本文ではわかりにくいので一言
修学旅行先は沖縄です
♯09[ 願 ]………………1
僕は変化を求めていた。
規則的に広がる波紋を、混沌の中に陥れたかった。
そう、僕が求めるもの――それは、波乱。
黒でも、白でもない。入り混じったものであって、決して理解できない決して正されることのない混沌。
戦局を見定めるただ独りの者として、自らの闇黒通りのシナリオを築きあげていく。
怒気という暴虐、冷静という知性。そのどれをも極めた人としてあってはならない存在。秩序であって摂理でない、人の本能的に求める波を結果として求める者。
狂っていて狂っていない、それでも根本的に歯車のすべてがはずれた狂者。
感情の度合い、いや、発狂という言葉すら理性の支配下においたトチ狂った存在、それが僕だった。
僕は鏡の存在を傍観していた。彼の存在意義は全く持って僕と正反対だった。
彼を交点として交わる幾重もの存在――そのすべてを混沌へとおとす。
僕は彼の反対の存在、彼の鏡の存在。彼が希望なら、僕は絶望。
――お前も絶望しろよ。
僕は静かに、場の固めへと指し方を変えた。
布石は整った。道標に沿って進む存在達は傍観者の手中で混沌へと絶望の讃歌をあげる。
僕はやっぱりトチ狂っていた。
僕は光に居坐りながらも光を閉ざそうとする愚者であり――狂乱者であった。
CROSS!〜物語は交差する〜♯09[ 願 ]
あっという間に俺たちは修学旅行先に到着していた。
すでに帰りたいと思うほどの疲労を背負っているのだが、そんな俺を迎えたのは――凄まじい湿気だった。
一気に体温が上昇し、汗腺が動き出したことを感じる。
それは誰もが同じだった。そして誰もが感じていた。
「あつい……」
「ね? ずばり春花ちゃんの直感的中♪ 私みたいに涼しい格好で着たほうが良かったんだって〜」
――俺は男だ。
春花みたいな、と言うとぎりぎりまで露出した感じなのだが、そんなのを男がするのはどうかと思う。正直きついだろう、する側も見る側も。
見る側のほうがきついかもしれない。
「……ってか、俺と居ていいのか? ここ、ほとんど一年だし。あっちのほう、三年が移動し始めてるぞ?」
俺が軽く指を向けたほうには、まるでひとつの生き物のように列を成して動き始めていた。
春花は俺の頬に自らの頬を当て、指の方向に目を細める。
「――って、美奈ちゃん!? なんで私置いてくのよ〜」
二ノ宮さんがいるかはわからないが、いるらしい列のほうへ春花が走り去ろうとする。
俺は即座に、春花の手に荷物の取っ手を持たせる。
春花はお礼なのか、にっこりとした微笑みを返し、一瞬にして列波に溶け込んだ。
――やっと嵐が去ったか。
俺はため息を吐いた。
その時、背中にか細い衝撃がくる。
それとともに、小さな悲鳴が発せられた。
俺はすぐさま身を翻す。
「うぅ……」
額を両手で押さえ、痛そうに呻くのは――
「瑞樹、か。そういや、今日会うのはじめてだな」
「あ……祐夜さん。こんにちは、です」
瑞樹はペコリとお辞儀する。
俺は片手を軽く振り、楽にしてくれと伝えた。
瑞樹の服は、普通といえた。
いや、変な服装な人はいないのだが、別段露出してないっていうか。
瑞樹が動く度にひらひらと舞う水色のスカート、白の上着はチャックを閉めてはいない。
暑い暑いと思うのは俺だけでないようで、瑞樹もわずかだが玉粒の汗を光らせていた。
「ほら、汗拭いてやる」
俺は常備しておいたミニタオルを取り出す。
瑞樹には有無もいわさずに、軽くふき取ってやる。
「え、ええと……ありがとうございます」
「いいって。そんなに畏まるなよ」
俺はミニタオルを折り目通りきっちりと畳み、元の場所へ戻した。
せっかく拭いたのだが、余計に汗まみれになっている。赤くなっているのは暑いからだろうか。
「沖縄、だな……」
俺は呟いた。
草木自体の違いから、見知らぬ土地であることを実感してしまう。
重いと感じる湿気の多い空気が、温暖さを嫌気が出るほどに教えられる。
「沖縄ですね……確か、最初に行くのは轟壕でしたっけ。雨が降ると余計に滑りやすくなるっていってましたよ」
「ん〜、入梅してすぐだからな、微妙な天気だが大丈夫だろう」
俺は空を仰ぎ見る。
どんよりとした雲が埋め尽くされていた。
これが余計に湿気を増やしているのだろう。
女子にとっては、紫外線が少なくなってよかったのかもしれないが。
「私、結構こけることが多いので心配です……」
瑞樹は言葉通り、心配げに目を泳がせた。
俺は瑞樹の髪に手を置き、くしゃくしゃと撫でてやる。
「こけるヤツなんてそうそういないって。多分、ロープとかもあるだろうし。ちゃんと掴んでろよ?」
「は、はい……」
瑞樹は拳を創り、自分に言い聞かせるように力みまくっていた。
俺はその緊張をほぐしてやるように、ゆっくりと撫で続ける。
瑞樹は次第に拳を解き、はにかみ始める。
そのとき――俺の視界が暗転した。
「とりゃっ!」
「ぐはっ!?」
吹っ飛ぶことはなかったが、膝をついて屈みこんでしまう。
後頭部に強烈な衝撃の痕が残る。
思わず、麻痺した箇所を手で押さえた。
「瑞樹ちゃん! こんな男になぁに話してるのっ! もしかして……変なこと強要されてるのっ!?」
「そ、そんなのないよ〜」
勢いに任せていろいろと差別発言をされてる気がする。
俺は視線を上げた。
さっぱりと切りそろえられたショートヘア。健康的で子供っぽい服装。
「起きたわね……瑞樹ちゃんに付き纏ってる極悪変態男!」
「ゆ、祐夜さんは変態じゃないよぉ……」
その雰囲気や声には覚えがあった。
何度か会ったような会っていないような……
「焼きソバパン娘……?」
「誰がだっ!」
俺がふいに呟いたことを聞き漏らさず、その少女はビシッと人差し指を向けてくる。
その目は、どうみても俺を敵視していた。
「いい? あんたなんかが瑞樹ちゃんに近づいていいはずがないの。わかる?」
――敵視ではない、これは軽蔑だ。
蔑む視線にイラつきをおぼえ、思わず叫びそうになる。
だが、それよりも速く瑞樹が割り込んできた。
「すみません! キミキミが変なこといっちゃって……ほら、キミキミも謝るのっ!」
「なんでよ、こいつに謝る理由なんてないわ! ミズミズも頭なんか下げないの!」
ペコペコと不安げに頭を下げる瑞樹を後ろに下げた少女は、いらだちらしい黒いオーラを強める。
――そうか、こいつは天宮希美だ。
前に聞いたとおり、その顔立ちや仕草、容姿は瑞樹とは別の意味で子供っぽい。
「……なによ、そんな汚らわしい目で見るんじゃないわよっ! この極悪非道鬼畜変態極悪男が!」
――極悪、二回言ったな。
俺は天宮の罵声を軽く流し、天宮の後ろにいる瑞樹へ視線を動かした。
「瑞樹、こいつって友達なのか?」
「は、はい……キミキミとは風宮学園のエスカーレーター制度で、幼稚園、小学校、中学校、高校、ずっといっしょの幼馴染なんです、家が隣で……」
瑞樹にしてはよくしゃべる。仲が良いと判断していいだろう。
だが、天宮は瑞樹をペシンと軽く叩いた。
「こ・ん・な・や・つ・に・お・し・え・る・な!!」
「はぅ……痛いよぉ、キミキミ〜」
瑞樹は叩かれた箇所を両手で押さえ、頬を膨らませた。
その様子は怒っているように見えない――思わず心の角が削り取られ、笑みを浮かべてしまう。
「まったく……ミズミズは天然っ娘なんだから」
天宮は苦笑いを浮かべながら、クスクスと笑った。
だが、ハッとするように俺へと向き直る。
「コホン……とにかくっ! 下心見え見えの不埒変態男が瑞樹に触れるなんて千年速いのっ!! 一昨日きやがれ!!」
「おとといはもう過ぎてるよ?」
「だから………………ミズミズ、そういうツッコミはいらないのっ!」
天宮は良いヤツのようだ。だが、明らかに俺を嫌っている。
嫌われる理由――思い当たらない。
そんな俺の疑問を察したのか、天宮の視線がさらに鋭くなった。
「こいつは、生徒会長とか同級生とかをたぶらかしてる破廉恥なんだから」
天宮は変な言いがかりをつけてきた。
過去にも何度か――現在でもだが――こんな言いがかりが無理矢理正当化され、広まったことがあった。
俺の下駄箱には熱烈な文が泥山のように詰められていたっけ。
「……祐夜さんはそんな人じゃないよ」
俺よりも早く、瑞樹が否定の言葉を述べる。
俺は、その雰囲気の違いに気づいた。
天宮は猛る獣のような目を瑞樹に向けた。
だが、その目に宿るのは怒りでも憎しみでもない、驚愕。
「……だから、祐夜さんを困らせないで。ミキミキ」
はっきりと言い切った瑞樹には、今までのおどおどしさはなく、意思に満ちた目は、まっすくと天宮の目に光を発し。
唐突に、天宮から目を逸らした。
天宮の目は、僅かだが小刻みに震えている。
「……何よ、ミキミキのくせに」
「………………ごめん」
瑞樹は小さく呟く。
だが、前言撤回の意思は見られなかった。
天宮はイライラした様子で、俺をキッと睨む。
俺はそれをまっすぐと受け止めた。
その態度にすらイラついたのか、荒れ狂う感情の波をそのままに、天宮は俺たちに背を向け離れていった。
俺はそれを見送ると、瑞樹に視線を向ける。
「………………」
悲しそうに目を伏せる瑞樹。俺は髪に手を置いた。
瑞樹は俺に顔を向け、小さく微笑む。
――作り笑いだった。
気に入らない。
私は悪くない、そういう自信はあった。
なのに、ミキミキは私を悪くした。それが気に入らない。
それに、あの男は一番悪い。一番気に入らない。
ミキミキの友達なら、それでよかった。でも、あいつはダメだった。
あいつは――悪い男だ。
私は見た、女を連れ歩くあいつの後姿を、何度も。
そして、そのたびに女の姿は違った。
同じ女と歩いているときもあれば、全然違う女と歩いているときもあった。
そんな中に、ミキミキを入れるわけにはいかなかった。
――ミキミキが間違ってる。
私は歯軋りする。考えなければならなかった。
ミキミキは騙されているのだ、ならば親友として、私がミキミキを助けなければならない。
行動選択を――怒りや憎しみをバネに最善の残虐を導き出す。
あいつの仮面を剥ぎ取り、ミキミキに真実を知らしめるのだ。
そして、ミキミキは今一度私の隣を歩く。
私の知らないミキミキは、存在しない。
あいつに――ミキミキの何がわかるんだ。
私は乾いた唇を舐めた。
俺は嬉しかった、瑞樹が俺より早く否定の言葉を述べたことを。
だが、瑞樹と天宮の絆を断ち切ってしまう――そんなことがあっていいはずがなかった。
瑞樹にとって、天宮は数少ない友達、それこそ親友と呼べる者ではないのだろうか。
「どうしたんだい? 浮かない顔して」
腐れ縁だろうか、バス席でもまた輝弥が隣にいた。
俺は窓の外を見ながら、頬杖をつく。
「まったく、祐夜らしくないよ? 楽しむんじゃなかったの?」
「いや……まぁな」
俺は言葉を濁し、それ以上なにもいえなかった。
輝弥がゴソゴソと発する物音をかき消すエンジン音が発せられる。
車体が小刻みにゆれ、移動し始めた。
「とにかく、気になることがあるんなら。良い方面のことも考えたほうがいいよ? そっちのほうがスッキリするしね」
俺は車内へ視線をもどす。
輝弥の笑顔が――すべてを知っていそうで恐ろしかった。
だが、助言をくれるなら邪悪にするわけにもいかない。
俺は軽く流すように微笑み返した。
バスレクがはじまる。
『ついに沖縄へ到着したわけですが、どうですか? どんな感想をもってますか?』
「「暑い〜〜〜」」
数人の生徒が声高に叫んだ。
クスクスとした笑い声に包まれる錯覚。
輝弥は意味を持たない無垢な微笑みを貼り付けたまま、カバンに手を差し入れた。
「これ、いる?」
それはキャンディーだった。
舐めるタイプではなく、噛むタイプのキャンディー。
「確か、沖縄限定のやつだよな。どこで買ったんだ?」
売買の場所はなかったはずだが。
俺にしても、そんな常識が輝弥に通用するとは信じていない。
輝弥はにっこりと微笑んだだけで何もいわなかった。
俺は包装されたキャンディーをひとつつまみ、包装を開く。
白い表面のキャンディーを口にいれた。
甘味、砂糖などではない果物の甘味。すっきりとして味わいやすい。
「轟壕。闇と恐怖が、人を狂わす――ひとつ完成っと」
「いくつか分けてくれよ?」
しおりにペン先を走らせる輝弥。
俺はキャンディーを食い終え、幾分か余裕がでてきた。
輝弥に微笑みかける。
「ありがとな」
俺の言葉に、輝弥は首を振った。
そして、ニヤリと意地悪な笑みに切り替わる輝弥。
「チェス、やるよね?」
いつの間にか、輝弥の手にはマグネット・チェスが収まっていた。
笑いたくなる衝動を心の中に押し留め、頷く。
輝弥は俺から離れ、その間に盤を敷いた。
キング、クイーン、ル−ク、ポーン、ナイト……並べ終える。
「どっちが先手だ?」
「ん〜、性格的に祐夜は奥手だよね」
「なんじゃそりゃ」
変な理由をつけて、輝弥が先手に決まる。
交互に駒を動かしていく中で、俺は戦局を纏めた。
――輝弥は先の先の先を読み、打ってくる。
仕掛けられたとき、逃げ場は完全に失われているというオチだ。
俺は守備を固め、先手として打たれた策を解き明かすことに専念した。
それは地雷のようなもので、ぎりぎりにならないとわからない念の押しようだ。
「突然介入、予想外分子、異質……それがなければ、ボクは――絶対者だよ」
特攻かと思っていたポーンを始末すると、その空洞に更なる波が押し寄せた。
戦局のバランスが崩れ去る。
守備が崩されたならば、攻撃に移るしかない。
「後悔先に立たず。なんて言葉、祐夜は知ってないだろうね。
これは、何事も終わってからではどんなに後悔してもどうすることも
出来ないということなんだよ。
だから。ボクは先手を打ち、シナリオを練り、100%の勝率で開始する。
ゲームでいえば、最初から最高レベルで始めるって感じかな?」
「嘘だな」
俺は駒をコトンと置いた。
崩れたバランスは今一度反対側へと傾いた。
クイーンの討伐により、主力が去る。
手痛い仕打ちかもしれないが、こちらも大分減らされていた。
「お前はそんなおもしろくもないゲーム、やりはしないさ。
お前は【わざと負ける手段】を残し、接戦にする。そんなプレイヤーだ」
「よくわかってるじゃないか。なら、この戦局もボクのシナリオ通りってことだね、祐夜は乗せなられてるんだよ?」
「そうかな? お前は接戦のために、これ以上は考えていないはずだ」
ルークがお互いの場から消える。
少数のポ−ンとナイトで切り抜けるしかないのか。
苦戦ではあるが、チェックメイトよりも殲滅狙いのほうがいいのかもしれない。
だが、確率はいくつも存在する。分岐を誤ってはいけない。
「クックック、祐夜はいつも真実を掴むね。
ボクは必要以上の危険は望まないよ――予想外は、予想できる範囲で十分だ」
何のことを言っているのか。
輝弥の手が甘い、俺は詰めに入った。
それこそ、鋭い刃のような一手。
「絶対がないから――現実なんだろ?」
チェックメイト。
勝利者、三井祐夜。敗者、伊里嶋輝弥。
本当の勝者は、本当の敗者は――誰なのか、わかりはしない。
意図は霧のようで、意思は雲のようで、感情は混沌に満ちていて。
それでも、直視した問題を解くしかなかった。
迷走、そんな言葉で表せる状態。表しても無駄にしかならない状態。何が迷走なのか、時にわからなくなる。
輝弥は終局した盤上を眺めて固まっていた。黒く染まった思考回路は読み取れない。何を考えているのか。
「……もう一戦するか?」
俺は駒を立て直した。
輝弥は終始硬直したまま、無機質な置物と化していた。
最近では、年相応の表情をするようになったと思っていた。
だが、こいつにはまだ黒さがあることを思い知らされる。
どうしたものか――俺は並べ終えた盤に視線を落とす。
「……手の打ちようがないね、どうしようか」
まだ始まってすらいない戦局で、輝弥はそんなことを呟いた。
バスは目的を持って進む。
俺たちは、目的も見えずに、ただただ進んでいた。
轟壕。
見た目を一言で表せば、洞窟だろうか。
ガイドの話は、どんな人間をもシリアスにさせる。悪くいえば凹ませる。
「それより、あの口調は耳に入ってくるんだよな……」
まるで子供に言い聞かせるような話し方、実は幼稚園の先生というオチなのか。
そんなことを、俺は手綱を引きながら考えていた。
道は険しかった。すべりやすいやすべりにくいに関わらず、漆黒の闇だった。
気配を読むことに慣れてはいるが、闇の呼吸に蝕まれる。
人の余裕と笑みを吸い、絶望と不安を吐き出す――人間も同じようなものか。
笑い飛ばすはずなのだが、そんな余裕はなかった。
――手の先すら見えない。
汗が頬を伝う感覚しか、今の俺には存在しなかった。
それでも、力の限り手綱を引くことで聴覚を刺激、思考回路の活動を維持させる。
辺りには光の輪がちらほら見えるが、それの光源はまったく見えない。
これは、白光懐中電灯でない限り無意味になるんじゃないだろうか。
――そんなことを、首もとにある蛍のような灯りしか発しない懐中電灯を脳裏に浮かべながら思ったわけで。
「さすがに暗すぎるだろ……」
こんな中で暮らす――想像もつかない。
ご飯と石を見間違えそうだ。というより見分けるまでもなく全部真っ暗。前を進んでるやつはどこにいったんだ?
そんな時、俺は何かにぶち当たった。
「すまない」
急いでいるようで、小さく呟くとその気配が去っていった。
俺は返事をする間さえもらえなかったことに多少首を傾げるが、聞いた声に引っかかる。
――御劉、だろうか。
一言だったが、友達の声を間違えるはずがなかった。
御劉だろう、だが何に急いでいたのだろうか。
俺は首を傾げる。
その時、背中に熱さを感じた。
思わず何事かと振り返り、目を細める。
漆黒とは正反対の色が俺を照らしていた。
「ちょっとちょっと! こんなところで立ち止まってんじゃないわよっ!」
目が光に慣れ、輪郭が浮き出る。
輪郭に色が施され、輪郭が誰なのかを知ることができた。
天宮――向こうも俺を認識したのか、その目が険しく細められる。
「アンタ……また何かするつもり?」
「またって、一回もしてないだろ?」
「したじゃない。ほら、あの時――廊下がぎゅうぎゅう積めになってたとき。いきなり……わっ!!」
しゃべりながら歩いたせいか、足元にある石の傾きに足をすべらせた天宮。
天宮の片手は懐中電灯を持ち、もう片手は俺に向けていた。
つまり、支えるものは何もない。
俺は慎重に手綱から手を離し、できるだけ足元を動かさず上半身を伸ばした。
俺の腕が、気配を掴みとる。
懐中電灯が近くにころがることで、そこに地面があるとわかった。
白の筋がくっきりと伸びているところをみると、結構な照度があるとわかる。
「――大丈夫?」
「は……は〜〜」
俺の中にある重量感が、音源になる。天宮だ。
俺は天宮を抱えたまま懐中電灯をとろうとするのだが、動くに動けなかった。
それというのも……
「……どこが足場かわからねぇ」
まっくらだった。
この世が立体だということを忘れそうだ。
適当に一歩を踏み出そうとすると、腕の中にいる天宮がしがみついてきた。
若干震えているようで、むやみに動けない。
「ちょ……いきなり動かないでよ……」
弱弱しい罵声――さすがに心配になる。
俺は、できるかぎり天宮を引き寄せておく。
手が掴んでいるのが何かわからないのがつらい。天宮の足が地面についているのかもわからない。
両手の距離は結構離れており、左手は左右と上からの弾力を感じている、右手はさらさらとした何かを――
そこまで確認したとき、俺たちがまた白光に包まれた。
今度は目に直接響き、焼け付くような痛みを得る。
思わず目を手で覆いそうになるが、なぜか手が動かなかった。
光の濃い部分、その先に目を向けると――
「え……えと、祐夜さん?」
クリッとした瞳が俺を捉える。
俺は疲れながらも笑みを浮かべようとして――固まった。
己の姿に気づいたからだ。
「……っと、ミキミキ?」
光に目がくらんだのか、片手で目を覆っていた天宮が声に反応して話しかける。
だが、それが引き金になった。
目を開いたままリンゴのように真っ赤になっていく少女――瑞樹。
「ご……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!」
何がごめんなさいなのか、瑞樹は背を向けて駆けだそうとする。
だが、その急転回に足がもつれ、体が斜めにすべった。
「きゃっ!?」
瑞樹が悲鳴をあげる。
俺は両手で天宮を抱えたまま、壁を照らす懐中電灯へ走る。
闇が濃くなったところの下にすべりこみ、自らの体を地面に叩きつけた。
そして、痛みにもならない弾力が負ぶさってくる。
「はぁ……なんか、今日は人助けが多い……厄日か?」
両手に抱えた天宮を、腕を反らすことで安全にしている。
天宮はキョトンとした顔で縮こまり、置物のようだ。
スライディング後で固まった俺の背には――俺は首を動かし、己の上を見た。
まず、目に入ってきたのはスカートだった。
今にも中が覗けそうな――と、ダメだダメだ。
俺は上へ上へと視線を逃がす。
「え……と」
俺の背にしりもちをつきながら、懐中電灯を両手で胸に抱きしめる瑞樹。
懐中電灯で顔が照らされているが、恐くはない。
お化けのなりそこない、といったところか。良い意味で。
「ふぇ……? す、すみません!!」
状況を把握したらしい瑞樹は、勢いで立ち上がろうとする。
だが、俺はそれよりもはやく声をかけた。
「瑞樹、立ち上がって欲しいのはやまやまなんだが……天宮のほうに照らしてくれないか?」
瑞樹は立ち上がろうと腰を浮かせたところで、今一度俺の背に小振りのヒップを押し付けた。
――いかんいかん、余計なことは考えないようにしないと。
白い光が少し宙を動き、天宮と俺の腕を照らす。
じりじりとした熱さを肌に感じるが、我慢する。
光の照度が高いのか、周りの闇も結構薄めで、壁の色がわかるくらいだ。
――俺の胸辺りが地面にくっついているわけなのだが、見るのが恐い。
天宮は、光に照らされても身動き一つしなかった。
俺の両手に、ふとももあたりと後頭部を押さえられている姿だけ見れば小動物のようなのだが。
そしてふと気づく。
――立っていたとき、どんな体勢だったんだ?
抱え方を変えた覚えはない、もしこのままの抱え方だったのなら多分……お姫様抱っこというやつだろう。
それをいきなり見せ付けられたのだから、瑞樹ぐらいではないにしろ驚くだろう。
「天宮……立ってくれないか?」
俺はしぶしぶ、そう話しかけた。
できるだけ穏やかに話しかけたのだが、天宮は生命を吹き込まれたようにビクッと震える。
「え……あ、うん……悪かったわね」
わけもなく小心な天宮。
天宮はゆっくりと俺から離れた。
腕にあった重みが消え、痺れるような淡い痛みに包まれる。
「と……瑞樹、天宮の懐中電灯探してくれないか?」
「あ、はい……ありました!」
瑞樹の重みが消えてすぐ、白光がふたつになった。
そのうちのひとつが俺に向く。
俺はその灯りを頼りに、慎重に立ち上がった。
「ああ……結構高かったんだけど」
黄色く上塗りされたシャツを見おろして、俺はため息を漏らした。
べとべととした感触が服から離れ、地面にボトッと落ちていく。
これは一度払ったほうがいいかもしれない。
「えと……動かないでくださいね」
そう前置きがされ、俺は硬直した。
灯りをよそに向け、熱心に俺のシャツを拭き始めるのは――瑞樹。
まあ天宮がするとは思えないんだが、というよりハンカチで拭いてもあんまり取れないぞ。しかもハンカチが汚れまくる。
「あ……ええと、洗濯すりゃいいんだし。拭かなくても大丈夫で――」
「動かないでくださいっ!」
「……はい」
勢いに押し負け、俺はだまらされた。
熱心に泥をふき取る姿は、まるで弟か何かに接しているようだ。
「とりあえずこれくらいで。変な感じとかしますか?」
「いや、大丈夫。さっきより大分マシ」
肌とシャツが触れたときに冷たい感じがするが、少しすれば人肌に温められるだろう。
瑞樹は、心底安心した風に目を細め、俺を見上げた。
「……」
白い光のひとつが視界から消えた。
俺はそちらに顔を向ける。
光源を握っているのは、天宮。
「キミキミ……」
瑞樹の声に、歩き去ろうとしていた天宮は俺たちに背を向けたまま立ち止まる。
瑞樹は戸惑うように視線を地面に落とすが、すぐに意を決して口を開く。
だが、それよりも早く、天宮は再び歩み始めた。
「あ……ま、待って!」
駆け出そうとする瑞樹の腕を掴む。
瑞樹は俺に、『なんで?』と目で問いかけるが、俺は腕を掴んだまま離さない。
天宮は遠ざかり、遠ざかり――闇に消えた。
瑞樹は闇の先に視線を向け続けるが、少しして視線をはずした。
落ち着いた、というより沈み込んだ瑞樹は、俺へ向きを変える。
「……すみません」
「いや、えっと……こっちこそごめん」
――何も言えなかった。
――何もできなかった。
その後悔の念を、謝罪の言葉に乗せる。
瑞樹の背負う闇は俺が引き寄せてしまったのではないか。
そんな疑念、いや、確信的ものが渦巻く。
だが、瑞樹は小さく微笑んで、ペコリと頭を下げた。
俺は呆然とそれを見つめ、瑞樹が顔を上げてやっと覚醒する。
「俺のせい、だよな。ごめん……多分、だけど、俺よりも仲がいい親友みたいなやつなんだよな? 俺なんかのせいで、俺の……人柄とか、いつも嫌われがちなんだし、慣れっこだったんだけど、それでもお前に違うって言われたときは嬉しかったって言うかさ……そんなのぬか喜びだったっていうか、何にも考えてなかったっていうか、ええとつまり――」
言いたいこと――千とあった。それを纏められない俺はバカだった。
瑞樹の表情が読めない、自分の言葉がどういう風に届いているのかわからない不安が火種となり、大きく燃え上がっている。
しどろもどろになり、仕方なく口をつぐんでいると、瑞樹は唐突に顔を上げた。
――予想とは180°違う表情を浮かべて。
「……ふふっ」
してやったり、とでも言いたそうな満面の笑みだった。
俺はポカンとしてしまうが、やっと事態を飲み込み――
「瑞樹! お前まさか――」
「てへへ♪ 祐夜さんが真剣な話してる顔がおもしろくって♪」
瑞樹は愛らしい表情で、ちょっぴり小悪魔な笑みを浮かべていた。
なぜかその表情に安心と脱力をおぼえる。
いつの間にか俺は、苦笑いを浮かべていた。
「……ふふ、気にしないでください。私のこと、信じてくださいね?」
瑞樹はにこやかに笑い、そう首を傾げた。
だが、すぐにその瞳に悲しみが宿る。
「……祐夜さんって、私にとっては結構大切な人なんですよ?」
「………………え?」
俺は瑞樹の呟きを聞き漏らし、それでもその内容にうっすらと感づき、硬直して聞き返した。
だが、瑞樹はほんのりと頬を赤く染め、あいまいな笑みを浮かべたまま口を開くことはなかった。
そんな行動をするようになった瑞樹に嬉しく思いながらも、僅かに呆れをおぼえる。
仕方なく俺は瑞樹の手を掴み、その光を進路へ向けた。
「ほら、さっさといくぞ! 瑞樹はロープしっかり掴んでついて来い。俺がライトで持っとくから」
「あ……はい」
最初のころは見なかった、微妙なはにかみ。
瑞樹は素直に懐中電灯を手渡してきた。
俺は少し、先のほうを照らすと、瑞樹に振り返った。
瑞樹にわかりやすいよう、ライトで手綱を照らす。
前までの瑞樹ならここでペコペコと頭を下げていただろうが、今はそんなことはしない。
それは無愛想になったというわけではなく、距離感が近づいたとか、そんな感じだ。
壕の漆黒でも輝く一輪の白百合――過大評価か。俺は自分を笑った。
寂しさ、悲しさ、人を押しつぶす闇。そのすべてが吹き飛ばされ、安心と微笑みに包まれていた。
暖かい――改めてそう実感した。
できれば、いつまでもこの暖かさの中にいたい――そう願う。
祐夜さんは優しいと思う。
否定のしようがない、祐夜さんは優しい。
先ほども、何の躊躇もなく私のことを構ってくれた。
今も、彼は私のことを気にしながら私の前を歩いている。
その背中は、とても大きく見えた。
彼は前に進むんじゃなくて、私に進む。それが優しいと思えた。
彼の優しさは真っ直ぐだと思う。
どこまでも透き通っていて、どんな言葉でも表しきれない優しさで、暖かい。
そんな優しさに、私は虜となったのかもしれない。
特にかっこいいとか、そんなわけじゃない。
どこがいいのか、といわれたら考えてしまうけど、祐夜さんはかけがえのない人だと思う。
祐夜さんは、《友達》として接してくれた。
《友達》は、お互いが打ち溶け合っていて、それなりに本心のぶつかりあいがあって。
どちらかがどちらかに気をつかうとか、そんなのじゃない大切な仲間。
いつも気を配ってる人が、優しいといえるのかもしれない。
でも、私にとっては祐夜さんが――祐夜さんだけが、優しいと思えた。
こんなことははじめてだった。
不器用で、しどろもどろで、それでも溢れんばかりの優しさがあって、私は泣き出しそうになって。
祐夜さんの優しさはいつも真っ直ぐで、だから気づいてしまう。
彼は――傷ついているのだと。
私は、祐夜さんを知っている。祐夜さんを知らない人に、祐夜さんを否定して欲しくない。
そう思って私は冷たくなったのに、彼は傷ついた。
当たり前だと思う、彼は望んでいないのだ。
誰かが傷ついたり、誰かが傷つけたり、そんなことを望んでいないのだ。
そのことに気づいていない辺りが、優しいのだと思う。
――ちょっとした矛盾。
彼の優しさは表現できない、表現できるものではない。
表現できたとしても、それはきっと歪んでいるだろう。
だから私は、《祐夜さんらしい》と思う。
そんな《祐夜さんらしい》ことに、私は安らぎをおぼえ、微笑んでしまうのだ。
そして、彼は私の微笑をみて、微笑む。
彼にとって、私の微笑みが、彼の幸せなのだ。
そんな彼に惹かれたのは今だけじゃなく………………何度も恋に落ちていく。
不器用で、しどろもどろで、誰にでも同じで、誤解されやすいけど、それが《祐夜さんらしい》ことで、祐夜さんなりの誠意。
それを、否定されるのは――例え親友であろうとも、許しておけなかった。
やっぱり、祐夜さんが大切な人だから。
友達とか、そんなんじゃなく、そんなものでもあるけど、それ以上で。
それでいいのだと思う。
彼だから、祐夜さんだからこそ、私は傍にいられるのだ。
伝えなければならない、祐夜さんに最高の笑みをみせたいから、私の想いを伝えなければならない。
例え、彼女がそれを理解しなかったとしても、祐夜さんを貶すことは否定しなければならない。
私は――彼の隣に居たいから。
自らに勇気を。己が己で在るための勇気を――私は願いました。
人がざわめく、闇のない戦争記録館。
真実味がないと、ぼやくのは自分にだけ。
僕は独りになっていた。一人ではないのかどうかは、本当にわからない。
戦争に興味があるわけではない。だけど、少し劇から目を逸らしたくなった。
予想通り、予想外――やはり、因果関係とは存在するものだと思う。
僕の干渉ではすでにどうにもならない域に達し、あとは運にすべてを委ねるしかなくなった。
危機感――許容範囲外だった。
作戦の遂行に支障がでる。予定よりも大分早い決着が訪れるかもしれない。その場合は今までどおり絶望を叩き込めばいい。
己の中にいる野獣――舌なめずりをしていた。
僕は順番通りの閲覧を終え、人気のない展望塔へ上った。
エレベーター内で立ち止まり、静寂が訪れる。
興味がない、だが、時間を浪費しなければならなかった。
思考回路がぶっ潰れないためにも、休養も必要だった。
エレベーターが止まり、僕は一歩を踏み出す。
ガラスの向こうに見える絶景。引き潮の時期でちょうど海が引いているのか、丘の迫力がいまいちでもある。
だが、それよりも大きな、立ち止まる要素があった。
「えっと……こんなところであうのって、結構予想外だね? 伊里嶋君♪」
「……」
――最悪だった。
目の前にいる生徒会長、一番会いたくなかった存在であり、『役者』のひとり。
思考回路の活動停止は、まだまだ先になりそうだ。
まだ1なんだよな。
しかも一日目の、半分なんだよな。
終わった頃、きっとリアル夏休み終盤だろうな。
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