たった一滴の銃弾(ハロウィンver)
『僕は、特別だ。
何も、現実から目を背けたそこらの妄想好きの仲間というわけではない。僕は特別なのだ。
何も、能力者だから特別だと言いたいわけではない。考えてもみろ。戦場で、街中の人だかりの中心で、あるいは搾取される側として、君は能力者を見たことがあるだろう。それでも、僕は特別なのだ。
僕の能力は、記憶を消費する。
これを読んでいる君も、今に何を読んでいるのかわからなくなって、もしかしたらこの手帳も白紙に戻っているのかもしれない。
それは、今日も僕がどこかで能力を使ったから。
僕の身体を流れる記憶という名の血液が悪を裁いた証。誰からも認められない、善行を積んだ証。
突然話は変わるけど、この世に神はいないんだ。
だって神様がいるのなら、僕の善行を覚えていて、僕を救ってくれたっていいだろう?』
そこまで書いて、僕は羽根ペンを動かす手を止めた。途中から乱暴に動き出していた手を止めた。
まったく、話題が変わりすぎているにも程がある。しかも、歩きながら書いたその字はミミズが這ったようであった。こんなもの、人に読ませようものなら僕を馬鹿にする要因にしかならない。
だが、それもいいのではないかと思う自分もいるのだ。
顔を上げれば、ぼうぼうと燃え盛る赤い煌めきを、たくさんの人が囲って踊っている。彼らは思い思いに着飾って、ゆらりと伸びた影をせわしなく動かすのだ。中には、悪魔をイメージした衣装を着るものもいた。
普段は広く感じるのだろう石畳の円形の広場は、今はとても狭く感じる。その上、夜闇に包まれた細い路地からは未だわらわらと湧いてくるのだからたまらない。
この異様な状況では、普段は目立つ黒ずくめの僕も、風景の一部に過ぎない。
僕は外套の襟をそば立てつつ、壁に預けていた背を起こす。冬の近づいたこの季節、そろそろ服を新調しなければいけないようだ。
適当に目についた路地へと歩を進め、その途中で汚い木の屋台の隣を通る。
チラッと目に入ったそこでは、髭面の男がいかにも割高な菓子を売っていた。それでも、お祭り気分で浮かれた人々は買っていく。母親に菓子を買ってもらった子供が、顔を輝かせて男に礼を言い、男は笑って返している。
気づいたら、僕もそこで飴玉を買っていた。
口の中に、ベタベタとした甘味が広がっている。左手では、残りの飴玉をすり潰すようにこすり合わせる。その硬い音が、薄暗い路地に響いていた。
誰もがあの熱い場所に集まっているようだ。そんな時だからこそ、ここは僕の求める場所になる。
ほら、聞こえてきた。
「あぁん? 金を持ってねぇだぁ?」
野太い男の声だ。その後には、か細いすすり泣きが続いていた。
どうやら、あの角の向こうらしい。僕は口に残った飴を噛み砕き、口の端を釣り上げる。
こんな人通りのない場所で、孤立無援なこの場所で、颯爽と現れて手を差し伸べる僕の記憶は、きっと鮮明に残るだろう。僕の記憶が残る。復讐のための弾丸を装填できるのだ。
僕の歩調は、自然と
「何をやってるんだ?」
「……なんだぁ、お前」
月明かりを背に仁王立ちし、やっとこさ視界に入った敵役に問いかける。もちろん、善人の仮面を顔に貼り付けている。
彼は視線を上げて、こちらを睨めつける。視線を上げてというのも、彼が強請っていたのは地べたにうずくまる少女だったのだ。
少女は俯いて泣くばかりで、こちらに気付く様子はない。
「衛兵じゃないみたいだな」
彼は僕のつま先から頭までを一通り眺めて、そう言った。
その間に僕が彼を観察した限りでは、あまり羽ぶりはよろしくないらしい。簡素な布の衣服は土汚れやなんやらが付いていて、そこから沢山の毛に包まれた腕が生えている。
僕はなるべく気障ったらしく、返答をする。
「そうですねぇ。自警団、とでも言いましょうか」
「聞いたか、自警団だってよ」
「ケヒヒ、馬鹿じゃねぇの」
「兄貴に楯突こうなんてなぁ」
どうやら彼は一人ではなかったらしい。後ろの暗闇の中から二つの人影が現れる。
ガタイのいい最初の男の両脇に、ごぼうのような男が一人と、ずんぐりとした男が一人。
決めた。彼らをガタイ、ごぼう、ずんぐりと呼ぼう。
「おう、尻尾振って逃げるなら今のうちだぜ」
ごぼうが言う。
「そうだぜ、兄貴を怒らせねぇ方がいい」
ずんぐりが言う。
見下したように卑しい笑みを浮かべて見下すガタイの視線を、しかし僕は気にしない。悠然さを意識した歩調で、少女の隣にしゃがみ込む。
三人組は都合のいいことに、にやにやと僕を嘲りながらも下がってくれる。
「もう、大丈夫だよ」
少女の耳元で囁いた声は、彼女の肩を震わせる。
やがて僕をとらえた瞳は、期待と不安の間で揺れていた。その瞳はしっとりと濡れていて、雫がはらはらと落ちていく。
僕は人差し指で、その一雫をすくい取る。
「もう、心配はいらない」
それだけ言って僕は腰をあげる。彼女の視線を感じながら、三人へと視線を送る。
「おうおう、感動的じゃねぇか」
「俺もう泣いちゃいそうだぁ」
「もう、おかしすぎてな」
三人は自分達の勝利を疑わず、取り巻きの二人がこちらに歩み寄ってくる。
「本当、おかしすぎるな」
その一言が、開戦の合図。
大きく足を踏み出して、ごぼうの懐に飛び込む。彼が息を飲む、かすかな音が聞こえた。体勢の崩れた彼の、僕を止めるように突き出された腕をとって引き倒す。
彼の倒れる音が、静かな路地裏を支配する。
ずんぐりが正気に戻ったのはその時だ。よく意味のわからないことを言いながら、拳を振り上げ、こちらに駆け寄ってくる。僕は少し半身になる程度で、彼を待つ。解き放たれた拳は、唸りを上げた。威力だけは立派のようだ。
しかし、当たらぬのならば意味はない。身を捻ってそれを交わす。後は足を引っ掛けて、拳の勢いを後押ししてやるだけ。
ずんぐりに潰されたごぼうが、小さな悲鳴を上げる。その悲鳴は、新たな悲鳴とともに再び発せられる。
僕が片足をその上に乗せたのだ。
呆気にとられたガタイを放っておいて、僕は少女の顔色を伺う。
「……あ、謝って!」
僕の期待とは違う、青ざめた顔がそこにあった。
「あの人、能力者だよ⁉︎」
「大丈夫。あんなの、カボチャみたいなもんだ」
絞り出す少女の声には、隠しきれない恐怖がほとんどであっても、かすかな俺への心配が滲み出していた。
だから、俺の返答はほぼ反射みたいなものだ。我ながらよくわからないことを言ったものだと思う。
実際、かなりマズイ。少女の心配とは別の意味で、かなり。
視線を戻した先には、ガタイがいる。当初の調子を取り戻した彼の周りは、オレンジの光に照らされている。
それもそのはず、彼の左手は燃えていたのだ。先ほどの広間を思い出す程に、赤く、赤く。
路地裏には、昼のような明るさが生まれていた。
「そこから一歩でも動いてみろ! お前らは消し炭だ!」
彼の突き出す左手の、その眩しさに眉をひそめる。
あんな奴の攻撃を僕が食らうとは思えない。けれども、少女は別だ。きっと彼女は消し炭になってしまう。
まぁ、男の血走った目を見れば、震える手を見れば、彼が人を殺すのを躊躇っているのは明白だ。同時に、それだけ追い詰められているということでもある。
つまり僕は、一歩だって動けない。彼女に死なれたら、僕の行動の意味はないのだ。何より、後味が悪い。
「はぁ、ままならないな……」
「あぁ? 何の話だ!」
「いや、こっちの話さ」
僕はゆっくりと懐からナイフを取り出す。使い込まれたナイフの刃は、僕の血で錆びてしまっている部分がある。
「おい! そんなもの出すな! 捨てろ!」
「はいはい」
僕はその指示に従い、ナイフを捨てる。その時、偶然を装って右の人差し指の腹を切るのを忘れない。
「……お前には、たった一滴の銃弾だって、惜しいんだけどな」
ぷっくりとした赤が生まれた人差し指を、彼に向ける。
疑問を顔に出す彼の顔に理解が浮かぶのは、少し後。
僕の零れ落ちる記憶が、指先に集まった時。
「お前、まさか……!」
「残念ながら、そのまさかさ」
刹那、路地裏の昼が終わる。
倒れ行く彼の身体を、明るさに慣らされた目は捉えず、音だけがかろうじて彼の死を伝えていた。
背後の少女は無傷。だが、そのまぶたは重いようで、いまにも下にくっついてしまいそうだ。
安心から来るものではない。身に染みて知っている。
これは、彼女の記憶が消える前兆。
僕の利己的な人助けは、見事に失敗してしまった。
「どうなったの……?」
彼女が聞いてくる。
「どうって、終わったのさ」
「……よかった」
へにゃっと力なく、安堵を隠さない笑顔を見せた彼女の体が崩れる。
僕の足の下にいた二人もどうせ同じように気を失うだろうが、気づいた時に彼らがいたのでは彼女も報われまい。
ゆっくりと彼女の体を起こし、抱き上げてやる。
彼女のとろんとした瞳は、僕の顔をぼんやりと見ていた。路地裏を出た僕の顔はどう見えるのだろう。月明かりに照らされる僕の顔は、どう見えるのだろう。彼女にすら心配されるような、そんな顔をしていないだろうか。
彼女の視線が怖くなって、どうにかしてそらしたくて、僕は左手に残っていた飴玉を、彼女の手に握らせるのだった。
◇◆◇
その後、彼は街を去った。
一度消えた記憶は戻りにくい。彼にはもう、その街に用がなかったのだ。
故に、彼は知らない。
翌年の収穫祭、そこでは悪魔の仮装としてカボチャ顏の悪霊が増えていて、子供は飴玉を貰える。
そんな変化が、人の記憶が、あったことを。