♯20[誤った選択]
私は、私自身がわからない。
大好きなはずの彼を見て、別の人を思い浮かべ。
別の人を見て、大好きな彼を思う。
結局、私は何なんだろう。
誰が好きなんだろうか。
恋心に、量は関係なくて。
二人の間で揺れる私は。
じょじょに崩壊をはじめているのだろうか。
だから。
狂ったのだろう。
これは――そういう話。
かけがえのない。という言葉で表す存在から解き放たれることを一瞬でも願い。
弟君を、裏切る話。
望まぬ世界を――なぜ望むのか。
CROSS!〜物語は交差する〜♯20[誤った選択]
弟君と顔を合わせられなくなった。
今までの私では考えられないこと。もう、病的なまでに弟君にべったりだったというのに。
朝。
優衣ちゃん、弟君、私の――いつもどおりの朝。
私が俯いていても、何も言わない。
優しさだろうか。
でも、それに構えない。
「それじゃ、私は出かけるね」
奈々織ちゃんの作ったご飯を食べ終え、立ち上がる。
弟君が弾かれるように立ち上がった。
私が目を向けると、口をパクパクと開閉し続ける。
「あ〜……え〜………………きょ、今日ははやいか?」
「………………早いと思う」
弟君はしどろもどろになりながらも、私をまっすぐと見て口を開く。
私なんかは、弟君に壁を作ってるくらいなのに。
「今日さ、ちょっと話があるんだ。だから――早めに、帰ってきてくれるか?」
「うん、わかった」
私は頷き、一目散にその場から歩き去る。
弟君の表情は、わからなかった。
忘れた。
大好きな彼を――弟君を忘れてしまった。
一瞬だけど。
本当に、短い間だけど。
私は、どうなったのだろうか。
「……美姫ちゃん?」
私は顔を上げる。
私を覗き込んでいるのは、生徒会長の美乃宮春花さん。
美乃宮さんが、私の手元にある紙へ目を落とした。
私はあっと声をあげてしまう。
何も書いていなかった。
手を止めていた。
失態。
「好きな子のこと考えるのは、また後にしようね?」
美乃宮さんはそう言って離れていった。
私は遅れた数分を取り戻そうと、思考を捨てる。
「……はぁ」
今日はもう暗い。
といっても、部活終了時間とは同じくらいなんだけど。
そろそろ夏祭りだから、ちょっと大忙しなのだ。
「……弟君は、待ってないよね」
校門まで来て、寂しく呟いてしまう。
何を期待してるのだろうか。
それよりも、弟君と何かを約束したような――
「あれ? 鷺澤さんも今帰り?」
頭が真っ白になった。
音源へと向くと、そこにあるのは幼げな微笑。
私は何かを言おうとして、口内が乾きに乾いていることがわかった。
「そっかそっか。じゃあ、こんな時間だし、どっか遊びにいこうよ。鷺澤さんと遊びに行ったことってなかったよね?」
伊里嶋君があどけない笑みを浮かべて、嬉しそうに話し始める。
口を挟もうと思い――できなかった。
「商店街のさ、アイスクリーム屋さん。新商品出したらしいから、食べにいこうよ♪ きっとおいしいから、ね?」
「え? あー、うん。そうだね……」
掴まれた手。
顔を覗き込まれ、首を傾げられると――正直、私でなくとも動揺するだろう。
年下の子供を相手にしてる感じ。
でも、足元はしっかりしていて、ちょっと幼い雰囲気があるけど、信頼できる。
――安心、してしまう。
「よし、それじゃあ決定。早速出発〜♪」
しっかりと握り合う手と手。
伝わってくる暖かさに、思わず笑みが零れた。
商店街。
いつもは自分一人か、女友達としか来ない見知った場所。
弟君と来たことはないけど、来たいと思ってた。
そこに、弟君ではない男と来ている。
ちょっと後ろめたい気も、する。
「ほら、この超キムチアイスクリーム。絶対夏バテ解消だよ、うん!」
白のテーブル。白のイス。
野外設置のそれに座って、私と伊里嶋君はアイスクリームを食べていた。
伊里嶋君が嬉しそうに食べているのを、私がこっそり眺めてる感じ。
「鷺澤さん、垂れてきてるよ?」
伊里嶋君が目で扇動する先には、私の手にあるアイス。
それはすでに溶けて、滴り落ちようとしていた。
一口で食べておきたいけど、ちょっと量が多い。
そう思っていると、伊里嶋君がそれを舐め取った。
一瞬の出来事――伊里嶋君はうんうんと頷くと、にっこりと微笑む。
……こういうのも、いいかな。
なんだか楽しい。
心がときめく。それだけじゃなくて、普通の、年頃の少女として当たり前の楽しさがあった。
自然と、心からの笑みを――伊里嶋君に向けていたことにも、気づかないほどに。
私はこの一時に溺れていた。
すべてを――忘れて。
「ふぅ……っと、もうこんな時間か」
伊里嶋君とおしゃべりをしながら、防波堤沿いの道を歩いていた。
彼の一言で、すでに夕暮れすらも過ぎていることに気づく。
彼と繋がった手は暖かくて、離すのが悔まれるなと思った。
「送るよ。夜道を一人で歩かせたりしたら、祐夜に怒られるからね」
弟君――なぜか胸がざわめき、痛みが走った。
でも、伊里嶋君の隣を歩く。
手は、離れつつある。
「僕なんかと遊ぶのも、たまにはいいでしょ?」
伊里嶋君が私へと微笑んでくる。
「たまにじゃなくても、伊里嶋君は良い子だし、楽しいんじゃないかな? 普通の女の子になれたみたいで、楽しかったよ?」
「……そうとも、限らないかも」
伊里嶋君の微笑みに、暗い雰囲気が差した。
「鷺澤さんらしくなかったよね、僕といるとき。
らしくいられる、ってのが最高とも限らないんだけどさ、自分らしくない自分でいるってのも最高なのかな?」
伊里嶋君の笑みは途絶えない。
でも、謎めいたその言葉は私を迷走させる。
「じゃあ、質問を返るね」
伊里嶋君の笑みが消えた。
手と手が離れる。
私より三歩先を行って、こちらへと身を翻した。
自然と止まってしまった、私の歩み。
「美姫、あなたは僕に何を見ようとしている?」
「え……」
咄嗟に首を傾げた。
伊里嶋君といたら、楽しい。
誰かを見ている、そんなものじゃ……ない。
と、思っていた。
「美姫にとって、祐夜はどんな存在?」
「……かけがえのない……人」
身体が震える。
止まらない、止まらない――真実の間違いが真実となる。
私の見ていた偽は真実ではなく、その幻影は真実じゃなく、真実をみていなかったという戯言が真実であり。
「かけがえのない。その言葉は『縛り』じゃないんだよ。美姫」
「あ……」
腰に手が回される。
近すぎる顔、近すぎる瞳、近すぎる唇。
もうわかっていた。
私は、伊里嶋輝弥という存在の向こうに――その優しさに類似する者を見ている。
なら、なぜ私は伊里嶋君を見ていたのだろうか。
あの体育祭以来、なぜ私は伊里嶋君を見ていたのだろうか。
「すがることができた僕に対する感情は、何の変哲もないもの。そのせいで今日は誤った選択をした。もうすべてが間違った。ひとつが、全部を変えたんだよ。
美姫、今君が見ているのは僕じゃないけど、君は一度僕を見てしまった。僕のほうに歩み寄ってしまった。一時の宿木は、一時でしかないはずなのに。君は歩みを止めてしまった。すべてを捨てることも知らずに――ね」
弟君を忘れた。
伊里嶋輝弥という存在を、見た。
すべては――断たれた。
崩れ落ちていた。
もう、私の手から零れ落ちていた。
『今日さ、ちょっと話があるんだ。だから――早めに、帰ってきてくれるか?』
弟君の言葉。
私の心を埋め尽くす、絶望。
「美姫。ひとつ教えておくと――校門で、祐夜がいたんだよ」
心は。
「美姫、君はね」
更なる絶望を持って。
「祐夜の目の前で――僕を選び、僕の横を歩き、僕に微笑んだんだよ」
完膚なきまでに。
「誤った選択の重みは、わかったかい?」
悪魔の手によって――叩き潰された。
埋め尽くす不安のまま、走り出す。
一時でも弟君を忘れた自分を殺したい気持ちを背負って、悪魔から逃げる。
弟君の傍にちょっとでも――近づきたいと思って。
三井家。
ドアの前で、そんな文字の刻まれた板を見つめる。
ドアに伸ばした手が止まる。
――嫌われてる。
穴があったら入りたいくらい。現実から目を逸らしてしまいたい。
自己中心的かもしれないけど――弟君の微笑みが、みたかった。
見れるはず無いのに。
約束を破って、約束を破る瞬間を見られて、それでも弟君が微笑んでくれるとしたら。
私には謝罪しかできないし、弟君の甘い優しさを否定することもできないし、謝罪することを吐き捨てられても謝罪するしかなくて――
あとできるとすれば、これから。
これから、絶対忘れない。
かけがえのない、その言葉を『縛り』にしないよう自分の気持ちをしっかりと見つめて。
それしかできない。
もっとも、私と弟君に『距離』と呼べる近さがあればの話だけど。
私は恐る恐る、ドアを開けた。
静かだった。
無音、ドアの摩擦音が冷たく響くほどに。
重い空気。
明るく声をあげることもできず、足音にも気にしてリビングへと進んでいく自分がいた。
すぐに立ち止まることとなる。
テーブル、イス。テレビを見やすくするためのソファ。
ソファで、もたれかかることもなく顔を伏せて地面を睨むようにしている――弟君。
私が歩み寄ると、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、思っていたよりもずっと穏やかで。
「やあ……おかえり。遅かったけど、大丈夫?」
細められた目は柔らかい視線を投げかけていて。
痛んだ心がさらに痛めつけられるのを覚悟してたのに、それ以上に弟君の暖かさに痛みがこみ上げてきて。
「話……また今度にするよ。今日は遅いし」
弟君はそう言って立ち上がると、私の髪に手を置いた。
私の中でちょっとした疑問がよぎる。
弟君が、優しい目をしてる。
なぜかぞわぞわする。怖い感じ、暗い感じ。
まるで――無理やり浮かべた表情かのような、不自然さ。
それを察すると、理解するよりも早く心が震え始めた。
視界の隅にある何か。
『それ』は、崩れているようで、でも何なのかはわからない。
弟君の笑みから目を逸らしているようだけど――いや、そうなのだろうか。
本当の笑みではないから怖い。
――嫌悪されるはずだった自分がこんなことを思うのは駄目だろうけど。
「それじゃ……」
考え込んでいる私を気にすることなく、足早に去っていった弟君。
私はそれを追おうとして、視界の隅にあった『それ』を直視する。
暗くて見えない――進む一歩。
見えた、だけど歩みは止まらない――理解できないから。
『それ』の状態もだけど、『それ』があることも。
足元が浮つく。立っていられない。
心が――揺れていた。
歩むことができなくなって、私は崩れ落ちるようにして『それ』に覆いかぶさった。
顔に触れるか触れないかの位置で、それでも理解できない。
『それ』は食べ物。
料理の、成れの果て。
すでに冷め切っていて、何品かの料理がお盆の上で混ざり合っていて――
「……美姫」
「ッ!?」
私の身体が、私の意思に逆らって床を転がる。
ピタリと止まった私に乗りかかっているのは、優衣ちゃん。
その瞳は憎悪に染まっていて、開こうとしていた私の口はピタリと止まる。
「……美姫。お兄ちゃんを一番悲しませないと思ってたのに。ひどいよね。折角、折角――もういいや。もう、美姫ちゃんは除外されたもの。
お兄ちゃんを悲しませた人なんて、目に止めなくてもいい」
「何言って――」
「何も知らないくせに……お兄ちゃんがどれだけ悲しんだのか知らないくせに……!」
悲痛の表情。
私には理解できなくて、突っぱねることもできなくて、ただそれを見つめることしかできなくて。
優衣ちゃんは私の知らない何かを知っていて、床で崩れていた料理の理由を知っていて。
「何が……あったの……?」
「ッ!!」
優衣ちゃんの手が伸びた。
そう思った瞬間、視界は移動させられていて。
頬にひりひりとした痛みが残る。
冷たい床板に、痛みのない頬が押し付けられた。
「ふふふ……もう全部終わったの………………美姫はもう終わり。
お兄ちゃんが美姫を引き離しはしないだろうけど、私は美姫が嫌い。大ッ嫌い。
お兄ちゃんを裏切る美姫は………………美姫ちゃんじゃないよ」
視界に入らない優衣ちゃん。
表情もわからない。
どんなことを思ってるのかも、わからない。
でも、頬に落ちてきた何かは悲しみを帯びていて。
私がしたことは――いったいどれほど傷つけてしまったのだろう。
弟君の、張り付いた笑みが浮かぶ。
あの笑みの裏にはどんな色が隠れているんだろうか。
怖いけど、怖くて仕方がないけど。
それが私の、犯してしまった罪の重さなのだろう。
優衣ちゃんは、もういなくて。
でも、私の身体は動かなくて。
寝そべったまま、同じ高さにある『それ』を見る。
――これがここに落ちたとき、弟君はどんな気持ちだったのだろうか。
罪を直視するとはこうも痛いものなのか。
伊里嶋君に現実を突きつけられたときよりももっと痛い。
そして、もうひとつわからないこと。
――弟君は、私にどんな話をしようとしたのだろうか。
多分、それは今までの私が一番望んでいることのはずで。
私は、大切な何かを両手から零してしまったのだろう。
選択の結果。
私が見失った結果。
一本の道が――伸びていく。
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