第五幕 Grand Guignol(猟奇専門劇)《世を偽るには、世間並みの顔をしなさい》
麗しく広がる青空を、幾つもの白雲の集団がゆったりと移動していく。事件翌日の早朝、強い陽射しが降り注ぐ中、涼風高校の二つの校門前には、記者団が先を争うように詰め掛けていた。
生徒が校門の辺りにやって来れば、カメラマンや腕章を身に着けた記者団が片っ端から呼び止め、マイクを突き出してインタビューを申し込んでいる。真面目な応答を返す生徒もいれば、全く無視を貫く生徒もいる。しまいには−−編集でカットされるだろうが−−カメラの前でのぼせ上がっている生徒もいた。
午前八時十分。ホームルームまであと四十分に迫っていた。
登校してきた生徒たちのほとんどが、落ち着かない様子で言葉を交わしていた。テレビや新聞で、女子生徒の首吊りのニュースは大々的に取り上げられ、その内容が格好の話題となっていた。そして、話の最後に−−特にこのような場合に限って−−『亡くなったって信じられない』などと、タチの悪い言葉を付け加えるのだった。それは、昨日のことを忘れようとする生徒にとって、あまりにも残酷な事実を如実に浮かび上がらせる、拷問にも等しい言葉だった。
二年B組前の廊下。瀬山賢治たち四人は、昨日の事件に関連しそうな情報を意見交換していた。教室の窓際に立つ賢治が、登校途中に購入した週刊誌を三人の前で広げていた。
「新聞にも載っていたんだけど、相沢先輩の死亡推定時刻は、六時から七時の間−−三十分過ぎぐらいらしいね。財布とか盗られてないらしいから、物取りじゃないのは確実。でも今のところは、自殺説が濃厚らしい」
「新聞にも、お父さんの警察手帳にも、そう書いてあったわ」
美恵子が補足した。一言一句も逃すまいような目つきで、記事の内容に目を通している。
題名に『自殺か? 他殺か?』と、太く大きな斜体で印刷され、五ページに渡る特集が組まれていた。そして、『少女詩人、謎の自殺?』や『事件現場の検証』などに細分化されていて、脂の乗った文章で詳細に書かれてあった。
「でも」
優香理は、呪いを口にするかのごとく、声を落とした。
「昨日、みんなで調べたとき、外から鍵を掛けた形跡がなかったんですよね。やっぱり誰かが、鍵を元に戻したはずですよ」
「そうだよな。うん。悪いけど賢さん、ちょっと例のメモ帳貸してくれ。サンキュー……そしたら」
賢治は昨日聞いた証言を時間と共に分類し、アリバイ表を作成していた。一番下の米印の横には、『すべて事実とすれば』と、注意書きがしてある。
ちなみに、四人が昨日の帰りに、職員室の壁に掛けてあるホワイトボードを調べた結果、移動教室の時間は正確に証言通りだった。
一は一行ずつ指でなぞっていきながら、時折暑そうにシャツをはためかせ、ゆっくりと壁に寄りかかった。
「賢さん。さっき、美恵ちゃんが見せてくれた内容は書き込んだのか?」
「ああ、警察手帳の写しだろ。証言通りだったから、書き直す必要はなかったけど」
「そっか……じゃあ、相沢先輩が亡くなったって予想されてる時間内に学校へ着いたのは、佐藤先輩だけだな。そうなりゃ、犯人は佐藤先輩か」
「一、僕は最後に注意書きをしているだろ。『もし、言ったことが本当だったら』ってな−−警察に言ったことは嘘かもしれないんだ」
賢治は横目でじろりと見据えて静かに言った。
「それに、七時に着いた宮原先輩も疑わしいじゃないか……待てよ。それなら、何で自分が疑われるような時間を言ったんだろう?」
「それでも、疑わしいのは二人だけじゃん?……あ、クリス」
クリスは廊下の西側からやって来た。美恵子が挨拶すると、上品な笑みを浮かべて、丁寧な仕草で頭を下げた。
「少しお訊ねしたいのですが」
表情はそのままに口火を切った。
「あなた方は昨日、鍵を借りた方々全員の話を伺いましたか?」
四人は曖昧ながらうなずく。
「申し訳ありませんが、Miss.原田とMr.高橋以外の話の内容を−−記憶しているのならばですが−−わたしにお聞かせねがえませんか」
四人はメモ帳を見て、互いの話を修正しながら、かなり正確に内容を話した。その間クリスは、下唇に人差し指を沿わせるように置き、黙して聞いていた。四人が話し終えると、彼女は一から週刊誌を借りて、しばらくめくっていた。一瞬、ビクッと体を緊張させた。
遺書の写真と内容が、二ページに分けて掲載されているページだった。
遺書の内容が書かれた紙は手帳を破り取ったものである、ということと、その紙を包んでいたのは『遺書』と印刷されたプリント用紙である、と書かれている場所にじっと視線を落としていた。
それから五分ほどして、その本を一の手に返却した。
「いや、よく分かりました。出演者は出揃いましたか……」
四人の視線の先で、クリスは口の中で何かをつぶやきながら、教室に入っていった。クリスの姿が見えなくなってから、優香理が不思議そうにつぶやいた。
「自殺じゃないとしたら、犯人は誰なんでしょうか?」
その言葉には、誰も答えなかった。
その日、授業は再開されたが、八時五十分に開始したホームルームと九時十分から十時までの一限目の授業が潰れ、体育館での全校集会に当てられることとなった。
体育館内は、普段の全校集会と異なり、生徒全体の十分の一程度が欠席しているため、スペースには余裕があった。換気はあまりよくないため、むせかえるような熱気に満ちている。天井からぶら下がる電灯が、白っぽい明かりを床に投げかけていた。高窓から生暖かい春風が吹き込み、黒いカーテンを波打たせていた。
しばらくして、全校集会は殺伐とした雰囲気の中で始められた。集められた生徒も教員の誰もが不愉快かつ悲しみをいや増す、わずかな慰めにしかならない時間を過ごしたのだった。
二時限目から授業が開始された。しかしながら、それは空虚なだけで、生徒を疲弊させる効果しかなかった。授業中、佐藤藍と宮原加奈、そして多村龍矢が三十分置きに会議室へ呼び出された。いつの間にか、生徒の口に『三人の中の誰かが殺した』との、憶測が広がっていった。結局、授業は四時限目−−午後一時−−で終了した。
帰宅の準備を整えた生徒から、足早に教室を去っていく。廊下を通る生徒の喚声と足音が反響していた。
「いったい、どうなっているんだろう」
「さぁな」
一は、鼻にかかった不満げな声音で言って、カバンを手に取った。そこに、美恵子と優香理がカバンを携えてやって来る。互いに困惑の色が浮かんでいた。
「よう、どうしたんだ」
「それが、よく判んないけど」
美恵子は気を静めるように、両手を擦り合わせていた。
「クリスがあたしたち四人に、今夜七時、裏門の所に来て欲しい、って言ってきたの」
「どうして?」
一の問い掛けにうつむき、一瞬言い淀んだ。緊張したように顔をしかめながら大きく息を吸い込み、
「犯人を待ち構えるって……」
午後七時。涼風高校の裏門前に事件の関係者、そして、山城警部と御手洗巡査部長がやって来ていた。警察官二人が待機しているため、他の人物は明らかに戸惑いを見せていた。どこかの犬が遠吠えしている。
既に辺り一面は闇に満ちていた。月の姿さえ遮る厚い雲の渦巻く夜空を背景に、校舎がそびえ立つ。唯一の明かりである街灯が朧気な光を落としていた。かすかな雲間から漏れる銀青色の月明かりが、大地に突き刺さる長大な銀の槍だった。遠くからの電車の騒音が住宅街に反響している。
時折、肌を突き刺すような冷え込みが襲来する中、裏門側に一同は集合していた。桜花が散乱する歩道のそばに、山城警部と御手洗巡査部長が乗ってきたパトカーが路上駐車してある。
「まったく、わしらを呼んで何するつもりだ。こっちは上の都合も考えなきゃいかんのに……」
山城警部は苛立ちを募らせながら、使い込まれた銀色の腕時計に目を走らせていた。すでに、七時から二十分が過ぎつつある。
「自分には判断が付きかねますが……」
次第に愚痴っぽい調子になる山城警部に対し、御手洗巡査部長は如才なく話を合わせようと努めている。高橋は苛立ちを抑えるように、その場をうろうろと歩き回っていた。彼は立ち止まると、山城警部に向かって、一気にまくし立てる。
「いつまで待たせるんですか? もう二十分経っているんですよ、二十分も。こっちはそっとしておいて欲しいのに……」
語尾は徐々に薄れていった。がっくりと肩を落とし、顔を歪ませてうなだれる。重苦しさが一同の間に漂い始める。
そのときだった。皆一様にハッとして、南側に頭を向けた。別棟の西側から、何か軽いものでカツンカツンと地面を規則的に叩く音と足音が、裏門の方向へ近付くにつれ、徐々に大きくなっていった。
一同は固唾を飲んでその方角を見つめていた。しばらくして、漆黒の闇から浮き出るように、人影が現れた。その人物は、一同から十メートルほど離れた位置で足を止めた。同時に地面を叩くような音も止む。
一陣の強風が吹いた。雲間から月光が降り注ぎ、輪郭がはっきりと浮かび上がった。
身長は百七十よりやや足りない程度。うつむき加減に顔を傾け、長いブロンドの髪が鎮まりつつある風に揺らめいている。明らかに女性だった。しかし、その人物はかなり異様な風体をしていた。
顔を隠すように、底が平らでつばの広い、真っ黒なフェルト帽を目深に被り、黒いロングコートの襟を立てている。闇の中でよく映える、純白のブラウスの裾を灰色のスカートの中に入れてブラウジングしている。そして、ステッキの銀色の握りに両手を重ねていた。
スポットライトのような月光に照らされる姿は、闇よりも暗い漆黒そのものを纏っているようだった。
女性は微動だにせず、沈黙を保ったまま一座の面々を見回した。唯一覗かせている口元にも何の感情は表れていない。
そのとき、頻繁に指を抜き差ししていた原田が、震えの混じった声音で叫んだ。
「誰なんですか、あなたは?」
「すでに皆様は、わたしを存じ上げておられるでしょう」
意味あり気な含み笑い。彼女はフェルト帽の庇を左手で摘み、演技がかった仕草で持ち上げた。豊かな金髪が額に垂れ下がる。
「なるほど。あなたがこんなお芝居を仕組んだのね」
佐藤は後ろ手を組み合わせたまま、警察官二人をチラッと一瞥して、冷ややかな声で訊ねた。女性は再び帽子を被り直し、深々と一礼した。
「Bonsoir,Madames et Messieurs(ボンソワール、マダム・ゼ・メシュール/こんばんは、皆様)」
クリス・Ε・ワーナーは、いつになく穏やかな笑みを浮かべて言った。
「わたしはワーナー。クリス・Ε・ワーナーです。あなた方のお好きなようにお呼びになって結構です−−ありがとうございます。ムッシュー・山城」
クリスはステッキに寄りかかったままお辞儀した。
「ふむ。では、ワーナーさん」
山城警部は感情を押し殺した低い声で言った。革靴の爪先で、レンガ敷きの地面をトントンと叩いている。
「何でしょうか?」
「電話の指示通り、ここにみんなを−−しかも、娘まで−−集めさせたが、次はどうするつもりかね?」
山城警部は左から右に首を回し、周囲に素早い視線を走らせた。山城美恵子は目の端をつり上げて、はっきりとした不快感を見せていた。
クリスはステッキの先でレンガの隙間をなぞりながら、麗々しくうなずいた。「そうですね、倉庫に移動したいのです」
「倉庫……? 何故だね」
「実際に、事件のあった場所で説明した方が分かりやすいでしょうから−−ムッシュー・山城は三年生を、もう一人の方は、一年生を倉庫に引き連れて行ってください。わたしは」
彼女は二年生の五人に、チラッと目線を向ける。
「わたしは、同学年の方々と倉庫に向かいます……誰も逃がさないようにお願いします」
一行は学年ごとに三つのグループに分かれ、各学年のロッカールームに向かった。そこで靴を履き替え、一階の階段前で集結し、三階まで登って倉庫に向かった。
別棟の電気はすべて消灯されていて、月光によって顔が判別できる程度の明るさだった。冷え込んだ空気はここにまで忍び込んでいた。
やがて倉庫前に到着すると、山城警部がポケットから倉庫の鍵を取り出し、引き戸を開いた。
昨日、首吊り死体があった室内から埃の臭いを含んだ、冷たく湿り気を帯びた空気が流れ出て、一同の足下を撫でるように流れていった。暗闇の中のぽっかり開いた空間は、邪悪な何者かが待ち構えているような気配が漂っていた。
クリスが先頭になって、彼らは足を踏み入れていった。
「電気は点けないでください」
クリスが跳び箱の傍で注意を加えた。最後に倉庫内へ入った賢治はパッと腕を引っ込めた。
出入り口は窓と戸しかない埃っぽく窮屈な倉庫は、警察の手で現場検証が行われた後も、事件当時の面影を色濃く残していた。一同は閉じられた黒いカーテン前のクリス・E・ワーナーを取り囲んでいた。厚みのある黒いカーテンの下端が、彼女の腰の高さで揺らめいている。一同は彼女が開口するのを待ちわびている様子だった。やがて、沈黙に耐えかねた多村が口火を切った。
「ワーナーさん、俺たちを集めてどうするつもりだ」
「この事件をすべて明らかにするつもりです」
どよめきがさざ波のように駆け抜けた。クリスはステッキで床を二、三度突いて静まらせた。
「でも、どういうことですか?」
成本優香理がキョトンとした顔で訊ねる。
「この部屋で行われたことは自殺ではあり得ない、ということです」
サッと左腕を一閃させて断言した。
「そのことを証明する理由は幾つかあります。まず、死体発見時に施錠されていたこと。そして、死体がフックにぶら下がっていたこと。二枚の遺書。そして、所持品の武器の類……」
「ちょっと待った! 武器になるようなものは何にも書いてなかったぞ!」
瀬山賢治が激しく反論した。クリスはステッキにもたれ掛かり、半眼のまま言った。
「その通り。記事には、武器になるようなものが何も記述してありませんでした。それは間違いなく正しい−−そうでしょう、ムッシュー・山城」
「確かにそんなものは所持品に含まれておらんかったよ」
山城警部は低い声で答えた。クリスはうつむいてステッキの先を見つめている。
「さて、遺書についてです。まず、わたしの横にある跳び箱に載せられていた遺書は、非常に不自然な点が多いのです。氏名が記されていないだけでなく、何故か別種の紙片二枚だったのです−−記事によれば、印刷用紙と手帳から破りとった一枚だったそうです」
そこで言葉を途切れさせ、じっと山城警部の顔を見据えた。彼女は山城警部が短くうなずくのを見て、再度話し出した。
「仮に自殺とすれば、手書きと印刷の二枚に分けることはあり得ないでしょう。しかも、手書きの方の片面に記述されていた内容は」
クリスは遺書の内容をゆっくりと、しかし、一言一句間違えることなく完璧に暗誦した。
「以上です。たしかに、文面からは遺書と読みとれないこともないでしょう。ところが」
クリスはステッキで原田を指し示した。彼女はビクッと身を竦ませた。皆の視線が集中する。
「彼女がMiss.相沢から借りていた本の内容を思い出して、すべて解決しました−−それには、ボードレールやワイルド、シェークスピアの名前に印が付けてありました。いずれも有名な詩人です」
齋藤一が前のめりがちに、気負い込んだ様子でまくし立てた。
「それがどうした。俺らも読んだけどおかしいところはなかったぜ」
「Doucement(ドゥースメン/お静かに)」
その言葉に一は戸惑い、黙ってしまった。クリスは何かを念頭に置いたような虚ろな眼差しを跳び箱に落とし、説明を再開する。
「今、わたしが上げた三名は、デカダンス的な詩を多く書いています。デカダンスとは、退廃的な思想のことです。世の中に対して斜に構えるのですよ……ところで、詩の文面も、『空は淀みぬ』や『大地は汚れ』などの世を憂うような退廃的文章に彩られています」
この言葉は、ゼウスの雷に打たれたようなショックを一同に与えた。クリスは鑑識の残したチョーク跡をステッキでなぞっている。
「Ergo(即ち)、その文面が手帳の破り取った片面だけに記述されていたことから考察して、Miss.相沢はデカダンス的な詩人に触発され、二週間後のコンクールに出展するための詩の下書きをした、または以前に書いていた、と考えるのが妥当でしょう−−そう、一見すれば遺書に見えるような詩を」
「そういえば」
原田が陰鬱な表情で幾分声を落とし、ふと思い出したように付け加えた。
「相沢先輩はシェークスピアの作品集を部室に置いていました……」
その一言は、悲しげな余韻を響かせていた。
「もし、遺書だと仮定すれば、裏面に『遺書』と書き記すでしょうからね。しかも」
ステッキの先を軽く揺らしながら、強調するようにカーテンを示した。
「わざわざ跳び箱を移動させてまで、窓の前で自殺したいと考える人がいますか?」
「どうしてさ? あり得るかもしれないぜ」
後藤は乾いた唇を湿してから、この場に似つかわしくない軽い口調で言った。しかし、その目は激しく瞬きをしている。
「では、あなたはガラス窓に突っ込んでもよろしいのですか?」
「ガラスに? なんでさ」
クリスに鋭く訊ねられ、逆に後藤は戸惑った。
「そこから」
クリスは跳び箱にステッキを向けて、皆の注意を引きつける。
「飛び降りたとき、壁まで八十センチほどの距離があるので、間違いなく身体が壁に叩きつけられます。しかも、その跳び箱は七段で、高さは窓枠よりやや高い。そうなれば、ガラス窓に突入する可能性は高いでしょう。苦痛の少ない方法を選択したのに、自らケガする場所に移動するのですか? もし、そうならば、理由を説明してください」
後藤は何か反論しようとしたが言葉が出てこないらしく、口をもぐもぐ動かすだけで一言も言葉を発することなく沈黙した。
「……とりあえず、足掛かりはできました。次に進みましょう」
クリスは淡々と話を進める。一同に対して身体を横に向けた。御手洗巡査部長が、落ち着かなげに両手を擦り合わせている。
「さて、Miss.相沢が自殺でないならば、なぜ丁寧にも『遺書』と印刷した紙片があったのでしょうか? これには二つの理由が考えられます」
クリスは意味ありげに黙り込んだ。山城美恵子が静かに訊ねた。
「その二つの理由は……何なの?」
しばしの沈黙。息苦しさが霧のように立ち込める。悪魔的かつ冷酷な笑いを口元に浮かべて、クリスは言った。
「殺人者が印刷していた。または、彼女自身が誰かを始末するために用意した」
後者の言葉は、一同を愕然とさせた。山城警部が腕を組んだまま唸る。そのときだった。
「バカバカしい!」
多村が叫んだ。その声は自らの声真似をしているように無惨に響いていった。他の連中が素早く視線を向ける。
「あいつが誰かを始末するために用意したって? おい、ふざけるのもいい加減にしろ!」
顔が朱に染まり、今にも殴りかからんばかりだった。不穏な気配を察して、警察官二名が足を踏み出した。クリスは左右に頭を振った。
「話は最後まで聴いていただきたいですね」
多村の態度に非常な不快感を感じたらしく、極めて厳しい口調だった。多村は彼女を見下ろし、じっと睨み付けたまま口を真一文字に結んだ。しばらくして、クリスは言った。
「誰かを始末するつもりならば、武器を用意するでしょう−−彼女は小柄だったのですから、ロープを用意するはずがありません。しかし、武器らしき物は所持していなかった。格闘の痕跡が見あたらない。そのうえ、この場合だと、彼女は誰かを自殺に見せかけるために遺書を用意しているのですから、本文を印刷した紙片もなければいけません。しかし、彼女を殺害した人物はそのような紙片を使用せず、わざわざ手帳の一枚を使用している。よって、これはあり得ません。そして、手帳の中身を正確に知っていたことから、教師全員が容疑者から除外されます」
「ちょっと待ってくれないか」
突然、瀬山賢治が声を張り上げた。自らの考えに確信がある、自信に満ちた顔をしている。
「その推理には穴があるぞ」
「では、その『推理の穴』を言ってみてください」
「いいかい? 君が言っているのは−−」
いささか演説がかった口振りだった。
「犯人が印刷する機械を持っていない場合だろ。もし、犯人が印刷機を持っていれば、その場で印刷した可能性もあるじゃないか」
クリスは感心したように口笛を吹く。
「なかなかいいことを言いますね。そう、まさしく犯人はそれを行ったのです。すると、教師全員はやはり除外です。教師は印刷機を所持していますから、もっと遺書らしい文章をタイプするでしょうからね。手帳の一ページをわざわざ破って置く必要がありますか? そのページを広げておけば充分なのです。手帳の内容を詳しく知っている人物−−即ち、生徒が犯人となります……」
「でも、それだけで生徒がやったって決めつけるのは−−」
「その通り、さらに突き詰めましょう」
クリスはあっさり認めると、要点ごとに指を折りながら話す。
「その一、鍵を借りたのはMiss.相沢自身−−これは誰かが指示したはずです。しかし、彼女は前日に登校していません。ですが、教師が犯人とすれば、翌日の早朝に人気のない倉庫へ呼び出す−−いいですか、その日も休む可能性があるのですよ。このような明らかに不自然な行動をしますか? その二、計画的犯行ではない−−Miss.相沢を呼び出して殺害する。遺書を残す。計画的犯行ならば、前言したように完璧な遺書を用意するはずです。つまり、殺害するつもりではなかったので、彼女の肉筆が判断できるものを用意しなければならなかったのです。よって、手帳の内容まで詳細に知るはずのない教師の犯行は消去。その三、印刷機を所持していたのはMiss.相沢」
「どうしてさ?」
後藤がびっくりしたような顔で訊ねる。クリスは悠揚迫らぬ口調で答える。
「なぜなら、犯人が所持していた場合、自らの印刷機を使用して、本文も印刷したでしょう。しかし、それは事実と反します。よって、印刷機を所持していたのはMiss.相沢……」
「クリス、ちょっと待って」
美恵子は渋い顔をして降参するように大きく両手を広げた。
「じゃ、なんで印刷機がないの」
「それはわしにも分かる」
山城警部が無表情に口を挟んだ。
「被害者の印刷機が残されていれば、インクリボンに印刷された文字が残り、キーボードに残された指紋から犯人が特定されるからだ」
クリスは黙ってうなずき、同意の意志を示した。
「おおよそ正解、と言ったところです」
賢治が手を突きだし、悲痛な面持ちで叫んだ。
「結局、誰が相沢先輩を殺したんだ!」
彼は片手を棚に突っ張り、もたれ掛かった。沈黙の幕が垂れ込める。彼女は賢治の質問を無視して、懐から一枚のカードを取り出した。
「なんだそりゃ?」
多村が苛立たしげに言った。廊下から風が吹き込み、窓から射し込む蒼白な月光が、出入り口を朧気に照らしていた。彼女は、四本の剣がXのように交差している絵が描かれたカードを一同に見せつけた。
「The Four of Swords−−日本語に訳すれば、剣の四。死、棺を意味するタロットカードの一枚ですよ。そして−−」
続けて、長く白いロープを取り出した。ロープの先端部分に一重の輪が作られていた。もし、何かを輪の中に入れて、ロープの長い方を引っ張れば、輪が一気に締め上げる。
絞首索だった。
静まり返っている倉庫の中、一同を前にして、クリスは笑みを浮かべた。
「これは絞首刑の際の結び目、Hangs man noose−−即ち、首吊り結びです。Miss.相沢はカーテン前で首吊りしていました−−この結びで」
『首吊り』という露骨な言葉が放たれたおかげで、一同はゾッとするような気味悪さに表情を硬化させ、黙り込んだ。彼女は聴衆の反応に嬉々としていた。先端の輪を指差して、
「おそらく、五分ほど首を絞められて死亡した後−−致死させるには、五分ほど絞首する必要がありますからね−−このような輪に首を通され、この跳び箱の後ろのカーテン前に吊されたのです」
「ちょっと待ってちょうだい」
宮原が激した調子で口を挟んだ。
「あんた、どうしてそんなことが分かるの」
「それは首に食い込んでいたロープの位置ですよ」
クリスはステッキで床を鋭く突き鳴らした。
「通常、首吊りするときはあごの下に輪を引っ掛けるようにします−−結び目を耳の下に回せば、首の骨をへし折る即死効果も期待できますが」
おぞましい言葉に優香理の顔色が蒼白になった。原田は吐き気を抑えるように口を覆っている。指をパチンと鳴らすくらいの間、クリスは口を三日月状に歪めた。彼女は快活に続ける。
「しかし、現実は鎖骨のすぐ上、シャツの襟の下の肌にロープは巻かれていました。さらにロープの交差跡が見あたらなかったのです−−いいですか、このことはよく覚えておいてください−−わたしは死体をじっくりと観察しましたから。当然、現場を荒らす愚かな行動はしませんでしたがね……ムッシュー・山城、異なる点はありますか?」
警部は背筋を伸ばして不機嫌な顔をしていた。しばしの間、警察手帳に目を落として、唸るように言った。
「確かにその通りだ。実に素晴らしい観察力だよ。しかし、わしら警察がやってくる前に−−」
山城警部が反論しかけると、クリスは素早く遮って続けた。
「よろしいでしょうか? あごの下と異なり、鎖骨のすぐ上−−首根っこには引っ掛かる場所がないのです。このことから、首吊りさせるためには輪をきつく絞って固定させなければならないことが導かれます。しかし、何故そのようなことを行ったか? 答えは一つしかあり得ません−−殺人者が凶器を隠すためです」
倉庫内は沈黙した。高橋が言葉少なに言う。
「でも、襟の下にロープを巻こうとしたら、普通は抵抗するんじゃないのか」
言葉の端々から、無理矢理に落ち着きを保っている気配が漂っていた。クリスは鋭く切り返す。
「誰がロープで殺害したと言いましたか? 彼女は制服と共に着用していたネクタイで絞殺されたのですよ、背後から」
不吉な空気が蟠った。後藤が引きつった笑いを保ったまま、自らの首に指を巻き付けた。
クリスは物憂げに広げた左手を、口の前に置いた。指の隙間から貴族的な嘲笑が覗いている。
「理由は三つあります。襟の下にロープが巻き付けてあること。巻き付けた跡が、鎖骨の上から首筋に向かうにつれ緩やかに上昇していること。そして、ロープの交差跡が発見できないこと−−この三つをまとめると、背後からネクタイで絞首したと考察できます。交差跡が見あたらないことから、襟とネクタイの隙間に指を差し入れ、ネクタイをねじりながら引っ張り、同時に片手で彼女の後頭部に体重をかけ、前方へ押さえたと考えられます……彼女は身長が低かったので、さぞかし容易にできたことでしょう」
先程から長々と話していたため、一休みした。彼女は場の成り行きを楽しんでいるようだった。
「わたしはある方に先程の絞首索と、剣の四を是非ともプレゼントしたいのですよ、その方が犯人なのですがね……では、お受け取りください」
クリスはその二つを下手で放り投げた。白い絞首索が緩やかな放物線を描き、ある人物の足下にかすかな音と共に着地した。続けて、宙を左右に揺れ動いていたカードが、同地点にゆっくりと滑り落ちる。
一同の視線が、その人物の足下から顔に転じ、集中する。二つの品物を受け取った人物は呆然として、自らの足下に落ちているそれとクリスの顔を見比べていた。
「Miss.相沢を絞首し、カーテン前に吊した殺人者はあなたです」
クリス・ワーナーは考え深げな恐ろしいほどの微笑をその顔に浮かべ、ステッキの先端で犯人を指し示した。
「『死が二人を分かつまで』。さ、今度はあなたが絞首台で首吊りする番ですよ−−Mr.高橋」
高橋宣之の表情は凍り付き、顔面は蒼白になっていた。 |