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分析魔に恋して2
作:広瀬 由一



クラークによろしく



 名取由一は趣味で哲学を独学していたが、それがつい最近、ひそかに完成していた。
 古今東西の出来事を振り返り、総合的に導き出した彼の結論はいたって単純だった。
「とにかく、よく食べ よく考え よく動く。 以上」
 これが名取由一(17)の、今後の生涯を貫く基本姿勢となる考え方だった。高校二年の最後の日、受験生としての心得を説く担任教師の話をBGMにまとまった考えだった。この単純極まりないポリシーを複雑的かつ抽象的、神秘的限定的にあえてわかりにくく言うと、『少年よ、大志を抱け』とか、『我輩の辞書に不可能と言う文字は無い』とか、『われ思う、ゆえに我あり』とか、『なぜ山に登るのかって? そこに山があるからさ』といった感じになるのだそうな。
 由一の考えでは、政治も法律も、規則も教育も、ほとんど全ての人工機関やルールはこの『一人でも多くの国民をよく食べよく考えよく動けるようにする』ために存在するべきであり、その目的を達成するのに対して障害となるもの全てが『悪』であった。
 以前の由一ならば、『地震を予報する』などという徒労に終わる確率99%の挑戦を実行するなど有り得ない事だった。しかし前述のスイッチの入った由一は今や、この世で最もアクティブな人間になりつつあった。もともとがネジの外れた変態であるために、加減や限度を知らない彼が今後どうなるのかは誰にも分からなかった。
 そしてもう一人。
 今まで帰宅後は料理、洗濯、入浴、宿題、就寝という基本セット的なライフスタイルをただ無表情に繰り返すだけだった松本恵那というこの日本一薄幸な少女に、奇妙な指令・・『人探し』が下されたことによって、彼女の集中力は異常なまでの高まりを見せていた。最初の一週間で、由一から手渡された人探ホームページの顔写真リスト12546名全てを寝食を忘れて貪り読み、完全に記憶してしまった。
 四月二十日。松本恵那はいつも通りに学校へ行き、その帰り道、都心部の環状線に乗った。それからデパート周辺を終電の時刻まで徘徊し、のべ5万人以上のすれ違う顔を見た。  
しかし、この中にリストと一致するものは無かった。
「ふう」
 疲労感と共に、残念がっている自分に気がついたのは、終電の座席に揺られているときだった。そしてふいに、なんだか懐かしい気分になってしまい、「何やってるんだろう私・・」などと呟いた直後、彼女は本当に久しぶりで笑みをこぼした。
一人のみなしごハッチのテンションが大きく変わろうとしている頃、その変化をもたらした張本人である名取由一は、「倒れ続けることが『転がる』と言うことなんだよね」
という何の前触れもない新規メールを打ち、風呂上りの佳苗の眉根をひそませている最中だった。

 それからたった10日後の4月30日の昼下がり、恵那は不幸な一人のターゲットを発見する事になる。
 本居健二はその間、特に何もせず、『かくれんぼの最中に、気がつけば全員帰っていた』という放置プレイ(いじめ)をどうやって描くかについて思案に暮れていた。

            *

 本居健二の携帯に佳苗から連絡があったのは、5月一日の朝だった。ベランダ、雲ひとつ無い青空をパジャマ姿のまま見上げて伸びをした時、机の上においてあった携帯の着信が背後で鳴り、本居はあくびをしながらサッシをくぐり、電話に出た。
「埋設ポイントの候補が決まったから、今日の放課後から一緒に回ってほしいんだけど」
 本居健二はベランダに出るとき、いちいちサンダルを履いたりはしない。ぺたぺたと裸足のままフローリングの床を行ったり来たりし、その感触を楽しんでいた。
「どんだけ回るつもり?」
 気楽に尋ねると、
「まあ、ざっと150箇所かな」
 という同じく気楽な声が聞こえてきた。本居の部屋から足音が消えた。
「どうやって回る気だ? 範囲は?」
「まず、みんなで原付免許取りに行きましょう。中古バイクを買うくらいの貯金はあるし。範囲は、北が埼玉、西が山梨、南が神奈川、東が千葉のそれぞれ端っこよ。各30ポイントづつね。で、ここ東京にも候補を30置いてあるわ。これ以上は現地を見てみないとしぼれないのよ」
 これでしぼったつもりなのか。本居はめまいを感じた。
「何日間で回るわけ?」
「5月中にだけど」
「一ヶ月で回れるのか?」
「土日の連休に、一県づつ潰していく感じなんだけど、多分出来ると思うよ」
「土曜は学校あるだろ」
「どうせ古典と体育と英語Cだけだから、休めばいいわ。出席日数は既に足りてるしね」
「二日間泊りがけで行くっていうのか? 親や教師には何ていうんだ?」
「そのままの事を言うわ。地震予報しますって、どーたらこーたら」
「・・・なるほど」
 本居は考えた。二日間で一県の30箇所をバイクで回るくらい、不可能ではないかもしれない。それに、これまでの人生の中で、こんなにもグルグル移動することは無かった。これから先にもおそらく無いだろう。そう考えると、なんだか面白そうな気がした。
「分かった。じゃあまずバイクだな。いつ取りに行く?」
「明日。もう既にほかの二人は了解してるから、本居君次第だけど」
 明日は日曜日だった。特に用事もなかった。
「OK」
「必要書類は用意しておいてね。じゃね」
 電話が切れた。
 必要書類について聞こうと思い、折り返しかけると、佳苗の携帯は既に通話中になっていた。おそらく名取由一に何らかの連絡をしているか、されているのだろう。忙しそうに喋りながらメモを取る佳苗の姿が本居の目に浮かんだ。
「ふっ・・・面白い」
 忙しいと言うと、なんだかマイナスのイメージにしか思えなかったこれまでだったが、本居は今、『忙しさの美学』に気がついてしまった。
「高校卒業を前に、一度くらい忙殺されてみるのも一興か。ふっ」
 本居は網戸に向かってそう呟き、とりあえず、必要書類くらい自分で調べようと思った。













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