涼風高校の悲劇《The Tragedy in the Ryohu high school》(1/7)PDFで表示縦書き表示RDF


《読む際の注意!》
 会話文がカタカナの箇所がありますが、携帯ではセディーユ等が出なかったのでカタカナにせざるを得なかったのです。できるだけ実際の発音に近づけています。ご了承ください。
 スペリングの後の()に平仮名とカタカナが書かれているのは、フランス語です。平仮名が意味を、カタカナが読み方を表しています。
涼風高校の悲劇《The Tragedy in the Ryohu high school》
作:Mr.logic



第一幕 悲劇の幕上がる《遺言執行人を選任し遺言状の話をしよう》


 遥か遠くに見える地平線の彼方から、煌めく朝日が顔を覗かせ始めた。明々あかあかと輝く太陽の戦車を引く『マーニ』が、静かに輝く月の戦車の御者『ソール』と交代し、神秘的なまでの美しさで出現する。
 神々しいばかりの朝日は、天空に淡く広がる羽衣のような雲を切り裂き、地上のすべてを包み込んでいった。漆黒のヴェールに覆われていた夜の世界は次第に減退し、それとは反比例するかのように、周囲は白く輝く朝の世界へ変貌を遂げていった。
 天空を舞うスズメの群れが、一斉に地上めがけて降下する。その群れは、住宅街に整然と立ち並ぶ電柱に張り巡らされた送電線をたわませつつ止まった。そして集団は声を揃え、清々しい朝を祝福するように讃美歌さんぴかを歌い上げる。

「さてと、そろそろ行くか」
 右手に着けた腕時計に眼を落とし、靴を履いて立ち上がる。現在の時刻、七時四十分。
 瀬山賢治せやま・けんじは、口笛を吹きながらブレザーの襟元を正し、ネクタイを締め直した。彼は最後に忘れ物がないか確認して、玄関の戸を開いた。
 彼、瀬山賢治は二週間前、高校二年に進級した。
 身長一七〇センチのやや細身の体。背面に流したやや長めの髪。女性に好感を与える整った顔立ち。それでいて常に学年五位に入る学力。ただし、そのことを鼻にかけることはない。
 彼は玄関の門を閉じ、出勤する人々や学生があふれる住宅街の道路をのんびりとした足取りで進み、学校に向かった。
 賢治が家を出て三十分。正面に目を向ける彼の視界には、横長に建つ校舎がその姿を現していた。警備員が立つ正門に、吸い込まれていくブレザー姿の生徒たち。賢治も彼らの後に続いて、校内に入っていった。
 校門前の歩道に、一定の間隔を置いて植えられた桜の木。穏やかな春の風が吹いて、その花がはらはらと舞い散る。桃色の花は、茶色の煉瓦が敷き詰められた校内に覆い被さり、桃色と茶色の混ざり合った絨毯を出現させていた。
 ここが賢治の通う『私立涼風高等学校』だった。
 賢治は校舎の右側から回り、正門と正反対に位置する裏門正面の、二学年のロッカールームに向かった。穏やかな春の陽射しが降り注ぐ中、朗らかに会話を楽しむ生徒やふざけあう生徒の姿があふれていた。
 賢治は裏門正面の入り口に至る数段を登り、二学年のロッカールームに到着し、自らのクラスである『二年B組』のロッカーに向かった。そして、縦に四段の立方体型のロッカーに取り付けられているネームプレートを、上から下へ順番に確認していった。
 しばらくして、自らのロッカーを発見した彼は、その中から室内シューズを取り出して履き替えた。そのときだった。彼の背後に誰かが近づいてきて、軽く肩を叩いた。
 別のことに気を囚われていた賢治は、びっくりすると同時に振り返って、きつい視線を送った。だが、相手の顔を認めると、小さく舌打ちしてから横目で表情を伺い、
「何だ、山城か」
 語調に皮肉を含ませて言った。相手は少しむっとした声で、
「『何だ』って、失礼な言葉ね」
 『山城』と呼ばれた女子生徒は、猫のような眼をきつく細め、両手を挑発的にスカートのふちに当てて答えた。
 賢治が苦笑する中、山城美恵子やまぎ・みえこは、一番上のロッカーから靴を取り出し、履き替える。屈み込んだとき、入り口から吹き込んだ微風で、セミショートヘアーがかすかに揺れた。
 彼女は靴を履き終え立ち上がると、仕上げに床で二、三回、爪先で床を叩く。指先をパチンと鳴らした。
「オッケー、行こう」
 彼女は、本館と別棟をつなぐ渡り廊下を指さした。正面に見える階段へ二人は前進した。本館三階まで登って、生徒の海をかき分けるように廊下を進み、西から二番目の教室に足を踏み入れた。
 教室後方の入り口から入った二人。教室最後尾の席の椅子を無理矢理に、揺り椅子のように前後に揺らしていた男子生徒が二人の姿に気づいて、片手を旗のように大きく動かした。
「よう、賢さんと美恵ちゃん」
「一か、おはよう」
「おはよう。齋藤くん」
 美恵子の言葉に、齋藤一さいとう・はじめは椅子を揺らすのをやめて、ニヤッと白い歯を見せた。
 短く刈った真っ黒な髪。端がつり上がった太い眉。何となく危険そうに見える細い目。出っ張った頬骨。がっしりした体つきで、立ち上がれば、賢治より二十センチは高い身長。
 二人は自らの机横のフックにカバンを引っかけて一の元に戻り、他愛もない会話を楽しみだした。
「そういや」
 会話の途中、一は頬をかきながらつぶやいた。
「さっき、優香ゆかちゃんが賢さんのこと、探してたぜ」
「成本さんが? ああ、そうか」
 賢治は何か思い出して、広げた掌をこぶしで叩いた。
「あんた、また何か借りたの」
 机に両肘をついた美恵子が、目を細めて呆れたように言う。賢治はうなずく。
「この間、レンブラントのレゾネを借りたのさ。特に代表作『夜景』の、光と影の微妙なタッチ……最高だね」
 賢治は満足げな表情で、テンポを取るように指先を動かす。
 そのとき、教室前方の引き戸がゆっくり開かれ、一人の女子生徒が腰に届くほどの髪を波打たせながら教室に入ってきた。
 彼女は誰かを捜しているようで、会話が飛び交う教室内を見回した。その双眼が三人の姿を認め、静かな足取りで歩み寄る。
 身振り手振りをまじえながら軽快な口調で芸術講義を行う賢治に、適当な相槌あいづちを打つ美恵子と一。二人がウンザリした色を見せるのに対し、賢治は雄弁に熱を込めて続ける。
「いいかい? ヨハネス・フェルメールは、ファン・ハン・メーヘルンによって贋作が多いことで有名なんだよ。まずは……」
 美恵子と一が、そばに近づいてきた女子生徒に気づき、顔の向きを変える。女子生徒は、高校生らしからぬ綺麗な顔立ちを賢治に向ける。
「瀬山さん。姉さんが必要としてるので、レゾネを返して欲しいのですけど」
 成本優香理なりもと・ゆかりは落ち着いたゆっくりとした口調で、顔立ちによく似合った澄んだ声で訊ねた。
 身長は百六十五センチ前後。おっとりした穏やかな目。わずかにウェーブがかったやや茶色っぽい艶やかな黒髪。その長い髪は、肩の前後に分けて垂らしている。
 賢治は弾かれたように立ち上がり、美術講義を中断した。
「うん、ちょっと待って」
 賢治は自らのカバンからレゾネを取り出してきて、優香理に手渡した。彼女は差し出した両手で受け取ると、ページをパラパラとめくって閉じた。
「新しい絵を入荷するらしいので、必要だったんですよ」
 優香理は安堵の吐息を漏らした。そして、彼女も会話に加わり、四人は音楽は何がいいかなどの雑談を交わしていた。
 やがて八時五十分になると、ホームルームの開始を告げるチャイムがスピーカーから流れ出して、室内を満たしていった。

「初項と第二項などの連動した項を証明できれば、その後の項はドミノ倒しのようにすべて証明できる。これすなわち、数学的帰納法だ」
 三時限目の数学の授業。二年B組の担任でもある春日真奈美かすが・まなみは、生徒の方を向いて、黒板をチョークで叩きながら強い口調で言った。彼女の声が反響するほど、教室内は静まり返っていた。シャープペンがノート上を走る音が、静かな教室内にささやかな彩りを与えていた。
「やっと終わった……」
 美恵子はやっとのことで黒板の内容を書き上げ、シャープペンを机に転がした。疲労を覚えて、目元を押さえる。
 春日は教室内を一通り見回す。教科書に目を落として意地悪そうな笑みを浮かべる。
「さて……では、誰かに−−」
 言葉が途切れた。五十分間の授業の終了を知らせるチャイムが教室を満たした。生徒たちが教科書類を収納し、教室内はざわめき始める。
 春日教員は頭を斜め上に向けて、教室前方の入り口近くの掛け時計に、軽蔑するような視線を送る。しかし、彼女は敗北の色をにじませ、教材をまとめた。
「静かに」
 彼女の威圧的な声に反応して、鎮静剤を打ったかのごとく、何事もなかったようにざわめきが鎮まる。春日教員は間を置いて言った。
「ページ四十九から五十二までを宿題とする。今回の所は、しっかり予習するように。以上!」
 彼女が教室を出ていきしばらくすると、ざわめきが大きくなり渦巻いていく。
 一はサッサと教科書類を収納し、彼の左隣の席に座る賢治は、十分間の休憩時間を使って宿題を片づけようと、教科書とノートへ交互に視線を走らせ、シャープペンを握った左手を忙しく動かしていた。
「賢さん。よくやるな」
 一の言葉に、賢治は冷ややかな目つきを送る。
「お前もやっていた方がいいぞ。いつも僕か成本さんに聞いているじゃないか」
「俺はあとでやるよ」
 五分ほどして、宿題を終えた賢治は、次の授業である物理の教科書を取り出す。
 今日の物理は移動教室で、本館と向かい合って建つ別棟の三階の理科実験室で、電場と磁場の実験を行う。理科実験室は、この教室の反対側−−つまり、東側−−にある。
「そろそろ行こう」
「待ってくれ」
 立ち上がる賢治を見て、一は慌てて教科書類を取り出し、教室後方の戸から出る賢治の後に続いた。二人は、C組とD組の間にある飾り気のないコンクリート製の渡り廊下を渡り、正面の二つに分かれているT字型の廊下を左折した。
 二人の右手側の窓から射し込むぼんやりとした陽射しが、あまり掃除されていないほこりっぽい廊下を照らす。彼らの左手の方向に教室が三つ見えている。手前から、理科準備室、理科実験室、倉庫である。
 二人は理科実験室に入っていった。天井から吊り下げられた十四本の蛍光灯が、室内を明るく照らしていた。六脚の黒色の机上きじょうには、本日の実験で使用するナットやコードなどの器具がまとめて置いてある。机は縦二列、横三列に並んでいた。
 二人は黒板を正面に、廊下側の後ろの机に向かい、前の時間の生徒が置きっぱなしにしていた椅子に座る。休憩時間の終了まであと二分。賢治は頬杖をついてぼんやりとしている。一は暇つぶしに実験器具を手に取って、興味津々に眺めていた。
「おい、瀬山知ってるか」
 突然、二年B組のHarlequin(ハーレ・クィン。フランス語ではアルルカン。道化師のこと)こと後藤辰吉ごとう・たつよしが、机に身を乗り出すようにして声をかけた。
 男子にしては低い身長で百六十五センチほど。整ったとはかけ離れた顔で、黒々とした髪を短く刈り込んでいる。
 賢治は怪訝な表情を浮かべて一言。
「何を?」
 後藤はニヤニヤして、賢治の顔をズルそうに伺う。
「俺さ、見たんだよ」
「だから、何を」
 やけに勿体ぶる後藤の仕草を冷静な眼差しで観察しつつ、多少呆れ気味に言葉を返した。後藤はクックッと忍び笑いを漏らした。
「相沢先輩と多村先輩がスポーツ店で喋っているのをさ」
「それで?」
 嘲笑するごとく目を細める。しかし、少し興味をそそられたようで、頬杖をついたまま椅子に座り直した。だが、ハッとして顔を上げる。
 授業の開始を告げる音。移動していた生徒は騒がしい足音を立て、急ぎ足で自らの席に戻っていく。
 前列の本校舎側の机に、数人の女子生徒と談笑していた美恵子は戻っていく。
 賢治は困惑した顔を後藤に向けた。
「まあ、人の話は蜜月の味とは言うけどね」
「何だそりゃ?」
 後藤の疑問に、賢治は何も答えなかった。
 スピーカーからの音声が静まると、教室後方の戸が音を立てることなくスライドして、物理担当の畑嶋教員が現れた。まだ二十代のゴツい男で、一見すると、物理教師よりも体育教師と思われそうな風貌をしている。
 畑嶋教員は青い剃り跡の残るあごを撫でながら、サンダルを履いた足をがに股気味に動かして黒板前の教卓前に移動した。
「授業始めるぞ」
 呼応して生徒が立ち上がった。

「畑嶋先生、デジタルテスター(電位を計測する装置)の調子が悪いです」
 授業が開始して十分。デジタルテスターを触っていた後藤が挙手して言う。机の中央には、コードの付いたナットに挟まれた伝導板が広がっている。畑嶋教員が足音大きくやってきた。
「見せてみろ……ふん」
 端子部にコードを接続し、表示を確認する。数字が一瞬だけ表示され、すぐに消える。ほかの生徒も興味深げに見守る。畑嶋教員はイライラした様子で、器機と格闘していたが、やがて諦めた。
「ダメだ。新しいのを持ってこなきゃいかんな。後藤、倉庫に新しいやつがあるから、職員室から鍵借りて持ってこい」
「アイアイサー!」
 背筋を伸ばし、海兵隊のように足を揃えて敬礼した。誰かのクスクス笑いが漏れる。彼は小走りに前方の扉から出ていった。
 その後ろ姿がまだ目に焼き付いているかのごとく、じっと戸を見ていた賢治が微笑してポツリと一言。
「本当のお調子者だな」
 その言葉に、畑嶋教員も含めた笑いが巻き起こる。
 七分超ほどして、非常階段に通じるアルミ製の扉が開かれる音が聞こえた。
「結構早いな」
 時計を見ていた一がつぶやく。
「同感だね」
 賢治は机に身体を突っ伏して答える。
 バタンと大きな音。倉庫の引き戸を乱暴にスライドさせて開いた。それから一分も経たないうちだった。
 静寂を切り裂く悲鳴が轟いた。急に室内がざわつき始め、どよめきが伝染していった。数人の生徒と畑嶋教員が駆け足で廊下に飛び出した。他の生徒も−−数人は残っていたが−−彼らの後に続いた。
「どうした! おい!」
 廊下の用具箱の前で、後藤は腰が抜けたように座り込み、倉庫を見つめたまま震えていた。畑嶋教員が肩をつかみ激しく前後に揺らす。
 賢治と一は顔を見合わせる。一がうなずく。二人は薄暗い闇が広がっている倉庫に足を進めた。
「おい、待て!」
 二人の背後から届く畑嶋教員の制止を無視して、二人は倉庫に足を踏み入れた。
 倉庫の床には埃が厚く堆積していた。所々に足跡が残されている。白っぽい壁には、灰色の斑点状のシミが至る所についていた。薄暗い室内で、二人の正面に見えている黒いカーテンの隙間から、わずかな陽射しが細い線となって射し込み、室内に漂う埃をその線上に浮かび上がらせていた。ひんやりした空気は淀んでいた。
 入り口右手にある学習机の傍で賢治が咳き込む。
「むせるな」
「まったくだ」
 倉庫は奥行き六メートル、幅四メートルの長方形の部屋だった。出入り口は二人が入った引き戸のみ。幅を三分割するように、賢治の身長ほどの高さで奥行き八十センチ、幅三メートルの二棹ふたさおの棚が室内の奥行き方向へ平行に並び、三列の通路を作っている。最も左側の通路は、生徒が使用するはずだった学習机と椅子が大量に積み上げられ通れない。
 賢治は埃っぽい空気に顔をしかめ、何気なく視線を床に落とした。彼は目を見張った。
「何だあれ」
 賢治は部屋の右側に行って屈み込む。一は幅が八十センチほどしかない真ん中の通路を、蟹歩きで進んでいった。
「室内シューズの跡か?」
 賢治は首を傾げた。
 埃しかないはずの床に、乾きかけた泥が付着した大きな靴跡があった。靴跡は奥の方に行って引き返していた。振り返って入り口の方にも目を向ければ、二人が踏み歩いたせいで輪郭がぼやけているが、そちらにも一定の歩幅でついているのが確認できた。
 賢治は靴跡と自らの足のサイズを比較した。賢治の室内シューズのサイズは二十六・五センチ。靴跡は彼のサイズよりも、約四センチは大きかった。歩幅は大体同じだった。爪先の跡に比べると、かかとの辺りはひきずったようになっていてやや薄かった。
「うわっ!」
 一が引きつった声を上げた。新たに二人の男子生徒が入ってきた。そのうち一人は、悲鳴を上げるや脱兎だっとのごとく倉庫から飛び出した。賢治は一の声が聞こえた方向に駆け寄った。急に廊下の声が騒々しくなる。
「どうした。いったいーー」
 言葉が途切れた。二人の視線の先を同様に見つめたまま、その顔は蒼白になっていった。
 女子生徒の首吊り死体だった。
 カーテンレールを支える左側のフックに丈夫なロープをかけ渡し、おぞましいことに、絞首刑に処するときの結び目で首を吊っていた。身長百六十センチに満たない小柄な女子生徒は、二メートル近い高さの黒い厚手のカーテンを背景にして、床から八十センチの高さに爪先が浮いていた。両のまぶたを完全に閉じ、両腕両足を力なくぶら下げている。頭頂部から靴の爪先まで、全身が綿埃にまみれていた。
 その姿は、傍の房掛けから吊り下がる黒いタッセルそっくりだった。
 薄暗い室内の中、安らかな死に顔は一種の芸術品とも言えた。黒いカーテンを背景にしているためか、それともチアノーゼを起こしているためか、その死に顔は生命を失った割にやや紫がかっていた。
 彼女の前には、踏み台にしたと思われる七段の跳び箱がある。その上には、ワープロかパソコンで『遺書』と銘打っている紙片が載っていた。
 三人が廊下に戻ると、ほとんどの生徒は口々にわめき騒いでいた。神経があまり丈夫でない生徒は、気分がすぐれず壁に寄りかかっていた。首を吊っていた女子生徒の名を聞き、うつむいて涙ぐむ生徒もいた。数人は目を伏せている。
 畑嶋教員は、警察へ連絡の指示を送ったりと忙しないことこの上なかった。賢治は静かに歩み寄り、死の鉄槌が響きわたるような冷たく沈んだ雰囲気の中、畑嶋教員に暗い声で告げる。
「自殺していたのは……」
「三年生の相沢由紀あいざわ・ゆきらしいな。すでにほかの教師に伝えに行かせた。警察を呼ぶようにな」
 表面は落ち着きをつくろう畑嶋教員だったが、さすがに青ざめた顔の色は隠せなかった。
 一は、美恵子と優香理が出っ張った柱にいることに気づいてそばに近寄った。しかし、二人の話しを耳に入れて、沈黙した。
「何で、何で? 相沢先輩は自殺したの?」
「山城さん、落ち着いてください」
 ヒステリックにわめく美恵子。それを何とかなだめようとする優香里。しかし、美恵子はますます落ち着きを失っていく。
「あり得ないじゃない! 先輩は、二週間後の詩のコンクールを待ちわびていたのよ!」
 美恵子の話を黙って聞いていた一人の北欧系の女子生徒が、琥珀色の目を笑うように細めて指を鳴らした。
「teins(ティヤン/そうです)!」
 その女子生徒は淡いブロンドの長髪をなびかせ、鼻歌を歌いながら倉庫に進んだ。
「おい、君! 入るな」
 畑嶋教員の言葉に、女子生徒はロングヘアーを揺らして振り向く。
「I don't understand Japanese(日本語わかりません)」
 唖然としている畑嶋教員に、微笑を浴びせて倉庫に入っていった。
 彼女は、先ほど賢治も調べていた床の足跡を発見し、ブレザーのポケットから『portable lab』と記された掌サイズの青い箱を取り出した。その中に入っているモノクル(片メガネ)を右目にあてて、スカートが汚れない程度に屈んで調べる。続いてメジャーを取り出し、足の大きさと歩幅を調べた。
「1feet(一フィート/約三十・五四センチ)……2.51feet(二・五一フィート)」
 その後、彼女は五つの歩幅を調べていたが、それらはおおよそ同じ幅だった。彼女は頭を振って、メジャーとモノクルを収納した。
 立ち上がってつかつかと奥に進み、鼻歌を歌いながら、黒いカーテン前で永久に動くことのない首吊り死体を観察する。
 しばらくそのまま見ていたが、手を伸ばして死体のあごを触る。
「Hem(エム/なるほど)」
 微笑を浮かべながら、靴下の上辺りの青い痣を指先で突っついた。押さえた部分の色が退色した。感心したように、短い口笛を吹く。死体の真下辺りの足跡を指先でこすった。サラサラに乾いた砂の粒が舞っていく。彼女は死体を吊してあるロープを目で辿った。
 ロープは部屋の左隅の壁の、二つの異なる高さに設置された手摺りを通してあった。
 最初に、床から五十センチの低い位置の手摺りに真新しい切り口のついた先端を固く結びつけ、次に、高さ三メートルの位置の手摺りにかけ渡し、ほぼ同じ高さのカーテンレールを掛けるフックにロープを引っかけ、その先に相沢由紀が吊り下がっている。
 直接カーテンレール掛けに引っかけると、体重でレール掛けが破損するため、わざわざ二つの手摺りを使って、滑車のように重量を分散させているらしい。
 彼女は何かに気づき、床に目を落とした。手摺りの前から跳び箱を引きずった跡だった。
「トレ・ビアン(素晴らしい)!」
 指を鉤状に曲げ、綺麗な形をした細いあごに置き、思考する。鈍い銀色に光る窓の鍵は、誰も触れてはいないらしく、埃の薄膜に包まれていた。
 廊下はだいぶ静まっていた。生徒たちも死体発見時に比べれば、落ち着きを見せていた。ほかの教師も続々とやってきた。
 そのとき、北欧系の女子生徒は、わずかに埃が付着した制服の上をはたきながら出てきた。
「君、いったい何しているんだ!」
 生徒やほかの教師の前で、畑嶋教員が憤慨する。だが、彼女は平然として、
「自殺か他殺か調べたのです」
 廊下は一気に静まり返る。彼女は何か言おうとする教師たちを黙らせるため、平手を突きだした。教師たちは口を閉ざした。
「お聞きください。Madames et messieurs(マダム・ゼ・メシュール/皆さん)」
 彼女は開口一声、演技がかった口調で言った。口元に微笑をたたえながら、次に口にした言葉は、皆に混乱をもたらした。
「これは殺人です」
 クリスティーナ・エリュアード・ワーナー(Christina Eluard Warner)は、大天使ミカエルの鎧の弱点を発見したリリスが勝利に微笑するかのごとく、口角を持ち上げた。


 できるだけ、フェアプレイに徹します。《安徳山の絞首台》もよろしく!ちなみに、サブタイトルは、シェークスピアの作品中からとってあります。











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