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♯07[自然での苦悶と爽快 その4]
 キス。
 その二語に、実感と呼べるものはない。
 まるで蜃気楼のよう。断言することは不可能だ。
 でも――
 唇に残る甘みは、バーベキューを超えても尚残っているように感じられて。
 小夜歌さんのことを考えれば考えるほど、頬の熱さが増す。
 僕はどうしたんだろうか、キスに近いものを二回もしたというのに。
 そのときよりも、思考は迷宮入りだ。
 名探偵でも呼んで解決してもらおうか。
「はぁ…………」
 思わずため息が漏れる。
 そして、気づいた。
 静か過ぎる。
 今居るのはテント内。バーベキューを終え、正樹や祐と自由時間を過ごしている……
「……はずなんだけどな」
 見渡した限り、テント内には誰もいない。
 少しだけ頭を抱えてしまったり。
 そのとき、テントのドア代わりである布を横にずらす者がいた。
 見えた緑の自然風景に、人が挿入される。
「…………祐」
 首元や頬が若干火照り、背中に垂れるほどの髪が濡れている。
 祐は僕を見て、目を瞬いた。
「お兄ちゃん。もう温泉入ったの?」
 ………………。
 …………。
 ……。


 CROSS! 2nd〜そして、物語は交差する〜♯07[自然での苦悶と爽快 その4]


 温泉に入る時間はとうに過ぎている。
 祐が帰ってきた後、すぐに正樹も帰還してきた。
 きっと、もうほとんどの人が湯浴みを終えているだるう。
 それでも入ろうとする僕は、相当の貧乏性か綺麗好きだ。
 まあ、たくさんの人でもみくちゃにされないから良しにしておくか。
 独占だったら、優雅だけど寂しいな。
「せっかくの温泉なんだし、のんびりするか」
 手早く衣服を脱ぎ去り、かごに入れておく。
 簡易脱衣室とはよくいったものだ。ロッカーですらない。
 男の服を取る人なんていないだろうけどさ。
 少し夜の空気が肌寒い。とっとと入ることにしよう。
 脱衣室から出て少し砂利道を歩いた先、温泉と呼ばれるお湯の泉を見つけた。
 結構広いようで、先が見えない。
 う〜ん……これだったらみんなと入ったほうが楽しかったかもな。
 一人ではしゃぐわけもいかず、さらに温泉に近――
「……愁?」
 想定外。
 温泉の手前で、ゆったりと肩までお湯に浸かっている女の子がいた。
 それは見知った顔をしていて。
「……千明希ちゃんか」
 顔から下に目が行きそうになり、慌てて目を逸らした。
 普段よりも血色の良い肌が艶やかで、男の本能を刺激しそうになったからだ。
 混浴のマナーでもある、異性客をじろじろ見ないことを必死に守ろうと心がけることにする。
 千明希ちゃんを視界の隅にも入れないようにして、一人声を発した。
「先客がいるとは思わなかった……ごめん。
僕、出ようか? 落ち着かないだろ?」
 返答も待たずに簡易脱衣所へと踵を返そうと身を翻す。
「……いいよ」
 だが、止められた。
 歩き出すために振り上げた足を停止させる。
 そのまま顔だけを振り返らせようとして、押し留めた。
「……きて」
 千明希ちゃんの小さな呟き。
 エロスを感じるのは、僕が男だからだろうか。
 できるだけ普通を装い、自制心の向上を試みる。
「そ、そうか。な、なら、お言葉に甘えて……」
 温泉の横で山積みにされていた桶を引っつかむ。
 温泉のほうを見ないようにして頭から被ったお湯は、熱くもなく冷たくもなく、僕の心に渦巻くざわめきを悪化させるだけだった。


「ふう……」
 千明希ちゃんに背中を向け、一息吐く。
 こういう組合せでの二人っきりは意外性に溢れているけど、嫌じゃない。
 結構意識しちゃうけどさ。
「千明希ちゃんはなんで、こんなぎりぎりに?」
「……さわがしいのは、苦手だから」
「ああ、なるほど」
 僕よりもしっかりしてるなぁ。
 トク、トク、トク、トク……
 いつもどおりの会話の中に、自分自身の心臓音が混ざっている。
 気にしないようにはしてるけど、気にし始めると感情の混沌が一鼓動ごとに濃くなっていくのがわかった。
 そのとき。
「……」
 僕の背中に、あまりにも現実的な温かみが押し当てられた。
 すぐ近くで吐息がする。
 少し振り返り、わかった。
 千明希ちゃんと背中をぴったりくっつけているのだ。
 僕は動いていない。ということは、千明希ちゃんが動いたということ。
 なぜ――いろいろと誤解な解釈が渦巻いてしまう。
 その解釈には信憑性も、理屈もない。
 緊張だけが強張っていくのを感じた。
 だけど……嫌じゃ、ない。
 緊張するけど、それは嫌な緊張じゃなくて、安らぎもあって。
 身体も暖かいけど、それ以上に心が温かみに溢れていた。
「………………」
 お互いがお互いの背に身を預け、安らぎの沈黙を破ろうともせずに湯船に浸かり続ける。
 僕は、小さい月がぼんやりと輝く空を見上げていた。
 千明希ちゃんは何を考えているんだろう。
 この鼓動は、本当に僕の鼓動だけなのだろうか。
 そんなことが、なぜ気になるんだろう。
「…………私、先に出るね」
「俺は気にしてないぞ?」
「ううん。すぐにのぼせるタイプなだけ。気にしないで」
 今日の千明希ちゃんはよくしゃべる。
 水しぶきの音がして、背中の温かみが消えた。
 離れていく気配に向けてしゃべる。
「二日目で疲れがたまってるだろうから、あんまり夜更かしするんじゃないぞ。
それと、筋肉痛対策もしときなよ」
「………………うん」
 最後の一言。
 そのとき、なぜか僕は。
 千明希ちゃんが微笑んだように、思えたんだ。


 その後も浸かり続けた温泉は。
 ほんのちょっぴりだけ、温度が下がったように思えた。


なんて短さだろう。
それでも、内容はちょいニヤニヤですね。
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