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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
第二章 令嬢ジュリア[12歳]
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師匠の手紙と男爵令嬢の憂鬱

 レジーナがメモした住所を頼りに、訪ねたクリスティ女史のお住まいは、帝都コンワルリスの中心部からやや西寄り――主に富裕層や中流階級までの市民が暮すという、新市街の中程にありました。

 通りに沿って同じような建物が軒を連ねる、アパートメントのような瀟洒な煉瓦(れんが)造りの3階建てです。


 仮にも男爵位を拝命されている貴族なのですから、中心市街――貴族街とも言われる旧市街に居を構えているとか、或いはもう少し豪勢な庭付きの邸宅にお住まいになっている……と、勝手に想像していましたが、ごく平凡な中流階級のお屋敷とほとんど変わりありません。


 まあ、考えてみれば『闇の森(テネブラエ・ネムス)』のレジーナの庵で、1巡週ご一緒した際に垣間見た、彼女の飾らない性格に似合った、ある意味納得できる機能的なお住まいと言えるでしょう。


 ちなみに、もともとクリスティ女史は貴族ではなく、地方郷士の家柄出身だそうです。

 郷士というのは国に認められた貴族・士族とは若干違って、いわゆる地方の有力者――古くからの豪農や豪商など――が、その地の領主から私的に認められて与えられる称号で、いわゆる半民半士の名誉職のようなものとのこと。


 あくまで領主の個人的な配下であるため、国の貴族名鑑(めいかん)の端を飾ることもありませんが、その地の一般庶民から見ればワンランク上の階級といったところですね。


 で、彼女の家はもともと富裕な名家だったそうで、その関係で12歳の時に帝都の中等学院に優秀な成績で入学して、さらに魔術の素養があるということで、当時、帝都で魔術に関する私塾のようなものを開設していたレジーナの教えを受けるため、その門戸を叩いて――と言うか半ば無理やり、素養があるとの理由で放り込まれたらしいです――弟子となり、次々と他の弟子達が挫折する中(非常に納得できる話ですわね)、4年の長きに渡りその薫陶を受け、さあこれから……というところで、レジーナが突如私塾を放り出して、出奔してしまったとのこと(ずいぶんと後になって、『闇の森(テネブラエ・ネムス)』に庵を構えて隠遁生活を送っているのが判明したそうです)。


 この辺りの経緯は、なんというか……非常に身につまされるお話です。


 結果的に放逐された形になったクリスティ女史は、先輩弟子のツテを辿ったりして、どうにか帝国魔法学院に再入学を果たし、並々ならぬ努力と才能から6年後首席卒業という偉業を成し遂げ、即座に宮廷魔術師へと推薦を受けこれを受諾されました。


 その後は宮廷魔術師を勤める傍ら、貴族、王族はもとより皇族の家庭教師などを歴任して、帝国魔法学院の教授となり、その功を認められて皇帝陛下から『ブラントミュラー』の姓と男爵位を賜った……という立身出世のお手本のような女傑、それがクリスティアーネ・リタ・ブラントミュラー。

 私にとって姉弟子に当たる女性なのでした。


 ……と。

 突然訪ねてきた私をこの部屋に案内してくれた、灰色の髪と立派な髭を生やした50年配の苦み走った男性――家令(スチュワード)のロイス・バードさんだそうです――が、慇懃な口調で説明をしてくださいました。

 ちなみにこの方、明らかに身のこなしや目配りが素人のそれではありません。元軍人か、或いは何らかの武術の達人級でしょう。正直、素手で喧嘩して勝てる自信がまったくありません。


 そんな私たちの会話が耳に入っているものかどうか。

 応接テーブルを挟んで、ハウスメイドが淹れてくれた香茶(こうちゃ)に手も付けず、一心不乱に私が持ってきたレジーナからの紹介状に目を通すクリスティ女史。


 封のされたまま手渡したので、私はその内容を窺い知ることはできませんが、あまり心臓に宜しくない内容であるのは、クリスティ女史の顔を見れば一目瞭然です。


 普段であれば才媛としか言いようのない、その怜悧な表情と顔色が、文面を読み進めるうちに、まるで万華鏡のように、目まぐるしく……劇的に変化しているのでした。


 困惑、驚愕、茫然自失、愕然、混乱、煩悶。


 そして、最終的に憤然とした怒りとともに、勢いよく手紙をテーブルに叩き付けました。


「あのボケ師匠っ。なんて……なんて身勝手なっ!!」


 絶叫を放ってもまだ収まり切らないのか、肩を怒らせ荒い呼吸で昂ぶった気を沈めるクリスティ女史。


「………」

 別に私が悪いわけではないのですけれど、地雷を持ち込んだ立場としては、なんとなく居心地が悪く。意味もなく、もぞもぞとソファーの上で姿勢を直しながら、機械的に淹れてもらった香茶を口に運びました。


「だいたいの成り行きはわかりました。――ジルっ!」


 不意に頭を上げたクリスティ女史に真っ直ぐ見詰められ、私は思わず反射的カップをソーサーに置いて背筋を伸ばします。


「は、はいっ!」


「師匠の手紙で事情は理解しました。……ええ、いろいろと腑に落ちなかった部分や、知りたくもなかった事実も含めて」

 微妙に『腑に落ちなかった』とか『知りたくもなかった』部分を強調された気がしますけれど……。

 そこで、クリスティ女史は眉間の辺りを押さえて、恨むような……或いは、同情するような目で私を見詰め、長い長いため息をつきました。


「はあ……」

 こちらとしても対処に困りますので、曖昧に首を傾げるのに留めました。


「正直、陛下の崩御に伴って、太……いえ、師匠がどう動くのか、心配していなかったといえば嘘になりますが」

 再びため息をつくクリスティ女史。

「……まさか厄介事を全部私に丸投げして、またもや失踪するとは」


 ひょっとして『厄介事』って私の事でしょうか?

「………」

 バツが悪い思いで、俯いた私の様子を見て、クリスティ女史は軽く口調を柔らげました。


「ああ、別に貴女を非難しているわけではありません。師匠の自分勝手さに憤っているだけで……まさか、私と同じ境遇を妹弟子にも強いるとは、呆れてものも言えません。兎に角、こうなった以上、貴女のことは私が責任を持って保護します」


「申し訳ありません、クリスティ様。ご迷惑をお掛けします」

 心強い言葉に、私は立ち上がって一礼しました。


「よいのです。以前にも言ったとおり私と貴女とは、同じ(ろく)でもない師匠についたがため、貧乏籤を引いた姉妹弟子です、妹弟子を守るのは姉弟子の務めですから。そんなに畏まることはありません」


 そう言って身振りで座るように促されます。


 一礼して座った私を見て「ところで」とクリスティ女史が続けました。

「師匠から『証明証』を受け取っているそうですが、それを見せてもらえますか?」


「あ、はい。これです」


 言われるまま、ポケットに仕舞っておいた緋色の金属板(プレート)を、テーブルの上に差し出します。

 途端、クリスティ女史の顔が強張り、話の間中、泰然と背後に控えていたロイスさんが、僅かに息を飲む気配がしました。


「ヒヒイロカネ証の……つまり、神帝陛下公認!? しかも『グラウィス』姓!? なんてモノを……!!」

 呻いたクリスティ女史は、額を押さえて天井を見上げて、小考していましたが、姿勢を正すと私の『証明証』へ手の伸ばし、断固として口調で言い添えました。

「この『証明証』は、私のほうで預かっておきます。確認しますが、みだりに他人に見せていませんね?」


 詰問され、私は正直に『冒険者ギルド』での一件を話しました。


「……そうですか。おそらくその程度であれば、気が付いた人間もいないとは思いますが。ロイス、念の為、明日一番で確認しておいてください」

「御意」

 恭しく頷くロイスさん。


「ジル。申し訳ありませんが、あなたの『ジュリア・フォルトゥーナ・グラウィス』という名は、しばし私の一存で封印させていただきます。おそらく師匠もそれを目論んでいた筈です」


「――わかりました」

 そんなわけで、私は僅か半日だけ使用した偽名にさよならを告げました。


「その代わり、今後は『ジュリア・フォルトゥーナ・ブラントミュラー』を名乗るように」

「はあ……はあ?!」


 唖然とする私を無視して、滔々と語るクリスティ女史。


「貴女は我が家の遠縁に当たる娘であり、その魔術の才能を見出されたことにより、我がブラントミュラー男爵家に養女に預けられた、という形にします。魔術師の家系ではままあることなので、さほど奇異に感じる者はいないでしょう。宜しいですね、ジル?」


 宜しいも何も勝手に進行して行く事態に、私は付いていけず……取りあえず、ふと疑問に思ったことを口に出しました。


「……つまり、今後はクリスティ様を『お母様』とお呼びすればよろしいのでしょうか?」


「………」

 意気揚々と喋っていたクリスティ女史が、なぜか苦虫を噛み潰したような顔で、黙って身動きを止めました。

 たっぷり20呼吸ほど経過したところで、ようやく再稼動した彼女は、にこやかに――ただし目は怖いほど真剣に――僅かに身を乗り出して、有無を言わせない口調で言い含めます。

「あくまで私とは姉妹弟子という関係は変わらないので、今後とも『姉』として接するように。宜しいですね、ジルっ」


「あー、はい。ワカリマシタ、クリスティお姉さま」


 クリスティアーネ女男爵(バロネス)、45歳独身。

 いろいろと面倒臭いお年頃なのでした。


「細々とした体裁を整えるのは明日以降、ロイスに手配して貰うことにして、今日のところは客室をお使いなさい」

「それは、フィーアも一緒でも構いませんか?」

使い魔(ファミリア)(あるじ)から引き離すような真似はできませんからね。許可します」


 鷹揚に頷くクリスティ女史の言葉にホッとしたところで、ふと思い出したようにお願いをされました。


「その代わり……というわけでもないのですが、明日、私の代わりにお客様のお相手をして貰えますか?」


 唐突なお話に首を捻ります。

「私がクリスティ…お姉様の代理ですか?」


「ええ。本当なら私がお相手したいのですが、現在、帝都中の貴族は陛下の崩御に際して、誰も彼も猫の手も借りたい忙しさです。私も朝から様々な場所へ顔を出さねばなりません。ですので、養女である貴女が、ブラントミュラー家の名代として応対してくれると助かります」


 理屈はわかりますけれど、いきなり5分前に養女になった身としては、名代とか無茶振りも良いところです。


「なるほど。ですが、私はブラントミュラー家のことを何も知らない、山出(やまだ)しの田舎者です。付け焼刃で貴族の真似事ができる自信はございませんわ」


 やんわり断ろうとした私の顔を、なぜか意味ありげに見て……鼻で笑うクリスティ女史。


「別にブラントミュラー家などと言っても、私の代で貴族に取り立てられた成り上がり者。難しく考えることはありません。まあ、不安だというのでしたら、後ほどロイスか、他に手の空いている者がいれば、そちらから簡単に当家の概要を聞けば良いでしょう。……まあ、先ほど二人で話していた内容に多少付け加える程度ですが」

 どうやら先ほど私とロイスさんが話していた雑談の内容は聞こえていたようです。

「それに明日来るのはジルも知っている相手ですから気が楽でしょう」


「私の知っている相手……ですか?」

「ええ、エイルマー様のご子息ルーカス様です」


 思いがけない名前を聞いて、胸の奥にルークの秀麗な顔が甦りました。


「ルーク君ですか! そうですよね、帝都にいる知り合いなんて他にいませんものね」

 あえて言うなら彼の父親で竜騎士のエイルマー氏もですけれど、彼も貴族階級である以上、クリスティ女史同様にお忙しい立場なのでしょう。

「そういえば、クリスティお姉様はルーク君の家庭教師をされていらっしゃったのでしたね」


 闇の森(テネブラエ・ネムス)で、雑談のついでに出た話を思い出して確認したところ、クリスティ女史も当時を思い出したのか、改まっていた口調を崩して、ざっくばらんに話し始めました。


「ああ。その関係で、たまに困ったことがあると泣きつい……相談に来るんだよ」


 個人的な信頼関係が構築されてるわけですね。素敵です。


「あら? では、私がお相手してもあまり意味がないのでは? クリスティお姉様にご相談にいらっしゃるわけですし」


「まあ、そうなんだけどね。たまには違う相手に相談してみれば、違った見解や発想も出るかも知れないし、それに今回の相談事っていうのは――」


 チラリとその視線が、私に向かって意味ありげに投げ掛けられます。

「?」


「婚約させられそうになっている、リビティウム皇国のブタクサ姫……いや、シルティアーナ姫に関することだからねえ」


「――ッ!?!」

 思わず呼吸が止まりました。


「本来、この春に予定していたルーカス様とシルティアーナ姫との婚約話なんだけれどね。皇帝陛下の崩御によって延期せざるを得なくなったわけで……いや、逆に良い口実かな。それ以前にルーカス様ご自身が、このお話に消極的だったらしいからね。実はエイルマー様から、密かにルーカス様を説得するよう依頼をされてるんだけれど、前にも言った通り、あたしとしては気が進まないんだよ。特にいまはね」


 あー、そういうお話になってたんですの。


「だから、ジル。貴女がルーカス様と会話を行うことで、何らかの進展があるんじゃないかって、期待しているわけさ」


 いやいや、ルークとシルティアーナとの婚姻話の愚痴を聞くとか、それなんて拷問ですか?!


「えーと……わたくし長旅の疲れと、師匠(レジーナ)の失踪の件で心身ともに消耗しておりまして、できれば2~3日休息をいただければ」


 露骨に視線を逸らせる私の態度を無視して、クリスティ女史がその笑みを一層深くしました。

 そして、一言一言区切るように付け加えます。

「やってくれますよね。貴女にも責任のある話(、、、、、、、、、、)ですから」


 あー、バレてますね、コレは。

 レジーナの手紙で、洗いざらいぶちまけられたと考えるのが賢明でしょう。


「では、明日は宜しくお願いするわね、ジル」

「……ワカリマシタ、オネー様」


 私に選択の余地はなく、肩を落として首を縦に振るしかありませんでした。


 それにしても――。

 私は面倒な貴族生活から離れるために、師匠(レジーナ)について僻地で魔女生活をしていた筈ですのに、いまさら男爵令嬢とか。どこでどう間違ったのでしょうか……?

ちなみにヨーロッパ(イギリス)では、中流階級というのは明確に規定されていて、「家事使用人」を雇えるかどうか(婦人が家事労働をしないで済む家庭)で、最低限3人(コック、食事メイド、掃除メイド)が目安です。

上層家庭になると使用人の数が数十人~100名近くになります。

クリスティ女史はジェントルクラスですので、トータルで50~60名の使用人がいますが、現在は帝都の仮住まいで10人程度しか置いていません。


なお、クリスティ女史の年齢が45歳だと計算が合わないというご指摘を受けましたが。

36年前に竜王襲撃事件発生→太祖帝引責辞任(以後、完全に表舞台から姿を消す)

その後、個人的なツテで魔術師の育成を開始→数年後クリスティ女史入門

その裏で、密かに隠遁先を選定→闇の森に庵を作成開始

数年後、庵の完成をもって失踪

という形で、いきなり36年前にいなくなったわけではありません。

10年程度の帝都での個人活動期間がありました(でなければ、庶民の娘のクリスティが入門できるわけもないので)。

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