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放心状態の由一たちが旅館に戻ったのは、翌日の朝になってからだった。
旅館の入り口をくぐると、ロビーに置かれている大きな振り子時計が、ちょうど午前7時を告げた。
4人はドロドロのつなぎを脱ぎ捨て、温泉に入った。
混浴だったが、4人とも、そのことについてたいして何も感じなかった。
みな、それぞれ『オーシャン・パール』を手にしている。
意識の9割はパールが発する青い光に集中していて、お湯がちょっと熱すぎることすら「それが何か? 」状態だった。
気がつくと、4人は温泉中央にぽつんと顔を出している岩に、背中合わせでもたれかかっていた。
「どうなるのかな? これから・・・」
佳苗が言った。
「倒せない以上、いずれ人類は駆逐されるだろうな。数十年はかかるだろうが・・・まあ、最低でも日本史はこれにて終了だ」
由一はそう言ってパールを舐めた。
温泉の味がした。
「あんな生物・・・ありえない」
佳苗がそう言ってパールを額に当てた。
心底、絶望的な声だった。
「生き物というか、『そういう働きをする物質』と考えたほうがしっくりくるかもな。進化の結果、ああなったのではなく、たまたま偶然にああいう形になったから、地球まで来たんだ。超新星爆発にしたって、あの化け物は理解なんてしてはいないだろう。とにかく卵を強くする定向進化と、卵の寿命を長くする定向進化があの化け物に起きた。結果、あいつの故郷の星はこの卵で覆われ、その後に超新星爆発を起こした。そしてその一つが偶然、地球へ・・・」
由一はいつもと変わらぬ口調で推理分析を展開した。
「なんで一つって分かるんだよ。もう一個来てるかもよ? 」
本居が言った。
「いや、一つだ。例えば木星あたりの距離から拡散されたとしたら、確かに2,3個は地球上に降り注ぐだろうけど、それ以上の距離から飛んできた場合、理論的に考えて届くのは1個以下だ。これだけは断言できるね。単純な計算だから」
由一は横目で本居を見ながらそう断言した。
「そうなのか・・・」
本居は言い負かされた形で納得した。
「その一匹を倒せないんじゃあ、2個でも3個でも同じじゃない」
恵那が呟くように言った。
「そうだな」
しばらく沈黙が続いた。
岩の上からお湯が流れ落ちる音だけが辺りに響き、時折、山鳥の鳴き声が短く聞こえていた。
「これからどうしよう」
恵那が呟いた。
「とりあえず、塾を全部辞めるわ」
佳苗がそう言って小さく笑った。
「俺は絵を描く。とりあえず、新しく7枚ほどのイメージがもう出来てるからな」
本居が言った。
「私は・・・屋久島に行こうかな」
恵那はまっすぐ前を見ながらそう言った。
「・・・」
5秒後、本居が恵那の頭の上に右手を乗せ、思い切り湯の中に押し込んだ。
「なにするのよ! 」
恵那は両手で顔の水をぬぐいながら勢いよく立ち上がり、本気で怒った。
「いや、なんとなく」
本居はそう言って、まな板を見るような目で恵那の体を見た。そしてすぐに、その無感動な眼差しを右へずらした。
本居に殴りかかろうとした恵那の両肩に佳苗が両手を乗せ、彼女を湯の中に押し戻した。
「恵那ちゃん、最後まであきらめちゃダメよ。自殺なんてしないで」
佳苗はそう言い、
「ね? 」
と、怒りで震えている恵那に向かって小首をかしげた。
「しないわよ! 」
恵那は本気で怒鳴った。
「由一、お前はどうするんだ? 」
本居が言った。
「僕? 僕は・・・」
聞かれて由一はしばらく考えた。
そして、特にやりたいことなど無いということに気付いた。
「よく食べ、よく動き、よく考える。これでいいのだ」
と思っていた数ヶ月前が、やけに遠くに感じた。
もともと名取由一は人生に退屈していた。
退屈で退屈で死ぬほど退屈だった。
自分の周囲を見渡す限り、どうにも興味の対象外だったので、由一は読書に走った。それに対しても半ば失望し始めると、今度は自分自身でいろいろなことを考える作業を始めた。
何らかの問題を考えている間だけは、『退屈』やら『空虚』といった鬱陶しい単語の存在を忘れることが出来た。
納得のいく解答が得られたときなど、少し楽しい気分にもなれた。
しかし・・・
今回の出来事で、由一は自分の立ち位置がはっきりと分かってしまった。
全ての人間を善悪で二分できるとしたら、由一はそのちょうど中間地点なのである。
正義の使者でも無く、悪人でもない。
前々から薄々気付いていたことだったが、それが今はっきりと実感できた。
由一は頭の中で、佳苗、本居、恵那の3人を正面に見据えた。
佳苗は完全な正義である。
本居健二はどちらかといえば悪人だろう。
松本恵那はもともと正義の陣営にいたが、今は真っ黒である。ただ、自分が仲間であると認めている人間に対しては、絶対に危害を加えないという汎用装置が付属されている。
「悪でも善でもない。そういう人間は、先ほどのような危機的状況下においても、特に焦らず騒がず、冷静沈着な判断の元、自由に行動できるらしい・・・」
こう考えると、由一の頭の中では『死』についての新たな見解が自ずと生まれた。
「死を恐れるのは本能と言うけれど・・・理性によってその恐怖が何倍にも増幅させるという効果は確実に存在する」
つまり、本能的な恐怖よりも、理性的な恐怖のほうがはるかに恐ろしいということである。
しかし、由一の場合・・・
『この世は時空密度の差によって生じた物理的な流動現象であり、宇宙の土台となる部分に関しては「始まりも終わりも無い」』
という概念認識で理性が形成されているため、どちらにも振れようが無いのである。
理性による恐怖が生じない以上、由一の恐怖は純粋な本能から来るものとなるはずだった。
しかしなにぶん、日本史始まって以来、初めてともいえる平和な時代に生まれ、これといった臨死体験も無く、要領がよかったためイジメられもせず、先生に怒られたことも無い。その結果、由一の『恐怖を感じる本能』は極端に低下しているらしかった。(雷、以外)
せめて性格が『善悪』のどちらかにはまってさえいれば、いつかの雨の日、由一が恵那に話して聞かせた理屈のごとく、適度な被害妄想によるストレス刺激によって、『恐怖』や『怒り』というシステムの退化は防げていたのかもしれなかったが・・・
「しかし、これも多様性の一つか・・・」
先ほどのような危機的状況下において、怒りもせず、恐怖もせずに冷静な判断を下せる人物の存在は、種の保存という観点から見て、確実に必要であるといえる。
そう考えると、今、自分を襲っているこの言いようの無い喪失感、虚無感、気だるさといったものは、多様性としての独立使命を無事やり遂げたことによる、一種の陶酔なのかもしれない。
考え始めて数秒後には、由一の思考はそういう結論に到達していた。
「なに、ぶつぶつ言ってるの? 由一君はこれからどうするの? 」
目の前で、裸の佳苗がそう言っていた。
由一は突然、我に返ったような気分になった。
急に何もかもが恥ずかしくなった。由一は視線を手元のパールに落とし、真っ赤な顔で話し始めた。
「どうもしない。家に帰って、夏休みの宿題をして、佳苗とメールして、たまに4人で集まって、ファミレスで騒いで、本居と恵那が喧嘩するのを見て、たまに佳苗をからかって・・・朝は7時に起きてニュースを見て・・・夜は10時に寝る・・・あの化け物はおそらく、地球上を卵で埋め尽くした後、寿命で死ぬだろう。まあ、ちょっと歩きにくくなるけど・・・70億人で掃除すれば、なんとかなるでしょ」
しばらく沈黙が続いた。
「・・・ぷっ」
佳苗が小さく吹き出した。
「お前らしいな」
本居が言った。例の如く、達観したような顔をしている。
「そうね。私もそうするわ」
恵那が言った。
「あれ? 屋久島は? きっと縄文杉もあいつに食べられちゃうぜ。お前のルーツなんだろ? 」
本居が横目で恵那を見ながら言った。
恵那は無視した。
「それじゃあ・・・約束しない? 」
佳苗がそう言ったので、全員が注目した。
「何を? 」
「たとえ世界がこのパールで埋まってしまったとしても・・・」
佳苗はそう言って、パールを持った右手を3人の前に突き出した。
「意地でも元の生活を続けましょう」
3人は同時にパールを突き出し、乾杯した。
「賛成」
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