♯12[ 断 ]
初めてあなたが兄だと想えたとき。
初めて私が心からの微笑みを浮かべたとき。
初めて私が幸せだと感じたとき。
初めて、私の心が高鳴りとときめきをおぼえたとき。
そばにいてくれたのは――いつも、微笑みかけてくれるあなたでした。
あなただけが私をみてくれて。
あなただけが本当の私に向き合ってくれて。
あなただけが私と対等にいてくれて。
そばにいて、微笑んでくれたのは――そう、私がいじめられて、それこそ登校拒否になろうとしていた、あの頃。
あなたは、私を守るといってくれました。
【俺はまだ未熟だけど、絶対お前を守れる兄になってみせる】――そう誓ったあなたは、私にとって唯一無二の、大切な家族です。
私は変われたでしょうか。
私はやっとスタート地点に立てたのでしょうか。
もどかしい――胸のときめきは収まらなくて、あなたを盗み見るたびに幸せが溢れて。
目に映るすべてが愛しくて、すべてのものを慈しむことができる。
そんな私がいるのも、兄であるあなたのおかげでしょう。
だから、伝えます。
感謝と、約束の誓いを――心から愛する兄へ。
あなたが兄であることが――誇らしい。
CROSS!〜物語は交差する〜♯12[ 断 ]
爽やかな朝。
若いというのはいいものであって、どっしりとした疲れがすっきりと消え去っている。
それでも、こんな若気の至りがあっていいのだろうか?
さすがに俺でも、こんなに盛んだったとは思えない。というか思いたくない。
とにかく、現実をしっかり直視しよう。
ゆっくりと目を開ける。
「……すぅすぅ」
「弟くぅん………………むにゃむにゃ」
――見るんじゃなかった。
なんとなく落胆。
ひとつひとつ説明すべきなのだろうか、このすがすがしい朝からの喜ばしくない情景を。
――左右に、ぐっすりとお眠りになられているお姫様が約二名います。
夢ならいいのだが、完全覚醒した頭脳はこれを現実だと認識している。
とにかく、身動き一つ取れない。取ったら取ったで朝から精神削り取られるのは勘弁したい。
勘弁したいのだが……身動きしなくても、呼吸ごとに感じる圧迫感がくすぐったい。
左右不対等な圧迫力――いかんいかん、無駄なことを考えてしまうそうだ。
そのとき、片一方のお姫様が身じろいだ。
明確な摩擦に、うっと喉を詰まらせる。
――それにしても、バストの圧迫感が物足りないなぁ。
「……弟、君?」
眠そうな瞳で俺の胸に頬を這わせるお姫様――美姫。
正式には同い年の自称お姉さんなのだが、最近その自称すら消え去りつつある。
そんな美姫は、くしゃっとした笑みを浮かべる。
いつもよりべたべたした感じのない、すっきりとした甘美といったらいいのか――とにかく可愛い。
動揺している俺をみて、クスクスと笑い声を上げた美姫。
「弟君ゎかわいいなぁ」
「ちょ、ストッ……」
衣擦れの音が淫らかに響くと、美姫が俺の頭を抱えるようにして抱きついてきた。
甘い香り、屈託ない本心からの笑み――朝っぱらから刺激が強い。
血の循環を一定のまま無理やり押さえ込むと、勢いをつけて起き上がった。
……つもりなんだが。
「むにゅ………………すぅ」
柔らかい弾力に、自ら押し付けにいってしまう。
淡い反発力に、思わず声をあげそうになった。
もう片一方のお姫様――優衣が、小さく身じろぎをする。
そう、俺へとさらに抱きつく方向へ。
いろいろと妄想が広がってしまうのは若気の至り………………でもおさえなければいけないときがある………………
「弟く〜〜〜ん♪ つぅかまぁえたぁ〜♪」
美姫が俺をさらに抱え込むと、何かを擦り込むように身を揺らしてくる。
顔の半分以上がその柔らかさにつぶされるのだが、精神はまだ理性軍の天下だった。
堪えるような硬直――優衣がさらに抱き寄せてくる。
寝相が悪いほうではないはず。というか、寝相で遠くにいってほしかった。
腕に絡んでいるのを更に強め、肩へ頬を当ててすうすうと眠り始めた。
手の先が……その……いってはいけないような場所を突き抜け、太ももと太ももにがっちり挟み込まれている。
そして覚った。
――完全束縛。
叫びたくなる一方、ランダムに揺れ動くお姫様二名から耐え切ることでいっぱいな俺の、さわやかだったはずの朝だった……
「う〜ん♪ 今日も爽やかだねぇ♪」
「ご飯もおいしいです♪」
「……なんでそう元気なのかなぁ」
朝食。
クロワッサンを咥え、小首を傾げる美姫。
いいや、といって首を横へ振ると、美姫が手も使わずにクロワッサンをはむはむとおいしそうに頬張る。
ゴクンという音とともに、美姫がにっこりと笑った。
優衣も、薄味の野菜スープをスプーンで優雅に飲んでいる。
俺はパンをかじり、口を開いた。
「お前ら、なんで俺のところにいたんだよ? 朝なのによく忍び込めたな。女子部屋と男子部屋って確か階が違うはずだぞ?」
「ん? えっとねぇ、夜中からこっそり忍び込んでたから……」
「――夜から居たのか」
「なんかねぇ、眠そうにしながら布団あげてくれて、入っていいってことかなぁと思って、お言葉に甘えちゃいました♪ てへっ♪」
そう言いつつ、デザートであるゼリーにスプーンを滑らせる。
……お言葉、じゃないよな。
というより、おれ自身がわからなくなってきた。寝ているときは欲望的なのか? 知りたくない自分を知ってしまった気がする。
「それに、ちょっとでも長く居たいじゃない。時間は短いんだし、たっくさん思い出作りたいからね♪」
「……まあそういうことなら、許してやる」
「えへへ〜♪」
許してやる、と同時に髪を撫でてやると、いまにもとろけそうなはにかみを浮かべる美姫。
ぼ〜とそれを見つめていた優衣に気づくと、もう片手も優衣の髪へと置いた。
――グシャグシャと掻き混ぜる。
「あぅっ!」
ぼんっと赤くなる優衣は潤んだ瞳でちらちらと目を向けてきた。
だが、何も言わずに俺へと身を任せている。
――和むなぁ。
「あ、そうだ♪」
美姫が両手を合わせ、立ち上がる。
訝しげに美姫を見上げると、美姫は優衣の手をとって立ち上がらせた。
「私たち、着替えあるから♪ 今日の約束、忘れないでね♪」
美姫は、優衣を腕で抱えると同時にウインクをする。
俺は小さく微笑みかけてやった。
美姫は優衣へ何事かを呟くと、優衣は真剣な表情でうなずいている。
――真剣な表情も可愛らしいなぁ。
オヤジくさい台詞も板についてきた。
コーヒーの香りを楽しみ、一口含む。
ゆっくりと舌で転がし、味わって飲み込んだ。
――苦い。
フレッシュに手をかけた俺は、きっと甘党だろう。
今日も暑い。
日差しは無いが、湿気という重い空気がのしかかってくる。
それでも負けずにバスへと向かうのは、現実を仕方ないと諦めるよりももっと大きな衝動に突き動かされていた。
そう、次はなんといっても……
『われわれは海の男ぉぉぉぉぉぉ! 覇者はわれわれだぁぁぁぁぁぁ!』
『水も滴る美しき姫を拝めるわれわれこそが正義ぃぃぃぃぃぃ!』
……海なのだ。
暑苦しい演説はさらりと聞き流し、俺の上席するバスに脚の向きを修正する。
「……はろ〜、弟君〜〜♪」
「ん?」
考える間も必要ないくらい瞬間一致した声。
俺は疑うことも警戒することもなく振り返り――悶絶した。
いつのまにこの娘たちはこんなはしたない子に育ってしまったのだろう……
『男は欲望に忠実な犬ぅぅぅぅぅぅぅ』
『何者もかまわずに突き進めぇぇぇぇぇぇ』
……だまれぇぇぇぇぇぇ
演説野郎に心の叫びをあげつつ、呼吸を整え立ち上がった。
「だ、大丈夫……? 熱にやられた?」
「――そっちこそ日射病でバカになったか? そんな餌になるような服装で?」
どうにか美姫を直視した。
一言で表せば、道を歩ける服装ではない。
もともと美人なこともあってか、白く艶やかな肌は淡い光を発するほどに輝いている。
――カッターシャツ一枚というラフを通り越して露出狂な服装から。
「だってすぐに海にはいるじゃん♪ 早く脱げるほうがいいでしょ?」
「うむ……露出狂もどきにはちょっと活をいれないとな」
台詞に艶とか媚がマシたら縁を切りたくなるかもしれない……まあ今でも十分可愛らしい声だったが。
リボンだけはしっかりつけている頭を拳でがっしりと固定し、気づく。
その後ろに隠れるようにして身を縮ませている存在に――悶絶した。
両親に電話しないとな……すでに俺たちの知っている妹は消えてしまったと……
『美少女なら何も構いはしねぇぇぇぇ!』
『可愛い以外は気にしないのが漢だぁぁぁぁ!』
「うっせぇぞ野郎どもぉぉぉぉぉぉ!!」
思わず叫び、周囲の生徒とともに演説していた生徒を竦みあがらせる。
退散していく野郎に背を向け、現実に向き直った。
「えっと……その……ど、どうですか?」
俺の前に立つのは優衣。
優衣が背伸びしても俺を越すことはできない、そんな身長のせいなのか、優衣は自然とひどく上目遣いになってしまう。
羞恥があるのか、胸元をしっかり押さえているのもなんとなく安心した。
「もう、駄目だよ。お色気ださないとこんな格好してる意味がないじゃない!」
「いつもえっちぃこと嫌とか言ってるお前にしては大胆かつ無謀な行動じゃないか、アア?」
「うう〜ごめんなさい〜〜」
涙目になって懇願してくる美姫に更なるぐりぐりを放ってやり、パッと手を離した。
両手で頭を擦りながら、美姫が口を尖らせる。
仕方ないので髪に手を置き、ゆっくりとした動きで撫でてやった。
途端に。むっとした表情を保とうとしながらも、微妙にはにかむ表情へと変貌する。
――ご機嫌取りがこの程度でいいなんて、安上がりだな。
この程度だからこそ、喜ぶのなら拒まれるまで撫でてやってもいい、と思う。
「さっ、バスに乗り込むぞ」
優衣と美姫の髪をポンッと叩き、先導した。
だが、サッとその両側に人肌の温かさが寄り添ってくる。
「今日はとことん付き合ってもらうから、覚悟してね♪」
「よろしくおねがいします……」
自然に腕を絡めてくる美姫。小さい頃から俺と恋人ごっこをしてたりする弟好きだったせいか、こういうのだけは上手い。
そして、反対側には美姫の見よう見まねでくっついてくる優衣。力みすぎているせいか、ただ単に胸を押し付けているようにも……思えなくもない。
小さくため息を漏らしつつ、二人の表情を盗み見た。
――こういうのも悪くない、か。
俺は一歩を踏み出した。
補助席に座ってまで俺の両側に陣取ったお姫様二名は、俺の前に乗り出してお菓子の話題をしている。
美姫が顔を綻ばしているのはパイナップルキャンディーのようで、優衣はというと……黒糖キャンディー。
渋い、そう思ってしまった。
「弟君も食べるよね、あ〜ん♪」
美姫が摘んでいる黄色いキャンディーを口に含み、舌で転がした。
……昨日食べた噛むキャンディーも旨かったが、なめるキャンディーもなかなかいける。
二人ともすでに俺が男ということすら忘れているのか、胸元が見られても仕方ないほど身を俺側へ乗り出して談笑していた。
それを気にして反応できない俺はすでに終わっているのだろうか。
「海だねぇ。ということで、こーゆー企画があるんだけど参加しない?」
「久しぶりの神出鬼没」
席の後ろから身を乗り出して俺の視界を隠すように紙を掲げる――輝弥。
呆れながらもその紙へ目を通した。
「清祝の海! 欲望の向くままに勝利を得ようと思わないか!? 海底に身を横たえしリヴァイアサンで捧ぐ血で血を洗う球体交差格闘!」
「つまり、ビーチバレー大会ってわけか……」
紙の内容とまったく違うことを口走る輝弥。
輝弥は人差し指をたてた。
「この企画の応援者、もとい観客には寄付金を先に渡されてるんだ。それが全額、二位と一位の賞金となる。
参加にお金は払わなくていい、気軽に参加できるいい企画だと思わない?」
「――ビーチバレーの裏に賭けが絡んでるってことか」
ひとつひとつ輝弥の言葉をほぐし、思わずため息を吐いた。
だが、美姫は目を輝かせる。
「楽しそうっ♪」
「さっすが祐夜のお姉さん。物分りやよくて嬉しいねぇ。
美少女だし、ビーチバレー大会に参加してくれたら花になるなぁ」
「勧誘してんじゃねぇよ」
輝弥の額を指で突き、睨みつけた。
爽やかで、無垢な笑みを浮かべて受け流す輝弥は、すでに事は終えたというようにもどっていく。
はぁっとため息を吐き、集中を霧散させると――
「……ムフフフフ♪」
何かを閃いたというような小悪魔めいた笑みを浮かべて声を漏らす美姫に、その様子に戸惑っておろおろとしている優衣がいた。
――いろいろと、画竜点睛はいつなんだろうかとおもう。
ため息が癖になりそうだった。
白い砂浜。沖縄特有のこの色からは、サンゴが山ほど見つかるらしい。
金色の太陽――とはいえないどんよりとした天気だが、紫外線を浴びていることをひしひしと感じた。
これで晴天だったら……次の日には別人ともいえるくらい真っ黒だったかもしれない。
思わず、頬が強張る。自分の頬を叩き、思考を振り払った。
「弟く〜ん♪」
カッターシャツを着たままの美姫と優衣が陽気に波とじゃれあっている。
俺はそれに微笑みかけ、手を振った。
そのとき、美姫と優衣がカッターシャツのボタンに手をかける。
一個二個三個……思い切り脱ぎ捨てられた。
『ぬおぉぉぉぉぉぉぉ!!』
今の叫びは俺ではない。
それでも、生唾を飲み込んでしまった。
「どう……かな? リボンの色と同じく、白にしてみました♪ でも、ここまでが限界で……」
「えと……黄色、なんですけど、しましまで、可愛くて、どうせならクマさんがプリントされてたらな〜って――あ、あわわ、私何話してるんでしょう!?」
黄色と橙の水着をはずかしそうに押さえる優衣と。白いスカートのようなものを下に纏った、片腕のハニーポーンに手を触れて背に隠し、評価を聞いてくる美姫。
両者ともに頬をわずかに赤らめ――とても綺麗だった。
「あ、ああ。とっても、綺麗。うん」
俺はしきりにうなずきつつ、もう一度眺めてみた。
美姫にしては少々抑え目な水着で、優衣にしては少々大胆な水着――抑え目と大胆という性格は、服装に関すると反対の効果になるのだろうか。
嬉しそうに顔を蕩けさせる美姫は、優衣の片手を掴んで俺へと走りよってきた。
――いや、抱きついてきたというのが正しいか。
「弟君も一緒に遊ぼ〜♪」
「ぬれるのはかったり――」
「決定事項です♪」
「拒否権はナシなのか!?」
美姫のわがままに俺の人権も切り捨てられる。というか、いくら美姫が可愛いったってそんな簡単に折れないでくれ、人権。
腕に絡められた二本の白く細い腕。
……こんなに細かったのか。
まだ水に触れていないはずなのに、雪細工のように冷たい。
そう、まるで生きていない物のように。
まるで――人形のように。
「弟君?」
「ん……いや、なんでもない」
美姫の肩に腕を回し、抱き寄せる。
霧消に髪を撫でてやりたくなり、そのとおりにした。
ひとしきり美姫を猫にすると、活をいれて両手を握り込む。
「俺が先陣切って――のわっ!?」
「へへ〜♪ とろいとろいよ〜♪」
そういって水をかけてきたのは、すでにふとももの深さまで水に浸った美姫。
意地悪な瞳にはしてやったりという勝利と満足の光が宿っていた。
――手加減、なし。
俺は即座に適量の水を掻きあげ、美姫へと撒いた。
その白い肌に、多量の水滴がかかる。
「きゃっ!? つめた〜い……」
「そりゃ水だからな。海水だからな。飲むんじゃないぞ、乙女の涙なんだから」
「そ、そうなんですか……?」
「嘘だ、優衣。妹としてその純粋さは少し心配になってくる。とりゃっ!」
「はぅっ!」
傍に寄っていた優衣へと、ひんやりと濡れた片手をつける。
優衣はピンと背を伸ばし、小刻みに震えた。
口を尖らせた優衣に酷い笑みを向けてやる。
意地悪な光を宿した美姫が、俺へと向き直る。
「極悪非道な弟君にはお仕置きしないとね〜……フフフフフ♪」
美姫の身体が左右にぶれて……
顔面に土砂のような水をぶっ掛けられた。
――うお、目に染みる!?
「直撃〜♪」
「……やったな〜」
手の甲でごしごしと目元を拭い、キャハキャハと騒ぐ美姫に対峙する。
動いたのは美姫だった。
「百発百中!」
そんな掛け声がするが、美姫の姿は空気となったかのように直視できない。
視界内にはいる。だが、視線に捉えられないがために、いないかのような錯覚を得ている――そういうことだ。
俺は両腕を水へつけ、大きくかきあげる。
小さな波が前方へ襲い、美姫の足が止まった。
そこへ一気に距離を縮め、再度両腕で波を起こす。
波にそのまま飲み込まれた美姫は、髪からポタポタと滴を落とした。
「うう、ひどい〜」
「勝負には油断も隙もあったもんじゃないな。気をつけろよ、うん」
「むむぅ……いいもん、最終兵器優衣ちゃん発進〜突撃〜」
「ええっ!?」
優衣が俺と美姫を見比べておろおろとし始める。
俺は優衣の頭へ手を置き、不安そうな瞳を覗き込んだ。
「……砂で遊ぶか? それとも、サンゴでも探すか?」
「子ども扱いっ!?」
「え、えと………………喜んで」
「了承しちゃうの!?」
ツッコミ役へ回った美姫を捨て置き、優衣へと腕を回した。
美姫に聞こえるよう、あえて大きめの声で言う。
「さぁて、優衣と【二人で】穏やか〜にサンゴでも探して、海を満喫するかな〜?」
「む、むむ、むむむむ……」
こっそり視線を逸らす俺の目と鼻の先で、頬を膨らませる美姫。
優衣が美姫の片手を握り、俺の片手も握った。
「みんなでいっしょに探しましょ♪」
そうにっこり微笑む優衣。
美姫はおおげさに抱きついた。
「優衣ちゃんは優しいな〜美姫ちゃん感激でよよよよよ〜だよ〜」
「擬音語使うなって……」
美姫の髪をぽんぽんと叩いてやる。
小さく舌を出す美姫の瞳には、嬉々とした光が宿っていた。
――昔のこいつも、やんちゃだったなぁ。
俺を守れるほどに子供時代から体術のセンスと直感があり、今でもそれは健在だろうと思う。
とにかく強かった。【戦乙女】美夏を越せるほどなので、【戦女神】だろうか。
今の俺でも、美姫とは互角だろうと思う。初盤だけだが。
美姫が速さに乗ると、とにかく速攻で負ける。
生徒会に入ったが、多分生徒会長や副会長と肩を並べられるほどになっているだろう。直感もすごい。
瞬間計算で割り出し、ちょっとの無茶も水に流せる。本当の完璧。
――優衣も昔はヤンチャだったんだよなぁ。
今でこそ面影はないが、美姫が去るまでは本当にヤンチャだった。
俺を罵ったりは常日頃、いじめることはいじめられることはない兄嫌いな女の子だったのだ。
そう思うと、ブラコンになり始めたのはあの時か。
――美姫が去った後、知ったのだ。
遅いと思った。そのときまで、ずっと美姫のことしか見ていなかったことが痛感できる。哀れだった。
知ったのも偶然で、俺は何一つ自分から気づけなかった。
いつだったか、学校帰りのある日。
数人の男子が一人の女の子を取り囲んでいた。
バカらしいと思っても、しゃがみこんでいる女の子に走り出そうとするのにためりはなかった。
そして――女の子が誰なのか知った。
はじめてみた、己の妹が泣く姿だった。
真っ暗になった、真っ白になった。
気づいたら、俺は何事かをあいつに呟いていて、あいつのことを守ろうって誓った。
――あのときからか。優衣が敬語で話し始めたり、料理をはじめたり、俺の世話を積極的にするようになったのは。
断る理由もなかったし、第一守るにも優衣の傍にいる必要があった。だから、ここまでのブラコンに膨れ上がったということだろう。
――たまにしか帰ってこない母親や父親よりも話す回数は断然多いからな。
優衣がか弱いことを定義していたが、実際のところはどうなのだろうか。
強いか弱いか――守るようになってからはおとなしく横をついてくるようになった。
いまさらだが、俺も実は相当のシスコンだったのかもしれない。
シスコンとブラコンの兄妹――これこそ本当のS極とN極。
「どうかしましたか、祐夜君? どこか怪我でもしちゃいましたか!?」
小首を傾げる優衣は心配そうにペタペタと俺の身体へ触れてくる。
軽く微笑みかけた。
「いや、そうわけじゃない。それよりも、サンゴ探すんだろ?」
「えっと……祐夜君が嫌じゃなかったらそうしたいです」
「わかった」
優衣の髪へ手を載せる。
目を瞬きさせる優衣に、口を動かした。
「但し、敬語禁止だ。違反一回につきしっぺ一回」
「――えええええ!? 無理ですっ! 祐夜君にタメ口なんて、とてもとても……」
「俺って鬼畜にでも思われてるのか……とにかく一しっぺな」
「あぅっ!」
少し力を込めたしっぺが優衣の額に当たる。
小さく悲鳴をあげて額を両手で擦る優衣の顔は、なぜかまばゆいばかりの笑みで。
――実は苛められて悦ぶとか、そっち系?
我が妹ながら新たな一面を知ってしまった気がする。悶絶どころじゃない、欝だ。
「いっぱい良い思いでつくろうね♪ ……ゆ、祐夜」
「兄さんとかお兄ちゃんっていうのでも――もういいや」
俺の名前を呟きながら心此処にあらずの優衣。
――熱いな。
雲の切れ目からのぞく太陽の光が、さんさんと降り注ぐ。
俺は目元を手で隠しつつ、照度密度が高いそれを見上げたのだった。
『漣高鳴る中、此処に集った戦士は海の王を目指しし者……
恐れるな。我々は各々(おのおの)の意思と意志を持って突き進む覇者なり。
さあ、獰猛に唸れよ。勝利に貪欲となれ。弱者になりたいか。勝者になりたいか。己の意思を高め、他の意思を砕き――各々の目指すものを勝ち取れぇぇぇぇぇ!』
「解説を致しますは、非公式新聞部副部長である伊里嶋輝弥です」
「同じく非公式新聞部部長、御劉です」
いつのまにか建てられた解説席には、なぜかマイクまである。
もっとも感度は低いようで、それでもちゃんと響いてきた。
「まず、この試合の設定からお話しましょう。
何十ものエントリーにより、クラス別ランダムで作られたチームが十数個存在します。
同じくランダムで刻まれたVS表に基づいて、第一試合第二試合とやっていきます。その勝者が生き残り、次のゲームへ進めるというわけです」
「このランダムは、何も知らないトイレ掃除のおばさんに手伝っていただきました」
……御劉の発言については無視しよう。
「私たちも参加するため、公平なジャッジをするのは風見学園学園長にきてもらいました」
「またの名を校長。二つ名は『はげビィ〜ム』です」
……大爆笑が起こるが、御劉の隣にいる校長はわなわなと震えている。
「それでは、私たちの偏見と第一印象による推測を話しましょうか。
ともかく、今回の目玉はなんといっても【戦乙女】飛び入り参加の【プロヴィデンス】でしょう。チーム単位での飛び入り参加【プロヴィデンス】はぎりぎり六人ということですが、誰がいるんでしょうね?」
「女子生徒がメインのようです。一人だけ男子生徒もいるようで、そいつが主力といっても過言ではないでしょうね。どういう戦略をみせるか、期待が高まります」
「ほう――ほかには【風見学園執行部隊強硬派】とやらがありますが、これは?」
「風見学園生徒会長、ならびに副会長すらも参加するチームで、最強といってもいいでしょう。推測ですが、風紀委員でも有数の人材が搭載されていると見ています」
「ふむ――このふたつが主体としまして、ダークホーンの存在は?」
「それはもちろん……【黒世界の覇者】でしょうな。私たち非公式部員をも搭載した究極。決勝で苦戦するか否かというところでしょう」
「ビーチバレーでありながらも血の流れそうな状況ですねぇ♪」
……そういいつつ、ちゃっかり嬉しそうな輝弥はいかがなものか。
「長々と解説していては時間も足りなくなりますので、そろそろ第一試合をはじめましょうか。それでは――入場を!」
輝弥が掲げた手。
そのひとつで、白い砂浜は戦場と化した。
『ことごとく打ち破られるスパイクの数々! 次の一撃は――』
俺のいるところに向かってボールが放たれる。
正式には、俺が予測して落下地点に移動していたのだが。
一面からの圧力を受け、変形したボールが一直線に向かってくるが、威力は弱い。
軽く打ち上げ、ネット側へと移動させた。
それだけで十分だ。
すでに跳びあがっている戦女神が、宙で舞いを披露する。
「白雪……斬光剣」
片手が弾かれた。
その尾が青白い光を纏い、まるで刀身による斬撃に見える。
運動の向きを一瞬で逆にされたボールは、轟音をたてて相手陣地へと叩き戻された。
呆然とする相手六人。向こう側の線を接線としてボールの痣が残るほどの威力にあんぐりと口を開けている。
『ぎりぎりまで練武された殺戮のツーモーション! 割り込みの瞬すらないクイックアタックだぁぁぁぁ!』
片手を掲げ、歓声に答える美姫。
俺はこちらのメンバーを見渡した。
俺を後衛に、美姫が前衛。美姫の左には優衣が構え、その隣には呆然としている真紀恵が。
俺の隣にはおろおろとする瑞樹、その向こうには腕を組んで苦笑する美夏がいた。
一人は戦力外として、戦っているのは俺と美姫。美夏は温存で、優衣は切り札だ。
美姫のカバーにはいることになっているが……当分先だろう。
まだ準決勝すら遠い。
真紀恵は俺と同じくセッターになっている。
その隣では別の試合が行われていた。
『美乃宮さんと二ノ宮さんの完璧なる要塞壁! 的確にして精確な砲撃は確実な勝利を紡いでいる!』
疲れもみせずに、春花と二ノ宮さんは手を打ち合っている。
――さすが、生徒会の双壁。
笑みが漏れた。
「よそ見してるんじゃない、ぞ!!」
俺に迫ったボールを、美夏が打ち上げる。
反応できなかった瑞樹の表情が見えた。
それに跳びあがったのは、美姫ではなく――優衣。
『切り札と謳われる三井祐夜の妹! 一体どんな実力を――おぉぉぉぉぉ!!』
瞬間だった。
ほとんど真下への打撃は、ボールを若干ななめの真下へ解き放つ。
ぎりぎり、ネットの端に擦ったボールが地面へと打ちつけられた。
更なるバウンドもなしに、そこで静止する。
――二人とも、普通の女子より細いんだがな。細くて長いんだがなぁ。なんていう一撃なんだろう。これは。
普通に、一般男子を越していた。
前衛が反応すべきボールではあるが、ブロックにいくくらいの気持ちじゃないと受けるのは不可能。
それに、もし受けれたとしてもコントロールがなかったらネットにボールが当たる。
前衛ぎりぎり、後衛ぎりぎり。この二つの戦術がこのチームの主力であり――弱い部類のコンビネーション。
俺が動くのは決勝だろう。
美夏と目が合い、お互いに頷きあった。
美夏が、何度目かになるサーブを放つ。
それは曲線を描き、後衛ぎりぎりに落ちる。
三回に一度しか受けれない後衛の生徒は、またしてもあらぬ方向へとボールを弾いてしまう。
素晴らしいほど優雅で繊細な動き。歓声があがった。
『戦乙女の剣閃が一瞬したぁぁぁぁぁ!』
――よく考えたら、今何点なんだろうな。
すでに圧勝な状況を確認し、腰をかがめた。
「さすが我が同士。そして、我らが宿敵」
「でも……僕たちの敵じゃないよね」
準決勝。
日差しが一番強くなる時間帯のはずが、白き砂浜という戦場は冷たく凍えきっていた。
【黒世界】――そう、まるで感染するかのように、日差しをも覆す暗が押し込める。
地に伏せるは、覇者に立ち向かいし愚者。
愚者は風見学園を守るべき正義の執行部。その瞳には絶望が宿っていた。
約二名を除いてだが、雰囲気を壊すので以下略。
嘲笑うは、六人という少人数精鋭部隊――覇者。
そのうちの二人が、ひときわ黒く君臨している。
その隣で試合を続ける俺にも感じられる。ひしひしとしめつけられる緊張感。
――ビーチバレーだよな?
俺はゆっくりとしたボールを打ち上げる。
Bクイック――美姫が跳んだ。
「白雪、斬光剣!」
青白い弧が宙に刻まれ、豪速の回転と速度を得たボールは変形しながらも相手陣地へと運ばれる。
地面に残るのは、人一人は入れそうな縦に長い凹み。
――ビーチバレーだよな?
『白雪の戦女神、覇者にも恐れをなさずその明光を発輝したぁぁぁ!』
発揮だと思うが、この場合はあっているのだろうか。
前々から声高らかに叫ぶナレーターは、怒涛の興奮をみせる。
『さあ、ついに最終決戦が開幕するぞ! 勝つのは神を従えし者か、はたまた神を打ち滅ぼしし者かぁぁぁ!?』
――ビーチバレー、だよな?
だんだんと実感がなくなってきた。
余計なことを考えても疲れるだけなので、思考を振り払う。
ゆっくり目を閉じ、一本の刀を想像すると、目を開ける。
――ママゴトは終わりだ。
覇者どもに、ゆっくりと対峙した。
『さあ、ついにはじまりました。決勝です。
幾多もの戦場を駆け抜けた、己の欲望に付き従いし悪魔! ……かと思いきや、なななんと、戦女神を先頭にした【プロヴィデンス】はまさに美の秩序においてトップにたつ者たちです。
対して【黒世界の覇者】。対峙するものをひるませるその眼光に、一体何の過去と宿命を持ち合わせているのか。
彼らにとって、ここは真に戦場なのでしょう!
前言はこれくらいにいたしまして――存分に斬り合えぇぇぇぇぇぇ!!』
大喝采。
戦局の第一波となる美夏のサーブが今放たれた。
今までに無く強烈なサーブ。戻るかと思われる曲線を描いて、後衛ぎりぎりではなく中衛に落ちようとしていた。
だが、阻止する者、御劉はすでに腕を振り上げている。
「――劫火豪閃」
全力であるはずの、美夏の剣閃。
それはまったく同じ軌跡を描いて我らが陣営へと弾き戻された。
対応したのは――優衣。
飛び上がっているボールの上辺を叩き、地面へとすべり落とす。
ネットに沿うようにして落ちていく――そう思われた予測は、根本から覆された。
「――瞬閃」
優衣よりも若干高く舞い上がっているのは、輝弥。
助力も溜めもなく、その腕がバットとなってボールを薙いだ。
横へと弾かれたボールは斜めに美夏へともどる。
俺はその前へととび出し、打ち上げた。
Aクイック――俺を跳び越すように美姫は空へと舞う。
「――白雪、十字斬光剣!!」
両腕による、青白い十字の軌跡。
精確さが増し、若干の別回転をも計算されて放たれる。
それは小刻みに揺れながら、敵陣地の途中でふと回転を止める。
それは真下へと唐突に落ち始めた。
「我らに小細工など通用せぬ!」
男子の一人がスライディングすると、片手でボールが打ち上げられた。
自らを犠牲にした試合続行――御劉が一撃を放つ。
「劫火豪閃!!」
ボールを叩き割るかのような斬撃。
空間を伝って感じるほどの覇気が、俺の髪をわずかに動かした。
優衣と同様、真下へと落ち始めるボール。
美姫がそれを打ち上げた。
片目を閉じ、痛みに耐えている。
俺は間髪入れずに跳びあがった。
腕の角度を若干修正し、ボールの位置を確認する。
『剛閃と剛閃の交差! その終止符を打つのは――』
腕に全神経を集中し、鉄を想像し、振り下ろした。
轟音がボールとの衝突時に炸裂し、四方に向かって輪が伸びる。
単調な回転でまっすぐ後衛ぎりぎりへ向かうボールは、そのままの勢いで押し切った。
地面へ埋まるボールは、尚も回転している。
『決まったぁぁぁぁぁ!! リーダーたるはじめての行動は、神の威厳を芽吹かせた!
というか、ビーチバレーでボールは回転するものなんでしょうか!? すでに次元が違います!』
「……まだまだ、終わりはしない」
御劉が呟いた。
黒く輝く眼光を、まっすぐと見返す。
校長が片手をあげ、宣言した。
「……時間もないから、終わりな♪」
「楽しかったね〜♪」
「終わりがあっけなかったけどな……」
「一日は短いから♪ でもいっぱい遊べたね〜♪」
水族館。
青い光に包まれた道の先を歩く美姫が、俺に振り返ってニッコリと笑った。
俺の隣では、右や左を興味津々という顔できょろきょろしている優衣が。
「旨そうな魚はいたか?」
「そ、そんなこと言っちゃ駄目で――だ、駄目だよ!」
思わず敬語で言おうとした優衣に片手を向けると、優衣は即訂正した。
片手を下ろすと、慌てた表情が一瞬にして安心に解される。
はにかむ優衣の後ろを、魚の群が過ぎていった。
呆然とする俺の片腕に美姫が絡まってきた。
「ドキドキする?」
「わかんねぇ……いつもくっついてるからなぁ」
「うふふ、そうだねぇ♪ じゃあ、優衣ちゃんといっしょに、両手に花でいこっか?」
その言葉を実現するように、優衣がもう片腕に抱きついてきた。
すでに腕を絡めるのにも慣れたらしい優衣は、自然に俺の歩みに合わせてくる。
「俺だけが良い思いしてないか?」
「そんなことないって♪ ね?」
「私たちも……その……楽しいから」
火照った表情ではにかむ優衣。
少しおどおどした歩き方は、疲れたからだろうか。
「大丈夫か? 少し休むか?」
「あ、いいえ――大丈夫」
嬉しそうにはにかみ、俺の腕へ顔を埋めた優衣。
美姫が目を細める。
「弟君は、やっぱり弟君だな〜♪」
「どういう意味だよ、それ……」
「褒めてるんだよ♪ 良い子に育ってくれて嬉しいな〜って」
「目指したやつが善いからな」
「ふ〜ん……誰?」
「内緒」
二人を抱き寄せ、歩を早めた。
美姫は非難しながらも嬉しそうに微笑んだ。
優衣が俺の腕を強く抱きしめる。
「どうした、優衣?」
真剣な表情をした優衣を覗き込む。
優衣はキョトンとすると、とても穏やかな笑みを浮かべた。
「なんでもない。ずっと――三人でいようね。三人でいたいから。私と、美姫ちゃんと――お兄ちゃん」
「……懐かしい呼び方をありがとう」
「今日だけだよ」
「お兄ちゃん、なんて呼んだのはじめて聞いたな〜」
クスクスと笑う優衣を、美姫が目を丸くして首を傾げる。
そのとき、俺の腕についたデジタル腕時計が鳴った。
「……っと、あと数分だな」
「海で時間かかったからかなぁ、まだ最後まで見てないよ?」
「――この先に、一番広いところがあるみたい。そこをゆっくり見ることにする? お兄ちゃん?」
「それでいいだろ。移動していくのもかったるいからな」
俺の言葉に顔を見合わせた二人のお姫様。
その腰へ手を回し、ゆっくりと歩き出した。
壁を巨大な水槽の一面としている、二階建てほどの高さを持った広間。
青白い光が水槽から伸び、幻想的な美しさがある。
「それじゃ、第一回弟君を萌え尽きる!」
俺から離れ、水槽に背を向けた美姫が、人差し指をあげて宣言する。
立ち止まった俺と優衣。優衣は俺と美姫の間くらいで俺へ身を翻した。
「なんだ?」
「私が帰ってきて大分経ったんだけど、言ってないことがあって……弟君は優しいから忘れがちなんだけど、いっぱい迷惑かけちゃったわけだし、そーゆーのを感謝しようかなぁ……ってことで♪」
「気にしなくていいと思うけどな」
「わ、私からも、その――お兄ちゃんに言うことがあるから」
胸に手を置いた優衣が必死にそう言ってくる。
美姫よりも真剣で、それなりに大きなことなのだろう。
「それじゃ私から♪」
優衣の肩に両手を置き、くるっと回る美姫。
美姫と優衣の位置が反転し、俺の視界に美姫の全身が収められた。
「……大きくなったね」
「今更だな」
俺は美姫に微笑んだ。
美姫は頬を膨らませて怒りを訴えてくるが、すぐに切ない笑みに変わる。
「弟君。小さい頃は私に抱きついたり、私がしなくてもいっぱい触れてきてくれたのに。男の子なんだな〜って実感しちゃう。もう、お姉ちゃんに甘えてきたり、しないもんね。多分私のほうが守られたりする側で――」
俺の首に回された両腕。
その冷たさや柔らかさを鋭く感じ、心臓が高鳴りそうになる。
肌とは正反対に潤んだ、熱っぽい瞳。
思わず身を引いてしまう。
首に回された腕のせいで俺は後ろに下がれず、その影響で前へとでた美姫が、更に近づく。
目と鼻の先に、美姫の整った容姿があった。
「……もう、守ることはできないけど。それでも、傍にいてくれる?」
寂しげな表情。
それを見た途端、弾けた。
落ち着いた動悸、靄一つかからない思考回路。
小刻みな揺れもなく、美姫の瞳を覗き込む。
「美姫姉は、俺のお姉さんだろう? そんな弱気でどうすんだよ」
俺の微笑みに目を丸くする美姫。
頭をつかみ、クシャクシャと髪を混ぜた。
「いつもどおりいてくれたらいい。いつもの美姫姉なら、そーゆーことは言わない
。だろ?
どんなときでも俺のことわかってくれるし、俺の手助けしてくれる。
守るとか守らないとかはともかく、傍にいてくれると心強い。
お姉ちゃんは弟を引っ張るんだからな。挫けちゃ駄目だろ?」
若干頬を赤く染めた美姫。
美姫が、こんな弱くなるのははじめてな気がする。
今までずっとお姉ちゃんとして俺を支えてくれた、ここにもどってきてからもそれだけは変わらなかった。それでも――時が流れて変わるものもある。
美姫は、自分はお姉ちゃんとして俺を甘やかし続けていいのかと聞いた。
俺は、それでいいと答えた。
美姫はにっこりと微笑む。
「やっぱり、弟君は弟君だなぁ……私が私らしくいられる♪」
「結構結構。これからもよろしく頼むよ」
「了解しました♪」
可愛らしく敬礼した美姫。
満面の笑み――心からだと信じ、微笑みを返した。
「私からは以上♪ 優衣ちゃんの話もしっかり聞いてあげてね♪」
「……なんか悪いことしたかな。もしかして小遣い値下げとか、そーゆーことか?」
「――弟君。そういう冗談は言っちゃ駄目」
「了解しました」
ビシッと敬礼を決め、お互いに笑い声をあげる。
美姫が俺の横を通るとき、美姫が口を動かした。
その意味を覚りつつも、何も言わない。
美姫がとおりすぎ、俺の前には優衣が残った。
おろおろとしつつも、真剣でまっすぐな瞳が俺を見据える。
――ありがとう、か。
美姫の伝えてきた言葉。何に対してかはわからない。
なんとなく引っかかる言葉だった。
駆け上がる。
数段となった階段は一歩で飛び上がり、視界に広がる自然に目をくらませることなく息を整えた。
歩きつつの回復だが、それでも整えることができた。
「……遅い」
「祐夜くんの調子はどうだった? 私も行きたかったな〜♪」
「生徒会長がそういうこといわないの!」
私を待つのは、ショートヘアで健康的な副会長と、ロングヘアで大きな……その……えっと……む、胸を持つ生徒会長。
ぽけぽけした感じからは想像できないキレは、私と同等――弟君がいないと力を発揮できない私とは違うから、私以上のセンスをもっている。
副会長さんも強い。熱血系なのに冷静さがあって。規約に厳しい。
前まではメガネをかけていたらしいけど、メガネはないほうが可愛いと思う。
ぼ〜っとみつめていた私に、副会長さんの瞳がギロリと向いた。
「……報告は?」
「は、はい! ――ええと、弟君……じゃなくて、三井祐夜は今現在『黒会』同一の『黒世界の覇者』と関わりはもっていないようです。ずっといっしょにいましたけど、だれにも話しかけられなかったですし」
「どれくらいの密着度かは、美姫ちゃんの性格から考えると問題なさそうだし。そうなると、弟くんは白か……」
「きゃっ♪ 白だなんて大胆〜、えっちなこと考えてるでしょ?」
「バ……どっちがえっちぃのよ!?」
どやどやと口論をはじめる二人。
副会長さんにとって、生徒会長さんは天敵のようだ。
「まあまあお二人とも。そう口論していると約3分20秒135でここを通過する我らが『ハーレム君』に失礼じゃないか。そこをどけ」
そういったのは、なぜか私の肩に手を置く――御劉くん!?
副会長さんが動くのをみて、慌ててしゃがみこんだ。
その真上を脚が駆け抜けていく――怖い。
副会長さんの脚撃を難なく避けた御劉くんに、生徒会長さんが駆ける。
「おっと、ここは通さないよ? 一対一がフェアだからね」
生徒会長さんの前に立ちふさがるのは、伊里嶋くん。
お互いに硬直しあっていると、その上を通って副会長さんが御劉くんに拳を放った。
それを軽くかわし、副会長さんが着地する。
間髪入れずに放たれる連撃も笑みを浮かべて避け続ける御劉くん……なんか、次元が違う気がする。
そのとき、私に向かって伊里嶋くんが駆けた。
途端に、私に触れるか触れないかのところで伊里嶋くんに囁かれる。
「祐夜は鈍感だから――自分を誇示しないと、始まらないよ?」
一瞬、伊里嶋くんが通り過ぎ、その横を生徒会長さんが駆け抜けていく。
御劉くんも何かを見届けたことに満足したのか、副会長さんを扇動して私の前から去っていった。
――独りだった。静寂に包まれていた。
静寂って考える人は、きっと寂しいんだろうと思う。心細いのだろうと思う。
胸を締め付ける切なさ――雰囲気だけじゃなかった。
弟君のことを想う気持ちの本質を見破られた。自分自身でも、知らない振りでいようと思っていたのに。
私は出遅れている。
自分の気持ちに正直にならず、お姉ちゃんとして恋人以上の接触をして、弟君の心が離れていくんじゃないかと恋人みたいに心配して。
――私が為りたいもの、それはなんですか?
お姉ちゃんというカードに隠された、もう一枚のカード。嘘は突き通さねばならない。
見つかったら、私の元へこの気持ちが戻ってくる。
共に、その気持ちの尾を引く感情もまた、戻ってくる。
嫌だった。震えてしまうほどに嫌だった。
「弟君……」
――私はあなたの何に為りたいんですか?
自らの肩を抱き寄せて、ただ一直線に迷いへと沈んでしまう。
瞳を見開いて、錯乱した思考をかき集めようとした。
肩で息をし、精神は崩壊の兆しをみせる。
それでも――私は立ち上がり、一歩一歩進み始めた。
「優衣……」
俺の前で深呼吸する優衣は、真剣な瞳で俺を見つめる。
なんと言ったらいいのかわからずにいると、優衣が口を開いた。
「あのときのこと……おぼえてる? お兄ちゃん」
「――その呼び方、しゃべり方で、毛嫌いされてたときのことなら、ありありとおぼえてるぞ」
「………………意地悪」
普段からは想像もできない悪態。
素だった。久しぶりにみたが、消えていなかった。ビーチバレーでの活動が悪かったのだろうか。
優衣は落ち着いた様子で、俺の胸に手を当てる。
「……お兄ちゃんは、ずっと約束守ってくれた。
それからの私は良かったかもしれない。でも、それまでの私は、嫌われて仕方ないことばかり――してたのに。お兄ちゃんは約束守ってくれた。それまで以上に、笑ってくれた。
暖かかったよ、とっても。今の私があるのも、全部お兄ちゃんのおかげ。お兄ちゃんの暖かさをしってるから、冷たいままじゃいられなくなって、それからが今の私。
お兄ちゃんに敬意と好意を寄せて、少しでもあなたに近づこうとする私」
「――そんな言い方するなよ」
「本当のことなんだよ?」
泣きそうだった。
自分の行為に自分で罪悪感をもって泣き崩れようとしている。
わけがわからない――俺は眉をひそめた。
「それでも、お前の作った料理に込められた愛情は嘘じゃないだろ?」
「え――う、うん」
ここで違うといわれたらこっちが泣き崩れそうだった。
俺は微笑みかける。
「行動の基本は純粋じゃなかったかもしれない。でも、俺に接していたお前は純粋で、とっても暖かかった。
あれが優しさとかじゃなかったら、何ていうのかわかんねぇよ」
「……そう、かな? でも――」
「深く考えすぎる。お前の欠点で、美姫の欠点でもある。あんまり深く考えてるんじゃない。
俺が善いっていったんだから何も悪くない。よし、さっさと出るぞ」
俺は優衣の手をつかみ、周りを見回した。
――美姫はいないのか。
もう出て行ったのかもしれない。時間もぎりぎり。
二分前となるアラームが響く。
「優衣、走るぞ!」
「え――は、はい!」
……敬語だということを叱ってる暇は無い。
俺は駆け出した。
「ギリギリセーフだね、二人とも♪」
「……」
「ど〜したの、弟君? まさか、優衣ちゃんと変なことしてたの!?」
「……」
「――なんか言ってくれないと、お姉ちゃん泣いちゃうよ〜?」
「……」
「よよよよよ〜」
「……」
「………………ごめん。お姉ちゃんが悪かった。酸欠の弟君に冗談言わせようとしたのが悪かった」
俺を膝に乗せ、両手を合わせる美姫。
優衣は俺の顔をウェットティッシュで拭いている。その顔には汗が伝っているが、気にしていない様子だ。
俺はぎりぎりの体力を振り絞り、ハンカチで優衣の頬を擦った。
「じっとしてろ……」
「え、ええと、その――はいです」
しゅんと強張った優衣を無言で拭き、力尽きて脱力した。
全力疾走。途中からは優衣を背負った。さらにこの暑さ――熱射病と酸欠のダブル。
さすがに立ち上がれなかった。バスは着々とバスへと戻りつつある。
海から水族館、そして旅館に帰宅――これだけだというのに、昨日よりしんどい気がする。
「弟君……かわいい♪」
「ちょ――」
俺を抱きしめた美姫。
精神的窒息感を味わいながら、甘い香りに嗅覚を痺れさせられる。
――美姫って、胸はないんだが、スタイルもいいし、魅力的になるんだよなぁ。
少しオヤジ臭いことを考えてしまう。
そんなことを知るよしもない美姫の瞳が丸くなった。
どうした――言う前にそれは起こった。
俺の上半身に全体重を乗せて、顔を覗き込んできた優衣。
「……祐夜さん、でいいですよね♪ やっぱりこっちのほうがしっくりきますので♪」
――動けないのをいいことに、いろいろと勝手されているようだ。
仕方なくコクリとうなずくと、満面の笑みを輝かせた。
それは本当に純粋で、タンポポと陽の光が浮かぶ。
思わず見惚れ、クスリと微笑んだ。
「優衣ちゃん! 弟君は半分ずつなんだからね♪」
「俺はすでに家畜扱いなのかっ!?」
「ええと、それじゃどっちが上で、どっちが下なんですか?」
「無視か!? それにちょっとばかしエロい!?」
「下だなんて――渡さないからね! 変なことさせないんだからねっ!?」
「美姫ちゃんには上半分あげるから、ね?」
「う、上半分も捨てがたい――この際左と右ってことで!」
「それだと、その……ええと……ゆ、祐夜さんの、だだだ、大事なところは!?」
「それはもちろん――私はお姉ちゃんなんだから、そういうのはたててもらわないと」
「――お姉ちゃんなんですから、妹に譲る〜とかいう考えには至りませんか?」
「それとこれとは……ねぇ?」
「うふふ……」
「ふふふ……」
「怖いって、二人とも!?」
妖しい笑みで顔を見合わせるお姫様たち。
黒く痛い雰囲気が流れ始めたところで口を挟んだ。
二人の視線が俺へと向く。
「弟君はどっちがいい? お姉ちゃんがいいよね?」
「え――」
「私も、いっぱいおいしいお料理作ります! 祐夜さんはどっちがいいですか……?」
「……そういうこと言ってると、口聞かないぞ?」
……ドンガラガッシャ〜ン……
今の音は雷、らしい。
悲壮に染まった二人は顔を伏せ、プルプルと震え出した。
心配して起き上がろうとした俺に、花が咲くようにしてふたつの笑みが俺に突き出される。
「ごめんねぇ、もうケンカなんかしないから、ゆるして♪」
「仲良く祐夜さんを味わうことにしますから。交代制にしてもいいですね♪」
「それいい♪ ――弟君の顔を抱きしめるのとぉ、弟君のぉ……うふふふふ♪」
「妄想するな、美姫!?」
「まあまあ、痛くはしないから……」
妙に結束した美姫と優衣が、愛玩動物か何かのように俺に擦り寄ってくる。
肌と肌の摩擦、人肌の温かみ――甘美な刺激、ある意味地獄だと思った。
いや、天国か?
「うふふ〜、弟君にぃ抱きつけるって幸せ〜♪」
「あぅ……癒されます……」
美姫は俺の頬に頬擦りし、優衣は圧し掛かるようにして眠りこけようとしている。
周りの生徒は――知っていて無視している。多分、すでに孤立している。
単調なバスのエンジン音が、俺を慰めているかのように思えた。
私はあなたの妹。
そう実感して、あなたを超えられない壁だと知って、私は≪兄≫を嫌いになりました。
それまでは何時もいっしょにいて、それでも目を合わせたことすらなかった気がします。
しっかりとしゃべったことすらないあなた。お母さんがあるとき、隣の娘がお引越しして寂しがってるのよと言ったときから、あなたと会うことが多くなりましたね。
小学校、帰宅中、出かけるとき、トイレ前――
どぎまぎしてしまう私を、無関心な目で見つめていたあなた。とても嫌いでした。
その嫌悪は少しずつ貯まって、意識する存在へとあなたを変えてしまいました。
それでも何も起こらなくて、あるとき嫌悪のダムは崩壊しました。
それは、数年前の出来事――
いじめられた。
私が何をしたのか――いじめの理由が私にあるかのような考え方だ。
私が良い的だったのだろうか――私自身を変えるなんて、できない。
それでも、自分という存在がいる日常は崩壊した。
嫌っていた兄に助けられ、なぜか反発したくなってこっそり兄から離れた。
もうもどる気にもなれない――独りでいたかった。
「……こんなところにいたのか」
私を見下ろし、苦笑いを浮かべるのは兄。
私は兄に助けてもらった、理由も無く、ずっと恨んでいた兄に。
「いきなりどっかに消えたから、心配したじゃないか。
途中で手離したかと――って、怪我してる!? 大丈夫か!?」
自分ですら気づかない、膝にできたすり傷。
近寄ろうとした兄に、思わず両手を突き出した。
「……近づかないで」
怒りに震えた私の声。
まとまらない想いが、手当たりしだいに噴出した。
「いっつも! いっつも私のことをみてなかったくせに!!
学校で会ったときも……まるでただのクラスメイト。それ以下の態度しかみせてくれない。
あんたなんか――兄だなんて、思ってないんだから!!」
金切り声になったヒステリックな発言。収まらなかった。
流したくない涙が一滴、頬から零れ落ちる。
その罵声を受け止めて、目を細めた兄。
「……俺、バカだったんだな。守るために強くなろうとしてるのに」
咄嗟に私は兄を見た。
一歩歩み寄った兄は、私の頭にそっと触れる。
その微笑を。その瞳を。私は、はじめて間近で見つめた。
「優衣。約束する。
細かいことはいえないけど――俺、本とか苦手だからな。文見ただけで眠くなる。
だから、綺麗な言葉はひとつもいえないけど――これから、これからは、お前のこと守ってやる。ずっと傍にいてやる」
その言葉は、世界で一番綺麗な言葉だった。
そのとき、今までの黒いものが全部なくなるのがわかりました。
感じられるのは――優しさ。
暖かい、安心できる優しさ。
それが、兄の発する私に対しての感情だと気づくと――頬を涙が流れた。
その涙を流したくないとは、なぜか思わなかった。
全部洗い流した。
今まで兄を嫌っていた自分。その根本たる感情。
今までの時間分、残りは少ないのだから。後悔は今だけにすると、決めた。
小さく、兄のことを呟きたくなった。
そして、一度も呼んだことがないことに気がつく。
『お兄ちゃん……』
なんとなく、微笑んでしまった。
あのあとすぐに、あなたのことは『祐夜さん』と呼ぶようになってしまったけど、あなたはその理由をしっかりとは知らないと思います。
私が、心から敬語で呼びたいのは――あなただけだから。
敬う、という言葉の意味を少しは知っていたあの頃の私は、あなたのことを『祐夜さん』と呼ぶことに決めたのでしょう。
お母さんからもお父さんからも、先生からも友達からも、それはおかしいと思われていたに違いありません。
それでも、私はこういうでしょう。
――大切な、お兄ちゃんだから。
私は胸を張って言うことができます。
三井祐夜。あなたが兄であることは、私の誇りです。
奈々織には敬語しか似合わないと気がついた。タメは自殺行為か……?
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