第肆話:妖
さらさら さらさら
緩やかな川の流れに沿う河川敷。
春草の柔らかな感触。
甘い、飴。
暖かな、太陽の輝き。
そのどれもが、小羽という少女にとっては新鮮な刺激だった。
そしてまた一つ、不思議な存在を識る。
隣りを見る。
そこには狐の少年の姿がある。比喩ではなく、確かに狐なのだ。
三角形の耳。フワフワした金茶色の体毛。曲線のように細い眼。髭に鼻、と顔は狐。
市松模様の着物を着た、子供のような背丈。
狐のにくきゅうそのままの手にはべっこう飴の棒が器用に握られていた。
「さっきはごめんなさい。いきなり叫んで…」
「う…うん…」
小羽の言葉に狐は頷く。少し怯えているように、着物から飛び出している尻尾は力無く震えている。
「あの……」
もじもじとべっこう飴を両手でいじりながら躊躇いがちに狐が切り出した。
「人間……なんですよね?」
「う…うん…。……あなたは……〈妖〉…なんですよね…?」
両者は切れ切れに言葉を繋ぐ。
「ビックリした。不思議な所だとは思ってたけど、まさか妖の町だったなんて…」
そう呟く小羽の表情は言葉とは裏腹に晴れやかなものだった。
彼らはヒトではない存在。アヤカシ。
ヒトとは異なる姿をしたモノたち。〈異世〉に在るこの朱波という町。
狐の少年から知らされたのは、この町にはヒトはいないということだ。
目の前に見せられては否定もできない。むしろソレをすんなりと受け入れている自分に小羽は少し驚いていた。
「そ…そんなに驚いてないんですね…。普通の人ならとてもビックリするのに…」
「驚いてるけど、納得はしてます。不思議なことがあったから…」
――思い返す。宵の刻。
狐面を被った主人の姿。
「みんな…」
「うん。妖だよ。人は多分、お姉さんだけ」
「あの飴売りさんも?」
「うん。普段はみんな人の姿に化身してるんだ。人は器用だから…」
尻すぼみに言った狐は己の手を見る。
「…僕は力が弱いから化身できないんです」
くたり、と、耳が力無く垂れる。
「……あの」
「?」
「私は小羽っていいます。あなたの名前、教えてくれませんか?」
他意の無い、柔らかい笑顔をみせ小羽は言った。
「えっ……あの……そのう……」
しかし小羽の問いに狐は何故かあたふたと慌てている。
何か困ることを言ったのか、狐の慌てぶりに小羽は戸惑った。
「あの…私何か悪いこと言いました?!」
「ううん、そうじゃなくて………そのう…笑わない?」
「はい」
頷く小羽を見て、狐は暫し迷ったあと、小さく告げた。
「……嵐」
小さく呟くような声。狐は恥ずかしそうに耳を手で隠した。
「嵐さん。素敵な名前ですね」
「ほんと!?」
「はい」
嵐はばっとはねおきて照れたように顔を赤くする。
そんな様子が可笑しくて、小羽は小さく笑っていた……。
「楽しそうだな」
ふわり、と風が1つ吹く。その風に言葉が重なった。
聞こえた背後からの声に振り返ると、藤色の作務衣が視界に映る。
「八雲さん」
「迎えに来たぞ」
作務衣の懐に手を預ける八雲の少し後ろにはいつも通り無表情な鈴が佇んでいる。
「よく此処にいるってわかりましたね」
この場所は2人と別れた場所から少し離れていた所にある。
「まあな、『風に聞いた』んだ」
八雲は悪戯な笑みをみせる。
「?」
「さて、往くか。そっちの坊主は?」
「嵐さんです」
狐の少年に気付いた八雲に小羽が言う。するとなぜか八雲は琥珀の眼をふせて小さく呟いた。
「……そうか」
「……………」
八雲の呟やきに、嵐は俯く。恥ずかしいのか、悲しいのか、小羽には判断出来なかったが、兎に角そう見えた。
「あの……」
二人の態度に戸惑う小羽の遠慮がちな声に何事もなかったように八雲は笑いながら言った。
「ああ、悪い。さて、帰るぞ。じゃな、坊主」
くしゃり、と嵐の頭を撫でて八雲は振り返る。
「あの、嵐さん。今日はありがとうございました」
ゆっくり歩いていく藤色の後ろ姿を黙って見つめる訳にもいかず、小羽は嵐に口早に告げて後を追った。
「またね、小羽姉ちゃん!」
背に届いた声に歩きながら振り向いて手を振り、二人の後を追って歩いていった。
ほんのり香っていたべっこう飴の甘い残り香は風に流されていた……。
+++++
とっぷりと浸かった夜の帳。宵空には欠け始めたまだ丸い月が明るく輝いている。
「そっかー。妖のこと知ったのか」
ざくざくと山菜を刻む音に重なるように八雲の声が響く。
「はい……、ちょっとびっくりしました」
桶に汲んだ水で新鮮な野菜たちを洗う小羽が応えた。
夕餉の支度。八雲以外にも何人かの板前が忙しく動き回っている。
"客"と言われたものの、黙っているのはできず小羽は無理を言って仕事を貰ったのだった。
「怖くないのか? 自分らはヒトじゃないんだぞ?」
包丁の音がやむ。
伏せていた自然を上げると、そこには真摯な表情の八雲がいて、小羽は口をひらく。
「…怖くないですよ。……私は……ヒトのほうが怖いです…」
「………そうかぁ」
何ともいえない、思い雰囲気に似合わない、綻んだ笑みを八雲は見せ、白髪の頭をかいた。
見た目は間違いなく40代の中年だが、笑うとどうも幼く見える。
「あー、うん。そうだな。此処はいいところだ。だから、心配すんな」
励ますような、ちょっとからかうような言葉に、小羽は微笑んだ。
それは、こころからの笑みだった――。
+++++
夕餉の支度を終え、春の風が快い開け放しの縁側で、小羽は少し休んでいた。
夜の空には今まで見たこともない程美しい星空が広がり、瞬いていた。
縁側から見える広い庭。大きな錦鯉が悠々と泳ぐ池や蕾がもうじき綻ぶ枝垂れ桜の古木が見える。
さあぁ、と少し肌に冷たい風を浴びて小羽の黒髪はゆっくりと舞う。
それをかきあげた時、床板が小さく軋む音がして振り返った。
「涼みか?」
深い山々を思わせる深緑の髪に、灰に近い銀の切れ長の双眸。落ち着きのある薄茶の袴姿に羽織をはおった男、有火だった。
「すこし…庭を見ていました」
「そうか…」
有火もまた、小羽にならい庭を眺めた。
「……町を見てきました。――いい所ですね」
「ああ」
「べっこう飴って美味しいんですね。はじめて食べました」
「そうか……。甘いものが好きなのか?」
「…わかりません。そんなに食べたことありませんし……、でも、今日は楽しかったです。凄く――」
「……そうか」
そんな、他愛のない話が穏やかに続く。
再び春風が吹く頃に、風にのって夕餉の食欲をそそる香が流れてきた。
「あ、もう晩御飯ですね」
「…そうだな」
「私準備してきますね」
深く御辞儀をし、小羽は提灯や燭台で淡く照らされた廊下に消えていく。
男は闇に紛れてゆくその背を見つめ、それから視線を星空に移して呟いた。
「…『花』……。俺の役目は終わりか…?」
誰に向けた訳でもない、低く小さなその呟きに応える者はいない。
男は切れ長の瞳を閉じ、静かに息をはいた……。
〈続〉
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