♯14[ 帰 ]
終わりは訪れる。
後悔はあったか。
断念はあったか。
答えは――それ以上の幸福があった故にNO
答えは――迷宮迷走の円環の自問自答故にYES
答えは――どちらでもない。
CROSS!〜物語は交差する〜♯14[ 帰 ]
ざわざわと人の頭が波となっている、いるだけで蒸し暑いデパート。
デパートというより、大規模おみやげ屋といったところか。
俺は抱えたものをしっかりと抱き寄せ、ポツポツと歩く。
「うう〜頭がガンガンするよぉ〜」
「そりゃ、ワイン入りチョコ三ダースだからな」
しかも濃度は高かった。
俺の腕に抱えているのは、人だかりからの騒音に頭を押さえる――苦しそうな美姫。
朝から憂鬱そうに俺へとしなだれかかっていた。
「買い物は優衣に任せて、外にでるか?」
「……暑い」
――そのとおり。
炎天下である外より、人だかりのデパート内のほうがまだ涼しい。
ふいに見つけたベンチに美姫を誘導する。
ゆっくりと腰を下ろし、背もたれへと倒れこんだ美姫。
その横にあった自動販売機でスポーツドリンクを買ってやる。
「ありがと、弟君♪」
疲れながらも俺へと笑顔を向ける健気さに免じて、その隣に腰を下ろしてやった。
優衣は別行動中、瑞樹と天宮と美夏を同行させた。
誰かに絡まれたとしても、美夏が全部なぎ払ってくれるだろう。
「……もう終わっちゃうんだね、修学旅行」
「すぐに夏休みだけどな」
修学旅行の数日後、夏休みがはじまる。
台風やらがあったせいで急激に日にちがずれ、入梅と同時になったのだ。
それでも、雲ひとつないのは幸いといえる。
「夏休みかぁ。いっしょにプールでも出かける?」
「そうだな……美姫が可愛い水着を着てくれるなら考慮しよう」
「――ちょっとえちぃよ」
「最近から親父臭さに目覚めたんだ」
女っ垂らしの悦びを知ったが故に最近はえちぃ。
それでも今は、触れることよりも笑顔を見ることのほうが幸せになれる。
「夏休みには予定が入っててな。あんまり遊べそうにないよ」
「そっか……女の子?」
「そんなところだ」
美姫の鎌かけに、正直な返答をしてやる。
スポーツドリンクへ口をつけた美姫に黒い気配はない。
おかしい――前からそうだったかと思う。
俺は一体何を期待したのか。
「私は特に予定ないから、弟君が家にいてくれるときは一緒にお料理でもしよっか♪」
「――悪い、料理できない」
「優衣ちゃんに気を遣ってるだけだよね。お姉ちゃんにはわかるよ」
――全部お見通しだった。
優衣が料理をし始め、俺は料理をしなくなった。
料理は、誰かが喜んでくれるだろうと思って始めたことだったし、それ以上に、俺が食べることで喜んでくれるなら――作る必要はなかった。
衰えた――俺はいくつの力を失ったのだろう。
守る力があるのかさえわからない。
「……美姫、頼みがある」
「練習相手にならいつでもなってあげるよ?」
――やっぱり、全部お見通しだった。
美姫の微笑みにつられて、小さくはにかむ。
唐突に立ち上がった美姫は、その手に持つスポーツドリンクを無造作に投げた。
だが、それはきちんとしたしなやかな曲線を描いて、自動販売機の更に向こう側にあるゴミ箱へと収まった。
「さぁて、優衣ちゃんとこに合流しよっか♪」
「ああ、了解」
元気に溢れている美姫。俺は苦笑いを浮かべつつ腰を上げた。
それからも美姫が俺の少し前を歩き、時たま振り返って俺の有無を確かめている。
――お姉ちゃん、だからか。
俺の後ろでもなく、俺の隣でもなく、俺の前へでる理由。
俺を守る――華奢で細い美姫の背は、そう告げていた。
俺は弱者だろうか。
勝者と弱者を隔てるもの、それは実力、それ以上に――
俺は、美姫の隣へ足を速める。
驚いた顔をした美姫。だが、すぐに嬉しそうに目を細めた。
何も言わない、何か言ったら余計に――恥ずかしくなる。
俺の手に握られた、柔らかくて細い、すぐにでも折れてしまいそうでそれでもしっかりとした力を返してくる掌を――強く強く握り締めた。
「わぁ♪」
美姫が突然声をあげ、とてとてと歩を早めた。
美姫が目を輝かせたのは――シーサーのキーホルダー。
人差し指と親指で摘み取れるほどの大きさで、赤いビー玉が埋め込まれている。
そのビー玉は角度によっては無色にも見えた。
嬉々とした表情でそれを眺める美姫。
「――ほしいのか?」
思わずかけた声。
色気がないと気づいたがもう遅い。
美姫は気にした風もなく、顔を複雑にしかめた。
嬉しそうな、悲しそうな、それでも難しそうに、最終的には気まずそうに口を開く。
「……やめとこうかな」
俺は美姫の隣へと目を移す。
目ぼしいものを見つけると、それを片手で引っつかんだ。
それは、美姫の持つものと色違いのシーサー。
青と無色になるビー玉が埋め込まれたそれと、美姫のもつキーホルダーを重ねて摘んだ。
「じゃあ、俺が買うよ。文句は――ないよな?」
元々言わせるつもりはない。
あえて美姫を意識せずに、きょろきょろと店員を探す。
それでも、美姫の一言は耳へと入ってきた。
――こっ恥ずかしい。
微笑みそうになるのを無理やり押し込んだ。
「弟君?」
ふたつのキーホルダーの入った袋を大切そうに抱えた美姫が俺を覗き込んでくる。
脱力して屈みそうになる――無理やり笑顔を浮かべた。
「あそこのアイス旨そうだなと思ってな」
俺の視線の先にある、人が集まりかけているデパートの中心を見た美姫は、目を輝かせてそちらへ走っていく。
背に走る汗の粒、ぼやけた視界、靄に包まれた思考回路――理由がわからない。
トラウマに触れたような、静かな恐怖の旋律――手が震えていた。
五指を握りこむ、歯を食いしばる――自我を取り繕う。
頬が強張っていないか気にしつつ、飽きれた表情を浮かべて美姫の後を追った。
「ん〜、おいしい♪」
すでに購入を終えている美姫は両手に持って交互になめている。
一舐めごとに顔が蕩け、もう戻らないかと思うくらいの笑みを浮かべる。
――心の底からの苦笑を浮かべた。
「弟君もひとくちどうぞ♪」
俺へと突き出されたアイス。
思いっきりかぶりついてやると悲鳴をあげた。
「一気に食べすぎだよぉ……」
すでにコーンだけとなったそれを悲しそうに見つめる美姫。
口の中にある甘味を飲み込み、後味を舌でなめとる。
余裕を取り戻した。甘味を甘味だと理解することができた。胸焼けの衝動も起こらない。
先ほどまでの重い感覚がとても遠いものだと思われる。
何を考えただろうか。
何を思っただろうか。
思い出せない。本当に、無意識で思ったのだろうから。
消えてしまった煙を探すことが不可能なのと同じく、何も見つけることができない。
消えてしまった煙を徐々に思い出せなくなるのと同じで、すぐに疑問も掻き消える。
涙目をさらに潤ませた美姫を視線で捉えると、ただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
「祐夜さん?」
再度並んで三本のアイスクリームを買った俺と美姫。
俺へと声をかけた優衣はキョトンと俺の両手を見た。
「パインにバニラにシークヮーサー。とってもおいしいよ♪」
優衣へと差し出されたアイス二つ。
優衣は小さく両手を振ると、俺へと視線を向けた。
「そろそろ十分前らしいです。『買い物が済んだ者は寄り道せずもどってくるように……さぁて焼酎でも買ってくるか……祐夜にはしっかり教えておけよ、あいつはいざこざに巻き込まれやすいんだから』とのことです」
「二ノ宮先生……」
――好意での行動なのかマークされているのか。
美姫がビクンと背筋を伸ばした。
その顔は若干青ざめている。
「どうした?」
俺は美姫の顔を覗き込んだ。
美姫は乾いた笑みを淡々と浮かべ、口を開く。
「生徒会の集まりがバスにもどる前にあって……もう始まってるかも……」
美姫は顔を伏せて優衣に近づく。
優衣の両手へとアイスを持たせると――
「おいしく食べてね!?」
今にも泣きそうな顔で、名残惜しそうにアイスを手放した。
全力疾走で数歩進むと、俺へと振り返る。
小さく手を振った美姫は、すぐに再度全力疾走で去っていった。
――時間ないくせに、満面の笑みとは。
思わず笑みを浮かべてしまう。
「えっと……つまり、美姫ちゃんはミーティングに行っちゃったんですか?」
両手のアイスを交互に見つめてそう呟いた優衣。
一向に減らないアイスは溶け出している。
「食べろよ、美姫の遺言なんだから」
正確には死んでいない。
優衣はためらうようにおどおどとしつつも、アイスに口をつけ始めた。
俺はすでに一本を腹に収めている。
「おいしいです……」
小さく顔を綻ばせた優衣。
その両手にあるのはバニラとパイン。
俺の手にあるのはシークヮーサー。
「――俺のも食ってみるか?」
優衣はキョトンとした顔で、俺の突き出したアイスを見つめる。
最終的には気まずそうな笑みを浮かべて自分のアイスに舌をつけた。
思わず首を傾げ、それに対して何度も首を横へ振った優衣は勢いをつけて俺を覗き込んでくる。
「祐夜さんのだからたべないんじゃなくてですね、祐夜さんのだから取っちゃ駄目じゃないかと思いまして。ええと、それだとやっぱり祐夜さんだからなんですか? で、でも、悪い意味じゃなくて!」
「――とにかく、だ」
俺は無言でアイスを突き出し、優衣を急かした。
視線を逸らすも逃れられないと知り、恐る恐るアイスに口をつけ――
「……おいしい」
「だろ? シークヮーサーは食っとかないと」
コクリと頷いた優衣を満足げに見つめる。
その視線が俺の後ろへと移った。
俺は視線を追って振り返り、デジャ・ヴを感じる。
――俺の懐具合を考えてほしいなぁ。
優衣が見つめていたのは、海を連想させる青のサンダルがついたキーホルダー。
サンダルの下には、小指の平ほどしかない十字架がある。
さらに下では、丸い青ガラスが揺れていた。
縦に長いキーホルダーだと思う。
「……」
キラキラとした瞳でそれを眺める優衣。
俺はもうひとつのアイスを食べ終え、ため息を吐いた。
――仕方ない、か。
「文句はいうなよ?」
「え――」
優衣の前からキーホルダーを取り、そのまま俺へと視線を向けさせる。
俺の顔前で揺れるキーホルダー。
「買ってやる。俺の身勝手だから、何も言うな」
その言葉に頬を少し赤く染めた優衣は、がむしゃらにアイスを舐める。
美姫の場合とは違う反応に、少しだが余裕が生まれた。
だが、火照った顔で俺を見上げた優衣は――
「――ありがとう、お兄ちゃん」
俺の余裕は完膚無きまでに潰されましたとさ。
優衣にキーホルダーを買ってやり、アイスを食べ終わったとき、両腕に荷物を抱えた美夏が俺たちの前で立ち止まった。
「祐夜……」
「おう。そっちは買い物済んだみたいだな」
よく考えれば、俺は菓子系統をひとつも買っていない。
キーホルダー二つ、アイスを五つ。
――そのくせに、なんで財布がこんなにも軽いんだろう。
「というか、少し買いすぎたな……」
つらそうに荷物がずり落ちつつあるのを上げた。
俺は美夏の荷物を片手で掴みとり、俺の腕へと回した。
「ほら、そっちも貸せ」
美夏のもう片腕にかかっている荷物に片手を差し出すと、美夏は首を横へ振る。
俺の周りには妙なところで謙虚なやつが多い。
「あのな……人の好意はそのまま受け取れ。受け取らないほうが失礼だぞ」
仕方なく、美夏の腕から乱暴に取ってやる。
かさばる重みを気合を入れて両腕に抱え、息と汗を吹いた。
さすがに暑い。
「そういっていつもいつも無理をするやつがいるから、少しは謙虚にしたのだ」
俺に向かって苦笑いを浮かべつつも、嬉しそうに目を細めた。
――なんだ、やっぱり重たかったんじゃないか。
普段は命令してくるくせに、なぜか俺から好意を示したときに限って断ってくる。
まあそういう表情も……可愛いというかなんというか。
まあ美夏も可愛いんだよ。
ポニーテールに似合う活発さと明るさ、それ以上に冷静さがある。
女の子らしくない男口調とのギャップで、こういうときに見せるしおらしさが――余計に女々(めめ)しく甘美だ。
俺は思わず顔を背ける。
「……まあいい、戻るぞ。優衣も、ほら」
「あ、うん」
優衣の腕に抱えられた小さな紙袋を見て、怪訝な顔をする美夏。
幸せそうな優衣の顔を一瞥した後、俺へと顔を向けた。
知らん振りを決め込むが、その努力を悟られたのか、美夏が何かを覚ったように苦笑いを浮かべる。
結局は何も言わず、俺の横へとついて歩く。
その反対側には優衣。
――両手に花、か。
その前に両手に荷物だろうが。
よくよく思い出せば、両手に花な状況がとても多かった修学旅行だ。
中学生まではこんなことはなかったはずなのに。
もう少し男子友達もいて、女子といえば真紀恵に優衣くらいだったというのに。
――何を悔やんでいるのか。
悔やむ事項だろうか、俺はみんなに会ったことを嫌がっているのか?
――否、否のはず。
ならなぜ悔やむような考え方をする?
――心の深層に答えがあった。
それはぼんやりとした光のようで、記憶というものはこういうものなのだろうかと思ってしまう。
だがそれを知ったことで、先ほどまでのような脱力が訪れた。
動悸の乱れ、呼吸の乱れ。酸素が足らない錯覚に息が荒くなり、金切り声があがってしまう。
だがそれも覚られぬ一瞬。
気合でそれらを押さえ込み、正常という状態を取り繕う。
触れた記憶から感覚を離し、忘れる。
和らいでいくように、駆け抜けていくように、波が引いていくように――すべてが消えた。
思わず溜め込んだ息を吐いてしまい、汗が流れる感覚を触覚が捉える。
左右に視線を走らせるが、何も気づいていない。
何とか同じペースで繋げた一歩。その一歩まであった危機は俺しか知らないだろう。
――なんだろう。
トラウマ、そういえた。
なら何がトラウマなのか。
子供の頃――だろうか。
そうにしても、今もう一度確かめるわけにはいかない。
今は立ち直れたが、今の疲労状態でトラウマ症状がでたら倒れるかもしれない。
それでなくとも体温が上昇し、日射病になりかけている。
俺は保留という結論に達し、目を細めた。
「……」
わからない。
自分の行動のすべてが、自分を動かすもののすべてが。
自分自身が――
それでも引き返せないところまできているのだろう。
いまさら隠れたりする選択はできない。
回避できない――腹をくくる。
前から歩いてきた三人。
一人は副会長、一人は祐夜の姉、そして最後の一人が――
美乃宮春花。
僕は思わず、生唾を飲み込んだ。
彼女の瞳が僕を捉えたとき、咄嗟に何かを言おうとしてしどろもどろになった。
彼女が残り二人へ何かを呟くと、僕の背へ消えていく。
彼女だけが僕の前に残った。
僕の前には、彼女だけが残った。
僕の心には――彼女だけしかいなかった。
「どうしたの、伊里嶋君?」
甘くくすぐったい声、猫を連想させられた。
穏やかに首をかしげた彼女は、すべての懺悔を受け止める女神さながら。
でも、僕は懺悔をするために彼女と対峙しているんじゃない。
意を決して口を開いた。
「――僕は、あなたの敵だ」
そうあろうとして、できなかったからここにいる。
絞りだすような自分の声、震えは止まらない。
「僕はあなたの敵だ。それだけだ、それだけが状況だ。それ以外は不必要な価値観だ。
僕は、あなたの敵となる――生徒会長である、あなたの敵に!」
前からそうだった。
でも、今は違う。
自分の心に折り合いをつけるため、これからを日常どおりに歩むため。
彼女は僕の叫びをあらかた聞き終え、目を細めた。
「それだけ、かな?」
僕の決意は一瞬にして壊された。
彼女にとってはそれだけのこと。力量が違いすぎる。
彼女の言葉は続く。
「やっぱり伊里嶋君は暖かいよ。前にいったとおり、私が保証する」
彼女が寄り添ってくる。
彼女の瞳が、彼女の唇が、彼女の透き通るような肌が、彼女の雲のように神秘的な髪が。
僕を魅了した。
「やっぱり伊里嶋君は、一度も『私のこと』を貶したりしなかった。ただ、決別しただけ」
彼女が僕の手に自らの手を重ねる。
その間に金属があることを知りつつ、何もできずにすべてを委ねてしまう。
「でも、優しいだけじゃ――やだなぁ。
完璧はね、『すべて』に完璧なんだよ。伊里嶋君」
完璧――僕が求める栄光。
傍観者としてあるべき才。
「ごめんね、伊里嶋君の言うとおりにはできないけど――あなたをシンデレラにするカギを、あなたに」
絡まる腕。
肌と肌のふれあいが伝えてくる感覚に思考回路が麻痺する。
そして、すべてが紐解かれ――僕は彼女の手を強く握り返した。
「シンデレラになってきてくれるときは――何を言うか、ちゃんと考えてきてね」
ふと、彼女が消える。
すり抜けるように、一瞬にして。
僕の背後を駆け抜ける足音で、やっと気づいた。
僕は虚空を見つめ、地面に膝をつく。
手にある金属――その形状を確認すると、なぜか涙がこぼれた。
涙を隠すように自らの肩を抱き、痛感する。
――何もできなかった。
小さなうめき声も漏らすことなく、ただ絶望に浸り続けた。
午後、選択によって分かれる沖縄文化体験時間。
なにやら背後で悲鳴やらが飛び交っているが、知人だったので無視する。
手作業によるシーサー壁掛け上塗りを黙々と続けていると、隣に座る者がいた。
「あっちで祐夜くんが美姫たちとはしゃいでるけど――行かなくて良いの?」
俺はその問いを無視し、作業に没頭する。
ニヤリと笑われた気がしたが、そのまま無言のときが流れた。
俺は手を止め、シーサーを眺める。
衝動に動かされるように、口を動かしていた。
「なんで――俺に言った?」
「ん?」
俺の言葉に反応した声。
少々の無言を過ごした後、返された。
「いまさら、そんなこといわれるとはなぁ……キスもしちゃったし」
「ファーストキスとしては無効だな」
「気にしてんの?」
「気にしてない」
「真紀恵ちゃんって娘にあげるつもりだったから?」
手を止めていてよかった。
一瞬の硬直後、俺は目を細めるだけで心を落ち着かせる。
「話を逸らすな」
「鎌かけだったのになぁ……失敗失敗」
「なんで、俺に言ったんだ?」
今度は顔を向けて言う。
そして、後悔した。
「――好きだからに決まってんじゃん、バカ」
涙に潤ませた瞳。
泣く様子はないのに、そこだけ心を開いていて。
目を離せなくなっているということに気づき、自嘲した。
――選ぶ?
何を選ぶというのだ。
中途半端はできない。俺は出来損ないだ。そこまで背負えはしないと自覚している。
だから、かける言葉はない。かけられる言葉は無い。
どんなに思われていても、何にもまどわされることなく、しっかり自分を知らなければ――パンドラの箱は不幸を呼ぶ箱のままだ。
「……答えがほしいっていったら、わがままかな?」
正しい考えだろう。
それでも俺は自分の心を表す無言を突き通す。
ただひとつのことに、今だからこそひとつのことに。
心は混じりを解き、羅列となり、刃となる。
――ひとつだ。
無言を突き通すことは、できた。
それでも――背後で飛び交う歓声と悲鳴は、とてもとても楽しそうだった。
買い物を終え、午後の活動である文化体験をも終えた頃。
ゲート前にて、ただ感慨に浸ってみた。
走馬灯として駆け巡る修学旅行の思い出もついに現在へたどり着き、息を吐いた。
「弟君」
俺の隣へ腰を下ろした美姫は、俺の腕に身体を押し付けてくる。
柔らかい肌、それ以上に甘い香りを意識してしまう。
「……修学旅行は、楽しかったかな?」
上目遣いで尋ねてくる美姫。
少しだけ考え、小さく頷いた。
美姫はにっこりと微笑み、俺の胸に頬を当てる。
「ずっと……ずっと楽しいままだったら……どんなにいいんだろうね………………」
「――でも」
顔をあげた美姫の瞳を覗き込む。
「今以上の幸せが、未来には………………待ってるんだと思う」
「……そっか」
美姫の流れるような髪が視界を埋め尽くし、顔を伏せたことがわかった。
小さく、小さく呟かれた言葉は俺に届かない。
「――――」
わからないことがひとつあった。
なんで楽しいのに。
楽しいことのあとなのに。
美姫は――泣きそうなんだろう。
抱きしめることも、その理由を知ってどうにかすることもできなかった。
ただ、触れられない絶望で――将来的に、俺はそれに直面することになるんだろうと思った。
「もう帰り、か……」
私はタバコに火をつけ、考えるもなく呟いた。
行きの頃には思いもしなかった、終わり。
もっと長いと思っていた。それこそ永遠といえる楽しい幸せにずっと浸ってられるだろうと思っていた。
――そう思うのは私ではなく、私の教え子たちか。
私はあまり楽しんではいない。
ただ、楽しむみんなを見ていただけだ。
「――そういうことか」
今、三井祐夜という存在の真理に達した。
そう、彼は違うのだ。ただの生徒ではない、とても難しいことを意義にして生きている。
――皆の幸せ。
そんな夢みたいな、映画みたいなことを意義にする彼は、思想家だろう。
ただの馬鹿に転ぶか、それとも栄光のヒーローに転ぶか。
「どちらかといえば、破滅な気もするがな」
何もかもを背負おうとして。
何もかもを背負えなくなる。
この一年に関して言えば、まだプロローグと言ったところか。
「終末まで風宮島にいれないのが難儀だな……」
どうせなら最後まで見届けたかった。
皆が望み、皆が成しえない――故に。
私はともかく。
「美奈が……どうケリをつけてくれるか」
後悔のまま去るか。
涙ながらに感動結末を紡ぐか。
――あるいは。
いつもいつも聞かされていた、美奈の初恋相手――御劉君。
話からいえば、まだ美奈の自覚はない。
「二ヶ月――いや、それ以上あるか。一応は」
その間にどうこの場が変わるのか。
どう人の心が変わるのか。
何もしなかった出来損ないの主人公は空を見上げ――
何もできなかった傍観者は空を見上げ――
何も知らない主人公は空を見上げ――
プロローグは終わりを告げた……
そして、風宮島へと向かう、主人公ら全員を乗せた飛行機は飛び立ったのだった。
『誰もが望まない日常は、日常ですらないんだよ――』
『壊れるとわかっていても、逸らしてしまいたい現実があるんだよ――』
次回、さまーすもーるすとーりー【SSS】1【ブレックファーストは色気満載!】
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