紫の夜語り〜万葉集裏話〜
万葉集の時代には謎めいた魅力的な人物が多いと思います。中でも中大兄皇子(後の天智天皇)をめぐる人間模様はミステリアスです
文武天皇二年(698年)九月
月が傾き、軒先が明け方の紫色に染まり始めた。
紀伊は朝露に濡れないように薄絹を体に 巻きつけて、宮中の庭を
横切り、女官たちが眠っている宿舎の門をくぐった。
十五才で持統天皇に仕え始めて五年、宿直で、数え切れないほど早朝の庭を
眺めてきた。秋なら一面の菊花が朝日の中に浮かび上がり、春なら梅の香り
が徹夜明けの頭をすっきりさせた。
五年の間に、持統天皇は太上天皇となって一線から退き、紀伊は見習いから
正式な女官となったが、庭は相変わらず四季の変化を繰り返していた。
今は初秋で、萩の花が、盛り土の上から滝のように垂れ下がって咲いていた。
恋人との熱い一夜の後なら、疲れていても目だけは輝いているはずなのに、
紀伊の顔にあるのは単純な疲れだけだった。
二十才の彼女には、恋人を作るより重要な仕事があった。
毎晩のように、持統上皇に昔話を語って聞かせる語り部の勤めである。
庫裏ではすでに朝食の準備をする物音が 聞こえていた。
紀伊が自分の部屋に入ると、御簾で区 切ってある隣の部屋では
同僚の女官・初瀬と恋人が、人の気配に 気づいて目を覚ました。
「紀伊なの?」
「ええ、今さっき上皇様の御所から下がってきたところ」
「一晩中宿直なんて、あなたはよっぽど お気に入りなのね。
上皇様が男ならよかったのに。きっと毎晩お側において愛して下さるわ」
と、初瀬が、けだるそうに話しかけた。
夜着の右肩がずり落ちて、丸い乳房がむき出しになっていた。
唇はさっきまで続いてた愛撫の名残で、濡れていた。
「残念ながら、上皇様は女です。最初は皇女で、次は皇后になり、天皇の位に
つかれた後、今は退位して上皇とお呼びしている方。お年は52才でいらっしゃいます。
もう寝てもいい?」
「私だって一晩中寝てないのよ」
「あなたは彼氏といっしょだからいいでしょ。私はお勤めで、緊張しっぱなし
で肩が痛くなった。一昨日は午後から日が沈むまで、昨日は夕方から今朝まで。
人気者も楽じゃないのよ」
「柚子の輪切りを浮かべた白湯でも飲みなさいよ。彼といっしょに飲むつもり
だったけど、私の分をあげる」
「悪いわね」
紀伊は白湯の入った新しい茶碗を受け取り、ふっと息を漏らした。
しばらく半分眠ったように、茶碗から漂う湯気を見つめていたが、御簾の向こう
から遠慮がちに初瀬の恋人が声をかけてきたので、少し眠気が覚めた。
悪いとわかっていても、好奇心が抑えられない口調だった。
「あの…私はある皇族にお仕えしている舎人(警 護兵)です。当直明けなの
で、彼女に会いに来て…あなたの話を聞きました。
上皇がいつも語りを所望なさるとか。ここにはたくさんの女官がいるのに
何がよくて、あなたが特別なお気に入りなのですか。いったいどんな話をして、
上皇のお心をつかんだのですか」
初瀬は横から、軽い嫉妬をにじませて恋人の腕をつねった
「何いってるの。あなたは私に会いに来たんでしょ。そんな仕事上の話を
聞きたがるなんて、私はよっぽど退屈な相手なのね。だいたい紀伊にも迷惑じゃ
ないの。そろそろ帰ったら?」
「そんな…別に迷惑をかけるつもりじゃ…ごめんなさい。帰ります」
紀伊は男が気の毒になった
「気にしないで。私の生まれは語り部の家。代々、いろいろな物語を人に聞か
せるのが家業なの。母も祖母も、同じように宮中に仕えてきた。機会があれば
二人にも語って聞かせてあげるわ」
初瀬が面倒臭そうに会話を断ち切った。
「ありがとう、紀伊。でも彼の言ったことは気にしなくていいから。もう休んで」
その時、紀伊の鼻先に夜明けの風が通り過ぎ、春の花の香りが頬を撫でた。
身分の高い人だけが使う香料だった
不思議に思ってふりむくと、一人の青年がおもしろそうに紀伊を見おろしていた。
「立ち聞きしてすまないが、その話、私にも聞かせてもらえないだろうか。
私もまた上皇のお心を射止めたい一人なのだよ」
彼の名は藤原武智麻呂。直広弐(従四位下/官位)藤原不比等の息子である。
昨年、持統上皇は十四才になった孫・軽皇子(文武帝)に位を譲っていた。
同時に、不比等の長女が妃として宮中に上がった(註※地位は「夫人」)
不比等は一刻も早く世継ぎが生まれるよう、密かに祈祷しているという。
だから武智麻呂は、将来、天皇の外戚になるかもしれない人物だった。
紀伊は何度か、武智麻呂が父・不比等といっしょに上皇の元に謁見に訪れ
ているのを見ていた。不比等は上皇との会話を他人に聞かれるのを嫌うので、
紀伊はかれらと口をきく間もなく、すれ違いのように退出していく。
武智麻呂とは何度か目が合っていて、お互いの顔は見知っていた。
今朝の武智麻呂は恋人を訪ねた帰り、長い渡り廊下を歩いているうちに、紀伊
たちの会話に足を止めたらしい。
「あなたの話は実におもしろそうだ。といっても、こんな早い時間に恋人との
逢瀬の帰り道、聞く話でもないな。私はそこにいる舎人のように、好奇心丸出し
で自分の恋人のご機嫌を損ねるようなことはしない。あくまで、語り部のあなたの
内緒話をお聞きしたいだけです。都合のいい時間に出直しましょう」
「時間のムダかもしれませんよ」
「いえ、私が聞きたいのは世間話じゃない。あなたは天皇家とも蘇我家との繋が
りの強い語り部の家系だ。上皇様にもお話できない秘密もご存じのはずです。
黙っていますから、聞かせてもらえませんか?」
「出直して下さい。明日の晩はお休みをいただいています」
「わかりました。では明日の晩」
約束通り、武智麻呂は日が沈んだ頃、香の匂いを漂わせながら行儀良く紀伊
の前に座っていた。その晩は初瀬が当直なので、隣の御簾の向こうには人影は
なく、遠くから言葉になっては届かない、誰かはわからない囁きが聞こえる
だけだった。
二人の間にはお互いを意識している奇妙な緊張感と期待がはりつめていた。
紀伊の胸にはいくつも不安の渦が浮かんでは消えた。
(こんな風に二人で会って、何かあると誤解されたらどうしよう。せっかく
出直してもらったのに、つまらない話だとがっかりされたらどうしよう。
いや、そんなはずがない。武智麻呂様を失望させるはずがない。
だって私が今、話して聞かせようとしているのは、私以外に知る者は少ない
とっておきの秘密なのだから…)
紀伊には、祖母から語り継いだ秘密の物語があった。
祖母は紀伊に「どうしても話したくなるような大切な相手にだけ語って聞か
せなさい。軽々しくよそに漏らしてはならないよ」と言っていた。
祖母との約束を破るつもりはないけれど、何度も何度も物語を心の中で繰り
返すうちに、紀伊の意志を離れた生きた存在となって、体の中から出たいと
囁き続けてきた。武智麻呂が声をかけてきた今こそ、人に伝えるいい機会かも
しれない。
紀伊は目の前にいるのが誰だろうと関係ないと自分に言い聞かせ、ずっと
胸のうちにしまっておいた物語を語り始めた。
~紀伊の語り~
『乙巳の変』はご存じですね。
今から50年前、百済、新羅、高句麗ら三国の使節団を迎える大切な儀式の
最中、人が殺さた事件のことです。殺したのは中大兄皇子、殺されたのは蘇我
大臣蝦夷の息子・入鹿でした。流れ出た血は、四方の壁に飛び散り、天皇の
足下にまで達したと申します。事件後、蘇我大臣自身も、自らの命を絶ちました。
蘇我大臣蝦夷には、倉山田石川麻呂という甥がおりました。
この後は、「石川麻呂」とだけ呼びましょう。彼は伯父一族のみの繁栄に
強い妬みを抱いていることを、中大兄皇子は気づいておりました。
そこで、石川麻呂の長女・造媛に 求婚したのです。
もちろん、皇子は造媛と面識はありません。
大変美しい方だと人づてに聞いていただけでした。
この場合、美醜など問題ではありませんでしたが、男にとって美人の方が
いいに決まっています。
ところが婚礼の夜、花嫁の造媛は、石川麻呂の異母弟・日向に
誘拐されて行方不明になってしまったのです。人々は造媛が皇子を嫌って、
日向と駆け落ちしてしまったのだろう、と噂しました。
石川麻呂は事情を話し、長女・造媛のかわりに、次女の遠智媛
を花嫁にしてはどうか、と持ちかけました。
中大兄皇子はもちろん快諾し、婚礼の式は滞りなく行われました
目的は石川麻呂の婿になることですから、相手が長女だろうと次女だろうと、
大差はなかったのです
やがて遠智媛には、持統上皇を含む二人の姫と健皇子という若君が生まれ、
蘇我氏打倒の計画も成功いたしました。
間もなく遠智媛は亡くなられたので、上皇の幼い日の思い出はいっそう鮮明に
お心に焼き付いておられたのでしょう。
母君の話になると、どこか夢見る人のように微笑まれます。
その時のお顔には王者の厳しさはなく、石川麻呂の館で、鵜野皇女
の御名で呼ばれていた少女時代を彷彿とさせるのです。
「お祖父様の石川麻呂は、蘇我大臣蝦夷が滅んだ後、その財産をすべて手に
入れ、右大臣にもなったの。四才だった私は、お祖父様がとても立派になって
大きなお寺を作っていると聞いたことを覚えている。母上も、母上の親族も
うれしそうに笑っていた。いつも皆が楽しそうだった。
例外は父上が来た時だけだった。父上が来ると、皆が姿を隠し、屋敷の中から
笑い声が途絶えてしまった」
石川麻呂は蘇我大臣蝦夷の全財産を手に入れただけではなく、中大兄皇子
の右腕として右大臣の地位に上がりました。
そして一族の記念碑として山田寺建設を引き継いだのです。
遠智媛は幼い上皇様の手を引いて、何度も山田時を見学なさいました。
そんな時、遠智媛は敵に向かって旗を掲げるかのように、挑戦的に背筋を
のばして、見る者に自分こそ蘇我氏の女後継者だと、知らしめて歩いたのです。
頭に飾った金の歩揺が、青空に向 かってきらきら日射しを
跳ね返す様子は、建設中の五重塔を飾る金箔の輝きにも負けないほどでした。
遠智媛は背も高く、眉も目もはっきりした、金の飾りがよく似合う方でした。
その姿に相応しい、激しい気性であったと、伝えられております。
女帝のような遠智媛の横には、鬱々として気の晴れぬ中大兄皇子がいらっ
しゃいました。
この時、すでにお二人の間には、亀裂が生じておりました。
終焉は、思わぬ方向からやって参りました。
それは身内の密告でした。
石川麻呂の腹違いの弟・蘇我日向が 「石川麻呂に謀反の意あり」
と帝に告げたのです。
それこそが蘇我で代々繰り返されてきた宿命、兄が弟を害し、弟が兄を殺害す
る相克図に他なりませんでした。石川麻呂は蘇我氏の財産を手に入れた時、同時
に肉親の手で命を断たれるという宿命をも引き継いだのでした。
どうして無傷のままでいられましょうか。
二日後、石川麻呂は「死んで潔白の証を立てる」と言って、自ら命
を絶ったのです。
蘇我日向 率いる討伐軍が山田寺に着いた時、室内は石川麻呂の後を追って
自殺した一族郎党の遺体だらけの惨状だったと申します。
大化五年三月のことでございました。
討伐軍の一人、物部二田塩と いう兵士は、雄叫び
をあげて石川麻呂の亡骸を首を切り落としました。
「しお…」
その名を聞いた時、遠智媛は気を失いました。以降、まったく関係のない
時でも「しお」という響きを聞くたびに、意識を失ったそうでございます。
涙も流さず、叫びもせず、食事も睡眠も拒んだまま、まるで内側から崩れて
いくように、静かに病は進行しておりました。
「おち…おち…」
中大兄皇子が呼んでも反応はありません。
誇り高い遠智媛は、皇子の裏切りに対して、ほとんど瞬きもしないで壁を
見つめながら、無言の抗議をしていたのです。
間もなく、遠智媛は衰弱死なさいました。
ここまでは世間によく知られていて、公式の記録にも残っている話でございます。
けれども、これには、いくつか疑問が残ります。
密告した蘇我日向は、例の婚礼の日に造媛を誘拐した人物です。
なぜ中大兄皇子はそんな男の言葉を信じ、討伐対に加えたのか。
そもそも造媛はどうなってし まったのか。
美貌で名高い造媛は、最初から存在していなかったように消えてしまった
ではありませんか…
実は私も不思議でなりませんでした。
祖母から真相を聞かされるまで。
さっそく続きをお話いたしましょう
中大兄皇子は、蘇我大臣蝦夷を滅ぼすために
蘇我氏の一員である石川麻呂に近づき、その長女の造媛を
妃にする予定でした。
どんな方だったか…私も周囲の噂話しか存じませんが、付近の者たちは
姫を見かけた折には、生き神を見たかのような、息を飲む思いがしたそうで
ございます。秋には愛馬で散策を、春先には野に若菜を摘みに、造媛がおいで
になると、付近の農民たちも作業の手を止めて「おまえも見たか」「わしも
見たぞ」と袖を引き合い、感動のこもった噂話に興じたのでした。
その噂は、中大兄皇子の耳にも届きました。
ある者は、皇子に向かって
(白い鳥のような方でした)
と、姫の美しさを歌うように語りました。
想像力をかき立てられ、皇子の心の奥に美しい鳥の化身の姫君が住み着いた
そうでございます。
造媛が消えたのは、婚礼の当日でした。
正確に言えば、皇子が石川麻呂の屋敷についた直後の出来事でした。
すべての準備が整った後に発覚したのです。
蘇我日向と駆け落ちしたのか、 強引に連れ去られたのか、
理由ははっきりしません。
正装して席に着いた皇子は、今更引き返すわけにはいきませんでした。
石川麻呂は、床に額をこすりつけて土下座し、しわがれた声で
「実は造媛の姿がどこにも見当たらず…」
と申し上げましたが、顔はといえば、そんな態度を裏切るように、抑えきれない興奮
の色が滲んでおりました。
自分の娘が行方不明になったというのに…
必死でいい訳はしていても、本気で探している様子はどこにも見えませんでした。
婚礼は予定通り行われました。
ただし花嫁は造媛ではなく、妹の遠智媛で した。
遠智媛ご本人は、美人とは申せませんでしたが、髪を最新の唐風に高く結い上げて、
額や頬だけでなく、うなじにも白粉をはたき、額に飾った桃色の花の花鈿
も愛らしく、贅を尽くした装いでございました。
(註※花鈿額に小さな花模様を描く当時の化粧)
何より皇子の興味を引いたのは、豪勢な装いに一歩も負けない、落ち着きぶり
でした。まるで初めから、予定通りだったような…?
遠智媛は皇子の手に手を重ね、うるんだ瞳で見上げながら、
「あなたは私の夢の中の人。やっとお会いできて、うれしさのあまり息がをする
のを忘れてしまいそうです」
と、密かな恋心を打ち明けたのでした
皇子は、どこからか涌いてくる微かな違和感を持てあましながら、最高の
微笑を浮かべて、うなずきました。
美貌の噂高かった造媛でないのは残念でしたが、この女が妻でいる限り、
計画が頓挫しても石川麻呂に裏切られる恐れは少なかったのです。
婚礼の日を境にして、石川麻呂の屋敷では、造媛の名前も気配もいっさい
消えてしまいました。石川麻呂や遠智媛はもちろん、侍女や下働きの者まで、
そんな姫君がいたことなど忘れてしまいました。
やがて皇子も、造媛の話など空耳ではなかったのか、と苦笑を交えてと思う
ようになりました。
大化三年(647年)
乙巳の変で蘇我大臣一族が滅ぼされて二年。
動乱の余韻が強く残っていた頃…
宮廷は血なまぐさい飛鳥京を嫌って、新たに難波京へ移りました。
とは申せ、まだ半分しか完成していない新都の宮殿は居心地が悪く、
中大兄皇子も、飛鳥にもどっては難波に出直すという日々を過ごしておりました。
真冬。
皇子は所用があって深夜に帰宅なさいました。恋人の家によったのであれば
一晩過ごして帰るところを、本拠地を難波に移したと同時に、愛人の方々も
全員あちらに移っており、寂しい夜を過ごさざるをえませんでした。
一日中空は乳白色に濁り、昼間から霜が立ちそうなほど冷えた一日でした。
寒さを我慢して、ようやく我が家の灯りが見えた時には、皇子も従者もともに
安堵で心が躍りました。中では留守番役が部屋を暖め、熱い風呂と酒を用意して
待っておりました。
門をくぐろうとした時、鋭い女の呼び声が、無理やり一同をふりむかせました。
「中大兄皇子様!…皇子様でいらっしゃいますね!」
叫び声はだんだん近づいてきて、ついに従者が持つ松明の光の中へ…
皇子の目の前に姿を現したのでした。
その女は白い綿の着物をまとい、走っているうちにほどけた髪を波打たせながら、
皇子に向かって両腕を広げました。
一同は、雪がうっすらと積もり始めて、白く染まった地面の上に、一羽の
白い鳥が羽ばたきながら舞い降りる幻を見た気がいたしました。
雪の上に点々と続いている素足の跡…
女は皇子の目の前で、重みなどないかのように、音もなく倒れました。
「まさか………」
皇子はとっさに口走りました。
濡れた土と雪にまみれながら、皇子は女を抱き上げ、もう一度名前を呼びました。
「あなたは造媛なのか」
姫は小さくうなづいて、意識を失いました。
いったい何があったのか…
すべてをお聞かせする前に、倉山田家の事情について、お話しなければなりませぬ。
石川麻呂には腹違いの兄弟が三人おりました。
日向、赤兄、贄麻呂
中でも贄麻呂は長子として倉山田の家督を継ぎましたが、間もなく本妻との
間に、一人娘を残して亡くなりました。
その娘こそ、造媛でございま す。
男が官位と家長の座を継ぎ、娘が家屋敷を継ぐのが、世の定め…
順番からすれば、造媛が倉山田の家屋敷を継ぐはずでしたが、幼かったの
をよいことに、石川麻呂が全財産を着服し、その埋め合わせのように造媛を
引き取って、自分の長女だと偽りました。
ですから、皇子の「長女を妻に迎えたい」との申し出に、ひどく慌てて
しまったのです。形式とはいえ長女は長女…断るわけにもいかず、かといって
そのままいけば、造媛の口から真実がばれてしまうことは
間違いありませぬ。
何より兄の娘などではなく、実の娘の遠智媛を、玉の輿に乗せて
やりたかったのです。
親として、当然の情でありましょう。
石川麻呂は考えた末に、異母弟の日向に事情を話して仲間に引き入れました。
「婚礼の当日だけ、造媛をどこかに隠してくれ」と。
日向は言われた通り、造媛を騙して、用意しておいた廃寺に連れて行って
一段落してから兄の元にもどってくると、屋敷の門は目の前で固く閉ざされて
おりました。
「よくも図々しく顔を出せたものだ。おまえは造媛と駆け落ちした不埒者、
二度と倉山田の家に顔を出すな。造媛もはやこの家の者ではない。
失せろ」
兄の裏切りに、日向は呆然と門の前に立ち尽くしました。
石川麻呂は造媛だけでなく、異母弟まで騙して追放したのです。
造媛は事実を知っても、それほど驚いた様子もなく、後悔と怒りに体を
震わせている日向を、哀しみに沈んだ瞳で見つめておりました。
自分の身よりも、己の感情を持てあまして苦しむ日向の方が哀れでならなかった
からでございます。
「私はどうすればよいのでしょうか」
「あなたを騙したことは深く悔いています。けれどすでに遠智媛が皇子
の妃になって、石川麻呂は皇子の側近となっています。無官で非力な私には
どうすることもできません。せめて身の回りの世話をする者を増やし、服や食料
は十分届けますから、もう少しここに隠れていて下さい」
「いつまで?」
「わかりません。時期を見て、私から皇子に事情を話し、迎えに来てもらえる
ようにいたします。それまで我慢して下さい」
廃寺は、聖徳太子の御代に建てられ,その後僧侶もいなくなり、今は
寂れた金堂だけが残っている寺院跡でございます。
里からさほど離れてはおりませんでしたが、人の往来はありませぬ。
風の音は囁きとなり、時には造媛をいたわるように優しく、時には
内面に渦巻く疑問を代弁するように荒々しく金堂の壁を揺さぶり、鋭い音を立てて
天井を吹き過ぎていきます。
まったく変化のない静寂の中で、己の内側だけを見つめる生活…。
頼れる人もなく、心配してくれる相手もいない不安は、意識に上らないだけに
かえって深く深く内側に根を下ろし、信仰にも似た強い信念の花を咲かせたのでした。
(きっと皇子様が迎えに来て下さる)
二度目の夏、夕暮れ時になると、木立の間を鋭く残照が切り込み、ひぐらし
の鳴き声が地からわき上がります。耳を塞ぐ蝉の声に、姫は一心に祈り続けました。
新しい知らせもなく、人の行き来もなく、都も倉山田の家も現実味を
失っていく中で、ただ1つの言葉だけが確信に満ちて響きました。
(きっと迎えに来て下さる)
やがて蝉が死に絶えて、つかの間の静寂がもどると、限りなく紺碧の空
から降り注ぐ秋の日射しに、子供のような無邪気な微笑を向けながら、約束の
日が来ることを一心に願いました。
話し相手といえば、月に一度、様子を見に来る日向だけ。
周囲では無知な下女たちが黙々と火を焚き、床を清め、朝夕の膳を用意して
待っております。
造媛はいつものように質素な膳を食べ終えると、就寝前の一時を、傍らに
思い焦がれる人の幻影を置いて、婚礼の晩に身につけた、華やかな盛装の一部
始終を思い浮かべるのでした。
髪を最新の唐風に高く結い上げて、額や頬だけでなく、うなじにも白粉を
はたき、額に飾った桃色の花の花鈿も愛 らしく、薄紅色の上着の
上に、桃色の領巾を身にまとい、 贅を尽くした装いでございました。
傍らに寄り添う幻の花婿は、どこかに早世した父の面影を留めた、美しく
凛々しい若者でございました。
造媛が正気であったことは、 間違いありませぬ。
その証拠に、久しぶりに訪れた日向か ら,都はとうに難波に
移り、大和にはもう皇子はおいでにならないと聞いても,取り乱すことは
ありませんでした。
「春になって気候が良くなり次第、難波へ参りましょう」
という日向の言葉に、造媛はただ静かに頷いて、
「日向様。さきほどのお話では、石川麻呂は右大臣となり、皇子に嫁いだ遠智媛
は二人目の姫を生んだとお聞きしました。そんな時に私が皇子様の元へ行ったと
しても、ご迷惑になるだけではないでしょうか。私も遠智媛を恐れて暮らし
たくはありませぬ」
きっぱりとした返事に、日向は、ただ姫を哀れむだけだった自分を見透かされたような気がして、思わず、言うべきかどうか、迷っていた言葉を口にしました。
「実は都が難波に移ったとはいえ、一朝一夕にすべての宮や官舎が移動できる
はずもございません。大和は長年都が置かれてきた土地、運ぶべき宝物も書類
も数多く残っておりますので、大臣や皇族方も大和と難波との間を行き来なさ
っている状態です」
「その中に、中大兄皇子様もいらっしゃると…」
「はい、何度も大和におもどりになっているとお聞きしています」
「ではなぜ私をお迎えに来て下さらないのでしょうか」
造媛の目が急にすがりつくような、憂いを帯びて光り輝きました。
「政や遷都の件で御忙しく、つい後 回しになってしまうので
ごさいましょう。次に皇子が大和においでになる時にはかならず、私がお連れ
いたします。約束します。ですから、早まった行動はなさらないで下さい。
大和へは、遠智媛も山田寺建立の様子を見るために来ることもある
そうです。万が一、このことが知られたら、危害に及ぶかも知れません。
どうぞお気をつけて下さい」
「わかりました」
日向は、今度こそ先延ばしにしてきたこと…皇子に真実を申し上げる…
をやり遂げようと心にい誓っておりました。
勇気のいる賭でございます。日向自身、造媛を
さらった張本人だと讒言されている身ですから、皇子が信じて下さ
るかどうか、当てにはなりませぬ。また、石川麻呂の耳にでも入れば、二人もろ
とも殺される危険もありましょう。けれど、皇子の信頼を勝ち取らなければ、将
来は暗く閉ざされたままなのです。
「遠智媛を恐れて暮らしたくはありませぬ」
造媛の言葉に、自分がここ数年、時代の趨勢に押し流され
て、自信も誇りも忘れていたことを改めて思い出したのでした。
それから十日ほどたった頃、造媛はふと古い歌を思い出しました。
君が行き日長くなりぬ 山たづね迎へか行かむ 待ちにか待たむ
(あなたが去ってからすいぶん日数が経ちました。山を探し歩いて迎えに
いくべきでしょうか、それともこのまま待ち続けるべきでしょうか)
見る者を内側から突き動かす生々しい感情に、心は震え、突然、姫の耳に自分
を取り巻いている事実が、天からの声のように響きました。
(今のままでは、決して皇子様は迎えには来ない)
本当なら絶望してもおかしくないはずなのに、かえって造媛の心は
浮き立ちました。
(待っていても仕方ない。こちらから迎えに行かなければ)
造媛は服を白い簡素なものに着替え、髪を後ろに束ねると、被布を顔が
隠れるぐらい深くかぶりました。
顔を輝かせて廃寺を去る後ろ姿を、下女達が愚鈍そうに見送りました。
その日は朝から灰白色の曇り空でした。
今にも粉雪が落ちてきそうな空の下を、造媛は被 布
をかぶり、凍えた指先を吐息で温めながら、歩き続けました。
飛鳥京の大路で日は暮れかかり、空気は藍色に染まっていきます。
噂で聞いていた皇子の宮の壮麗さ…
大路に面した、御所にも負けぬ大きさの屋敷といえば、行く手に、煌々と
松明を焚いている大門に間違いありませぬ。
主の帰りを待ちわびて、火の粉が雪空に舞い上がっております。
おりしも脇の道から灯りを手にした従者に先導された、馬上の若者が姿を見せ
ました。その顔は、気まぐれな炎に照らされて影になり光になり、はっきりとし
た輪郭は見えません。
けれど造媛はその人こそ、皇子だと確信したのでした。
「皇子様…」
造媛は被布を脱ぎ捨てて、皇子の名を 呼びながら
走り出しました。
雪のかけらが舞い散り、凍える寒さでございます。
雪で湿った地面に沓をとられて倒れ、起 きた時にはもう片方の沓を
失っていても、皇子だけを見つめて走り続けました。
気がついた時には皇子は馬から下り、すぐ目の前に、手を伸ばせば届く位置に
立っておりました。
もう一度倒れた時、皇子は泥がつくのもかまわず、姫を助け起こし、
「あなたは造媛なのか」
声も枯れて言葉にならない造媛は、かろうじて小さくうなづくと、満足の笑み
を浮かべたまま意識を失いました。
造媛の体は介抱を受けているうちに、落ち着いた呼吸を取り戻し、手足にも
温かい血が戻ってまいりました。
微かに瞼をあけて、そこに人がいるのを確かめると、再び安堵の眠りの
中へと落ちていく…そうやって眠りと覚醒とを繰り返し、三日目の朝、姫は
目を覚まし、女官に助け起こされ、はじめて中大兄皇子と向き合いました
何の飾り気もなく、朝日の中にたたずんでいる姿は、無垢な女神の降臨の
ように、神々しいまでの清澄さに満ちて、皇子は長い間探していたものを
見つけたかのような、深い安堵感に包まれたのでした。
数日後、造媛は女官達の手で装いを改めました。
髪を結い上げて金の歩揺を飾り、薄紅色の上着に、桃色の
領巾を身にまとい、まるで雪の中に咲いた 紅梅のようでございました。
導かれるまま、中庭に面した大広間へ参りますと、一面雪で覆われた庭園を
背景に 婚礼や祝いの席に欠かせぬ楽人たちが笙篳 篥
羯鼓を手にして、越天楽の曲を、ある時 は地を這うように厳かに、
ある時は舞い上がるように高く低くかき鳴らし、聖なる契りを祝福したのでした。(註※越天楽/雅楽の曲の名前)
中大兄皇子もまた盛装で姫に寄り添い,その手に手を重ねました。
その瞬間、二人の間を隔てていた年月と、石川麻呂や遠智媛らの
企みは取るに足らない雑音として背後に追いやられました。
もちろん石川麻呂の方でも皇子の異変に気づかぬはずがございません。
急に訪れも手紙も途絶えたのです。
今までは数多くの愛人がいらっしゃっても遠智媛を、正妻として
大切になさっていたのに、そうした配慮をお止めになってしまいました。
それは忘れていたというより、皇子のはっきりした意志が込められていたよう
な気がしてなりませぬ。
遠智媛の方は、どんな女であっても、身分の点で自分の地位を危うく
するような相手がいるはずもないと、たかをくくっておりました。
ですから、真相がわかった時石川麻呂の家中がどれだけ驚き、衝撃を受けた
かは言うまでもありません。
宮中からもどった石川麻呂は、荒々しい足音を立てながら、まっすぐ遠智媛
の屋敷へと向かいました。
「こんなことになると知っていれば、倉山田家のために、二人を亡き者に
しておいたのに!」
娘の顔を見るなり,熱に浮かされたように血なまぐさいことを口走りました。
「二人」とは、造媛と蘇我日向殿のことでございます。
石川麻呂は我が身を案じるあまり、弟と兄の娘を殺したい、と申したのです。
「皆が噂しておった。中大兄皇子は日向をお呼びになって話を聞いて
『よくぞ姫を守ってくれた』と、労をねぎらった上に『そなたは石川麻呂の弟と
は言いながら、ずいぶん若い。私とほとんど年が変わらないように見える。誠実
そうな目をしている』と、親しげに声をおかけになったというではないか。
日向は父が晩年下女に手をつけて生まれた子だ。あのような卑しい血
を引く者が倉山田家の一員などと、片腹が痛いわ」
遠智媛は父の逆上ぶりに、陰鬱な笑みを浮かべながら、
「でもお父様は日向殿を利用したのでしょう」
石川麻呂はさらに興奮して、
「その通りだ。わしはあやつを利用した!造媛を任せれば、手
をつけて汚してくれるだろうと期待しておった。しかし現実は違っていた。
あやつは亡き兄上(造媛の父)に忠義面して、匿っていたのだ…ああ…」
と、拳を苦しそうに額に押し当てながら、
「皇子の、私を見る目は嘲笑っていた。氷のようであった。冷ややかに笑いなが
ら『右大臣よ、娘が見つかって、さぞうれしかろう』と、そう仰ったのだ。
皇子は私の企みを全て知っておられる。そなたも覚悟しておくがいい。
夫とはいえ、もはや心を許してはならぬ。二人の姫君を守るのだ」
遠智媛は心の隅で、姫ではなく男児が授からなかったことを、
あらためて口惜しく思いました。
跡継ぎとなる男児であれば、皇子が倉山田の家を敵に回すことなどできるはず
がなかったのです。
数日後、皇子は数ヶ月ぶりに遠智媛のもとを訪れました。
二人の幼い姫君が、父君に甘えようと笑いかけたり、舌足らずな声で話しかけ
たりなさいましたが、皇子はお子様たちをあやしながらも、その表情はどこかに
心を置き忘れてきたかのように暗く、虚ろでした。
遠智媛ともろくに視線を合わせようとはなさいません。
皇子は姫君たちを乳母の手に返し、杯に注がれた酒を一気に飲み干して、
はじめて妻と目を合わせ、単刀直入に切り出しました。
「そなたの姉が見つかった。その話は聞いておろう」
「…はい」
「婚礼の夜に逃げたのではなかった。日向が、身に危害が及ばぬよう、
廃寺に匿っていたのだ。私が無事を確かめたので、先日、改めて我が屋敷へ妃と
して迎え入れた。まことにめでたい。そなたもそう思うであろう」
「…」
遠智媛は組んでいた指先を固く握りしめ、床を見つめておりました。
皇子はもう一度杯を干し、険しい皮肉の笑みを浮かべながら、
「これからは造媛が正妻となり、倉山田家の大刀自(女主人)の地位も受け
継ぐことになろう。そなたはあくまでも姉の身代わり、一時代わりを勤めたに
過ぎない。石川麻呂のおかげで政も落ち着いた。
そなたにも感謝はしている。今後は右大臣の娘として、達者に暮らすといい」
遠智媛は気性の強い方だったので、涙で皇子様のお情けを乞うような
真似はなさいませんでした。そうした強さが、かえって皇子の機嫌を損ねたのか、
「その目つきは何だ。私を怨んでいるのか。石川麻呂は我が子可愛さの
あまり私を騙して、実の娘を押しつけた。そなたは身代わりなどではない、
姉の地位を奪った盗人ではないか。もし造媛に危害を加えるよ
うなことがあれば、容赦はせぬから、そう思え」
と、きつい口調で言い放ったのでした。
遠くから、幼児の泣き声が鋭く沈黙を引き裂き、遠智媛は身を翻して
奥に駆け込みました。泣いている姫君を抱きしめると、その体に顔を押しつけ、
声もなく涙を流したのでした。
皇子がことさら遠智媛を憎んでいたとは思えませぬ。
「過去の妻」になったに過ぎないのです。
女にとって、憎まれた方が忘れられるよりどれだけ楽だったことで
ございましょう。捨てられた女には過去を思い出す以外にはないのです。
大化元年(645年)冬、正式に難波京への遷都の詔が下されました。
難波の地は古来より筑紫や東国へ向かう船旅の要所として、栄えておりました。
かつては大雀命(仁徳天皇)の宮もあった、という言い伝え
もございます。その後都が飛鳥に定まってからは、難波に都が置かれることはあ
りませんでしたが、蘇我本家が滅びたことで、にわかに遷都が決まったのでした。
血なまぐさい思い出を少しでも早く払拭したいという、皇子のお気持ちがあったに相違
ありませぬ。
難波京への遷都の途中、飛鳥京では不吉な出来事がありました。
人の減った宮殿に野猿が侵入して、鳴き騒いだそうでございます。
猿が人里に現れることなど、飢饉の冬でもないかぎり、滅多にありませんでした。
人々はこれを「都が荒れる前兆だ」「野猿は伊勢の神の使いというではないか」
と噂し合って気味悪がり、命令に従おうとしませんでした。
そんなわけで建物などは計画通り次々と完成していっても、遷都そのものは
遅々として進みませんでした。
しかし中大兄皇子は人の思惑などお構いなしに孝徳天皇を速やかに難波へと
遷御させ給い、ご自身も皇族方を連れてさっさと移ってしまいました。
造営されたばかりの都はどこも木の香りも初々しく、海に近い立地もあって
陽光の明るさは、真新しい屋根瓦に反射して眩しいほどでございました。
宮中の庭には各地から集めてきた奇岩を積んで築山を作り、乙巳の変の
後に左大臣となった阿倍倉梯麻呂や、右大臣倉山田石川麻呂なども、
率先して自らの屋敷を飾り立て、遷都の雰囲気を盛りあげようとなさいました。
ようやく世間も落ち着いてきて、庶民の市など立ち始めると、自然と人の
往来も増えて、小さいながらも難波は日に日に都らしくなってまいりました。
けれど中大兄皇子は、今では難波の地に居心地の悪さを感じておりました
本心を言えば、すぐにでも飛鳥に帰りたくてならなかったのです。
一方、石川麻呂も、父の代から続いている山田寺建立を視察するために
たびたび一族を連れて飛鳥へ行きました。
遠智媛もまた二人の姫君の手を引いて、蘇我氏の威信をかけて造
営中の境内を見て歩いたものでした。しかし滞在先は夫君・中大兄皇子の屋敷に
ではなく、倉山田家の屋敷でした。
皇子の屋敷には、入ることを許されませんでした。
妻が夫が同じ家に住むのは、身分のある正妻だけに許された特権でございます。
おりしも石川麻呂一族が山田寺を視察していた頃、造媛は皇子の屋敷で
無事男御子を出産なさいました。
名は「健皇子」
中大兄皇子の初めての男子。
母親は、右大臣・石川麻呂の長女。
未来の皇太子と申し上げても過言ではございませぬ。
境内でその話を聞かされた遠智媛は、挑発的に背筋を伸ばし、皇子の屋敷の
方角をキッとにらみ据えました。
倉山田家に初の皇子が誕生したのに、一族に暗雲がさすとは、あまりに皮肉
な話ではありませんか。
これが遠智媛の出産であれば、石川麻呂も狂喜して踊り出したで
しょうに、今は周囲の祝いの言葉を虚ろに聞き流しているだけでした。
形式上の祝辞と貢ぎ物を送った後、倉山田家は口を閉ざしました。
「健…」
中大兄皇子が馴れぬ手つきで健皇子を抱き上げ揺すると、赤子は居心地が悪く
なってむずがり始めました。
まだ生後半年しか経ていないというのに、手足もしっかりしていて、華奢な
母の腕の中では対照的に大きく見えるのでした。
皇子は「子供まで生まれた以上、飛鳥の僻地に置いておくわけにはいかない」
と、難波に来るよう強く言うのですが、造媛はどうしても首を
縦に振ろうとはしませんでした。
(石川麻呂たちがいるからか。そうなのだな。これは憎しみか。だとしたら、
ずいぶん身勝手なものだ。だが、嫌いなものは嫌いだ)
中大兄皇子も、はじめはそんな自分の気持ちを持てあましていたのかもしれ
ませぬ。
策略とはいっても、遠智媛にわずかな愛情がなかったわけでは
ありませんから、石川麻呂に向ける目にも敬意や労りの情があったことでしょう。
けれど造媛と出会い、健皇子が生まれてみると、皇子は
はじめて家庭の温かさを身に染みてお感じになったのです。
今まで中大兄皇子の妻になった女性は、人恋しさに一夜の関係をもった女官や、
政略結婚で迎えた豪族の娘ばかり。
自ら選び、愛したのは造媛一人でした。
皇子は、形にならぬ自分の気持ちなど意味がないと、肌で感じておりました。
妃とは、実家の後ろ盾があってこその存在。
他人の目には、愛もまた一時の感情に過ぎず、どのような深い寵愛を受ける
妃といえども確固たる基盤がない限り、いずれ廃れるものと映るのでした。
石川麻呂がいる限り、姫には帰る実家もなく、健皇子ともども
皇子だけが頼りかと思うと、哀れさに胸が痛み、焼かれる思いでございました。
それは姪より実の娘を幸せにしたかった石川麻呂の親心と、同じ種類
と申せましょう。
まことに愛情は、時として人を恐ろしく身勝手にするものでございます。
大化五年のある日、皇子は蘇我日向殿を呼びつけて、
「石川麻呂はさぞかし私を怨んでおろう」
と、ご下問なさいました。
日向は微かな戸惑いをおぼえながら、
「いいえ、怨むどころか、造媛への扱いを悔いております」
「悔いて、どうなるというのだ」
「さあ、私にも兄の意図はわかりかねますが、周囲の者に『悔いている、造媛に
お詫びしたい』と、申しているそうでございます」
「私を恐れているのだな」
「倉山田家の者たちは、皆、皇子のお気持ちを推しかねて、当惑しているだけ
ではないかと存じます」
皇子は歪んだ笑みを浮かべて、
「『窮鼠猫を噛む』という言葉もある。石川麻呂に『気にするな』
と言ってやれ」
と、吐き捨てるように仰せになったのでした。
大化五年三月、突然石川麻呂は、皇子に対する謀反の罪を問われました。
「帝の前で申し開きをさせて下さい!」
と叫ぶ石川麻呂に対して、孝徳天皇は謁見を拒否し、逮捕するよう詔が
下されました。
帝の使者との押し問答の果てに、石川麻呂は飛鳥への逃亡を決意します。
故郷、飛鳥は蘇我氏の本拠地であり、長男の興志も山田寺建立
のために滞在しておりました。
石川麻呂が一族を連れて逃げ延びようとする中、遠智媛だけは難波京に
残り、父を見送ろうとしておりました。
「お父様、これからどうなさるおつもりですか」
「飛鳥には息子たちがいるから、とりあえず合流する…帝も直接お会いして
お話すれば濡れ衣だとわかって下さるはずだ…」
石川麻呂は、自分でも当てにならないと知りながら、一縷の望みにかけて
そう呟きました。足早に去ろうとしている父の背中に向かって、遠智媛は
たった一言、
「あの女がお父様を密告したのでしょうか」
日頃無口な娘の思い詰めた口調に、石川麻呂は思わず足を止め、
「わからない。だが、私はそう考えたくない」
と、足下に視線を落としました。
この後、石川麻呂は山田寺に立てこもり、家族を道連れにして非業の死を遂げました。
公式の記録によりますれば、石川麻呂は山田寺の金堂で首をつって自殺した
そうです。しかし同じ記録の別の箇所では、「二田塩という
兵士が大臣(石川麻呂)の首を斬って、その話を聞いた遠智媛がひどく
衝撃を受けた」と書き残しています。
「首級を帝にお見せするために、遺体から切り落とした」と解釈もできます
が、それならわざわざ「斬らせた」と書くでしょうか。
また、父が自殺をしたのなら、娘の遠智媛が「父が塩に斬られ
た」と衝撃を受けるでしょうか。斬殺されたから、悲しんだのではないでしょうか。
私は石川麻呂は自殺ではなく、中大兄皇子の命を受けた兵士の手で殺されたのだ、
と確信しております。
驚いたことに、事件からしばらくして、皇子自身が「石川麻呂は無実だった。
悪いことをしてしまった。悔いている」と大げさに嘆いて見せたのです。
もちろん本心では、悔いてなどはおりません。
しかし、このままでいれば、造媛まで「謀反人の娘」という
汚名を着ることになります。石川麻呂を抹殺し、なおかつ姫の名誉を守るために
は、口先だけでも「無実だった」と、名誉回復する必要があったのです。
その後、皇子の名で没収していた石川麻呂の財産をすべて「遺族に返却する」
と称して、造媛母子に与えてしまいました。
遠智媛には今の屋敷に住み続けることを許されただけで、父の遺
産は
何1つ受け取ることはありませんでした。
皇子の策略を察して、遠智媛は自分の部屋に籠もったまま、いっ
そう深く沈黙の海の底に沈みました。
鎧戸を閉ざした暗い室内で、ほとんど食事も口にせず、寝台
の上に正座して、
「あの女の仕業なのですね。造媛がお父様を密告したのですね」
侍女が声をかけた時だけ、唐突にそう呟く姿は、哀れでもあり、薄気味
悪くもありました。
石川麻呂の誅殺から数日もたたないうちに、皇子は造媛の元へ来て、
「飛鳥は血で汚れてしまった。そのような場所に健皇子を置いてはおけぬ。
すぐに難波に参れ」
と、有無を言わさず、難波行きを承知させてしまいました。
出立の朝、造媛は健皇子を抱いて輿に乗ると、忌まわしい記憶を
締め出すように、簾を下ろし、懐かしい景色を振り返って見よう
とはしませんでした。
皇子は「いつでも顔が見られるように」と、ご自分の屋敷の隣に贅を尽くした
新しい屋敷を用意し、難波に着いたその晩には、全ての雑事を投げ出して、姫を
両腕で包み込みました。
造媛は恐ろしいほどの幸せの中で、皇子の手が優しく髪を撫
でるのを感じながら、その胸に顔を埋め、啜り泣きました。
嬉しさと、罪の意識と、悲しさの入り交じった涙でした。
石川麻呂は伯父や従兄弟の血で手を染めた、蘇我氏
の中の裏切り者でございます。今度は自分が身内に裏切られ命を落としたとして
も自業自得、誰を怨むわけにもいきませぬ。
けれど、生き残った遠智媛や二人の姫君には何の科もありません。
造媛回りの者に、遠智媛の様子を尋ねると、
「姫君方はお元気だと聞いておりますが」
と誰もが言葉を濁し、中には口元を手でおおいながら、
「部屋に籠もったきり、外にはお出にならないので、すでに亡くなっていると
噂する者もおります。お付きの侍女も寄せ付けず、滅多に人も訪ねて来ないので、
確かめる者がいないのです」
と、気味悪そうに言う者もおりました。
「気鬱に伏せっておいでなら、なおさら慰めて差し上げなければ…
…私のものだけれど、遠智媛様のところへ届けておくれ」
造媛はまだ袖を通していない紫色の上衣と赤い裙に、
金の歩揺や玉環を添えて、送り届けさせました。
「遠智媛様…」
侍女が、恐る恐る扉を開くと、遠智媛は昨日と同じように寝台の上に
座ったまま、ふり向こうともしませんでした。
「造媛様から贈り物でございます。お召し物です。『これに着替えて、
たまには外へおいでになりますように』との伝言が添えられておりました。
手にとってご覧になりますよう、こちらに置いておきます」
侍女は、なるべく音がしないように寝台の隅に、衣装一式をくるんだ包み
を置きました。
一人になると、遠智媛は贈り物から微かに漂う香りに惹かれ、傀儡子
のようにぎこちなく、包みを開きました。
中から服に炊き込めた香の匂いがふわりと舞い上がり、遠智媛は一瞬懐かしさ
で、気が遠くなりかけました。
思わず小袖や裙を抱きしめて顔を埋め、
「懐かしい!あの晩に着ていたものと同じ香りがする…」
嫁ぐ日、遠智媛は着ている衣装すべてに同じ香を炊き込めていて、金の
歩揺も玉環も、あの時身につけていたものと酷似しておりました。
なつかしい記憶に刺激されて、封印していた激しい感情が蘇りました。
あふれ出した涙の勢いに耐えきれずに、遠智媛は衣装の上に倒れ伏し、
しばらくの間、溺れる人のように紫色の上衣を掴んでおりましたが、ふと何か
を思い出したのか、宙を見つめました。
「造媛…」
乱れた髪の間から、泣きはらした瞳を輝かせて、何度も造媛の名を呟いた
のでした。
この年、健皇子は、数え年で三つになりました。
浜辺で拾った貝殻が、お気に入りのおもちゃの一つでございました、
「ひとつ、ふたつ、みっつ」
健皇子は、貝を三つ、唄いながら地面に並べると、人の爪先のように薄
く淡い桜貝をつまみ上げ、母の造媛に向かって、うれしそうに
「きれいな、かいが、みっつ」
と片言で笑いかけました。
「そう、貝は三つですよ、あたり。あなたは賢いお子ですね」
造媛はゆったりと満足そうに微笑み返しました。
遅い春の夕暮れ時、母と子はいつもよりも長く、庭で過ごしておりました。
「そろそろ風が冷たくなってまいりました」
乳母にうながされて顔を上げると、空は微かに色あせ、西の方角から
黄昏が近づいて来ていました。
風向きが海から山へ変わったのか、風に、樹木の匂いがしました。
姫は、難波京へ来る途中、山越えをした時、同じ匂いに遭遇したこと
を思い出しました。
長い時間をかけて堆積した樹液や落ち葉に根を下ろした、大樹のみが
放つ、清々しい神聖な空気でした。
古来から飛鳥と難波京の間には、丹比道という街道が通って
おります。決して険しい道ではありませんが、ただ一カ所、二上山の南側を
通る竹内峠だけは、それなりの山道でありました。
春先、山の樹木は怖いほど勢いよく枝を伸ばし、峠道では、空が見え
ないほどでした。
造媛は休憩の時、乗り物から降りて、そばにあった樹齢数百年は越え
ようとするケヤキを、無言でこちらを見おろしている巨人のように、畏
怖の念で見上げました。
その木の前に立っていると、幼い健皇子を抱いて立っている自分が、いか
にも小さく、弱々しいものに思えてなりませんでした。
大木はまた、中大兄皇子の姿とも重なりました。
いつしか皇子の力は、造媛が追いつくことのできないはるか高みにまで
達していたのです。
難波京でまた、権力という僅かな太陽光を求めて、多くの大樹が天空
に向かって枝葉を競って伸ばしているかのような世界でした。
(そんな中で、私も健皇子も無事でいられるのだろうか)
姫は不安を打ち消すように、
「さ、中へ入りましょう。お風邪を引いてしまいます」
まだ貝遊びに熱中している健皇子に声をかけ、抱き上げようとすると、向
こうの木立の後ろで何かが動いたような気がしました。人影は、時折植え
込みに服の裾をひっかけてガサガサと音をたてながら、無我夢中でこちらに
近づいてきました。
造媛は、木々の間に見え隠れしている、赤や紫色の服に見覚えがあるのに気がついて、
「遠智媛?遠智様なの?」
と声をかけました。
(幻だろうか)
幻ではありませんでした。
遠智媛が、先日贈った紫色の上衣に赤い裙 《も》をつけ、高く結い上げ
た髪には金の歩揺をさして、誇らしげに踏み石の上に立って
いたのでした。
それはかつて、石川麻呂の権力が絶頂を極めていた頃、女主人として
山田寺を訪れたのと同じ、誇り高い姿でした。
「やっと外へ出られるようになったのですね…」
そう言いながら一歩前へ出た瞬間、遠智媛もまたすばやく駆け寄りました。
その後のことは、目撃していた乳母も、あまりの衝撃に,思い出すだけで
気が遠くなったそうでございます。
まことに人を殺そうと決意した者の力はすさまじく、遠智媛の手に握ら
れていた小刀は、造媛の胸を突き通しました。
細い腕に、どれだけの怨みが籠もっていたのか、刃の先端が、背中から飛
び出して見えたと申します。
引き抜いた小刀は、血の筋を引きながら、横にいた健皇子に向けられました
が、刃はわずかにそれて、幼児ののど首の下を傷つけただけでした。
乳母は、自らの体を盾にして健皇子を守り抜きました。
地面に接した造媛の半身が、みるみる赤く染まり、やがて自らの血だまり
の中に浸かっておりました。
健皇子を見つめながら開いた唇は、終に言葉にはなりませんでした。
健皇子は乳母の胸にめりこむほど強く抱きしめられながら、傍らで母がゆっく
り死んでいく一部始終を目撃していたのです。
遠智媛は造媛の傍らで自害したとも言われていますが、定かなことはわか
りませぬ。詳細な記録が残っていないのです。
皇子の造媛に対する、あまりにもひたむきな愛情を思うと、その後の遠智
媛の身の上は想像がつきます。
世間がまとこしやかに語るように、その場で皇子自身が手を下して成敗した
としても、何ら不思議はありませぬ。
皇子にとって、最愛の人を失った自分の哀しみに捕らわれるあまり、
遠智媛の哀しみも怨みも寂しさも、眼中には無かったことでしょう。
愛とは、まことに人の視野を狭くする,残酷なものでございます
健皇子は目の前で母を殺された衝撃のせいか、あるいは喉首の傷のせいなの
か、その後幼くして亡くなるまで、二度と言葉を発することはありませんでした。
わずか八歳の短い一生でした。
いつの頃からか世間には、愛する妻を失った皇子の哀しみを歌った曲が流
れるようになりました。
山川に 鴛鴦ふたついて 偶よく たぐえる妹
を誰か率にけむ
…山や川辺に仲良く並んでいた鴛鴦のように、あの愛する人を、
誰が連れて行ってしまったのだ…
本毎に 花は咲けども 何とかも 愛き妹が
また咲きいできぬ
…春が来ると、いたるところで花が咲くが、それが何だというのだ。
愛する人は二度と花開くことはないのに…
健皇子の早すぎる死が、その後どんな結果をもたらしたか、ご存じの通りです。
どうしてもわが子に後を継がせたかった中大兄皇子は、卑しい侍女に産ませた
次男を皇太子に指名して、戦が起き、国は乱れ…難波京も衰退いたしました。
同時に、蘇我氏も、ますます没落していきました…
戦火は、それまで栄えていたものを全て灰に変えました…
これにて私の語りは終わりでございます。
武智麻呂様、私の長い物語にお付き合いいただいて、ありがたく存じます。
そんな寂しい目はなさらないで。
人生がいつか終わるように、物語もまた終わりを迎えてこそ完成するのです。
終わらない愛も、終わりのない物語も、興味ありませんわ。
…私たちの物語はまだはじまったばかりですって?…
武智麻呂様と私が、これからやってくる藤原氏の栄華の物語に、愛の一編を
書き加えるかもしれないと…
それもまた、ありかもしれませんね…