第七幕 クリス・E・ワーナー、カーテンコールに応える《光あふれて》
「クリスさん、いつ頃高橋先輩が犯人だってことに気づいたんだい」
首を後方にねじって問いかける賢治は、シートの上で胡座をかいていた。左側で足を伸ばす一は、眠たげな目を擦っている。美恵子は掌を透かして、さんさんと輝く太陽を見上げ、優香理は自らの膝の上に置いた両手を微睡むような目つきでじっと見つめていた。麗らかな春の陽射しを降り注がせる昼下がりの太陽は、薄い白雲が散らばる青空の海に浮かんでいた。
事件が集結を迎えた二日後、クリス・E・ワーナーと事件解明の際、彼女に呼び出された四名は、安徳山にやってきて花見を楽しんでいた。周囲は花見客の声に支配されている。シートの端には純白の帽子が載せられている。
爽やかな空色のスーツを纏うクリスは、しばしの間、満開の桜の木の傍に立って涼しげな微風にそよぐ薄桃色の花弁を眺めていた。辺りにはかすかな花の芳香が漂っている。やがて、思い出したように振り向いた。
「最初、倉庫に入ったときですね」
「嘘だろ? どうしてさ」
賢治は目を丸くした。彼女は薄笑いを浮かべると、肩をすくめた。
「当然、そのときは断定できたわけではありません。しかし、目星はついていました。死体発見時を思い出してください……」
後ろ手を組み、四人を見下す姿勢で話し始める。
「まず、Mr.後藤がムッシュー・畑嶋から頼まれ、職員室から鍵を持ち出して倉庫を開きました。そして、直後に彼の悲鳴を聞きつけた数名が−−Mr.瀬山とMr.齋藤が最初に入っていきましたね−−倉庫内に入ると、死体と跳び箱に載せられていた遺書が発見されました。しかし、すべての出入り口は施錠されていました。自殺したとすると、どのようにして鍵を返却したのか? 自殺前に誰かへ鍵を渡したことになります。しかしその仮定では、湿った足跡と跳び箱の辺りにあった完全に乾燥した足跡の二種類が存在していた理由を説明できません。よって、自殺は消去されます。同時に、室内が冷えていた事実から、Mr.後藤が室内へ入った直後にカーテンを閉じたのではないことがはっきりしました」
優香理が考え深げに一度うなずき、再びクリスを見上げながら居住まいを正した。
「でもクリスさん。それだけではなにも分からないと思いますけど」
クリスは謎めいた微笑を浮かべる。
「嬉しいですね、子細な点も突いてくるのは。しかし、これで捜査範囲をかなり縮小することができるのですよ。死体は倉庫で発見されました。つまり、彼女は倉庫に入っている。なぜ朝早く、しかも人気のない倉庫に入ったのか? 理由は二つ。何かを探すためか、殺人者がMiss.相沢と内密な話を行うためです。とりあえず、前者は措いておきます。後者ならば、相手は親しい人物である。つまり、仲のいい友人か恋人である可能性が高い」
優香理は理解した証拠にうなずいた。クリスはひどく物静かに続ける。
「わたしは推理を進めるために−−残念ながら、推理小説の名探偵とは違いますからね−−警察に呼び出されたMr.後藤に話をお聞きしました。そこでMr.多村とMiss.相沢の昔の関係を聞いたのです。さらに、スポーツ店で見たことは間違いでないのか尋ねると、身長の差と髪を染めていたから間違えようがないと、言っていました」
クリスは得意気に口を結んで空を仰ぐ。ブロンドの髪が揺らめき、日光を照り返していた。
「次にMr.多村から話を聞くと、彼も倉庫に入ったと言ったのです。入った理由は皆様もご存じでしょう。この時点で、足跡から彼が犯人ではあり得ないこと、誰かが彼に罪を被せようとしていることに気づきました−−身長と比較しても歩幅が異なりますし、彼は足を引き摺っていませんでしたからね……」
肩を揺り動かすと、自嘲するかのように頭を振ってゆっくりと瞬きをする。ヨーロッパに比べて日本の気候は暑いせいか、額にはうっすらとした汗の粒が浮かんでいる。
「さらに、彼に罪を被せようとしている人物−−犯人はMr.高橋だったのですが、まだ断定できていないと仮定してください−−その人物はカーテンのトリックを仕上げるために、鍵を借りています。しかし、罪を被せるのだから、自らが疑惑に晒されてはならない。では、どのように鍵を借りたのか? 自然に借りなければならなかったのです−−考えてください。仮に名前を記さなかったらどうなりますか?」
賢治はハッとすると、途方に暮れたようにうなだれる。
「そうか。キーを借りるときに名前を書かなかったら、後で調べられて判ったとき、疑われるからだな……違ってるかな?」
「それしかあり得ません。わたしはそう考え、ホワイトボードを見た後、職員室で台帳を調べました−−あのトリックは倉庫に入った直後に見破りましたからね……そして、Mr.多村の後に鍵を借りた人物であり、かつ、倉庫へ移動するまで時間が掛からず、もっとも自然に近付くことのできたMr.高橋に疑惑を向けたのです……」
クリスは腕組みをして幹にもたれ掛かった。うつむき加減に頭を垂れ、陰りを帯びた目元に冷笑的な色が浮かび上がってくる。
「ところで関係ないかもしれないけど」
美恵子が髪をかき上げながら、
「ロープはどこにあったの?」
「倉庫にあったのですよ。あのロープは汚れていましたからね。Mr.高橋は計画的犯行と思わせるため、ロープを切断して残りは持ち去ったのです。切り口は真新しく、ナイフかハサミで切断したと思われます。Il eut de la constance(イ・リュ・デ・ラ・コンスタンス/まったくご苦労なことをしたものです)」
呆れたように笑って手を振り動かすと、言葉を続けた。
「そして、一人ずつ証言を集め−−多少なり脅しをかける必要もありましたが−−全員に話を伺った後、Mr.高橋が殺人者であると確信しました。なぜなら」
要点ごとに指を折りながら確認する。
「その一、Miss.相沢がワードプロセッサーを所持していたことを知らない。その二、二日前のMr.多村の行動を知っている。その三、Miss.相沢の自宅に行ったことがある。その四、親が医者である。その五、フィッシングが趣味である」
一が怪訝な顔つきをして、
「おい、待てよ。フィッシングは関係ないだろ」
「あまり関係ないとも、あるとも言えます。日本人は『四』を嫌うのでしょう? そのため、付け加えてみたのですよ」
クリスは探るような視線を投げかけて、単調に話を進めた。
「まず、その一、Mr.高橋は彼女がワードプロセッサーを所持していたことを知らない−−彼女の自宅まで見舞いに行き、去年は誕生日プレゼントを貰っている。そこまで親しい仲であるのに、ワードプロセッサーの存在を知らないことは不自然です。つまり、Mr.多村が倉庫に向かった理由を殺人の後始末だと思わせようとしたのです」
四人は黙然としていた。一が機械人形のような単調さでうなずきを繰り返している。
「その二、二日前のMr.多村の行動を知っている−−彼はそのことを聞いたと言いました。確かに耳にした可能性はありますが、彼自身、Miss.佐藤の存在を知らないはずがありませんので、話の内容をまったく疑うことなく信用していることは不思議です。だから、彼は二人の後ろ姿だけを見たと断定できるのです」
一が勢いよく身を起こした。
「待て、待て。なんで後ろ姿を見たって決めつけられるんだ」
クリスのやや英語訛りな日本語や、時折、気取ったように英語やフランス語、ラテン語を挟む癖のせいか、苛立たしげな口調だった。無論、部分的に理解できていない点が存在しているせいもあるのだろうが。
「それは僕にも分かる」
賢治が虚ろな声音で割って入った。
「前の日は学校を休んでいることが分かっているのに、次の日、わざわざ倉庫へ呼び出したのは、相沢先輩に裏切られたと思ったからだ。つまり、それほど突き詰めようとしたのは、自分自身が見たから」
「なるほど……」
一は眉を寄せ、険しい目つきで頭を下げる。歯がゆそうに指先を動かしている。
「おそらく、学力が同じ程度優れていたことも動機になったのではないのでしょうか」
クリスの素っ気ない言葉に一同は沈黙した。美恵子がクリスの顔を見据えて、上体を前に傾け乗り出すようにしながら尋ねた。
「じゃあ、相沢先輩の家を知っていることは何を意味してるの?」
「それは、その一の説を裏付けるための目に見えぬ証拠ですよ。勿論、その四は例のトリックを使用した人物である可能性が高いことを証明する事実です。さらに前日、Miss.相沢は休みだったのですから、倉庫へ入るにしても理由があったはず。ですが、後ほどの警察の発表によれば、そこでカバンが発見されました。しかし、彼女の性格から考察して、汚れる場所にカバンを持ち込むはずがない。よって、捜すために入った可能性は消去。That's all」
「そうすると、クリスさん。最後の『フィッシングが趣味』は別に意味はないんですね?」
眩しさのせいか、優香理がおっとりした目を細めて言った。クリスはクスクス笑った。
「まさか、当然意味はありますよ。首吊り結びを覚えていますか? あの結びは別の結びに類似しているのです−−」
うつむいて面を曇らせる。直後、顔を上げた。
「釣り針をリールに結び付けるときの結びに類似しているのです。あの結びは−−首吊り結びですが−−最初、紐を半分に曲げ、両端を揃えます。次にどちらか一方を半分に曲げます。すると、Nのような形になるのです。そして、地面に向いている側をもう一方の下から上へ輪を作るように巻き付けます。すると、端に二つの輪ができます。最後は余った部分を上の小さな輪に通して準備完了です。後は実に簡単です。輪に首を通して紐を引けば、絞首してくれるのです」
背筋に悪寒が駆け抜けたらしく、美恵子は身体をブルッと震わせた。
「ちょっと待ってよ、そんな気持ちの悪い話はどうでもいいわ……そんなことより、科学的証拠は?」
クリスは薄く開いた横目で美恵子を見やる。
「彼が殺人者であることを証明する科学的証拠は、ワードプロセッサーの所持。バケツの握り−−これには指紋がないかもしれません−−そして、スライディングドアの取っ手の指紋です。Miss.佐藤とMr.多村の指紋がないか、Mr.高橋の指紋があれば、Mr.高橋が倉庫に入った証拠になるでしょう。指紋がない場合は彼が拭ったことになりますからね。しかし」
嘲りにも似た微笑を浮かべると、手応えを確かめるように右手を握り締めては広げる。
「わたしにとっては興味も惹かれず、面白くもない末端的な証拠ですが、裁判では大変有意義に使用されるでしょう……」
「どうして高橋先輩がワープロを捨ててないって言えるの?」
「それは確実ではないのですが」
クリスは考え込みながら、
「彼から証言を聞き出して別れる際、あえてワードプロセッサーの存在に気づいていない態度をしましたからね。おかげで、仮に発見されたら……と考えて処分しにくくなったことでしょう」
「手抜きはしないのね……佐藤先輩と多村先輩が付き合っているって分かったのはどうして?」
クリスは指をパチンと鳴らした。舞い落ちる桜の花をじっと見つめている。
「まずは二人の証言が怪しかったことです。そして、裏付けをするために、Mr.多村とMiss.相沢の関係を考えました。二人はかつて恋愛関係だった。そして、いまだに手紙でやり取りしている。さらに彼とMiss.佐藤の証言は明らかに互いを庇っている」
四人は黙って聞いていた。クリスは静かに続ける。
「そこから、Mr.多村はいまだにMiss.相沢の姿に惹かれている。だから、Miss.佐藤を庇った。しかし、それだけ理由が弱いですし、Miss.佐藤が偽証した理由をどのように理解すればいいのか説明できません。よって、もっとも納得のできる結論は、二人が恋愛関係だと考えれば自然です」
美恵子は感心の吐息を洩らした。
「なるほど……ところで先輩の靴の中にシールがあったのは?」
クリスは急に黙り込み、瞑想する聖者のように瞼を閉じた。蝋人形のごとく微動だにしない。
「罠にかけたのです」
静かで落ち着いた口調だった。
「Mr.多村の左の靴にあったシールを、Mr.高橋の右の靴の中に貼り替えたのです。なかなか面白い効果をあげてくれました……しかし、皆様方、相手をよく観察してみなさい」
物憂げな目で一座の面々を見回す。
「常に真面目で冷静さを保った人間は、いざ追い詰められると、極端な行動に走る傾向があります。自分に自信がなく、緊張が最高潮に達すれば壊れてしまうのです−−あのときのMr.高橋のように」
疲弊したかのようにため息をつく。美恵子はちょっとだけ顔をしかめ、質問した。
「完璧に証拠も揃っていたってわけか……最後に一つだけ。どうしてわざわざあたしたちを倉庫に集めて推理を披露したの。警察に話せばよかったんじゃない? それにあたしのお父さんも言ってたけど、いくら高橋先輩が犯人だったからって、自殺寸前まで追い詰めたのは酷すぎるよ」
「そうですかね? 犯罪者に同情する必要性はありません……ま、それは意識の相違でしょう。どちらかといえば」
クリスはシートの隅に置いていた帽子を、汚れが付いていないか調べてからかぶった。
「自身の個人的嗜好を満足させたかったのでしてね……わたしは相手の爪の隙間にピンを刺して、その苦痛に歪む顔−−そう、相手の反応を見ることが大好きなのです……Mr.高橋にギロチンや絞首台の説明をしてあげたときの顔は、恐怖を感じていたようでなかなか興味深く観察させていただきました。ただ、舞台の幕引きに相応しい自殺でなかったことは残念です」
影になっている口元は笑みに形作られていた。周囲の人々の哄声が風に乗って運ばれていく。四人の表情は引きつり、固まっていた。
「クリスさん……ひょっとして、そのためだけにみんなを集めたのか」
愕然としているせいか、賢治の声は震えていた。クリスは申し訳なさそうに言った。
「わたしの身体を流れるゴール人の血のせいか、時としてハリウッドやロイヤル・シェークスピア劇団に弟子入りしたくなる欲求に耐え難くなるのでしてね。チャンスさえあれば、人々の前で演劇をしてみたくなるのです。今回はそのチャンスがあったわけですよ……」
眼前に広げた手を置いた。
「Quod Erat Demonstrandum(これにて証明終了)。さて、そろそろ山頂まで行きませんか? かつてここで発生した事件を聴きに」
クリスは山頂を指し示し、人々が溢れる山道を歩きだした。靴の底で砂利を噛む音が聞こえる。四人も慌てて立ち上がる。
そのとき、賢治が陰鬱な表情でボソッと言った。
「もし、僕がなにか罪を犯したら」
三人が振り仰ぐ。彼は続けた。
「クリス・E・ワーナーさんに追い詰められるよりも、悪魔に追い詰められる方がマシだね」
三人はクリスの背をチラッと眺めてから、納得したようにうなずいた。 |