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ラジエルの書 作者:庚 真守
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獣の顔を持つ天使

「そんなに怯えないでください。わたしは、真菜を傷つけたりはしませんから」
 そう言いながらラジエルは、座ったまま真菜を抱きかかえた。
 声をあげるいとまもない。
 まるで、真菜の体重など感じていないように軽々と、膝の上にのせる。
 あわてて降りようとしたが、二の腕をつかまれて引き戻されてしまう。
 いつにないその強引さに顔がほてる。心臓が躍り上がり、耳まで熱い。
 どうしよう。興奮しすぎて鼻血とか出ちゃったら恥ずかしすぎる。



 女性的な顔立ちからは、思いがけないほどラジエルの力は強い。
 後ろから抱きしめられて、すっぽりと真菜の身体は、ラジエルの胸の中に納まった。
 ずっと小さいころに父親にしてもらった記憶がぼんやりと残っている。
 こうしていると、まるで父のように兄のように……どこまでも深く甘えられる存在のように感じた。
 両親にさえ、もう甘えられる歳じゃない。
 出逢って間もない男性の膝に乗せられるなんて、警戒心がなさすぎるかもしれない。
 たった一人で、外国のそれも男性の自宅に招かれることそのものがいけないことだ。
 それぐらいの判断力ぐらいあった。今の自分は、どうかしている。



 ラジエルは、同じ学部の男子学生や、もっと年上の先輩や教授たち。旅で出逢ったどんな国の人間とも違う。
 人間を何らかの基準で分類するならば、真菜のまったく知らない種類の人である。
 ラジエル様……と、つい様づけにしてしまうのも彼の近寄りがたい神秘的な雰囲気のせいだろうか。
 初対面の時から未だに止められない。
 現地の人は“御使い”と呼び、ラジエルを崇め奉っている。
 生身の人間を畏れるということが、この国にはまだ残っていた。
 ネパールでは、少女を生き神として祀る習慣があるが、チベットでは観音菩薩の化身とされるダライ・マラがいる。もっともその名はおろか、写真や話題にすることも監視下におかれたこの地では禁じられているはずだ。
 では “御使い”とはなんだろう。
 チベット人はおろか、旅行者でさえ中国の厳しい規制にたびたび制約を受けるはずなのに、彼だけがそれらの束縛を受けない。



「怯えているわけじゃないんです……ただ、不思議だと思っています」
 黙っていることが気づまりで、言葉を探す。
「今、ここに自分がいることが……。天使でさえも、その姿は人間と同じなのにどうしてわたしたちは、こんなに遠く感じるんでしょうか」
 真後ろにいて今の真菜からは見えないラジエルの緑色の双眸。
 宝石のように奇麗だった。
 深い海のような青緑の石。
 本当にその美しい目は、ものが見えているのか疑わしいほどだ。
 見た目は同じ……といっても、人の美醜というのはまるで違っている。

「真菜。同じように見えても人は、どこかしら己と違うものを阻害しようとするものです」
 後ろから、そっと囁くような声でラジエルは言う。
 ふわりと甘い香りがする。父の膝とはやっぱり違う。当たり前だ。
 子供のころの記憶の父の膝は、煙草のにおいがした。

「人に限らずこの世に生を享けたモノは、必ず何かを背負っている。国や人種の違いなど……それぞれの環境や、個人の持つ能力はさまざまです。それに苦しめられることもあります」
 そう言いながら、真菜の肩を抱くラジエルの手に少しだけ力がこもった。
 少し痛かったけど、それは黙っていよう。何か辛いことを思い出しているのかもしれない。
 膝の上に乗せられているだけで、背後からラジエルの心の揺れが判る。

「でも、解かってくれる人に出逢えることもあります」
 真菜は、考えながら言葉を探した。
 うまく伝える自信はなかったのだが、それでもこの美しい人が何か辛い想いをしているのだけは伝わってくるから。
「もしかしたら、解かってもらえないことだってあるかもしれない。だけど、必要なのは相手を受け入れようとすることだと思うんです」
 ふいに、ラジエルの手が離れる。
 膝の上にのったままではあったが、肩に置かれたはずのラジエルの手の感触がなくなったのは、ひどく寂しかった。

「誰だって、寂しいのは同じはずなんです」
 我ながら陳腐なセリフ。
 言ってしまってから、恥ずかしくなってきた。
 でも、ラジエルは笑わずに黙って聞いてくれている。ここで黙るわけにもいかない。
「わたしは、デヴァドゥルガくんとはお友達になれました。だ、だから、きっと……いつかはみんな仲良くなれると思うんです。……誰を傷つけずにはいられない人もいるかもしれない。だけど、みんながそうじゃない。みんながそうしてるからって、流されちゃう人ばっかりじゃないはずなんです」
 わたし……何を力説しているのかしら。
 自分の言いたいことがうまくまとまらない。

「流されちゃうのは、その人が寂しくて不幸だからなんです。でも、幸せも不幸もほかの誰かが決めるもんじゃないんです。全部、自分がそう思うだけなんです」
 言いながら、不安になってくる。
 自分は、ラジエルの心の底を知らない。
 この国のことをあまりにも知らなさすぎる。
 無知なよそ者が奇麗事だけを並べているだけだ。
 自分には、守ってくれる両親がいて友達がいて、ここへ連れてきてくれたのだって先生や先輩たちで……一人では何もできない。
 何も知らない。

「それで……続けてください」
 ラジエルは、真菜の浅はかな考えなど見通しているのだろうか。
 振り返るとその頬には、あるかなしかの頬笑みがあった。
 憐れむような、切なげな……妙な胸騒ぎがするような感覚。あるいは、真菜の無知を悲しんでいるのかもしれない。

「だから、本当は人間っていつも幸せだったはずなんです」
 もう一度、真菜は正面を向いた。
 これ以上、ラジエルの顔をまともに見れそうもない。
「それをほかの誰かにお前は不幸だって言われて、そんな気持ちになってしまうだけなんです」
 口に出してしまうと、重いため息が出た。
 頭で考えていることを言葉にするのは難しい。言わなくていいことを言ってしまったのかもしれない。

「自分だけが不幸で辛いのが寂しいから、他の誰かを巻き込んでしまう……」
 耳に吹き込む吐息とともに、ラジエルはそう言った。
 ぞくっぞくっと、背中の産毛が逆立つ。
 真菜は、殻に閉じこもるヤドカリか、カタツムリのように身体を丸くした。
「わたしも同じです」
 そう言いながら、ラジエルは手の甲で真菜の頬を撫で上げた。
 ひんやりとした冷たい手が、火照る顔に触れて気持ちがいい。
「永劫の孤独が辛いから、貴女を巻き込んでしまった」
 肩を抱くラジエルの腕が、急に大きく強く感じられる。ぎゅっと抱きしめられてしまうと、緊張のあまり縮こまってしまう。
「真菜をここに閉じ込めて、二度とは帰さないつもりでした」
「え、……え?」
 一瞬、言われた意味が判らなかった。
「真菜が恋しいから、愛しいから……ずっとそばにいて欲しかったから、このまま誰の目にも触れさせないように、この“境”の地に連れてきたのです」
「あ、あの……ラジエルさま?」
 頭の中は、一瞬にしてフリーズした。

 これって、どう受け取ればいいんだ?
 ラジエルってば、まさかのヤンデレ?
 どうしよ。そんなに愛されちゃってるの? なんて……あり得ない。
 ネガティブにもポジティブな考えが脳裏をぐるぐる回る。
 冗談……なのかしら。

「正確には、わたしは智天使ケルビムの支配者にして、すべての天使の監視者です」
 ラジエルは、ゆっくりと子供に諭すように言った。まるでこちらの考えを見通しているようだ。
 魔王ではないらしいが言っていることは、天使というよりヤンデレの魔王に近い。
「あの……」
「わたしの言う事が信じられませんか?」
「い、いいえ、そんなこと……でも、すいません。よく判らない……っていうか、あの」
「わたしは“神の秘密”と呼ばれる存在で、この地上に降りた天使たちの監視役もしております」
 冗談なのか。本気なのか。
 ラジエルの膝に後ろ向きで座っている状態では、その表情は伺うことはできない。
 背後から、よく通る静かな声で、ラジエルは囁く。
 音楽的で美しい声だが、耳もとに吐息とともに吹き込まれる言葉はまるで毒をはらんでいるかのように、真菜の身体を痺れさせる。

「て、天使……ラジエルさまが……?」
「そう、正面に人の顔と、右に獅子、左に牛、後ろに鷲の顔と四つの車輪と翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある」
「え……え、それ……本当に天使?」
 この前コンプリートしたゲームのラスボスは、巨大な目玉だった。
 美形キャラといえば、乙女ゲーと相場が決まっている。ラジエルが“実はわたしは、大魔王ラジエルです”とか言っても違和感がない。
 いやいやいや。魔王じゃなくて天使だっけ。
 天使といえば、背中に羽根があって白い長い衣装を着て頭に輪が載っている……小さな子供だったり、成人した男性みたいな姿だったり、それでいて性別はない。
「旧約聖書での智天使は、その姿なのですよ」
 真菜の考えていることを見通すように、ラジエルが言う。

 ケルビム。
 そういえば、天使には階級があったような気がする。
 神学生ではない真菜には、その違いが判らない。
 大学の聖堂のステンドグラスの大天使を思い出すが、獣の顔などなかったはずだ。
 ますます混乱してきた。

 ……やっぱり、からかわれているのかしら。

 もし、振り返れば、ラジエルさまの顔が四つに増えているのだとしたら……どうしよう。
 あんなに奇麗な顔が四つもあったら、ちょっと嬉しいかも。眼福ってもんでしょ?
 いや、いやいやいや。冷静になれ。わたし。
 四つって、人の顔は一つだけで、残りは牛に獅子に、あと鷲だっけ。
 もはや人間とか天使の範囲じゃなくなっている。

 真菜は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
 いくら深呼吸をしたところで、地に足のつかないふわふわした気分はどうしようもない。
 振り返るのが恐いような……それでいて見てみたいような……。
 背後でばさっと、まるで巨大な鳥が翼を羽ばたかせるような音がした。


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