第漆話:花見〈前〉
晴れ渡った春空の下、二人の男と1人の少年と一匹の黒猫が歩いていた。
麗らかな暖かい1日になることを予期させる晴天から感じさせる陽気に彼らの眼は知らず知らずに並木を眺める。
枝垂れ桜だ。日本でも数の少ない桜だが、この路には平生のように立ち並び、美しい花弁を散らしている。
今日は絶好の花見日和だ。口には出さないが、彼らは皆、そう思っていた。
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それは、庭の桜が綻んだ日のことだ。
藤色の作務衣に白髪の男、八雲は山芋をすり下ろしながら、格子窓から見える並木を眺めていた。
「きれーに咲いたなあ」
そう呟くと厨房で働く面々もそうですね、と口々に言った。
「桜見ながら花見酒といこうか。昨日いいの買ってなあ」
そんな他愛もない話で花見に思いを馳せつつも彼らは次々と作り上げていく。
旬の野菜に山菜。
筍。タラの目。わらび。
「あれ……、八雲さん。この花って…」
篭にこんもりとあげられた瑞々しい新鮮な野菜(山菜)のなかに路でよく見かけるものを見つける。
「ああ。それは"ばっけ"だな」
「ばっけ? 蕗の薹じゃないんですか?」
「蕗の薹だよ。方言でばっけっていってな。花がさくまえのを天ぷらにすると旨いんだこれが、ほんのりと苦みがあってな」
そう言って八雲は"ばっけ"に衣をつけて油へ投入する。
ぱちり、ぱちりと衣が爆ぜた。
「じゃあこれも食べるんですか…?」
「土筆か? これもなかなかイケルぞ」
春の山菜には多岐に渡る種類がある。
そういった知識の乏しい小羽は常に新鮮な驚きを感じていた。
八雲の話ではこれらの野菜らは朱波近隣の山で採れるらしい。
『今の現世ではあまりそういう所は無くなったなぁ』と、八雲が淋しげに呟いたのが小羽には深く印象づけられた。
この場所は確かに不便だ。
電気も、車も、コンビニも無い(あったとしても小羽は一度もコンビニに行ったことは無いが)。
小羽は思う。
此処は澄んでいる。色々なモノが。
あの部屋から見ていた空も、ここではまるで違う。あそこでは星は全く見えない。それだけでも大きな違い――。
吹く風も、咲き誇る花や生い茂る草も。
歌う鳥や流れる川も、ここに住まう彼らも、小羽が居た世界とは比べモノにならないほど、綺麗だ。
だからこそなのかもしれない。
己のような存在がこの世界に居ていいのか……。不安と、どこからか責める疎外感が小羽を苛む。
汚れた世界から来た汚れた自分は、彼らには迷惑ではないのか。
それすらも、世界を汚すヒトのエゴだと、小羽の心は囁いていた―――――――。
蕗の薹の天ぷらの味を想像しつつ、作業は進む。
本日は前々から予定されていた花見の日。
この花見は毎年行われているらしく、朱波の住民たちも幾らか参加するという。
この日は屋敷の上下関係も無視する無礼講だとも八雲は言う。
「花見ったらやっぱ酒だな、うん。弁当も出来たし、完璧だ」
筍飯を漆塗りの高そうな重箱に詰め終えた八雲はなんまり笑って一升瓶を掴む。
荒々しい毛筆で『雲漆』とかかれた清酒だ。たぷんと内に満たされた酒が己を飲めと誘う。
「さて、会場も準備出来ている頃だなぁ。小羽、ちょっと見てきてもらえんか」
八雲は浮き足立っていた。顔がほころんでいる。目尻に皺のよる、人懐っこい笑みだった。
「はい」
袖を留めていた紐を取り払う。今日の小羽の着物は何時もの簡易なものではなく、しっかりとした振袖だ。浅い紅の生地に白抜きの桜の花弁が栄える美しいもので、今朝方鈴が僅か数分で着付けてくれたのだ。
その時の鈴はやはり無表情で、一瞥すらくれなかった。そこに、小羽の不安がチクリと痛む。嫌われているどころか、無視されているらしい……。
会場もまた見事なものだ。
枝垂れ桜の古木が枝を重ね合わせる、薄桃の舞台。時折吹く風が枝を揺らせば、花弁は桜吹雪となって視界一杯に美しく散る。
その特等地に敷かれた紅の敷物。立てられた日傘。肴をあぶるための七輪。
完備された花見舞台。それを準備していた人々は一息ついて談笑している。
「おっ、小羽ちゃん。どったの?」
煙管をふかしていた男が小羽に気づき声をかける。
有火の屋敷には多くの妖が働いている。彼らの大体は気だてのいい親しみやすい者だ。小羽を見かけると軽い挨拶をかけてくれるし、時折他愛のない雑談もしたりする。
「厨房はいいんか?」
「はいっ。もう料理は作り終わってて、こちらの様子次第で始められるそうです」
「そうか。じゃ、小羽ちゃんも一休みするかい? 立ちっぱなしでキツイだろ?」
「お茶もあるぞー」
「あっ、こら抜け駆けすんなっ。あ、団子食べるかい?」
「あぢっ、茶が零れるっ」
大の男たちが争う。
微笑ましい光景だ。少なくとも小羽にはそう見える。彼らは真面目に小羽を労っているのだが、どうやら争奪戦のようになってきている。
「駄目ですよ。お茶もお団子もお花見用です」
くすりと微笑み、やんわりと咎める。
久方振りに、小羽は笑った。悩みばかりの毎日に、本当に、心からの笑みを見せて。
その向日葵の微笑みに、彼らは諍いを止めて笑いを見せる。
「笑った小羽ちゃん。始めてみたよ」
「俺も」
この屋敷にきて数週間ほど。
小羽は仕事を覚えようと必死で、それこそ見ている彼らが心配になる程働いていた。
ひたむきな姿勢。疲れた表情は隠していたが、やはり肉体的には疲弊してゆく。
そんな小羽を屋敷で働く者たちは好意的に見ていた。
だからこそ、小羽が見せた心からの微笑みが彼らにも嬉しかった……。
「やっぱ可愛いなあ、小羽ちゃん……」
「ああ……可愛いし、一生懸命だし、ほんといい娘だよなあ…」
小羽は優しく一瞥して屋敷に戻っていった。その背を眺めてぼんやり彼らは呟く。
花見の準備は整っていた――――。
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花の雪がひらりと風に踊る。
花弁を掌に受けて、季杉想也は鳥居をくぐった。
朱の鳥居の向こうには和風の偉く豪華な屋敷が佇む。山道の中に在る屋敷の周囲や路のあちらこちらに霞のように花弁が舞う。
「着いた。風、疲れてないか?」
そう言って振り返る彼の背後には特徴的な容姿の幼い子が歩いている所だった。
赤地に金メッシュの入ったかなり人目を引く色合いの髪。ややつり目の双眸は金。まだ十にも満たない少年であった。
風と呼ばれたその子供はコクリと頷く。疲れていない、という意思表示だ。
「お、着いたんやな」
風の背後で関西訛が響いて、それに続くように男が歩いてきた。
やや逆立った金髪に左耳には銀のピアスが光る男だ。顔は美形の部類に入るだろう。
服装はやや大きめなカットソーを着た風とは対称的に薄い矢羽柄の着流しを着ている。ただし履き物はなぜかブーツだった。
「んあー……、流石に山道は疲れる」
「だらしないですよ景都さん」
「しゃあないやん。わい運動苦手なんや」
軽く体を伸ばして金髪の男は歩を進めた。目的地は直ぐそこだ。
言ってしまえば派手な外見の二人に対し、想也の外見はごくふつう。
短めの黒髪に焦げ茶の瞳。服装は黒のカジュアルジャケットにジーンズ。純日本人の、極々ふつうな青年だ。歳は若く、高校生くらいか。
背負っているザックを直し、二人を促して想也は歩みを進める。
そんな彼らの前に、チリン、と銀の鈴が響く。
しなやかな動きで先頭を走る黒猫。歩く度に赤い革ベルトの首輪に付いた鈴が愉しげに鳴いている。
黒猫は楽しそうに跳ねていく。
「こら銀河。先行ってもいいけど迷惑かけるなよ」
春の陽気に気分が高揚しているのか、黒猫は一直線に屋敷へ走っていく。その後を追うように、彼らも屋敷へ向かっていった。
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「久し振りやな有火。元気やったか?」
明るい関西弁が響く。
風と銀河を先に花見会場に往かせ、想也と景都は有火の屋敷に向かった。
屋敷の主は彼らが来るのを察知してなのか、正門の懐にある簡素な長椅子に腰掛けていた。
「久しくだな……。お前が来るとは思わなかったぞ…景都」
「たまにはなあ、親友の顔くらいみんと。忘れられちまうやろ?」
「……お前は相変わらずだな。……想也もよく来てくれた」
銀の双眸を想也に向けて有火は頷く。
この男は笑顔が苦手だ。故に多少なりとも彼の印象を鋭いものに変えてしまう。
「ん、有火も元気そうだね」
「相変わらずおっかない顔してるわー。もちっと柔らかくならんのかいな、わいみたいに」
想也の挨拶に景都の軽口が重なる。
「…燃やすぞ」
「ひど! 怖いなあ。とまあ、久し振りにあったんやし積もる話もぎょーさんある。花見往こうや」
軽妙な景都の話術には聴いていてどこか心地良いものがある。
相変わらずな友人を前に有火も苦笑を呈し、腰を上げた。
「花見の席はこっちだ」
からん。有火の履く高歯の下駄が敷石に軽い音を刻む。
少し遅れて花見会場に付いた三名を愉しげな喧騒が迎える。始まって間もないためまだ酒には手をつけず、皆雑談や料理に舌鼓をうっていた。
「おうおう、やっとるなー」
「今年もいい桜だ。"こっち"とはまるで違うよ」
想也の比喩う言葉をすり抜けて景都は我先にと藤色の背に向かっていく。あの背は八雲だろう。
「酒びだしめ」
ため息混じりの皮肉を漏らす想也。どうやら彼らはすでに酒盛りを始めているようだ。
「…おまえは呑まないのか? ヒトの年齢でも飲酒できるだろ?」
「あんまり強くないんだよ。顔のせいで未成年に見られて酒買おうとすると補導されるし……」
どう見ても二十歳にも満たないであろう顔立ちで想也は苦笑をみせる。童顔、にしてもあんまりだろうが、彼は既に成人式を迎えていた。
「さて、俺らも往こう。けっこう腹減ってるんだよ。ここ来る前に一仕事したから」
「ああ……」
―――花見はまだ、始まったばかりだ。
〈続〉
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