北の開拓村とエルフとの対立
『妖精を見つけるための条件』
「まず第一に、とても暑い日でなくてはならない。
それは文句なしと思ってくれなきゃね。
そして、ほんのちょっと眠くなければいけない。
でも、目を開けていられないほど眠くては駄目だ。いいね。
さて、暑い日。眠い日。
それから君は、ちょっとばかり感じなければならない、あの妖気を。
スコットランドではイーリーな気分と言う。そのほうがきれいな言葉かなあ。
そういうふうな気分が、ただよっていなければ駄目だ。
それから、コオロギが鳴いていないことだ」
――ルイス・キャロル『シルヴィとブルーノ』(1889年)――
◆◇◆◇
北の開拓村は林業で成り立つ村です。
遥か後方に雲を貫いて聳える霊峰・熾天山脈を水源として、最終的には帝都コンワルリスまで続く大河テーグラの源流のひとつであるドルミート川を見下ろす高台。
その場所にざっと見たところ50~60戸ほどのいずれも木造建築の集落があります。これが北の開拓村です。
なんでも、もともとこのあたりは希少植物や高品質の木材が自生する一大産地と言うことで、その為、開拓村の中では比較的帝都に近い東の開拓村とほぼ同時期――つまり30年以上前に入植が始まったそうです。
そのためでしょうか、西の開拓村に比べて建物の年季が入って大きく、比較的裕福な感じがいたします。ただ……背後に控える熾天山脈の影響でしょうか。はたまた山間部と言う閉鎖的な環境のせいでしょうか、どことなく空気が重くてぴりぴりしているような、少しだけ息の詰まる圧迫感を感じました。
やがて馬車は家々の中でももっとも大きな……貴族の別荘と言っても通用するような、立派な門構えのお屋敷へと入って行って、玄関先で停まりました。どうやらここが村長宅のようです。
「……税の減免とか陳情してるとは思えない立派なお屋敷ねえ」
掃き清められ剪定された庭を見ながら、馬車の中で思わず皮肉っぽい感想を述べてしまいました。
「ここの村長さんは材木商の元締めですから。西の村長とは違って、商売が当たればボロ儲けらしいですよ」
エレンもどことなく当て付けがましい口調で、そんなことを言い添えてきます。
なるほど。
要するに日本で言うところの『名主の家屋敷+蔵付き』って感じなのですね。実際、塀も木造ですから、どことなく懐かしいような郷愁を感じる造りのお屋敷です。
広い玄関先に先頭の馬車が停まったのに併せて、こちらの馬車が停まったところで、玄関の扉が開いて40歳半ば頃の、良く言えば貫禄のある、悪く言えば肥満体の男性が、20歳位のこちらは筋肉質ですが顔立ちがよく似た青年を引き連れて、早足で出てきました。
「――村長のデメリオと、確か跡取りで長男のダミアンです」
すかさずエレンが補足してくれる中、前の馬車から黒のタキシードに蝶ネクタイ、銀のカフスを付けた30歳手前の男性が降りてきました。執事のカーティスさんです。
「これはカーティス様。男爵様の下へ着任の挨拶に伺って以来でしょうか、村長のデメリオ・バーダでございます。本日はわざわざ手前どもの屋敷まで足をお運びいただきまして、誠に恐縮にございます」
遜って頭を下げる親子を無視して、カーティスさんが私たちの馬車の処まで来ると、御者に踏み台を用意させ、扉に手を掛けました。
「――失礼致します。お嬢様、お手をどうぞ」
さて、出番のようですわね。
私はちょっと濃いめのローズピンクのドレスに花模様を散らせた黒のスカート、ドレスと同色のリボンの花が咲くミニハットの位置を確認して、長手袋越しにカーティスさんの手を取ります。
慣れた手つきで私をエスコートするカーティスさんに導かれて、馬車の外に出たフリルとレースの塊……私の姿を確認して、バーダ村長親子の顔が同時に呆けました。
「はじめまして、デメリオ村長。本日は、養母に成り代わりまして、陳情に対する書簡をお届けに参りました。わたくしジュリア・フォルトゥーナ・ブラントミュラーと申します。若輩者ですが宜しくお願いいたします」
微笑みと共に私は両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて挨拶を行いました。
「こ、これは失礼いたしました。当開拓村の村長を任されております、私は村長のデメリオ・バーダ……と、こちらは息子のダミアンでございます。あの、その本日は、『男爵様の使者が訪れる』とだけ伺っていたものでして、まさか御息女様がお見えになられるとは露知らず、た、大変な失礼を致しました。平にご容赦ください」
大汗を流しながら慌てふためくバーダ村長親子。
「まあ、お気になさらずに。私はあくまで養母の名代ですので、単なる使者と思っていただいて、なんら問題はございませんから」
朗らかな笑顔で歌う様にそう言った私の顔を見て、デメリオとダミアンの親子は『無理だーっ!』と声にならない声で叫びました。
そんな彼らの背中越しに馬車から降りたエレンとラナが、にやにや笑いを浮かべ、普段は冷徹な官僚じみたカーティスさんも、にやりと一瞬微妙に黒い笑みを放ちました。
……これは最初から狙ってましたね。出鼻を挫いて、こちらが優位なペースを保つために。
◆◇◆◇
「……どうにかなりませんか。正直申し上げて、この村の商売は上がったりで回復の兆しは見えていないのですが」
あの後、どうにか再起動した二人に案内された応接室で、私が差し出したクリスティ女史からの返答に目を通したデメリオ村長が、難しい顔で手紙を傍らに座るダミアンに渡しながら、哀れっぽくそんな事を言ってきました。
ダミアンの方も文面を読み進めるうちに、顔一杯に失望が広まっていきます。
「その件ですが。こちらが調べた限りでは現在の材木及び炭の相場は安定しており、また、この村からの木材を使った一次、二次製品の輸出量自体はさほど変化がないように見受けられます。その上で、なぜ『商売は上がったり』になるのか理由をお聞かせ願えますか?」
ソファーに座った私の背後に立つカーティスさんの問い掛けに、ちらりと視線を合わせた村長親子は、嘆息をしながら答えました。
「確かに量自体はさほど減少してはおりませんが、問題は質の方にありまして」
「……質ですか?」
鸚鵡返しに問い返す私に向かって、大仰に頷いてみせるデメリオ村長。
どうも態度がいちいち芝居がかっているというか、自己顕示欲の強そうな方に見受けられます。
「恥ずかしながら、かつて良質な高級木材の産出地であった当村の名声は、すでに往年のものと化しております。いまやこの村周辺の山は、軒並み伐採され尽くされ、商品価値の低い雑木林となっております」
「はあ……? あの、30年もあれば普通に植林して樹木が世代交代するサイクルに噛み合うと思うのですが?」
苦悩する村長に向かって、私は瞬きを繰り返して確認しました。
火山とかで土地自体が死滅しない限り(それでも数百年スパンで回復する筈ですが)、確か森の世代交代に掛かるのは確か約30年で、単に植林して使える木材を自給するためならもっと短いサイクルで交替できる筈ですけれど。
「は? ショクリンとはなんですか、それは?」
首を捻るデメリオ村長を見て、なんとなく状況が掴めました。
つまりこの世界では木を切ったら切りっ放しで、勝手に生えるのを待つだけということですね。そりゃ雑木林にもなるわけです。
「……植林については後ほどご説明いたします。どちらにせよ、今日明日中にどうにかなる話ではないので」
ため息混じりの私の言葉に、村長が「はあ」と適当に相槌を打ちました。
「つまりこれまでの話を総括する限り。この村の産業は先細りで、この先回復の見込みはない、支援するだけ無駄と判断すべきでしょうね」
「まあ、仮に今日から植林を始めたとしても、結果が出るまで30年とか40年のお話ですので、規模を縮小するなり、別な産業に従事すべきでしょうね」
カーティスさんの身も蓋もない結論を受けて、私も助言いたしました。
「え!? ちょっ、ちょっとお待ちください! それはあまりにも短絡的でございます!」
自分の頭越しに進行して行く、村の帰趨に関する重大事に対して、流石に危機感を覚えたらしいデメリオ村長が口を挟んできましたが、
「お静かにデメリオ村長。それでは貴方には具体的な今後の成長戦略があるのですか? 或いはいままでの対応は?」
「無論、村民一体となって努力はしております」
「統治官であるブラントミュラーは、その成果が見たいということで今回、御息女と私とを派遣したわけですが……ならば、具体的な結果を見せていただけるのでしょうか?」
カーティスさんの追い込みを受けて、ううっと呻って、力を抜いたようにソファーに腰を下ろしました。
「いや、方法はあるんですよ。もう少し山奥に入れば、まだまだ幾らでも商品になる大木がゴロゴロ残ってるんです! ただ、少々問題が……」
それを見て、これまでほぼ空気だった息子のダミアンが腰を浮かせて、熱っぽく語りだしました。
「ダ、ダミアン! お前、村の恥を曝すつもりか?!」
慌てて止めようとする父親の方ですが、
「どっちにしたって村はジリ貧だろう、オヤジ。ならまだ同じ人間同士の貴族様に話したほうがマシだろうが!」
「………」
息子の言葉に苦虫を噛み潰したような顔で黙り込むデメリオ村長。
「どういうことですの?」
私の疑問の声を受けて、ダミアンが滔々と語った内容は、とんでもないものでした。
もともと30年程前に開拓村が出来る以前から、この地には『杣人』と呼ばれる植物の栽培や育成に携わる、人間族とは別種族の先住民が、山間部に住み着いていたそうです。
入植当初こそ平和的な交流もあったそうですが、徐々にお互いの自然に対する価値観の相違――人間族が伐採や製材を目的として、無秩序な森林破壊をするのに嫌気がさして――から、いつしか交流は途絶え、彼ら自身も熾天山脈の奥地へと、その住環境を移して行きました。
そんな形でお互いに棲み分けが図られていたのですが、ここきて問題が起こり始めました。
引き金を引いたのは開拓村の林業従事者達です。
この30年あまりで村周辺の巨木や高級木材を伐採し尽くした彼らが、次に目指したのは手付かずの自然が残る熾天山脈奥地……すなわち、杣人の集落のある方向でした。
当初は悪戯程度の警告だったようですが、一向に収まらない村人の侵略に業を煮やした杣人たちが、30年ぶりに人間族の前に姿を現し、これ以上の伐採を行う場合は全面抗争も辞さないとの強固な態度を取ったとのこと。
この為、現在は一時的に熾天山脈奥地へでの作業は取り止めているものの、村内では不満の声も高く、特に血の気の多い若い連中を中心に抗争覚悟で、伐採を行うべし!――という過激な意見が大多数を占め、なおかつその急先鋒が、いま目の前に居るこのダミアンだそうです。
「「………」」
どこか得意げに拳を振り回して熱弁を振るうダミアンを前に、私とカーティスさんは唖然呆然として……お互いに顔を見合わせました。
この親子は単なる縄張り争い程度に考えているようですが、これは他種族とのれっきとした紛争です。場合によっては軍隊の出動も考慮しなければならないでしょう。
減免とか補助とかのヌルい話をする前に、この問題を先に提訴するべきでしょうに!!
「ちなみに、その杣人の数はどの程度なのでしょうか?」
ゆっくりと唇を舐めて唾を飲み込んだカーティスさんが、平静を装って尋ねました。
「さあ? ここにいるのは多分100か、多くても200はいかないと思いますよ」
案外、少ないですね。
デメリオ村長の言葉に、ひとまずは安心致しました。が――
「だけど、連中、その気になれば大陸中の同族を動員してみせる、なんて大口叩いてましたけどね。たかがサルが!」
侮蔑をたっぷり含んだ、続くダミアンの言葉に私は首を傾げました。
「お猿さんに似てるんですか、その『杣人』というのは?」
「ええ、そうです。大人でも身長は160セルメルト位しかなくて、住んでるところも木の上で、果物だの木の実だの食べて暮してます」
「……確かにお猿さんですね」
「でしょう! オマケに耳は長いわ、蔓で編んだ服だの靴だの履いてるわ、弓矢を使って襲ってくるわ」
「ふむふむ」
「男女共に金髪美形でやたら長寿で、精霊魔法を使ったりするので、厄介ですけど」
「ふむふ……ん?」
そこまで聞いたところで、話を聞いていた私とカーティスさんの声がハモりました。
「「それってエルフじゃない(ですか)!?」」
「……ああ、連中の事を里ではそう呼ぶらしいですな。この辺りでは杣人と呼び習わすのが常ですが」
と、デメリオ村長。
事態を全然理解していない村長親子を前にして、私とカーティスさんとは、再度顔を見合わせました。
これはとんでもない事です。下手をすると人間とエルフとの民族間に、深刻な亀裂を生むかも知れません。
「大至急、クリスティ様に連絡――馬では間に合わないわ。フィーアに手紙を持たせるので、すぐに文面の作成を! 私は村人が暴発しないように、説得と見回りを行います」
「御意にございます。お嬢様」
血相を変えて立ち上がって、即座に踵を返す私たちを、村長親子が呆然と見送っていました。
植林につきましては、ご感想のアドバイスを参考にさせていただきました。
1/18 修正しました。
×30歳手前の男性が落ちてきました→○30歳手前の男性が降りてきました