第参話:朱波
「………あの」
「なんだい?小羽ちゃん」
有火に挨拶した後、小羽はとりあえず屋敷を回ってみた。
かなり広い。純和風の屋敷。電化製品が一切なく、働く人々も皆和装だ。
まるでタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた小羽は……
「今って……何世紀ですか?」
藤色の作務衣を着た中年男、八雲に聞いてみた。
「21世紀に決まってるだろ」
八雲はあっさりとそう返す。
「そうですよね…」
少しホッとした小羽は安心したように息をはく。
調理場では八雲がシャリシャリと包丁を研いでいる。
「まあ、小羽みたいな〈狭間〉からきた子にはかなり古いだろう」
ぺしぺしとかまどを叩きながら八雲は笑う。
調理場にもやはりコンロや冷蔵庫は無い。あるのはかまどや七厘などだ。
だがそれ以前に小羽には気になることがあった。
「狭間ってなんですか?」
聞き慣れない単語に小羽は首をひねる。
「狭間っていうのはおまえさんが今までいた世界。ちなみにここは〈異世〉というんだ」
「ことよ……?」
これまた聞き慣れない単語が出て来た。
というよりわからないことが多すぎて小羽は反応に困っていた。
「………」
「どうした?」
「いえ……その」
ききたい言葉が喉元につかえて小羽は言葉を濁す。
「……なるほど、まだわからないのか」
言いづらそうに伏せる小羽をみて男は閃く。
「まっ、仕方ないなぁ。昨日の今日だし。 主も鈴もなにも教えなかっただろう?」
「……教えなかった?」
「ああ。例えば、俺たちのこととか」
ぎしっと小羽の座っている長椅子の隣に座る。
「…………?」
「んー、まっ、それは置いといて」
置いといての動作をして八雲がニカッと笑う。
「仕事はするのかい?」
「はい。有火様はしなくてもいいって仰ってましたけど、置かせてもらう以上、迷惑にならないようにしないと…」
「そんなに気を使わなくてもいいんだがなあ……」
八雲は白髪の坊主頭をかく。
「……そうだぁ。することが決まってないんなら買い出しに往くんだが一緒に往くかい?」
「買い出し……ですか?」
「ああ、こっから少し歩いた所に街があってな。いつもなら鈴と往くんだが一緒にどうだい?」
「いいんですか?」
『もちろんだ』と八雲は答えて立ち上がる。
調理場の窓から覗く空は青。日差しも申し分なく、いい春の一日になりそうだ。
+++++
桜の蕾がほころび始める。
まだ冷たい春の風にふかれながら三人は歩いていた。
「桜ももうじきだなあ」
道沿いに並ぶ桜並木を眺める八雲が言う。
「花見の時期だな」
「お花見するんですか?」
「ああ、屋敷の庭でな。酒のんで旨い飯くって騒いで」
くいっ、と酒を煽る仕草を見せる。
「おお、そういやああいつらもそろそろ来る頃だな」
思い出したように八雲も笑う。
「あいつら?」
「毎年花見に来る客だよ」
「お客様が来るんですか?」
「ああ、まあ有火……じゃなかった、主の友人でな。まあ、悪友っていった方がしっくりするんだがな」
ざああ、と風が走る。
のんびりと世間話をする二人を置いて黙々と歩く少女が振り返る。
端正だが無表情な顔の少女、鈴はどこか冷めた声で言った。
「着きました」
小さな、小高いこの丘から一望できる町だ。
町の全貌を一目で伺えるこの丘で小羽は眼を見開く。
小さな川に隣接して立ち並ぶ、古風な造りの家屋たち。電柱や洋風な建物は一切なく、本当に小さくて古い。
「朱波〈しゅば〉という町さ」
八雲が言う。
「小さいがいいトコロだ」
それだけ言うとさてと八雲は丘を降りていく。下り坂には石造りの階段が敷かれていて神社や寺を思わせる。
町へ向かう二人を追って、小羽も階段を下っていった。
+++++
「すごい……」
それほど人が行き交う訳ではないが、賑わいはある。
町並みも、人々も和装。現代的なモノは何もない。
「少し見てみるか?」
食品店と思われる店で醤油と小麦粉を買った後、町の景色を眺める小羽を察して八雲が言った。
「えっ?……ですが…」
小羽は躊躇う。
「平気だぞ。一旦自分と鈴は屋敷に戻るから、それまで見ているといい。なぁ鈴」
「……私もかまいません」
肩に小麦粉を担いだ八雲と醤油瓶を抱えた鈴が言う。
「ありがとうございます」
「はいよ。あっ、小羽お金持ってないだろう? 鈴ー」
「え、いいいいんです! お金なんて」
慌てて首をふる小羽を無視して鈴はチリメンの小銭入れを押し付けた。
「まあ、貰っとけ。因みにそこの甘味屋の団子は旨いぞ」
そう言って八雲はきびすを返す。鈴はチリメンの小銭入れを押し付けた後さっさと歩いていっていた。
「私…嫌われてるのかな…」
鈴の態度は明らかに小羽を避けている。
おかっぱの少女の後ろ姿を見送って、小羽はため息をこぼした……。
さらさらと流れる優しい流れの川に沿う古風な町なみ。
町を歩くことすら“初めて”な小羽はひたすら眼を輝かせる。
「すごいなぁ」
通りかかった飴売りらしき露店。
琥珀のように輝く、触れれば砕けてしまいそうな儚い飴細工についつい小羽は釘付けになる。
「どうだい嬢ちゃん、きれーだろ?」
着流しを着た露店の主人が声をかける。
「はい! 食べるのが勿体無いですね」
「そだろー。嬢ちゃん可愛いからサービスだ。味見してみるかい?」
そう言って店主は棒に絡めたべっこう飴を差し出した。風見鶏のような形をした甘い香りをほんわりと放つ飴だ。
べっこう飴に舌鼓をうつ小羽は飴売りと少し世間話をした。
「そうか。まだ来たばかりなんだな」
「はい」
「どこにすんでんだい? 離れ?」
「えっ……、あの…あそこです……?」
「へっ?うそお!あそこって有火さんの屋敷だろ?!」
口と眼をあんぐりと開けて店主は驚いた。
「あの…やっぱりスゴいんですか?」
「そりゃあそうさ。朱波では一番の力を持ってるからな。ってことは嬢ちゃんはもしかして……」
「?」
「……あっ、いや、なんでもないよ」
中途半端に言葉を濁した店主に小羽は首をひねる。
「あの……っあ」
ドンッ、と背後に何かが衝突して小羽は前のめりに倒れる。
「っと、嬢ちゃん大丈夫かい?」
「は……はい」
店主の声に小羽は答えて立ち上がる。
けがはない。すこし着物の裾が汚れただけだ。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
ぶつかった相手と思しきの声に小羽は振り返った。
そして…
「きゃああああっ?!」
叫んだ。
「嬢ちゃんどうした?!」 飴売りの言葉が続く。
「き…きき……」
その人物に指をさして小羽は言葉をつっかえさせる。
「…き…狐っ!」
そう、小羽が衝突したのはまさに“狐”だった。
フワフワした、金茶色の毛並みに三角形の大きな耳。線のように細い眼をした、丸みのある顔。
身長は低く、小羽の腰くらいかもう少し低い。白と黒の市松模様の着物をちんまりと着て、怯えたように耳を隠す手は狐のそれと同じだ。
「なっ…なに?」
ピクピクと小羽の表情を伺いながら狐は言った。
「あ……えっ…」
―――狐が二足歩行して喋ってる………
小羽は一瞬思考が停止しそうになるが、自身の頬を引っ張ることでそれを回避した。頬の痛みは現実だ。
「あの……あなたは」
「あ…小羽…です」
なぜか名乗っていたが、小羽の思考はいろいろな方へ駆け巡っていた。
〈続〉
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