エレジーは哀歌を。
ララバイは子守唄を。
スケルツォは笑曲を。
それぞれ意味しています。
♯13[エレジーというララバイ、そして終りはスケルツォの温かみで]
夜が深みを増した頃に、その人物――天城小夜歌さんは手に持っていたスポーツバッグをどさっと床に下ろし、むすっとした表情で言った。
「家出してきた。一日泊めて」
教訓、唐突なものは本当に唐突にやってくる。
CROSS! 2nd〜そして、物語は交差する〜♯13[エレジーというララバイ、そして終りはスケルツォの温かみで]
寝るにはまだ早い時間帯。おそるおそるリビングへと彼女を連れて行き、目を丸くして混乱する祐をなんとか落ち着かせた後に訪れた静寂に耐え続けているの僕が、今だ。
祐と僕が並んで背筋をピシッとして座り、彼女と対峙する。
僕は震えそうになる声をしっかりとさせて、発した。
「こ、紅茶はどうですか?」
「……頂くわ」
祐が何らかのアイコンタクトを送ってくるが、わからない振りをして台所に消える。
……。
……。
……。
……なんとか逃げた。
弱虫とでもなんとでも言うが良い、恐いものは恐いんだ。
息を吸い込み、吐き出す。
呼吸がこんなにも素晴らしく軽いとは、あの場では気づけないことだ。
切羽詰っていないことでできた余裕ついでに、考えを巡らせることにする。
――それにしても彼女はあまりにもいきなりだな。家出って言ってたけど一体何があったんだろうか。
それに泊まるって……元母親と父親の部屋には何にもないわけだから、着替え室程度にしか使えないだろう。この辺りは祐に聞いてみて、会議するしかない。
とにかくそういういろんなことを聞くためには、リビングにもどらないとな。
「あ…………」
そして僕は重大なことに気づいた。
○ ○ ○
祐は肩身が狭かった。
台所はリビングを抜け、少し歩いた先にある。本当に紅茶をつくっているのかもしくは逃げただけなのか、判断しかねている。
まあつまりは、そういうことを考えて現実逃避をしているわけだが。
チラリと、祐は彼女を盗み見た。
美しかった。何もしていない横顔、考えているとアピールするかのような仕草、横へと折られた脚。
自分もそれに劣っていないとは思うが、向こうはあまりにも完璧だった。
そう――祐は不完全だから、彼女はあまりにも眩い存在だった。
「………………お兄ちゃんの」
祐が自然に出していた言葉に、彼女は反応を返す。
瞳が祐を捉え、捉えられた祐は思わず言葉を失いそうになった。
口を開いたのは彼女が先。
「…………そういえば、お兄ちゃんなんだね。兄さんって呼んでた時も、あったと思うんだけど」
「あ、はい、ええ、ええと、その……た、他人が多いところとかでは兄さんで、正樹とかとのときはお兄ちゃんなんです。いきなりなときとか……あは、はは」
空笑いだと祐自身も気づいているが、表情を消すほうが恥となる。
対して彼女はおしとやかに、クスリと微笑んだ。
「愁くんと、私の関係のことかな?」
「あ、ええと、そうじゃなくて……」
思わず自然な仕草で、祐は自らの胸に手を当てる。
その感触が不完全であることを痛感させ――絡み合う糸を正しくまとめあげた。
祐は静かに息を吸い、彼女の目をまっすぐと受け止める。
「愁のこと……ヨロシクおねがいします」
彼女は小さく首を傾げた。
祐は付け足す。
「お兄ちゃんは……人の良いところを見つけるのが上手くて、人の悪いところを受け止めるのが上手くて、優しさとかを知ってる――誇らしい兄なんです」
「……」
彼女は静かに聴き続けた。
祐は心にできた余裕を感じつつ、言葉を繋ぐ。
「だから…………勘違いされやすいんです。誰かが、勘違いせずに受け止めなくちゃいけないんです。
受け止める側にいるお兄ちゃんの、弱いところを。
でも、簡単には見せるような人じゃなくて……強くて、弱い兄なんです」
感情という衝動が祐を突き動かす。
涙という粒となって。
声という伝達方法となって。
「おねがいします…………私じゃだめなんです。私は僕だから。想いだけだから。」
震える声だから上手く伝わらなかったかもしれない、と祐は思う。
彼女はしっかりと祐を抱きしめて。
「……頼まれちゃうね」
祐の願いを、叫びを、諦めを、挫折を、絶望を、肯定したのだった。
その後、祐はちょっとだけ泣いた。
私としての、最後の涙を流した。
○ ○ ○
一階だったのが良かった。
開け放した窓から台所へと入り、片手にある紅茶パックの入った袋を置いた。
そそくさと中からテトラパックの紅茶を取り出し、温度を上げておいたポットとカップに駆け寄る。
紅茶がないことに気づいたはいいけど、まさか三軒回ることになるとはなぁ……
しかもいちいち靴を履き替えなくちゃいけなかったし、めんどくさかったことこの上ない。
でもまあこれで、小夜歌さんが嬉しそうにしてくれるなら、いいだろう。
お湯を注ぎ、お盆に乗せ、自分の分と祐の分のコーヒーも淹れる。
同じくテトラパックなのは……経済面を考慮した故のひもじさということで片瀬家の名誉のためにスルー。
「お待たせしました〜」
景気良くにこやかにそう言いつつ、リビングへともどる。
祐と小夜歌さんは笑みも交えておしゃべりしており、襲来してきてすぐの表情とは真反対だ。
「おっそ〜い。飲み物淹れるのに何分かかって――って、なぜにシューズ?」
祐の視線は僕の足元に。
僕も見下ろした。
台所に消えたときとは違う、外靴がごまかしようなく履かれている両足がある。
……。
……。
……。
失態。
「……愁くん」
「は、はははは、ハイ!?」
思わず上擦った声。
小夜歌さんは何かを見抜いたように、仕方ないなぁと溜息を吐いた。
バレちゃったのだろうか。
多分、こんなこと言ったら怒るか拗ねるだろうけど。
――以心伝心な感じがして、少しだけ嬉しかった。
「ってことで〜、第一回【寝るとこどっち?☆決め決めゲーム☆】を開催しま〜〜〜す♪」
「第一回てなんだよ。第二回やるつもりないよ」
思わず入れたツッコミ。
それぞれの部屋で――小夜歌さんはリビングで――寝巻きに着替えた僕ら。
いや、祐と小夜歌さんはお風呂に入ったかもしれない。
祐はにこにことして僕のツッコミをスルーするー。
「ルールは簡単。ここにある三本の棒から三回引きまぁす。
一回引くごとに棒はもどして引く人以外が背中でシャッフルするのでご注意くださぁい。
ちなみに、棒の色は赤と白。赤がふたつで白がひとつとなっております。
三回で引いた数が多い色の部屋に行くってこと。ちなみに、赤が私の部屋で白が愁の部屋だからねぇ」
つまり、引いた棒以外の棒の色は、引く人もシャッフルする人も第三者もわからないってことか。
「一番は私。シャッフルは小夜歌さんってことで。
二番はそちらで決めてくれちゃって構いません。私がシャッフルやるので」
そこまで勝手に決めるか。
でもまあ、順番なんてどれが良いのかわからないしな。
「一番、二番が赤か白のどちらかに偏った場合、必然的に三番は一人寝だから注意してね☆」
……ううむ。
赤が確率高いのだから、小夜歌さんを二番にして赤を引いてもらう〜ってのが妥当か。
定義としては祐が赤ね。
でも僕が二番のときでも、僕と祐が同室すればいいだけで……
……。
……。
……。
だ、だめだだめだ。祐と二人っきりなのは良くても、小夜歌さんが僕の部屋を占拠するのは許しがたい。
なんというか、次の日から僕は悶絶しながら寝ることになりそうだし。
「それじゃ小夜歌さん。ヨロシク♪」
祐は小夜歌さんに孫の手のような棒三本を手渡す。
赤とか白とかは小夜歌さんの手のほうに隠れてるようで、僕には見えない。
「ではでは、第一回引っきまぁす」
ということで結果を順々に述べよう。
第一回、赤。
第二回、赤。
第三回、赤。
オールレッド。祐は自室決定のようだ。
「ま、確率高いんだし仕方ないっと」
祐は特に喜んだ様子なく小夜歌さんの手元から棒を奪い去った。
僕と小夜歌さんを交互に見て、言う。
「どっちが先に引く?」
棒を背後に回した祐。
僕は小夜歌さんと顔を合わせ、じ〜っと見つめあい、じ〜〜〜〜っと見つめあい……
小夜歌さんが頬を赤く染め、目を逸らして決まった。
「僕が先に引くよ」
「……何て決め方してんの、アンタら」
祐は棒の手前を持ち、呆れた様子で僕へと提示した。
ゆっくりと、その内のひとつを掴み、引く。
――白。
凄い偶然もあるもんだ。
まだ一回目ということもあってか、余裕をもって祐の手に返す。
祐は後ろへ棒を回し、もぞもぞすると、再度僕へと提示した。
今度は直感で引き抜く。
――白。
待て待て。なんて偶然なんだ。
三本のうち一本だぞ。それを二回連続……二十七分の一みたいな確率状況にある。
後ろに回した祐も怪訝に思っているのか、もぞもぞする時間を多く見積もって提示してきた。
今度は慎重に、一本を引き抜く。
――白。
結果。
第一回、白。
第二回、白。
第三回、白。
オールホワイト。今日はぞろ目日和ですか。
祐はちょっと驚いた声をあげただけで、すぐに背中へと棒を回し、もぞもぞしてから小夜歌さんに提示した。
……アレに何か策があるのか。
「僕がやるよ」
祐の手から棒を受け取り、色を確認する。
……赤、赤、白。
やっぱり凄い偶然があっただけ、なの、か、な?
「はやくしてよお兄ちゃん……私、もう眠いんだから」
不満を言いながら今にも欠伸しそうな祐。
僕は背中に棒を回して適当にシャッフル、小夜歌さんに提示した……
……から、この状況なんだよな。
「どうしたの?」
「いえ――今からでも僕はリビングで寝ようかなぁと」
ぶかぶかで楽という仕様の寝巻きを着た小夜歌さんが、ムッと唇を尖らせた。
僕の部屋で、多分生まれて初めての異質さんなんだが、本人にその自覚はないらしい。
異質的出来事の中にいながらも平常心でいられる僕も僕か。
「えいっ」
むぐっと抱きしめられた。
小夜歌さんが枕を独占するために僕を引きずり下した感じ。
小夜歌さんの首すじが目の前にあって、少しドキドキ。
「……離して」
「意地悪な愁くんの言うことなんて聞きませ〜ん」
――楽しそうだな、小夜歌さん。
僕は呆れながらも微笑んで、抱きしめ返す。
「あっ……」
自分から抱きしめてきたくせに、いちいち反応を返してくれるのがおもしろい。
ほわわんと温かくなる心。耳に聞こえてくる鼓動は、小夜歌さんのものなのか僕のものなのか。
「……ねぇ」
「はい?」
小夜歌さんは妙に静かな声で、話を切り出した。
僕は聴く。
「……もし、もしだよ? もし私が、変えられない何かで愁くんと離れなくちゃならないとしたら……愁くんはどうする?」
「んー……」
目を閉じる。
場面想像はできなさそうだけど、僕なりの答えは……
「いっしょにいたい……ですね」
「……」
抱きしめられてるから、小夜歌さんの顔は見えない。
だから続ける。
「でも、どうしても離れちゃうんなら……僕が近づきますよ」
言葉が次々と浮かんでくる。
「離れる理由ってのが、嫌いになった〜なのなら仕方がないです。諦めます。
でも、実は離れることを望んでなくて、僕のことをまだ好きでいてくれるのなら、僕はずっと小夜歌さんのことが好きだし――難しくても、近づきますよ」
そして、ぎゅっと小夜歌さんの手を握った。
「この距離まで」
「……」
小夜歌さんの抱きしめる力が強くなった。
少し息苦しいけど、甘い香だからよしとする。
「……我侭だよ?」
小夜歌さんの震えた声。
搾り出されたその声が、罵るように積み上げられる。
「他の女の子と仲良くしてるの見るだけで自分勝手になって、愁くんの都合とか全然考えないくらい狭い考え方しかできなくて、愁くんのつらいこと――全然受け止められないような私だよ? もっと良い娘ならいっぱいいるんだよ?」
「……」
僕は思う。
――ああ、そういう誤解か、と。
僕は無理やり小夜歌さんから離れ、瞳を覗き込んだ。
濡れていた。
涙が頬を伝っている。
僅かにだけど、僕の後頭部辺りにじわっと濡れた感じがあるような。
「小夜歌さん。一回しか言いませんから、よく聴いてください」
僕が小夜歌さんといるのに、そんな小さなことは関係ない。
「僕って、自分で決めたりとか、自分で一歩を踏み出したりとか、できないんですよ。
誰かの背中を押したりはできても――自分のすることで誰かが悲しんだりするんじゃないかって、いつも考えちゃって。
小夜歌さんといっしょにいると、するべきことが明確っていうか……幸せなんだなぁとか、とっても実感できるんです。
僕が他の女の子と仲良くしてて〜っていうのが、とっても僕のことを好きでいてくれてることの証なんじゃないかなって思うと、凄く幸せな気持ちになれるんです。
小夜歌さんが僕に、いろんなものを受け止める力っていうか、何かを決める勇気をくれてるような――そんな気がするんです」
ああ、上手く言えなかった。
小夜歌さんは僕の頭を撫でて、首を傾げる。
「……私に勇気付けられてる? 私が幸せそうにしてるのを見ると、幸せな気がする?」
「……その通り」
上手くまとめてもらえてよかったです。
小夜歌さんはクスリと微笑んだ。
自然と、僕も微笑むことができる。
「……負けちゃうなぁ」
「え?」
「私がお姉ちゃんで、エスコートするつもりだったのになぁ……愁くんのしっかり者」
拗ねた感じでそう褒められても、どう反応したら良いのやら。
ぎゅっと抱きしめられる。
その次は――なかった。
「……」
小さな寝息の音。
目の前にある小夜歌さんは、幸せそうな寝顔をしていた。
寝ちゃったんだ……少し寂しかったりするのはどうしてだろう。
邪魔にならない程度、更に抱き寄せる。
温かい。
僕の心を満たすものと、同じ温かさ。
沈み込むのではなく、浮遊するかのような眠り。
とても――幸せだった。
「でもほんと、いろんなことが唐突だよなぁ」
次の日の朝。いつもどおりの学校。
挨拶もなく話を始めるトモダチ。
「知ってたか? 天城様って学劇主役辞退したらしいぞ。
立候補って話は肯定したらしいから……自分勝手だよなぁ」
そうか、辞退したのか。
なら――僕も辞退するかな。
そうしたら、小夜歌さんとクリパ回る時間が増えるし。
今の自分は幸せだ。
嫌な予感なんてものは完全に消え失せていて。
結局、予感の正体がなんだったのかはいまだにわからないけど。
わからなくてもいいものだろうから、今は前を向く。
頬杖をついて見た、窓の向こうの青空は。
いつもよりも、綺麗で澄んでいる気がした。
ふと視線を変えた先。
思い描いていた像とは、違う世界が広がっていた。
ただ一人――正樹がいないだけだけど。
○ ○ ○
何があった――許容できると思っていた誤差。あまりにも許容できなさすぎる。
思考にミスが残されていたのか。策に欠陥があったのか。予想が大幅にはずれたのか。
見ることができた絶望は、あまりにも薄い。
結局、愁の笑みが絶望に染まることはなかった。
「なら……僕が染めちゃおうか」
作戦なんて、もう破綻したも同じ。続けても意味のない計画だ。
偽善者レッテルを剥がすというリスクを負ってでも、愁を絶望させることに意味はある。
希望は永遠でも、頑固でも、強固でもないのだということを僕に教えなくちゃならない。
僕が僕となるために――僕を壊してでも僕は僕に教えなくちゃ。
懐へと忍ばせた凶器。その重量は、身体によく馴染んでいるように思えた。
歩く足。周囲に人はいない。少しばかり、薄暗い路地。
風宮島であっても、表と裏が存在する。
光と、闇がある。
――愁という光と、闇という僕が。
歩の音が速くなる。速く、速く、速く、速く。
降っては消えるスノゥは、僕の心と真反対な色をしていた。
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