判断
「何してるの? 」
佳苗が聞いた。
「新聞読んでる」
由一は答えた。
「アメリカで食料高騰。バイオエタノールと遺伝子操作・・・ふーん」
床一面に積み重ねられた1万冊以上の新聞に囲まれながら、由一は新聞記事を読みふけっていた。
佳苗は由一の隣で9月4日現在の朝刊の見出しを読み上げ、いつものように思ったことをそのまま質問した。
「由一君は、遺伝子操作には賛成? それとも反対? 」
「いまは反対だ」
由一は10年前の夕刊に目を通しながら答えた。
「どうして? 」
「危険すぎる」
意外な返事だと佳苗は思った。
8ヶ月前の正月、原子力発電に関して積極的な肯定論を繰り広げた人間とは同一人物に思えないと佳苗は思った。
「どう考えても核エネルギーが一番重要だ。ヨーロッパ各国が風力やら水力、太陽光発電みたいな自然エネルギー重視の姿勢をとってるその意味が分からない。よほど国民の力が政府と比して強いんだろうな。さすが民主主義先進国だけあるよ。間抜けな奴らだ。国民の総意なんて、偏差値50あれば入学できる高校のクラスで10番目くらいに頭の良い人間が出す答えとそう変わらないのにね」
今年の正月、由一は佳苗と初詣に行った。そしてその後、真っ白な河原でバドミントンをし、休憩しているときになぜか核エネルギーの話題になったのだった。
「原子力は危険だわ」
佳苗はタオルで汗をぬぐいながらそう言った。
「包丁と同じさ。扱い方を間違えば、その時は死ぬよ」
「ほら。自然エネルギーのほうがいいと思うけど」
「もし人類がそういう考え方の人間ばかりだったら、人は火を利用しなかっただろうな。あるいは、文明の発展はかなり遅れただろうな。今頃はまだ、テナガザルの群れと縄張り争いをしているんじゃないかな。親は子にゴリラを見たら逃げろと教え、チンパンジーを神として敬っているんだ。好物は木の実」
「・・・」
佳苗は悔しかったが、何も言い返せなかった。黙ってミットを素振りした。
「今、ヨーロッパは民主主義が正義と信じられている。だから、国家の政策に関して、国民の平均的意思がかなりのウェイトを占める。結果として、ある一定レベル以上の思考力を必要とする判断や問題解決に対しては、正しく対処できないという事態が生じている。エネルギー問題に対する愚かな対応策はその一つだろうな。よりによって核エネルギーを放棄するとは。アインシュタインが聞いたら泣くだろうよ」
「民主主義がだめなら、何がいいわけ? 」
「時と場合によるってことさ。基本的には民主主義でいいと思うよ。でも、特殊な問題に関しては、『専門家主義』でないといけないね。サザエさん一家が判断できないことは、その道の専門家1000人の平均意見を国策として展開するより他に方法は無いんだ」
由一は雪の上に寝転びながら、脱原発政策を進める欧米諸国をアホだマヌケだと思いっきり罵った。
そして今、名取由一はアメリカの遺伝子操作栽培に対し、
『危険だ、やめておいたほうがいい』
などと言っているのである。佳苗が混乱するのも無理はなかった。
「遺伝子操作だって、『火』と同じじゃないのかしら? 」
佳苗は皮肉をこめながらそう言った。
8ヶ月前の仕返しのつもりだった。
「どうして核エネルギーは推奨で、遺伝子操作には反対なの? ゾンビが暴れだすから? 」
「例えば、ある野菜を遺伝子組み換えして、虫に食われないように改良したとする。その野菜の種が農園から外に出たとして、もちろん、その野菜は他の植物よりも生存率が高くなる。結果として、何年後かには、その野菜が他の植物を駆逐して繁殖してしまうという事態が起こる。これは多様性の破壊に繋がる。そこでそうならないために、全ての植物の遺伝子を『虫食いに強く』したとする。結果、今度は全ての昆虫が餓死してしまう。虫がいなくなる。虫がいなくなると養分が分解されなくなり、植物も滅ぶ。植物が滅びれば動物も人間も滅ぶ。・・・これは滅茶苦茶極端な例だけど、生物の世界は循環するんだ。遺伝子操作という行動選択は、その循環全てを把握した上でするべきものなんじゃないのかな? だから、まだ少し早いと思うんだ」
「・・・なるほど」
佳苗は納得した。
「ところで、何してるの? 」
佳苗はさっきと同じ質問をもう一度繰り返した。
「だから、新聞を読んでる」
由一も同じ答えを繰り返した。
確かに、由一は新聞を読んでいた。
それは見れば分かった。
問題は、由一の部屋の半分の体積を新聞紙が埋め尽くしているというこの異常な光景だった。
「どこから集めたの? 」
佳苗はわずかに空いているフローリングの床を選んで歩きながら、まずそれを聞いた。
「夫が新聞コレクターだった現未亡人の出品物を僕がこの前40000円で落札したんだ。ネットオークションでね。それがこれさ」
「なんのために? 」
「ちょっと調べたいことがあってね・・・その、エネルギー問題やら何やら・・・」
由一は最後のほうで言葉を濁した。
嘘だったからだ。
由一が国内の新聞を集めた理由、これだけは絶対に佳苗に知られてはならなかった。
これから近い将来に起こるであろう大騒動に対して、由一はどうしても保険が欲しいと考えていた。
地震予報およびその回避における一連の行動において、どうしても『誰か』が何らかの『非難』を浴び、『責任』を追及される可能性が高かったからだ。具体的にどういう展開となるのかは、さすがの由一にも分からなかった。ただ、その非難を浴びる『誰か』になるつもりはさらさら無かった。
愚かしい世間の注目を浴びるような目にも、絶対にあいたくなかった。低俗なマスコミが連日訪れるなど、由一の性格から考えて、到底耐えられるようなものではなかったからだ。
では、どうすればいいのか。
答えは一つしかなかった。
自分たちのところに注目がいく前に、第三者に非難が集中するように仕向ければいいのである。
由一は自分の身代わりとなるターゲットの候補に、厚生労働大臣を含む十数名の政治家を選んだ。
選定基準はこうだ。
『地震予報の理論情報を多少理解し、自分の家族を秘密裏に避難させる可能性の高い、そこそこ知名度のある権力者』
である。
あとは過去の新聞記事を読み、各新聞社のどんな記者が、どういう事件について当事者(特に政治家)を報道しているのかを精密に調べていくだけだった。
ターゲットと国内の全ての専門家に地震予知の情報を流し、そのことを特定の記者に伝える。あとは彼らが勝手に『劇場型報道裁判』を展開するのを待てばよかった。
必ず、誰かがマスコミおよび世論によって裁かれる悲惨な状況が起こる。由一は過去の情報から、それを確信していた。
今、由一はこの身代わり作戦の最も重要な部分、新聞記者選別作業を行っているのだった。
どの新聞社のどの記者がどれほどの知能で、どれほどの実績と信用があり、どういう性格をしているのか。
これはこの計画を実行するに当たって、最も重要な情報だった。
「エネルギーねえ・・・日本近海で天然ガスが見つかったそうね。それにまつわること? 」
佳苗ののんきな声が聞こえ、由一は我に返った。
「佳苗は何しに来たんだ? 何か用があって来たのか? 」
由一はそう聞き返した。
今日は祭日で、学校は休みだったのだ。
現在の時刻は午前10時半。
連絡もなしに突然、佳苗が由一を訪ねてくるのは、これが初めてだった。
「ああ、地震のデータを貰いに来たのよ。ちょうだい」
佳苗はそう言って笑顔で両手を差し出した。
「いいよ。勝手に持っていきなよ」
由一はそう言ってパソコンを指差した。
「サンキュー」
佳苗は机の前に座っている由一をイスごと左にずらし、マウスを操作してクリックした。
由一は顔には出さなかったが、少しドキドキしていた。
果たして、佳苗はこの数字の乱数表のようなデータから、次の震源予想地が潜んでいることに気付くだろうか?
「・・・ん? 」
まあ、答えは最初から分かっていた。このプログラムは佳苗が作ったものなのである。
「ねえ、由一君、これ、変だよ。また地震が起こるみたい」
佳苗は顔面蒼白になりながらそう言った。
「うそだろ? 」
由一は驚いたふりをした。
「ほら、見てよこれ。東京北西部を中心にして1149回、1148回、1151回、1207回、1198回、1203回、1200回、1179回、1167回・・・この分布図、明らかにY地点の余波とは別物よ。また東京で地震が起こるんだわ」
「・・・本当だ。明らかにここ数日以内に検出されだしてるな・・・きっと、一昨日の地震で地下の断層がずれて、それが原因でこのポイントに圧力が集中しているんだ。ヤバイな」
分かりきっていることを今気付いたみたいに言うのはなかなか難しかった。
「しかもこれ、まだまだ事前現象じゃないよね? 一昨日の地震の事前現象では感知回数が6倍に跳ね上がったんでしょ? だとしたら今回は・・・最低でもその5倍? マグニチュード換算すれば、どれくらいの威力になるのかしら・・・震度7? いや、それ以上? 」
「きっと7強くらいだ」
由一は感覚的にそう判断した。
「期間は? 何日後くらいに起こるのかしら? 」
「それは分からない。事前現象の発生を見逃さないように注意しないとな」
話がどんどん先に進んだ。
「OK、OK・・・問題はどうやって東京都民全員を非難させるかよね・・・」
佳苗はそこで沈黙した。
「僕たちの調べたことを、正確に発表して知らせるしかないよ」
由一が佳苗の代わりに結論を出した。
自分で言っておきながら、白々しい気分になった。
「そうね。それしかないわね。・・・早速インターネットに書き込みましょう」
「匿名でね。間違っても僕や自分のパソコンは使うなよ」
由一は厳しい口調でそう言った。
「・・・どうして? 」
佳苗は不思議そうな顔で由一を見た。
「祭り上げられたいのか? 多摩川に迷い込んだアザラシが国民的マスコットになる時代だぞ」
「・・・」
佳苗はしばらく考えた。
そして顔色が悪くなった。
「まず完全に独立したインターネット端末を手に入れましょう。私がするわ。ネットのほかにも、何か手段は無いかしら? 」
「手紙だな。専門家にはきちんとした書類を送ろう。指紋がつかないように気をつけながら」
「そう。由一君はそちらをお願い。恵那ちゃんと本居君も呼んで、それから・・・」
由一は佳苗の両肩に手を乗せて彼女をベッドの上に座らせた。
「落ち着けよ。地震は急には起こらない、だ。まだ何ヶ月も先さ。今は焦らずゆっくり計画を立てるべきだ。頭冷やせ」
「・・・ごめん」
由一は気分転換に外に出ることにした。
「どこ行くの? 」
玄関のところで佳苗が聞いた。
「近所の駄菓子屋さん」
由一は靴をはきながらそう言った。
それから由一は本当に駄菓子屋に向かった。
ねり飴を練りながら、由一は徐々にストレスが解消されるのを感じた。
佳苗はますます苛立ち、結局その日、一日中、街の中を行き当たりばったりに放浪する由一の影を踏み歩きながらついて回った。
*
二人が映画館でB級映画を半分寝ながら見ている頃のこと。
誰も居ないはずの由一の部屋には、一つの人影があった。
長く透き通った金髪を目深に被った帽子に隠してはいたが、それは紛れも無いヒネイラの姿だった。
彼女は一切物音を立てずに新聞紙に埋もれた部屋の中を物色し、ついに目当てのものを発見した。
青く光る、透き通った球体結晶。
ヒネイラは数枚の写真を撮り、引き出しを閉めた。
崩れかかった新聞紙の山を両手で支えようとしてかがんだとき、彼女の視界に奇妙な形の物がチラと入った。
床の上にナミヘイコンプレックスが転がっていた。
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