謎
5月9日。
吉村佳苗は今、廃墟となった古い灯台の頂上、崩れかかったレンガ屋根の上でレインコートをかぶり、専門書3冊を片手に指向性アンテナを設置しているところだった。
今朝、近所の高層マンションの56階に住んでいる杉本さん(顔見知り程度の友達の家)に設置した同じアンテナに向けて角度を調節して設置し、果たして200キロ離れた海岸から電波がちゃんと届くかどうか、実験するためだった。この実験が成功すると、全ての地震電磁波情報はまず3年B組杉本さんのベランダを経由してから名取由一の部屋のベランダに集結する事になるのだった。高層マンションに住んでいる友達を持っていない由一には絶対に真似できない方法だった。佳苗はアマチュア無線の参考書を一通り読み終えてから3日ほど考えた後、この方法がベストであると結論した。ただ、アンテナを設置するのがこれほどまでに難しいと言うことと、天気予報が大きく外れて土砂降りの雨と風に包まれると言うのは想定の範囲外だった。使用する電波は違法電波で、ばれないようにするためにはその使用時間を極限まで短くすること・・・つまり、送信は一日一回のみ、1秒間のみとするしかなかった。この結果、探査装置埋設ポイントには各々、一日のX線感知回数を記録してその回数をデータ化する装置が必要になり、それを深夜の2時に一斉に送信する事にしたので、同時刻に高層マンション内の全てのTV画面に一瞬だけ薄っすらと虹模様が広がるはめになった。
風雨と格闘しながらアンテナ設置に必死になっている佳苗を見ながら、本居健二は腕組みをしていた。彼女のテンパリ姿と言うものはレアな景色であり、変態の本居としては画家魂がくすぐられるのも無理は無かった。佳苗の前方一メートルのところにしゃがみ込み、一直線に伸ばした腕の先で握った絵筆を左右に動かしながら片目を閉じ、ベレー帽とパイプタバコが無いのが残念と言える絶妙な表情で『なるほど』とかなんとか呟いていた。
雨、風、アンテナ、本居健二。自分の回りにあるもの全てに強いストレスを感じながら、佳苗は作業を続けるしかなかった。
時間を少しだけ巻き戻すことにする。
5月6日。
教室の自分の席に頬杖をつきながら、佳苗は由一と話していた。
「どうして、よく食べ、よく考え、よく動くことが人間としてのプライドを保つことに繋がるのかしら?」
「そこだけが人間と動物の唯一の絶対的な差だからだ。動物はなるべく動かずに居ようとする。子供は別として。なぜなら、無駄な動きをすれば余計なエネルギーを消費するし、外敵にも発見されやすいから。結果として、人間が石器から機関車、ロケットまで造って宇宙進出しているあいだ、野生動物は何の発展も無い生活スタイルを延々と繰り返している。無駄な動きが無いことが進歩の機会をゼロにしているんだ。つまり、進歩するためにはどれだけ無駄な行為をするかが重要なんだ。そのために必要な基本行動は以下の三つ。よく食べ、よく動き、よく考えることだ」
「・・無駄な行為って?」
「簡単な例を挙げれば、野球とかサッカーとか囲碁将棋とか、万里の長城とかピラミッドとかアポロ計画とか、戦争とかだな。球打って何が面白いんだ? ボール蹴って楽しいかい? 100手先とかそんなに必死で考えても、所詮ゲームじゃん。何が生まれるわけ? 月に行って何するの? 何万人も集めて殺しあって、苦しいだけじゃん。どれだけ鍛えたって、核爆弾投下で一巻の終わりだろうが。な。無駄だろ。だけどそこが人と動物との唯一の違いなんだ」
「・・・・・」
佳苗が考えていると、教室の入り口から恵那が入ってきて、二人の横でピタリと止まった。二人が座ったまま見上げると、恵那は「これ」と言い、机の上に100万円の札束をコンと置いた。佳苗は反射的にそれをノートで隠し、
「どうしたのよ、これ?」
と驚きの表情で恵那を見た。
「ターゲットを一人見つけたの。それが報酬」
佳苗は背筋がぞくっとした。反射的に口を閉じたので、歯と歯がぶつかりあってカチッと小気味のいい音がなった。
「もう見つけたのか。すごい早いね。君も佳苗と同じくらい記憶力いいのかい?」
由一が聞くと、恵那はかぶりを振った。
「他にすることが無いだけだから。次は何をすればいい? もう二、三人いっとく?」
「よろしく頼むよ」
由一が笑顔で言った瞬間だった。佳苗が耳元で叫んだ。
「だめ!」
今は昼休み時間で、教室内の騒々しさはピークを迎えていたため、佳苗の大声は特に目立たなかったが、それでも由一と恵那は驚いてビクッとした。佳苗の鋭い眼光が二人を睨みつけていた。
「これ以上は絶対に駄目よ。この100万円と、本居君から50万円借りて、それだけで何とかする事にします。それがイヤなら私は抜けるわ」
しばらく沈黙が続いた。
騒がしい教室内が一瞬だけミュートになった気がした。
「なんで怒ってるの?」
冷静を取り戻した恵那が聞いた。
「なんでって、だって、見つけられた人がどうなるのか、分かるでしょ? 心が痛まないの?」
「別に」
恵那はキョトンとしている。
佳苗は恵那の境遇を知っていた。しかし、言わずにはいられなかった。
「『べつに』じゃないわよ。自分がされたらどうなの?」
「仕方ないと思うけど。それが何か?」
「よう!」
本居健二が突然現れて、由一の背中をバシッと叩いた。由一は心臓が止まるかと思った。
「3人そろって何の話?」
3人はそろってこの間の悪い男に興味無さげな視線を向けた。
「とにかく、これ以上は犠牲者を増やさないようにしましょう」
佳苗が言うと、恵那は沈黙のあと、小さく頷いた。
「わかった」
「犠牲者?」
本居が、何のこと? という風にたずねた。
「松本が夜逃げ犯を一人見つけて、100万円稼いだんだ」
由一が冷静な口調で簡潔に言った。
「マジで? すげえな」
本居はぱっと笑顔になったが、佳苗の表情を見てすぐに真顔に戻った。
「私は次、何をすればいいのかしら?」
恵那がそう言って由一を見た。由一はしばらく考えたあと、「それじゃあ、佳苗の手伝いをしてくれないか」と言った。
「OK。何すればいいの?」
恵那が佳苗に向かってそう言うと、佳苗は鞄の中からメモ帳を取り出し、しかめっ面のままペラペラ捲り始めた。さすがの佳苗も展開の速さについて行くのが少々困難だった。
「・・ちょっと待ってね・・・じゃあ、このアンテナと機材を1セット買ってきてくれないかな? 中古でもいいから、なるべく安くこの材料を集めてきて。そろい次第に実験するから」
「実験?」
由一が聞いた。
「実は情報の伝送方法はこんな感じでやろうと思うの。港区に超高層マンションが建ったでしょ? そこの56階に友達がいるんだけど、彼女の家はそのフロア全面で、ベランダがぐるりと一周しているわけ。各埋設ポイントから指向性アンテナで直接電波を飛ばして、全てをその高層マンションで一旦、受信してから一箇所に集めようと思うの。杉本さんには了解を得ているわ。だから、後は実験するだけなんだけど、埋設ポイント選定に私と本居君は忙しいから、なかなか買い集めに行く時間が無くて、恵那ちゃんに買ってきてもらえるならそうして欲しいわ」
「いいよ」
恵那はそう言ってメモを受け取った。
「ありがとう。任せるわ」
佳苗は先ほどの怒りをまだ処理できないまま、鋭い目つきのまま恵那にお礼を言った。
「そんな方法があったのか。よく気付いたな」
由一が感心した。
「悪いけど、伝送方法が決まったところで、私たちのノルマはまだまだ沢山あって、忙しいの。じゃあね。本居君、行くわよ」
佳苗は突然立ち上がり、本居の制服を引っ張って教室から出て行った。
「佳苗、なんであんなに怒ったのかな?」
松本恵那が小さな声で由一にたずねた。彼女が由一に自分から話しかけるのはこれが生まれて始めてだった。
由一はしばらく考えてから、この機会に松本恵那の知能指数を独自に測定しようと思い立ち、4秒間の熟考の後、次のように返事した。
「・・・人の精神が普通よりもより早く強く成長するためには、何らかの『軸』のようなものが必要で、佳苗のそれが一般に言う『正義』のような性質のものだったんだ。・・佳苗はその軸を守るために怒りで対抗したんだろう。つまり、佳苗は君が見つけたターゲットのために怒ったのではなくて、自分自身のために怒ったんだ。自分の成長が今後もスムーズに行くようにね。だから、気にすること無いよ」
しばらく沈黙があった。
「名取君、一つ聞いていい?」
恵那が言った。
「何?」
「本当は何歳?」
「・・17歳だったと思うけど」
「どこで生まれたの?」
「日本だけど。それが何か?」
「・・なんでもない」
恵那はそれだけ言って、自分のクラスに帰っていった。
表情、仕草、口調、思考の範囲、会話センスなどなど、100を超える要素それぞれによる均衡を直感的に分析し、由一は松本恵那の思考レベルをBプラスと判じた。暗記の天才、吉村佳苗を総合的に見てAマイナスとしていたので、これは由一が恵那の隠された才能の気配を敏感に察知したということだった。
その日の放課後、恵那は佳苗のメモに記載されていたアンテナの材料を秋葉原の電気屋という電気屋の店員という店員に聞きまくって探し出し、買い集め(途中、紙袋を持った連中に3回写真を取られた)、翌日、『傷つけてごめんね』という謝罪の言葉を綴ったカードを添えて、佳苗の席の机上に置いておいた。
翌日、登校した佳苗はそのカードを見て、一瞬だけ泣きそうになった。涙をこらえるためには、目元に力を入れて目を細め、しばらくじっとしている他なかった。しかし、なぜそんな感情が沸き起こるのかについては謎だった。ただ、恵那の行為に答えるためには、この機材で早く結果を出すことだと思った。
佳苗は次の日曜日、本居健二と共にそれぞれのバイクにまたがり、午前4時の中央大通りを神奈川県の最南端目指して出発した。
「やべぇ、なんかスゲー楽しい」
人っ子一人いない真夜中の道路を二人で並んで走りながら、本居健二がそう叫んだ。佳苗も上機嫌だった。信じられないくらいに空気が綺麗で、みずみずしかったのだ。
「田舎にさしかかると、24時間オープンのスタンドは限られているから、なるべく満タンで行きましょう」
二人が泊りがけで遠出するのはこれが初めてだった。今までは都内の埋設候補数箇所を放課後に電車で回っただけに過ぎなかったのだ。
5時間後、二人は岬峠に到着した。切り立った断崖絶壁の波飛沫を受けながら、崩れかかったレンガ調の古灯台が佇んでいる。
「行きましょう」
バイクを止め、立ち入り禁止のフェンスを乗り越え、佳苗は薄暗い廃屋へと躊躇無く突き進んでいった。本居健二は落ちていた『立ち入り禁止』の札を鼻歌を歌いながら蹴り飛ばし、佳苗に続いた。
「よくこんなところ見つけたな。どうやったんだ?」
本居は辺りを見回しながら聞いた。古い灯台が日本のどこかにいくつか在ることは理解できるが、どうやってそれをピンポイントに探し出したのか分からなかったのだ。有名な場所なら観光地になっていて人の出入りが激しく、違法アンテナ設置には向かない。かといって、ある程度の高度が無ければ電波は飛ばせない。設置にも不向きである。ここはそういう意味では理想的なのである。いったいどうやって見つけたのか?
「航空写真よ」
佳苗は階段を上りながら言った。
「航空写真?」
「こんど図書室で見てみれば? 上空から写真を撮った実写地図みたいなものよ。それを片っ端から見ていったわけ」
「へえ・・そんな物があるのか」
本居はさっそく今度見てみようと思った。もちろん、絵の材料にするためである。
全身埃だらけになって這い上がった廃灯台の屋上には、ちょうど相撲の土俵くらいの広さの足場が広がっていた。
そして佳苗は工具とアンテナ資材をリュックサックから取り出し、本居健二は絵筆とパレット、白いキャンバス(折りたたみ式)を取り出した。
唖然とする佳苗を尻目に、まるでそれが当然の行動であるかのように、本居健二は和製ピカソのような表情を浮かべながら思う存分、絵筆を振るった・・・!
3時間後、辺りは暴風雨になった。
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