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分析魔に恋して2
作:広瀬 由一



天空落下方式



 九鬼英輔(64歳)はその日、太平洋のはるか上空、雲の上にいた。
 長く豊かな白髪を優雅に垂らし、地上を見下ろす絶景の個室(30畳ほどの正方形の和室)にて、九鬼は一人で雑誌を読んでいた。
 毎日国内から発売される全ての雑誌をヘリで地上からこの大飛行船まで届けさせるのは、初飛行の日からのことであり、最近では彼の日課であった。
 老人とは思えないくらいの太く力強い指先で小さなみかんをむいて食べながら全ての雑誌に目を通し、九鬼英輔は数日前の台風4号のことを思い出しながら畳の上に寝転がった。
いま、この飛行船の中には、苦虫を噛み潰したような表情で天井を睨み付けている九鬼英輔と、助手のラント=ヒネイラ(18才、白人女性)の二人しかいなかった。
 九鬼英輔は飛行船最下層の和室に寝転んでおり、ラント=ヒネイラは最上階の展望台でパラソルを広げ、水着姿で読書にふけっている。
 九鬼からヒネイラまでは、直線距離で約2キロだった。

 この九鬼英輔が設計、建造した飛行船『天魔』は、人類史上最大の飛行物体であり、ひょうたんを逆さまにしたような形をしている。
 全長2.1キロメートル。幅1.5キロメートルの怪物飛行船である。
 常に雲の上を航行し、地上に降りることは想定されていないため、着地装置の類は一切備えられていない。
『万一の場合には海か湖の上に撃墜する』
この怪物を飛ばす際に日本政府が絶対条件として提示したのはこの一文だった。
現在、天魔の中には、長さ50メートル、直径2メートルという、想像を絶する大きさの鉄の杭が1000本搭載されている。
この謎の未確認飛行物体の正体は、巨大な釘打ち機だった。

只今の進路は南南東。

目的地、フィジー諸島。

この諸島は地球温暖化の影響で、数年以内に水没の危機にさらされている。
九鬼英輔はこの天魔で島の回りにぐるりと鉄杭(長さ50メートル、直径2メートル)を200メートル間隔で996本打ち込み(上空から自由落下させるだけ)、予定では6メートルほど地面から顔を出すその鉄杭それぞれを海峡型吊り橋に使用する強化ワイヤーで隙間無く結び、そこに特殊シリコンを吹きかけるという方法で、一瞬にして島を囲む高さ6メートルの壁を築き上げるつもりだった。
九鬼英輔は畳の上で寝転びながら、欠伸をした。
 いうまでも無く、この戦国武将みたいな風貌の老人がただの慈善事業で南国の常夏の陽気な島々を救うわけはなかった。
 これはデモンストレーションだった。
 この『天空落下方式』を使えば、万里の長城と同じ長さ、同じ高さの強力な壁が、たったの1ヶ月で完成してしまうのである。

 中国大陸のど真ん中に

『九鬼建設。建築物、万里の長城2。工期2009年7月〜同8月中旬頃まで。たまに2、3日ずれることもあります。ご協力お願いします』

 という立て札をぽつんと立てて、史上最大の建築物を夏休みの間に一人で完成させてやろうというのが、九鬼英輔の子供の頃からの夢だった。

 天魔のデモンストレーションの候補地に九鬼が最初に選んでいたのは、もちろん日本だった。
 国内ならば、場所はどこでもよかった。
 許可さえ頂ければ、東京タワーを厚さ5センチに圧縮させるような巨大文鎮を落下させたり、警視庁や通天閣などを貫通させるような事も、うっすらと考えてはいた。
 現実的には、例えば大雨などで川の水が氾濫し、堤防が決壊するその直前に颯爽と現れ、長さ14メートル、幅1.9センチの鉄心を一平方メートルあたり40本落下させて打ち込み、堤防を瞬時に強化することで、大洪水を食い止めるという、マスコミと災害を利用した劇場型コマーシャルでワイドショーを席巻し、『九鬼建設(株式会社。資本金50円。従業員2名。社長、九鬼英輔。技術顧問、九鬼英輔。営業部課長、九鬼英輔。作業員、九鬼英輔。秘書及び雑用係ラント=ヒネイラ。協力・・・全国の人材派遣会社29社)』の名前を全世界に広め、YOU・TUBEのアクセス数で史上最高得点を取って はじけるつもりだった。
 4日前に九州地方を襲った台風4号はそういう意味で、格好のチャンスだった。
 しかし・・・

「地下のガス管や下水道管の把握が完全ではないから、ダメ」

 厚生省からの鶴の一声で、九鬼英輔の目論見は崩れ去った。
 そんなこんなで、九鬼は今、フィジーアイランドを目指して飛んでいる。
 結果、熊本県南部で堤防が決壊。戦後5番目に深刻な大洪水が街を襲い、9万人以上が家を失った。

「俺は知らん」

 九鬼は天井の木目を睨み付けながら、本日7回目のこの言葉を呟いた。
 

 雲の上は非常に静かだった。
 機体の90%はヘリウムガスを改良した特殊な気体が占めている。
 推進装置はついているが、ほとんど停止状態で、この船は基本的に風と慣性で動く。
 九鬼英輔は畳の匂いを胸いっぱいに吸い込み、嫌なことは全て忘れて、南国で予定されている歓待のことだけを考えることにした。
 一人でニヤニヤしていると、ふすまの外からヒネイラの凛とした声が聞こえた。
「おじい様」
「なんじゃい? 」
 九鬼は大の字に寝転びながら五月蝿そうに言った。妄想を邪魔されたのがお気に召さなかったのだ。
 ふすまを滑らせ、和服を着た華奢な白人女性が入ってきた。
 人形みたいに可愛い顔をしている。
 彼女がラント=ヒネイラ(18)である。
 特技は数学と早着替えだった。
「本国より、お電話が。第4研究所の佐久間総一郎様です」
 ヒネイラは九鬼に黒電話型コードレス電話を手渡し、九鬼のそばで正座した。
「ワシじゃ」
 九鬼は無造作にそう言った。
「私だ。久しぶりだな。少し時間あるか? 」
 受話器からは佐久間総一郎の声が聞こえてきた。
 数年ぶりに聞く声だった。
「なんじゃい? 」
 九鬼は面倒くさい口調で言った。
「実は・・・この研究所なんだが、訳の分からん状況になっていてな・・・化け物に襲われとる」
 九鬼は受話器を切った。
 ただでさえ憂鬱なのに、ボケ老人の相手などしてられるか。
「ヒネイラよ、ビールと、焼き鳥が食べたい」
「かしこまりました」
 ヒネイラは立ち上がり、同じ階にあるキッチンルームへと向かおうとした。
 再び電話が鳴った。思ったよりも大きな音で、九鬼は心臓発作を起こすかと思った。
「なんじゃ! 」
 九鬼は受話器を取って思い切り怒鳴った。
「ほんまに襲われとるんじゃああ! 話くらい聞かんかいボケええぇ! 」
 佐久間は大阪弁になっていた。
 大阪の岸和田市出身の彼は、怒ると大阪弁になるのだった。そして、彼は大阪弁で嘘を言ったことは未だかつて無かった。
 幼馴染の九鬼は、そのことを熟知している。
「何や分からんけどなあ、ヘビや! でっかいヘビや。それが透けとんねん。で、食べとんねん。研究所の壁をや! で、卵みたいなもん産んどんねん! 何十万個って数や! で、攻撃してもビクともしよれへんねんわあ? 分かるかあ? で、LLO99口径で撃ったら、なんとか1.5ミリ凹みよったわ! ざまみさらせボケじゃ! んでなあ、お前の天空落下で最大のやつを最高度から落として命中させられたら、たぶん倒せんのじゃあああ! うちの筆頭研究員がそう計算したんじゃ! だからさっさと来いやあああああああああ!!!! 」
 
 2時間後、九鬼英輔の乗った超巨大飛行船『天魔』は、日本領海上に浮かぶ雲の上を関東方面に向かって進んでいた。













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