことだ。
 今、俺の前には私服姿の御劉と輝弥がいた。
 御劉はなぜかジャージを着こなし、輝弥はラフに緑の短パンとTシャツだ。
 その二人は、並ぶようにして俺と対面に立っている。
 俺は薄めの上着を着て、同じくTシャツ。
 ズボンは長めのものだ。チャック付ポケットがあるがきっと使わないだろう。
「お前ら、静かにしとかないと怒られるぞ」
「なぁに、心配はない。
先生共はチケット購入や時間関係のことに集中している。気づけるものも気づけないさ。それよりも……」
 御劉は俺の言葉を簡単に流して、話を続けようとする。
 そのとき、優しく俺の肩が叩かれた。
 俺はゆっくりと振り返る。
「……優衣? どうした?」
 俺の後ろに立っていたのは優衣だった。
 胸部が少し――いや、大分――汗を吸っていそうな、ピンク色のはあとがでかでかとイラストされたシャツ。俺の必死な努力により、黄色い少し厚めの上着を着てもらうことに成功した。
 ――少しは子供っぽさを抜いて欲しいものだ。学校が制服でなにより。
「えっと。これ、祐夜くんのチケットです」
 そういって差し出してきたのは一枚の長方形をした紙。
 ちなみに、美姫は騒ぎ始めるクラスを全般的に抑えているため、ここにはいない。
「ああ、ありがとう――」
 俺はそういいながら、優衣の手からその紙を受け取る。
 優衣はにっこり微笑むと、自らの列へもどっていった。
 ――確か、席順に並んでたような気がする。
 席順と言っても、右から一、二、と番号を振り分け、その順番で二列を作ったのだが。
 教室で、俺の右側にいた真紀恵は、別列の大分前のほうで女子とおしゃべりをしている。
 途方もなくイスが設置された広部屋で、俺はそんなことを思いながら、やっと自らの座席へと腰を下ろした。
「なんでお前ら、俺のところにいるんだ? 全然違うだろ?」
「気にするな」
 御劉は不敵な笑いを浮かべて高らかに断言した。
 少しかためのイスに、預ける身の重さを増やす。
 並んでいる、といっても、道で整列しているわけではない。
 ゲート前にある待機場所での自由時間なのだ。
 ガラスにされた壁の向こうには、飛び立っていく飛行機が見える。
 手元にある数枚のパンフレットをカバンにしまい、チケットをもう一度見直した。
「それにしても、予定時間少し前になったら渡してくれ――と妹に頼む兄は、この世にどれほど存在するのだろうな? 三井兄よ」
「俺が持ってるよりも安全だからな」
 ここに来る前に全員に渡されていたが、俺は優衣に預けることにしたのだ。
 優衣は嬉しそうに俺のチケットを握り締めてくれたが――真剣すぎてパンクしないのだろうか。
 二列、ということになっていたのだが、いつの間にか三列や四列になっている。
 その例えとして、御劉と輝弥が俺の前にいる、ということだろう。
 こいつらは、座っていたやつがいないのをいいことに横ふたつをまるまる陣取っているのだ。
 元々縦に二列ずつ。横も二人分ずつなのだから――つまり、御劉と輝弥のところに座るはずだったやつらはご愁傷様、ということだ。
 まあそいつらも、実際は全然別のところに座っているのだろうが。
「兄の面目丸潰れ――というか、前から潰れてるのかな」
「……う、うるさい」
 俺は搾り出すようにそう言い放った。
 確かに、兄としての面目は完全に、粉々になくなっている。
 家事はできない。朝は起こされてる。成績も下のほう、妹に教えてもらているほどだ。
 ――考えれば考えるほど、凹む。
「安心しろ、三井兄。お前は立派な【兄】だ」
 御劉は爽やかな笑みでそう言いきった。
 ――根拠がないと思うのだが。
 俺の不満を見て取ったかのように、御劉は言葉を繋げる。
「兄という定義の意味は、『妹より強い』『妹より頭がいい』というものではない。
根本的なところから、お前は兄なのだ。どんなお前であろうと、兄であることは変わらない」
「……は?」
 ――理解できない。
 こいつは、まるで暗号かのような言葉をぶつけて来ることがある。一度ではないから、意図的にやっているのではないと思うのだが……嘘を偽似真実にする策略家のことを深く考えてもいけないのだと理解している。
「まあ、わからなくてもいい。つまりは、お前は兄だということだ。
例えでいうと……あれだ、励ますとか」
 御劉は考えを巡らせながら、例えをあげてきた。
「何かを失敗したとき、不安なことがあるとき。お前はそれを励ましたりするのではないか?」
「まあ――するけど。それだけだと友達、とかでもできるだろ?」
 優衣は料理が上手い。
 上手いのだが、性格を作る根本的ところが関わっているのか、少し失敗をすることがある。
 俺のことが多いようだ。
 優衣の所属する料理部とやらでは、一度もミスしたことがないらしい。
 優雅な手さばきで、ミスなど考えもつかない――と、噂があった。
 俺の前だとおろおろとしていたり、緊張気味な感じがして心配なのだが。
 そんなところをみると、優衣はいろいろと気を遣っているのではないか、と思う。
「『気を遣う』ねぇ――意図的な鈍感かい?」
「心理を読むな」
 脳裏で思考していたことに水を差す輝弥は、呆れたような表情を浮かべている。
 御劉はふむ、と前置きすると、ニヤリと笑った。
「まあ、三井妹は鈍感な誰かさんに喜んでもらおうと思って、料理部にまで入っているのだろうがな」
「――ていうか、俺の家庭事情だと生存するために家事能力は必要なんだよなぁ。俺はその恩恵を受けてるっていうか」
 俺の言葉で、御劉と輝弥が顔を合わせる。
 お互いにアイコンタクトを取ったのか、同時にため息を吐いた。
「――な、なんだよ!? 出発からため息なんか吐いてるとあとがつらいぞ!?」
 叫ばなくてもいいはずだが、なぜか雰囲気を入れ替える――というより、ごまかすように大声を張り上げた。
 そのとき、俺に駆け寄ってくる足音が響いた。
 俺は足音の方向へ顔を向ける。
 そこには、早足で近づいてくる美姫がいた。
「弟君、叫んじゃダメだよ! 迷惑になるじゃない!」
 まるで子供を叱るかのように、びしっと人差し指を向けてくる美姫。
 その叫びは俺よりも通りやすく、澄み切っていて美しいのだが……
「あ、わりぃ」
 俺は注目から速く逃れようと、即座に折れる。
 だが、心配そうに美姫が俺の顔を覗き込んできた。
「ほんとに?」
「本当に、大丈夫。悪かった」
 鼻が触れそうな距離。俺は覗き込み返すようにそう言った。
 美姫が俺の目をじ〜っと凝視する。
 吐息らしきもので唇が暖められた頃に、美姫は俺から離れた。
 その顔は満面の笑みである。
「これからは気をつけるんだよ?」
 美姫はそう言って身を翻した。
 そこに、御劉が身を乗り出して肩を叩く。
「おひとつほど、聞きたいことがあるのだがいいだろうか?」
「え? ――あ、うん。何かな?」
 少々驚いたように目を丸くした美姫だが、すぐにいつもの笑みを返した。
 御劉は爽やかにその様子を受け流し、自らの流れに美姫を飲み込んだ。
「弟君のどこがいい?」
 御劉の手ががしりと俺の頭を掴んだ。
 美姫は御劉の顔と俺の顔を何度か見回し――
「――え? ええ? えええええ!?」
 ――真っ赤に爆発した。
 美姫は真っ赤になった顔を押さえ、すぐに違うというかのように両手を突き出し、口をぱくぱくとさせた。
 どうも、思考がついてきていないようだ。
「お、弟君のどこがいいって!? そ、そりゃ、弟君はいいところいっぱいだし、優しいし、言うことちゃんと聞いてくれるし、お姉ちゃん離れもしなくて良い子だけど!? そ、そんな風な感じじゃなくて! やっぱり弟君は弟君で――」
 美姫は急に言葉を弱め、ぼそぼそと呟き始める。
 御劉は俺の頭を五指に食い込ませたまま、身を乗り出した。
 ――痛いって。
「――そ、そりゃ、悪い子じゃないし、弟君みたいな人が……その……こ、こ、恋人になったりすると、もうお姉ちゃん嬉しくて飛び跳ねちゃうけど! お姉ちゃんがミスっちゃったりしても優しくしてくれるし! どこっていうと困るけど、良い子なんだよ!?」
 美姫はその赤みを増し、今にも泣き出しそうに目を潤ませるが、御劉は無情にも不敵な笑いを浮かべた。
 ――なぜだろう、御劉が悪魔かなにかに見える。
「ほう、つまり、恋人にしちゃったりしてもいいというのですな? それはもう弟と姉という関係を二足も三つ足も跳び超えちゃったりしてもいい、と?」
「………………はぅっ!?」
 何を想像したのか、美姫は口もとを押さえてさらに顔を赤く染める。
 のぼせたかのように目を回し、おろおろと目を泳がせた。
「そ、そんなことしないもん!」
「………………ほう。ですが、本当にそれでよろしいのですか?」
 御劉は俺の頭を強く引き寄せた。
 御劉の顔の横に俺の顔が並べられる。
「不本意ながら、私はこいつがもてていると心得ております」
「……へぇ」
 ――なぜだろう、美姫の視線が冷たく突き刺さってくるのだが。
 一気に冷え切った美姫は、美しく輝いた瞳を細め、刃のような視線を容赦なく突き刺してきている。
「そうそう、祐夜って結構もてるんですよ〜」
 輝弥がそう口を挟んだ。
 にこにこ満面笑みの無垢さが恐い。
「ひょっとしたことで陥落しちゃうかも!?」
「――か、陥落!?」
 美姫は先ほどまでの冷たさを吹き飛ばし、一気に俺へ詰め寄った。
 迫力でいうと、虎のごとく――と、こんなこと言ってる間に視界が美姫で埋め尽くされていた。
「誰の手に落ちちゃったの!? 私の弟君なんだから落ちちゃダメだよ〜」
「美姫姉……落ち着けって」
 ちなみに美姫姉という呼び方が復活したのはテストが終わってからだ。
 昔の呼び名『弟君』で俺を呼んでいるので、それに乗ってほしい――というおねがいなのだ。
 そんなこんなで美姫姉という呼び方がしっくりとはまってしまったわけだが、その美姫姉は頬を膨らませて拗ねている。
「むぅ〜……」
 その表情すら可愛らしいのだが、とりあえずお姉さんでいたいという美姫をそんな風に思ってはいけないのだろう。
 御劉と輝弥の思う通りに扇動された美姫をどうやって流れから引きずり出そうか頭を悩ませ始めたとき――
「それくらいにしときなさい」
 人の心を引き締めさせる、鋭い声が響いた。
 御劉と輝弥が音源へと目を向ける。
 俺は美姫の肩に手を置き、その横に顔を持ってくるようにして音源へと顔を向けた。
「君達のところに行ったと思ったら……やっぱり乗せられてたのね、鷺澤さん」
 呆れるようにため息を漏らすのは――二ノ宮さん。
 カジュアルな服装は、どんな風に考えても可愛いや美しいではなくかっこいいとしか表現できないのが不思議だ。
 冷徹な雰囲気な中に健康的な勇ましさを持つ――生徒会副会長。
 美姫は俺から弾けるようにして離れると、背筋をピシンと伸ばした。
「す、すみません!」
「……これからは気をつけなさいよ」
 二ノ宮さんは、視線を美姫から離した。
 子犬のようにシュンとしている美姫――可愛いと思ってしまうのは男の悲しいさがか。
「それで――今度は何をやらかすの? 君達♪」
 二ノ宮さんは、美しい笑みを浮かべてそう尋ねてきた。
 主に、その目は真っ直ぐ御劉へ向いている。
 ――どうでもいいですけど、目が笑ってませんよ。
「ふむ、なんのことでしょうか? 我々は善良なる心掛けで我らが風宮学園に貢献こうけんしようという決意を胸に秘めているのですが、根拠もない言いがかりをつけられるのは差別ではありませんか?」
 御劉は爽やかに、傷ついたというジェスチャーをしてみせる。
 ――嘘に見えない辺りが嘘っぽい。
「ふーん……まあ、行動を起こすのはお見通しなんだから、そのときに容赦なく叩き潰せば良いってことよね」
 二ノ宮さんは、不敵な笑いを浮かべる。
 御劉がそれに賛同するかのように、笑い返す。
 俺の読みでは『ふんっ、できるものならやってみるがいい。我々を止めてみせろ』とでも言っているのだろう。
 ――なんか、オーラとオーラのぶつかり合いがあるように思うのだが。
「……今のところは退いてあげる。次会うときが楽しみね」
「ええ、そうですね。ですが、そちらにとって好ましい状況であるかは――わかりませんが」 
 御劉の言葉に、ネタの伏線があるように思える。
 余計な詮索で思考回路を消耗させよう、ということか。
 二ノ宮さんは鼻で笑うと、身を翻して去っていった。
「はぅ〜、怒られっちゃったよ〜〜」
 一難去ってまた一難。俺は泣き崩れている美姫へ視線を向けた。
 ――どう励ますか、思案しても無駄な気がする。
 そのとき、美姫の顔が俺へと向いた。
 潤んだ目が小動物のような可愛らしさを想像させ、一瞬意識が飛ぶ。
 その一瞬で、俺は牙にかけられていた
「うぇ〜〜〜ん」
 泣きついてくる美姫。
 瞬間的に立ち上がり、窒息から逃れることに成功した。
 押しかかってくる衝動を殺すため踏ん張ったのもあってか、余計に美姫の体が俺にのめり込む。
 柔らかい弾力のある肌が、予想以上に俺を強張らせた。
 触覚だけでなく、嗅覚や視覚までもが甘い刺激を伝えてくる。
 幻覚だろうが、ピンク色の靄がかかっているように思える。
 俺はぐっと堪え、意識の防壁を組み立てる。
 思わず抱きしめようとする腕をどうにか静止させることに成功し、思考回路が動き出した。
 俺は口を動かす。
「だ……大丈夫だって。うん、美姫姉なら大丈夫。いつもがんばってるし、美姫姉なら大丈夫、な? な?」
 美姫は顔を上げた。
 目尻に涙をためているが、キョトンとするように俺を見つめている。
 その動きで擦りあう肌が甘美な刺激を伝えてくるが、慣れてきたのか思考に靄がかかることはない。
 元々、美姫と抱擁するのに動揺はない。
 いきなり抱きつかれるのに健全な青年としての反応をしてしまうのは仕方ないが、抗体ができたようである程度軽く流せるようになった。
「……そうかな?」
 泣き止んだ美姫は、僅かに嗚咽しながらそうたずねてくる。
 俺はコクリと頷いた。
 すると、美姫はもう一度俺の胸に顔を埋める。
 両腕は俺の背に回され、頬ずりをするような感じ。
「……てへへ〜♪」
 ――なんとか大丈夫なようだ。
 頬を少し赤くさせた美姫は、猫のように擦りついてくる。
 今にも俺の頬を舐めてきそうだ。
 少し恥ずかしいが、美姫の蕩けそうな笑みをみているとそんなことどうでもよく思えてくる。
 俺は僅かに美姫の背に手を這わせた。
 ――暖かい。
 それは、身体的に感じられる温かさであり、精神的に感じられる温かさであった。
 ほっとする温かさに身を近づけようと、美姫の髪に顔を埋めようとして――
「……」
 第三者視点として今の状況を確認した。
 自問自答というやつだ。
 今俺達は、何をしている?
 ――立って抱き合っている。
 これ自体に問題があるような気がするが、それはあえて伏せておこう。
 そして、今の全体的状況はどんな感じだ?
 ――学年ごとに移動を開始している。
 白床に照らされる日差し、ガラスの壁では今だ姦しい女子達がポーズをとりあっている。
 トランプで楽しんでいるいくつものグループ。睡眠をとっている者もいる。その全域に暗黙で指示される行動が起こされた。
 三年の列が移動をはじめたのだ。
 ぞろぞろと、だが乱すことなく移動するそれは、しっかり統一されているようだ。
 さすが三年――といったところか。
 それによって、自らの席へもどる者が現れ、列を取り戻す。
 さて、最後ともいえる状況分析。
 今、立っている者は何人居る?
 俺は美姫を抱きかかえたまま辺りへ視線を動かした。
 等間隔に人の髪が見え、それを阻止する者――つまり、立っている者はいない。
 ……俺達以外。
 俺は天井を見上げた。
 退いていった感情の波を感じながら、遠くを思う。
 ――前言撤回、恥ずかしすぎる、速く離れたい。
 それでも引き剥がすのは何かと躊躇してしまう。
 幸せそうに顔を解している美姫は、周りの注目に気づいていないようだ。
 申し分程度にしかない突き出しをカバーして尚おつりが山ほどくる美貌と魅力――今更ながらに実感だ。
 童顔特有のクリッとした目も反則だろう。
 そんな余計なこと――本当に余計だ――を考えていると、空気を轟かせる音が響いた。
 轟音を立てて走り――いや、飛び立っていく一機の飛行機。
 乗っているのは何年何組なのやら。
 まだ出発すらしていないでこの調子なのは大丈夫なのかと、不安が募る。
 だが、心にきめるのはただひとつだ。
 ――せめて、最後まで楽しめますように。


 そして、時はあっという間に流れ飛行機内だ。
 世の中どうにかなるものだ。それとも、俺が注目されることに慣れてきたのだろうか。
 ざわざわとした生徒達がきゃあきゃあと喚きながら席へと座っていく。
 そんな中、俺は荷物を即効で収納し、静かに席へもたれかかっていた。
 先ほどのパイブ椅子もどきよりかは幾分か柔らかい、さすが飛行機のシートといったところか。
 一番いいのはヘッドホンがあることだ。すぐ眠りにつける。
「わ〜わ〜、速く飛び立たないかな。どきどきするよね祐夜?」
「お前が隣でなければ……」
 俺は納得いかずに呻き声をあげた。
 三・四・三で構成される横一列。俺は真ん中の四に座っている。
 左隣は席がひとつ、そこに座っているのは輝弥だ。
 にこにことするその表情は、ドキリとさせる気がしなくもない。
 どきどき、などと言ってはいながら、すでにすべての行動を終わらせている。
 輝弥の前座席に収納されていた机には、早くも弁当が乗っていた。
 それはうきうき気分の早とちり、などではない。口で言っていることを信じてはいけないのだ。
 『みんながウキウキ気分なこと』が楽しい、そんなやつなのだ。
 それは善ではなく、悪の方向で――いわば、謎。
 そんなこんなで、言動と事実の差をツッコミそうになっていると、アナウンスが鳴り響いた。
「そろそろ全員着席だな……」
「でも祐夜の隣がいないね? どうしたんだろ?」
 俺の右隣二席には誰もいない。
 輝弥はシートベルトを強く締めているのか、息苦しそうに前かがみになってたずねてくる。
 すぐに身を背もたれへ預け首を傾げているところをみると、本当に知らないようだ。
 噂をすれば何とやら――とは違うのだろうか。
 空席の向こう側で、荷物を両手で持ち上げる二人の女子生徒が足を止めた。
「あ、祐夜くんだ〜♪」
 女性の一人が荷物を手放し俺へと突撃してくる。
 俺は身構える間もなく、抱擁の檻に閉じ込められた。
 背もたれの柔らかさを越える、まさに蕩けそうなという形容が正しい弾力ある双丘そうきゅうが俺の胸を抉った。
 その突き出しは槍のごとく。
「……って、春花先輩! 何抱きついてきてるんですか!?」
「にゃ〜ん、私の口から言わせるの? 祐夜くんも酷い人……♪」
 頬を少し赤く染め、舌を出してくる春花。
 俺は両手で春花の肩を押し、引き剥がした。
 右手に込める力を強め、隣の席へ押し付ける。
「やん♪ もう、強引な人ねぇ」
「はやくしないと出発に差し支えますよ……」
 俺はそう言ってシートベルトをはずす。
 体を縛る力がなくなり、俺はすぐさま立ち上がった。
 春花の荷物はどこかと探し、もうひとり女性が立っていることに気づく。
 その女性は、記憶を遡る間もなく思い出せる人だった。
「え、えと、祐夜くんの近くみたいです」
「優衣……」
 蝉の鳴き声ひとつで掻き消えそうな声、恥ずかしげに頬を赤く染める優衣だった。
 よって、左から輝弥、俺、春花先輩、優衣、という順になるわけだ。
 俺は優衣に片手を差し出す。
 俺の意図を察したのか、優衣は小バックと命名された『持ち歩く用』のカバンを俺に手渡した。
 地面に置かれていた春花の『持ち歩き用』を空いている片手で拾い上げる。
 収納――俺は輝弥のほうへ向いた。
 輝弥は席を立ち、その上にあるハッチを開けていた。
 俺の『持ち歩く用』と輝弥の『持ち歩く用』の隣に置き、収納する。
 カチッという音が響くと同時に、ハッチがロックされた。
 アナウンスが響く。
 俺はそれを聞き流し、自分の席へ沈み込んだ。
 一息吐くだけにしておき、迅速にシートベルトを締める。
 同じく、満面笑みのままシートベルトを締め終えている輝弥は俺ではなく通路の先へ顔を向けていた。
 俺には見えないが、機体の下に付けられたカメラか何かからの映像が見えているのだろう。
 俺はヘッドホンを耳につける。
 聞こえてくるのは音質のよくなったアナウンスだったが、周りのざわめきは消えるので良しとしよう。
 ざわめきを途絶えさせるのは、ひとつの轟音だった。
 空気の流れが変わり、飛行機が動き出したことがわかる。
 ほとんどの生徒が、静まり返って、どこかに設置されているモニターを注目していることがわかる。
「どきどきしてる?」
 春花が俺を覗き込んでくる。
 俺は首を横に振った。
 その返答に満足するように、にっこりと微笑む春花。
 飛行機が何度かの旋回を終え、轟音が大きく増した。
 空気の流れや何やらで、体が背もたれに押し付けられる。
 だが、そんなことも忘れる出来事が起きた。
「きゃっ♪」
 その本人は嬉しそうに悲鳴をあげる。
 目を丸くはさせているが、驚いている感じはなくおっとりと微笑んでいるだけ。
 俺はそれを指差した。
 それは――空気の圧力もろもろでぐにゃりと歪んだ双丘。
 思わず生唾を飲み込んでしまう、素晴らしい歪み具合だ。
 ――そんなことを言っている場合ではない。
 優衣は両目をつぶって硬直しているが、春花の二の舞にはなっていない。
 つまり……違いがあるとすれば………………
「………………ブラなし?」
「あったり〜、大正解〜〜♪」
 ――頭が痛くなってきた。
 おおっという歓声が上がる。
 胸が締め付けられるような、体中に重りをつけられたかのような圧力が体を蝕んだ。
 そんなことにかまうことなく、俺は更に目を丸くすることになる。
「あんっ♪」
 胸の変形が――ひどくなった。
 それはもう痛々しいほどに、ぐにゃりとなっていく。
 だが、傷ついた風もなくその柔軟さをみせて、妖しい魅力を醸しだしていた。
 目が離せないのは男の性だろう。
 視界には、小悪魔の光を宿した春花の目が映る。
 それは――悦楽の悪夢が訪れることの予兆であった。


 ――さて、諸君。はじめましてと言っておこう。
 俺は誰かって? 俺は善良なる風宮学園生徒だ。
 今俺は頬杖をつきながら、窓の外に広がるコンクリートの平坦を眺めていた。
 飛行機のエンジン音と生徒のざわめきが塗りつぶしあいをしていることを約一分の神経で確認しながら、隣に居る者の存在を忘れようと窓の外へ意識を投げ落としている。
「もうすこしで出発だね。私も初めてなんだよね〜、御劉君はどうなの? って、そういえば御劉君って呼ぶのもはじめてだね、いつも「君達」だったし。なんて呼んだら良いかな?」
「――別に、呼称にこだわってはいない」
 俺には、隠しておきたい自らの感情がある。
 それは、自分自身すら知ってはいけない禁句。禁断なのだ。
 箱に閉じ込められたその感情。その存在すら芯に捉えてはいけない。
 横目にその存在を感じかけ、自我からその存在を追い出す――そのデバックは終わりを見せない。
「ふ〜ん。じゃあ、御劉君でいいよね?」
「ああ……」
 できるだけ隣に居る『彼女』を忘れるよう心がけ――ため息を吐いた。
 それは己への失望。
 俺には決意がある。『恩返し』の決意だ。
 今の俺が在ること、そして与えられたものすべてへの感謝。【彼】への感謝。
 そして、【彼】の意義への共鳴を奏でる――それはすべて己の意思だ。
 そのはずなんだ。
 よって、その【決意】の障害は除去しなければならない。
「御劉君は飛行機乗るのってはじめてなの? 私は初めてなんだよね〜。こういう時って、勝手にわくわくしてくると思わない?」
 『彼女』は、多分俺の無愛想を気にせずに微笑んでいることだろう。
 それを察してしまっては、俺が俺でなくなってしまう。
 俺は俺自身を構成し――口を開いた。
「わくわく、などと言っていられる年も今だけかも知れんぞ。真紀恵?」
 俺らしい返答。安心ではなく緊迫。俺の心に安らぎの文字はなかった。
 そう、元々から――俺は余裕ではなかった。
 俺は変わることにした、【彼】に出会ったとき。
 そして変わった。俺自身の設定した『俺』に。
 その設定に、何の狂いもない。
 だが、俺自身が俺であるための設定――そして俺は気づいた。
 【彼】を三井兄と呼び、優衣嬢を三井妹と呼び――そして、気づいた。
 ――俺は、『彼女』を呼び捨てにしたいがために、この人格ベルソナにしたのか……
 腹立たしい。パンドラの箱が開きかけてから、己という殻の穴に気づくとは。
 だが、いつまでも演じられるとは思わなかった。
 人間とは、降り積もる何かを背負っている者だ。
 それは怒りであり、友情であり、憎しみであり、迷いであり、恐怖であり――恋心であった。
 今俺に降り積もっているものも、その一部だろう。
 そして、それには限度がある。
 積もること自体に危険はない。危険なのは、降り積もる何かが、淵を乗り越え流れていくことだ。
 それを、人は爆発ともいう。
 パンドラの箱を押さえつける、これは忍耐だ。
 そして、その力もターンを過ぎる毎に打ち負かされていくことだろう。
 前からわかっていた、だが――それを認めてどうなる。
 認めたとして、それを伝えたいと思うようになるだろう。
 言葉が、知識が、俺の背中を押すだろう。
 だが、俺は知らなかった。【誰も傷つけずに済む言葉】を。
 だから、この箱だけは開けてはならない。
 傍観者としての自分を保たなければ、【彼】を主人公にしたこのシナリオに支障がでる。
 いや、支障どころではない。破綻する、陥落する、崩れ去る。
 パンドラの箱とは、絶対に開けてはならない不幸の結晶なのだ。
 この波紋に、己の波紋が混ざれば――ただの混沌。
 眠り姫を起こすのが王子であるように、一人なのだ。
 例え、【彼】がどの眠り姫を起こすのかわからないのだとしても、俺は王子ではない。
 こうやって嘆くキャラでもない。悲劇の主人公ではないのだ。それどころか、俺はまったくの無干渉であらなければならない。
 頁に刻まれる異分子であるわけにはいかない。
 ――俺はすべてを凍てつかせた。
「結構きついな〜、そんなこといってるから女の子が寄り付かないんだよ?」
 『彼女』の声は、愉快そうに弾んでいる。
 俺の視界に映る景色に変化が現れた。
 俺自身の移動はない。飛行機が動き出したのだろう。
 そのことを聴覚、視覚、触覚で知る。
 『彼女』も静かになっていた。
 突然のことに、少々戸惑いをおぼえる。
 ただ、動き出すことに口を閉ざしたのなら構わない。
 だが、気配の脈動におかしさがあった。
 そう、例えれば緊張か何かに身を強張らせたものの気配に似た――
 俺は、頬杖をついたままで顔を機内へと動かした。
 みると、まるで小動物のように身をちぢ込ませた少女がシートベルトを強く強く握り締めていたのだ。
 一瞬、記憶内の存在と照合してしまうが、こいつは本人だ。
 古泉真紀恵――中学一年、【彼】の親友だった者。
 今は、俺がその座を勝ち取っている。
 だが、仲がいいことに変わりはないようだ。
「……」
 俺は、真紀恵が俺の視線に気づいていないことを発見する。
 すさまじい集中力だと少し退いてしまう。
 機体の旋回で、揺れが僅かだが増した。
 真紀恵の強張りがそれに比例しているのも新たな発見だ。
 例えれば、嫌いなお化け屋敷に一人で入っていくかのような――
 いや、その通りなのか。
 まさかとは思うが、そうなのか。
 俺の目の前にある状況が、仮定の実証性を格段に強める。
 真紀恵の顔が見る見る青ざめていくのを目の当たりにしてしまった。
 だが――真紀恵の視線は揺らがなかった。
 恐いだろう、だが目を瞑ることはなかった。
 ギシギシ――何かが音をたてて崩れていく。
 周囲の音が消え、周囲が消え、俺と真紀恵だけになり、俺の意思はひとつとなり、それは一本の線となり――
 いつの間にか、俺の手が真紀恵の手を掴んでいた。
 冷たい。血の流れが行き届いていない。強く握り締めていたのだろう。
 俺はその手に、己の片手を覆いかぶせていた。
 真紀恵の目が丸くなり、俺を見る。
 なんで――そうたずねていた。
 答えられなかった。俺すら知らないことを答えられるはずがない。
 俺は口を閉じたまま、握る手を強くする。
 己の暖かさを分けるように。己の手に集中して。
 真紀恵が身動きしようとするが、それと同時に轟音が響いた。
 窓の外を振り返る――すさまじいスピードで変わっていく。
 真紀恵は俺の手を両手で挟み、握り締めていた。
 その目はしっかりと閉じられている。
 やはり、恐かったのだ。
 真紀恵は強がりだった。
 すべてを背負い込み、そのままつぶれる。そんなタイプの人間――
 俺は片手をそのままに、背もたれへと沈み込んだ。
 視界を頭上へ、空いている片手で目を覆う。
 ――何をしているんだ、俺は。
 先ほどまで言い聞かせていたことは何だったのだろう。
 パンドラの箱に隙間が入った。その結果もたらされた行動だ。
 だが、いえることがひとつある。
 ――悪くはない。
 悪くはないが、悲しくなる。
 寂しくもなる。
 俺は――真紀恵を微笑ませるまではできないのだと。
 【彼】なら、真紀恵を微笑ませることまでできただろう。
 俺はやはり――出来損ないの主人公だ。
 そして、実感する。
 パンドラの箱は――開けるべきではないのだと。
 ガタン、と機体が揺れる。 
 高度が幾分か下がったようで、弱無重力状態を数秒味わった。
 握ってくる力が強くなる。
 真紀恵の温もり。これは俺の与えた温もりなのか。
 ――否。
 俺は結局与えられているのだ。
 俺ができることは、ただ後ろに立つだけ。
 背中を押すことはできない、出来損ない。
 中途半端だ。己を追及するが故に生まれる崩壊の予兆を、パンドラの箱が開くことを恐れているから。
 凍てつくさなければならない。
 輝弥までとは言わずとも、機械になれと思わなければならない。
 すべての感情を処理でき、除去できる機械。
 だが、そう思いながらも――真紀恵の温もりを貪る俺がいる。
 矛盾、円環の自問自答ウロボロスで生まれた迷宮にいる俺には決して解くことができない問題だ。
 だが、どうにかしなければならない。
 でなければ、すべてが混沌におちる。
 俺は――強く握り返した。



 ――そして俺たちは空へと飛び立った――



 さて、俺は甘美で強烈な光景を目に焼きつけ空へと舞い上がったわけだが。
 ある程度高度が落ち着き、耳の詰まりを四度ほど感じたころ、アナウンスが鳴り響いた。
 直後、シートベルト着用のサインが消える。
 それが始まりだった。
 ざわめきが飛び交い、がちゃがちゃという音がいたるところから聞こえてくる。
 俺はわけもなく収納机を引き出し、頬杖をついた。
 ――さて、何をして時間を潰すか。
 カードは持ってきていない。忘れた。
 それ以外の電子機器は持ち込み禁止。元々持っていない。
 マンガや本も持ってきていない。荷物になると思って持ってこなかったのが間違いだった。暇の潰しようがない。
「ふふふ〜〜、祐夜く〜ん♪」
 春花が猫なで声を出しながら擦り寄ってくる。
 そんな声を出すときは何か策がある――俺は思わず身構えた。
 春花は肘掛越しに片手を握ってくる。
 妙に密着しにくるが、俺は輝弥側に寄って回避する。
 春花は拗ねたように唇を尖らせた。
 そこに、ドリンクサービスが来る。
「ボクはアイスコーヒーね。ミルクはいらないよ――祐夜たちは何か頼む?」
「同じものを」
「私も〜。あ、でも、ミルクはふたつもらうね?」
「えっと、コーヒーは飲めないのでお茶をおねがいします……」
 輝弥に続いて俺、春花、優衣と注文した。
 輝弥は黒く染め上げられた大人の味を香りで楽しみ、手渡されるもうひとつのブラックコーヒーを俺に渡す。
 香りに興味はない。俺は一口含んだ。
 鋭い苦味と形容しがたい味覚の反応によって脳が目覚める。
 その次に手渡されたブラックコーヒーを春花に回す。
 春花は迷いなくミルクとシュガーを投入、あっというまにコーヒー牛乳に変化した。
 その次に回されてきたお茶は、春花越しに優衣へ渡す。
 優衣はちょこんとお辞儀をして、両手でお茶を受け取った。
 輝弥は四分の一飲んだ頃合で、紙コップを収納机に意図的に作られた穴に差し込む。
「さぁて、音楽でも聴こうかな〜」
 わざとらしく言っているが、妙に輝弥らしかった。
 そのままヘッドホンをつけ、輝弥は静かになる。
 俺もそれに倣おうとして、押さえられた。
 物理的にではなく、精神的に。
「ふふふ〜♪ 祐夜く〜ん、逃がさないわよ〜〜」
「逃げるって……そんな問題じゃないだろ」
 物理的に身を寄せ、精神的に逃げ場をなくされた。
 距離によって体を動かせなくなっており、視界から春花を追い出せないでいる。
「まあまあまあ。そういわずに♪」
「って、おい! 妙なことせずに落ち着いとけよ、生徒会長だろうが!」
「妙なことって何かな〜? うふふ、祐夜君はそんなこと想像してるんだ〜」
 春花は色っぽく舌を突き出す。
 悲しいが、その艶かしさや妖しさは男の本能に語りかけ本能を解き放つ。
 だが、俺は耐性ができた、というより慣れてきたので、それを軽く流すことにした。
「音楽聴いてみろ。春花の好きそうな曲が流れてるぞ」
 装着したままだったヘッドホンから流れる最小音量をバックに、俺はコーヒーを啜ってごまかした。
 春花は頬を膨らませ、自らのコーヒーをがばっと飲む。
「祐夜君。せっかく良い服着てきたのに何もいってくれないんだもん」
 春花は怒ったというようにそう文句をつけて口を尖らせた。
 そうして気づく。
 春花の服は一味違った。
 まるで愛して止まない恋人と一年ぶりに会うかのような――いや、ちょっと過大評価かもしれないけどそんな感じで――
 とりあえず、修学旅行という枠には似合わない格好であった。
「今日行く所忘れたか……到着する前に脱げ」
「まあ、脱げですって。えっちぃ〜」
 春花はそう言いつつ、煽るかのようににじり寄ってくる。
 俺は接触を拒み、なんとか停滞を保っている。
 これでも慣れたものだ。春花の弄り対策で俺の右にでるものはいないだろう。
「それより、本当にどうするんだよ? だって最初に行くのは――」
「大丈夫だよ〜。だって、私のところ三年は、一年や二年とスケジュールが逆だもん。そのあとにジャージに着替えればいいの♪」
 いろんな意味で、将来の不安がひとつ取り除けた気がする。
 春花は俺の安心を察したのか、また口を尖らせた。
 俺はコーヒーを啜ろうとして、紙コップを傾けるが――
「っと、もうなくなったか」
 別段飲みたいわけでもないが、来るはずの苦味がこないのは拍子抜けだ。
 春花が目を細め、顔を寄せてくる。
「私の飲む?」
「……やめとく」
「あぁん、ひど〜い」
 春花は大げさに落胆してみせた。
 おどけていることがわかっているので、次の行動を様子見。
 春花は嗚咽をあげながらうるうるとした目を向けてくる。
 上目遣い。普通のやつなら陥落しているだろう。
 俺でも可愛いと思う。多分、春花自身も思っている。
 そう考えると醒めてくる。
 ハイテンション。だが、衝動に従っているということなのだ。
 春花はわかっている。二年でわかったのだ。
 高校生。大人でも、子供ではない。自由を持った人間。
 だからこそ迷い、ただただ歩く。
 春花はそれを無駄だと言い切っているように思える。
 迷う暇はないのだ。
 三年間しかない。そのことを、春花は一年で知り得た。
 道に迷い、途方にくれる暇もただ歩く暇もない、その事実を知っていた。
 知っている、というのも、知識としてではない。
 上辺だけの理解ではなく、深く刻み込んでいるのだ。
 だから、春花は迷っていない。
 それでの行動、春花は後悔していないだろう。
 今を大切にしている――そんな感じだ。
「祐夜君、こんなに可愛い女の子を前にぼ〜っとするなんて、鈍感っ子〜〜しくしく」
「……しくしく、とか口で言うなって」
 春花は拳をつくり、自分の頭をコツンと叩いた。
 片目を瞑り、舌を出している。
 ――てへっ、という声がついていそうだ。
「でもでも〜、もうすこし恥らってくれちゃったりするのを期待してたのに〜」
「反対だろ……女らしく恥じらいをもってくれ」
「それって、私が女らしくないってこと? ひっど〜い」
 ぶうぶう言う春花の机へ手を伸ばし、紙コップを奪い取った。
 中にある甘ったるそうなコーヒーを啜った。
 ――やっぱり甘い。
「わ〜わ〜! 人のコーヒー取った〜」
 春花は紙コップを奪おうとするように上半身を完全に乗り出してきた。
 左手に持っていたので、その上半身は俺の膝に乗るような感じ。
 両手を伸ばし、それでも足りない長さを更に身を乗り出すことで補おうとする。
 その視線は一直線に俺の持つ紙コップへ。
 ――だが、俺は別のことと闘っていた。
「……ちょ、離れろって!」
「や〜だ! 返してくれるまで絶対離れないんだから」
 返す気はあった。だがそんな手段を忘れるほどの危険に直面していた。
 それは――主に視覚の問題で。
 春花の背が見え、胸から下に覆いかぶされてるというのが動揺を誘う。
 当たっていないところに錯覚をおぼえ、血が集中してしまいそうになる。
 ――これは、春花の素だ。
 ぽけぽけした性格に見合う天然行動。
 多分俺しか、みたこともされたこともない。と輝弥たちが前に言っていた。
 普段はひた隠しにされている春花の本性――ダメージが未知数な上に風紀が完膚なきまでに乱れるので副会長や自分自身の考えで封印したとのこと。
 それが、突拍子もなく発動される。
 普段よりも密着度が高く、自我での接近ではない――つまり、アクシデントでの接触は素の開放になるのだ。
 天然での接触は、意図的な接触よりもインパクトがある。
 後者は妖しい魅力による陥落だが、前者では汚れなき魅力に満たされる。という感じになる。
 さすが【風宮の宝石】――といっている場合ではない。
「返す、返します。だから離れてくださいっ!」
「わ、わわ、敬語で言っちゃったね。そんなことしたら泣いちゃうぞ〜、というか泣いちゃった〜」
 うぐうぐと嗚咽をあげる春花。
 紙コップへと伸ばされていた両手は俺の左肘掛に乗っていた。
 春花自身の席に下半身――というより両足だけがあり、それ以外のほとんどが俺の膝に触れるすれすれで維持され、両手が肘掛につかれている。
 そして、俺はふと気がついた。
 この姿はまさか――四つん這いか!?
 触れてはいないが、触れているような錯覚。背中の曲線や美しさを無意識の内に目に焼き付けている。
 四つん這いのまま顔だけをこちらに向ける春花は、俺のだんまりに首を傾げた。
 そして、ゆっくりと己の状態を確認し――小悪魔と化した。
「ふっふっふ、そういうことですかい。祐夜く〜ん」
「な、何がですかっ! ってかささっと離れてくださいっ!?」
「皆まで言わなくても〜わかってるからぁ〜〜ねぇ? うふふ♪」
 ――何がわかったというのだろうか、とりあえず善い方向にはいかないであろうことはわかった。
 春花は妖しく身をくねらせる。
 勝ち誇ったように、春花の瞳には光が宿っていた。
「祐夜君はこういうのが好きなんだ〜鬼畜〜〜」
「誰が鬼畜だっ!?」
 俺は妙にくすぐったくなってきた膝から春花を引き剥がそうとする。
 だが、春花は両手で支えることをやめ、俺に全体重をかけてきた。
「まあまあいいではないですか〜、いいことしましょうぜ〜〜♪」
「いやだっ!」
 生徒会長らしからぬ発言と行動。輝弥は音楽に浸り、優衣は毛布に包まれ熟睡中――援軍はないようだ。
 春花の暴走を止めることはできない、そういうことか。
「……まあ、落ち着けって、な? 」
「だってぇ〜、祐夜君とは次に会えるのって今日の午後だもんっ! 今くらいいちゃいちゃしてもいいじゃない〜」
 口調に似合い、年には不相応な頬の膨れっぷりをみせつけられた。
 何が不満なのかはわからないが、どうにか宥めないと一時の休息がパーになる。
 妙に居心地悪い感じがするのは、目の前にある女子特有の香りやら美やらが近すぎるからのようだ。
「……祐夜君って、ぽけぽけさんなんだから」
「なんかいったか? あ?」
 小さく悪口を言われた気がする。いや、実はまったく聞こえてないんだが、だがこいつのことだしきっと悪口だ、そうに違いない。
 ということで、俺は拳の間に春花の頭を挟んだ。
 ちょうど、耳の上辺りってところか。
「ま、まさか――」
「悪い子にはおしおきしないとな。うん、俺はなんて善き生徒なんだろう。小悪魔生徒会長に垢でも煎じて飲んでもらうか」
 俺は拳に力を込めた。
 一気に冷え切った春花は涙目になって何かを伝えようとする。
 遅い――俺の拳は回転を開始した。
「はぅぅぅぅぅうううううう!?」
 左右から二つの回転で抉るように上手い力を込めた――ぐりぐり攻撃。
 春花は絶叫をあげながら、まるで歯医者の手から逃れるように暴れだした。
 その拍子に、春花が仰向けになるが、攻撃の支障にはならない。
「うぅ……祐夜君の鬼畜〜」
「……一分追加かな♪」
「うげっ!?」
 爽やかに言い切った俺の顔を見て、春花は脱兎のごとく自らの席に逃げ出そうとした。
 だが、俺は片足をあげることで動きを封じ、同時に春花の細かい動きも封じるためにあげた片足を春花に密着させる。
 どうにか逃げ出そうと試みる腕に己の腕を押し当て、封じる。
 それでも尚、俺の拳は春花の頭をしっかり挟み込んでいた。
「さぁて……」
 俺は勝利の杯を掲げるように春花の目に微笑んだ。
 春花はただただはぅ〜と言っているだけだ。
 俺は拳に力を込め、絶叫の鎮魂歌を奏でようと――
「青春だね〜」
 輝弥の何気ない一言。
 その一言が――俺を粉々に粉砕した。
 気迫も、殺気もない一言だ。
 なのに、俺の心臓に突き刺さる刃を感じた。
 醒まされる心、衝撃の名残を今だ感じる。
 呼吸自体、意識をやらなければできないほどに。
 音源――輝弥は、素知らぬ顔で音楽に没頭していた。
 俺に目を合わせようともしない。
 それはわざとなのか、それとも自然なのか――予測はできるが、しないほうがいいだろう。
 俺は額の汗を拭う。
 無意識で息を吸えるようになった。酸素も全身に回り始めたので思考回路も時機に活動を再開す――
「……青春なの? 何が?」
 ――俺は馬鹿なのだろうか。
 春花の発言で、春花の存在を思い出した。
 今の現状を忘れていた。本日二度目の失態だ。
 では、またまた状況分析に入ろうと思う。
 まず、春花の格好から話そう。そのほうがいい。
 妙に着崩れしたその服装は、色っぽさを滲み出している。
 ぐりぐり攻撃から必死に逃れようとしていたせいか、頬は赤い。
 息切れによる息遣いすら、男の本能を揺さぶっていた。
 ほとんど俺の席にいるようなもので、仰向けに寝転がっているといっていいだろう。
 ――さて、俺の格好は一言だ。
 春花に覆いかぶさっている。
 さらに詳細をいえば、春花を押さえつけている。
 片足で春花の両足を上から押さえ、両腕で春花の両腕を顔より遠いところで押さえ、拳は春花の頭を挟み込み――
 最後の分析がなければ、どうみても襲っているようにしかみえない。
 ――胸を俺の顔前に突き出させている、変態とでも言っておこうか。
 できればその役から逃れたい。
 俺は春花の上から離れた。
「あれ? あれれ?」
 春花はきょとんとしてそんなことを口走る。
 もうすこし大人になれ――といえる柄ではない俺。
 今さっき、あまりにも子供っぽいことを行っていたのだから。一歩間違えればただの犯罪行為。
 春花は俺を見つめ、俺はそれを横目に視線を直角に逸らし、コーヒーを啜った。
「――あ〜!? 私のコーヒーまた飲んでる〜!?」
 春花は頬を膨らませ、言葉の勢いに乗せて突進してきた。
 俺は思わず、コーヒーを死守するように春花へ背を向ける。
 春花の両手が宙を泳ぎ、俺の手にある紙コップを探している。
 顔は俺の背に押し付けられているのか、その動きはおどおどしい。
 俺は腕をできるだけ伸ばし、安全圏へと逃がした。
 春花は、まるで俺の背にめり込もうとするかのように抱きついてきている。
 だが、伸ばされきった手は俺の手首にも届かなかった。
 俺は隙をついて腕をもどし、紙コップを己の口へ傾ける。
 春花はまた何事かを叫ぶと、右側から抜けてこようとした。
 俺はその動きを予想して背という壁を動かし、春花の進入を防ぐ。
「まだまだだな」
「む〜〜〜」
 俺の一言に、可愛らしい殺気が倍増する。
 そして、俺の後頭部が柔らかい感触に包まれた。
 背壁を乗り越えようと言う――ばかみたいな行為だ。
 当然、その被害を受けるのは俺であって。
「乗るな! 頭が圧迫死するって!?」
 ちなみに俺の予想だが、乗り越えられた場合、更なる甘美地獄を味わうことになる。
 それこそ先ほどの、俺の膝で横向き四つん這いを超えた、たて向き四つん這いになるということも――妄想は横に置いておこう。
「ゆ、祐夜くん……それに美乃宮先輩? 何をやっているんですか?」
 輝弥に迷惑がかからぬ程度に近寄っていたのだが、春花の向こう側から可愛らしい声が放たれた。
 声だけでその表情が読める。
「あ、優衣ちゃん。優衣ちゃんは私の側につくよね?」
「え? ええと……ゆ、祐夜くんは多分間違ってないと思います!」
 ――根拠もなくそう断言する、良心ある誇らしい我が妹君。
 春花の攻撃が弱まったスキをつき、俺は紙コップの中身を更に啜った。
「――あ〜!? また飲んだでしょ!?」
「ちっ……また頼めばいいだろ? そう拗ねるなよ」
「拗ねてないもんっ! 怒ってるだけだもんっ!」
 ――俺より年上だよな、確か。
 ぽかぽかと殴り攻撃を始めた春花。俺は身を横にし、片腕でその攻撃を受け流す。
 優衣はおろおろとしながら俺と春花に対して交互に視線を送ってくる。
 春花は楽しそうだった。
 目はきらきらと嬉しそうに輝き、笑みは絶えない。
 ――仕方ない、か。
 いつの間にか、俺も楽しく思い始めている。
 まだ着いてすらいないのに、体力を消費したくはなかったが――楽しまない理由はない。
 俺は昂る心を抑えず、その衝動に身を任せることにした。
 楽しいと思える。楽しいと思った。
 体力などいくら削ってもいいのではないか、そう思う。
 後先考えない――それが楽しむ基礎だろう。
 たまにはハメをはずしてもいいかもしれない。
 俺は紙コップを安全圏に押し出しながら反撃の試みをしながら、俺と同じ嬉しそうな目をする春花に嬉しさと闘争心の微笑みを投げかけながら、そんなことを考えた。


「青春だね〜」
 お隣が騒ならこちらは静。輝弥は身動きひとつせず停止していた。
 ヘッドホンをつけた輝弥は、唐突にそんなことを一人呟く。
 だが、それを聞くものは誰もいなかった。
 そう、彼自身以外は。


「……」
 いつの間にかシートベルト着用が解除されていたのだが、なにやら遠い前方が一際騒がしい。きっと【彼】らだろう。
 できれば、俺もそちら側に座りたかったものだ。
 前後の列はある程度のざわめきを持っているが、俺たちは違った。
 まるで隔離されたかのような静寂、いや、すでに緊迫と呼んでいいだろう。
 片手から送られる感触すらむず痒さしか伝えてこなかった。
「……えと、そろそろ離そうか?」
 無理に微笑みを浮かべる真紀恵は、頬を赤くしてそう尋ねてきた。
 俺は一時返答することを忘れてしまう。
「あ……ああ。そうだな」
 掠れた声がでたことに、俺は一度口を閉ざした。
 唾を何度か飲み込み、きっちりとした声で返答する。
 ――らしくない。
 緊張などというものは久しぶりだった。いや、ここまでの緊張ははじめてだろう。
 俺は、真紀恵の手を握る力を弱めていく。
 ゆっくり、ゆっくりと手と手の繋がりが解け、あとは手を開けばいいだけになる。
 だが――それ以上動かなかった。
 本能的に、手を離すことを拒絶している。
 察していた、もう二度と手を繋ぐことはないだろうと。
 だからだろうか。俺はあとすこし、あとすこしと、すがり付いていた。
 だが、手と手が離れるのは速かった。
 俺の意思ではなかった、真紀恵の意思で離れた。
 真紀恵の想いは俺に向いていないことを知った。
 そして、俺は独りになった。
 独りの冷たさをひしと感じる。
 今まで温もりに包まれていた片手に残る冷たさを貪っている自分が居た。
 パンドラの箱。それは不幸の箱だ。
 だが、俺はふと疑問に思う。
 その箱に押し留めた想いは――不幸を呼ぶのかと。
 俺の思考回路は機械的にその結末を予想する。
 それはあまりにも、俺の甘えを断ち切る予想だった。
 だが、それでも甘さがある。
 それを理解していた。
 【彼】なら俺の甘さを許してくれるのではないか――そんな甘え。
 俺は幸せだ、それは深く理解している。想うことができるのだから。
 だが、その先へいきたいという。想うだけではなく、傍にも居たいという、クズのような考えが俺となっていた。
「……あ〜、こういうのって割に合わないっていうか」
 真紀恵は堅苦しい雰囲気に耐えかねたように体を崩した。
 シートベルトをはずし、体をほぐすように動かす。
 そのとき、ドリンクサービスがやってくる。
「えっと、オレンジジュースをひとつ。御劉君は――コーヒーかな?」
「同じものをひとつ」
 俺は真紀恵への返答もせずに、そう注文する。
 そうすることで、今までの自分を立て直そうとするかのように。
「……むぅ〜。優しいな、って見直した所なのに」
「そうか、そりゃ残念だ」
 俺は剛での受け流しをする。
 真紀恵は傷ついた風もなく、ため息を吐きながら苦笑いを浮かべていた。
 そう――これが、俺なのだ。
 傍観者として、俺が築きあげた『俺』はこういう存在だった。
 黒幕は、主人公ではない。当たり前すぎる定義だ。
 出来損ないの主人公ですらないのだ。
 真紀恵は両手に持った紙コップのひとつを俺に差し出す。
 俺は、表情を変えることなくそれを受け取った。
 何度か中身を眺め、口に傾ける。
 橙色の液体が口へ移り、酸味と甘味を感じ取る。
「――でもさ。御劉君って案外大胆だねぇ、あんなことするなんて思いもしなかったよ?」
「同感だ。俺すら予想外のことだった。お前にそんなことをする自分がいたことに驚きだよ」
「それってどういう意味……?」
「そのままの意味で受け取ってくれ」
 嫌味のつもりだった。本心ではもっと別のことを言いたかった。だが、最善の発言をしたことに安心をおぼえる。
 真紀恵はなぜかお腹を押さえて笑い始める。
 こぼれそうになる紙コップを慌てて持ち直すと、眉を顰めている俺にごまかし笑いを浮かべた。
「御劉君も、結構この修学旅行楽しんでるんだな〜と思ってね♪」
「……楽しんでる?」
 ――意味がわからない。
 真紀恵はオレンジジュースにぶつぶつと文句を呟き、俺の疑問に気づいたようで言葉を繋げた。
「いつもさ、御劉君って私にはそういうの言わないんだよね。
まあ、そういう冗談とかいうのって祐夜さんくらいでしょ?
だから、私にも言うくらいテンション上がってきてるんだな〜と思って♪」
「……悪かった」
 失態だった、確かに真紀恵に冗談をいうことは少ない。
 最近では、まったく言っていないほどだ。
 それもすべてはパンドラの箱が原因なのだが、真紀恵もそこまでは考えていない。
「や、悪くなんて全然ないよ? ただ、そういうことを言ってくるのは親近感持たれてるようで嬉しいな〜って。
修学旅行なんだから、今までの自分なんて気にしないで楽しまないと♪」
 ――思考回路が活動する。
 真紀恵の言葉は、俺を揺さぶるのに最高の言葉だった。
 修学旅行、秘めた想いや願いを言葉や行動にする季節。
 このときだけは、違う自分に慣れる。
 パンドラの箱にしまわれた想い――今という時は解き放っていいのだろうか。
 俺はゆっくりと、心を静める。
 鼓動が聞こえる――俺の鼓動だ。
 何かが見える――俺自身だ。
 俺に何ができるのか、俺が何をしたいのか、俺は――何に手を伸ばしているのか。
 迷宮だった。知らない文字だらけの文章のような。大きさのあわないピースのような。
 俺は迷っていた。何を、かはわからない。何かに迷っていた。
 だが――それが何かわかった気がする。
 俺は目を逸らしていた。しっかりと見れば、すぐにわかることだった。
 知りたいと思わなければ、文字を理解して文章を読むことはできないだろう。興味がなければ、ピースは揃えられないだろう。
 何を取りたいのか願わなければ――手を伸ばしても何も掴めない。
「――そうだな。楽しまないとな、最後の修学旅行だ、俺たちは中学のときから数えると二度目だが、このメンバーでくるのは最初で最後だろう」
 俺は微笑んだ。
 真紀恵は目を丸くする。
「御劉君、優しい目してるよ? おかしなもの食べた?」
「いや――変か?」
 真紀恵は首を横に振り、にっこりと微笑む。
 俺の胸が高鳴った気がする。
「変じゃないよ♪ なんか穏やかって感じで良いと思う」
「……そうか」
 わけもなく安心し、わけもなく嬉しくなってしまう――理由はわかっていた。
 だから戸惑わず、そのままで受け止める。
 俺は傍観者になれなかった、俺は出来損ないであっても――主人公でありたかった。
 眠りヒロインを目覚めさせるキスはなくとも、手を伸ばすことに迷いはなかった。
 これが――決断。
 伝えたい想いはある。だが、それはわからないままだ。
 言うつもりはある、だが『彼女』を悲しませる結末だけは紡ぎたくない。
 知識が足りなかった、経験が足りなかった――俺はまだまだ出来損ないだ。
 だが、出来損ないにも意地がある。
 ――俺の紡ぎたい結末を起こす、絶対に。
 俺は誓いをたてた。
 真紀恵の微笑みは、傍観者では得られない暖かみであった。
 後悔など塗りつぶされる。
 俺はそんな意図も込めて――できるだけ暖かい微笑みを真紀恵に向けた。


「青春だね〜」
 お隣が騒ならこちらは静。輝弥は身動きひとつせず停止していた。
 ヘッドホンをつけた輝弥は、唐突にそんなことを一人呟く。
 だが、それを聞くものは誰もいなかった。
 そう、彼自身以外は。
 そんな彼は、『付けた時からずっと音を発していない』ヘッドホンをはずす。
 その顔は、まるでゲームに熱中している子供のようにきらきらと輝いていた。
「問題はなくなったかな〜。布石も打てたし、そろそろ固めに入ろうか」
 本人以外は、聞いていたとしてもその意味はわからないだろう。
 その瞳には、残忍な狂光が灯っていた。


 そして俺たちは降り立った。


 それぞれに、それぞれしかわからぬ想いと誓いを秘めて――
これ以外の小説はリメイク化計画に放りこみました。
場合によってはイチから投稿しなおし、ということで消えることになるかもしれません。
この作品は消えないので安心してください。それと、作者の都合により時間がないので、矛盾とかが見つかりましたらどの話数かまで教えてください。
それでは、次回更新お楽しみに!
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