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リビティウム皇国のブタクサ姫  作者: 佐崎 一路
序章 シルティアーナ姫[10歳]
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ブタクサのお姫様と魔女の女王様

 振り返って見れば、平凡で退屈だと思っていた自分の人生は割と幸福だったのでしょう。


 平和で社会保障や科学、医療の発達した国の一員として生まれ、とりたてて裕福という訳ではないが貧困とは程遠い家庭に育ち、同年代の平均かそれを上回る愛情と教育を受けられ、安穏とした生活を送っていた猶予期間(モラトリアム)


 これが普通なのだと、何の疑いもなく信じていた自分――かつての、わたくし――本を読むのが好きで、家に居ても他にはゲームをするくらい。中二病を併発した中学デビューで古流武術を習い始めたのはいいけれど、高校受験の頃にはほぼ挫折。


 高校デビューを機に彼女を作る目的で軽音部に入部したものの、目的だったギターコードが上手く行かず、有耶無耶(うやむや)のうちにドラムに回され――まあ、それでも悪友と馬鹿をやったり学園祭でライブをしたりで楽しかったけれど――結局、彼女には縁遠い生活で遊び歩き、たまに武術の師範に呼び出されては無理やり稽古をつけさせられ、ボコボコにされて。


 そして、それから……それから……。




 ◆◇◆◇




 無理やり深い水中へと引き摺り込まれたかのように、猛烈な息苦しさに大きく息を吸い込んだ途端、ゲホゲホと絶え間ない咳が発作のように猛烈に放たれ、涙と鼻水、洟でぐちゃぐちゃになった顔を盛大にしかめながら、私は固い寝台の上で痙攣する身体を丸めて横になりました。


「……ふん。生き返ったかい。命冥加な娘だね」


 しわがれた愛想のない老女の声と共に、顔の上に布切れが一枚無造作に放り投げられます。


「ひどい顔だよ。さっさと拭きな」

 ぶっきら棒に促されて、その意味を理解した私は、いまだ咳き込みながら、渡された布で顔を拭った。


「――あ、ありがとうございます」

 いまだ目を開く余力もないけれど、傍に誰かがいる安心感と、無愛想かつ大雑把ながら一応は気を使ってくれているらしい老女の態度に、私は横になったまま軽く頭を下げました。


 すると、なぜか棒でも飲んだかのように、傍らで声の主が身体を硬直させる気配がして、そのまま数秒間を置いてから、少しだけ相手の態度が和らいだ気配がしました。


「……驚いたね。“リビティウム皇国のブタクサ姫”は、箸にも棒にもかからぬ驕慢、愚物って聞いていたけど、まともに礼を言えるじゃないか。普通、良い噂は眉唾なことが多いけど、悪い噂が逆な例はほとんどないからねえ、あたしも最初から色眼鏡で見ていたよ。――まったく、耄碌(もうろく)したもんさ」


 自嘲する言葉と共に大きく肩をすくめる気配がする。

 一方、私はといえば少し収まってきた咳の発作を我慢して、呼吸を整えながら――中学高校と習い覚えた古流武術の呼吸法を無意識に実践しながら――無言のまま、いま耳にした言葉の意味を考えて、混乱する頭を抱えていました。


(“リビティウム皇国のブタクサ姫”……って誰のこと? 私? え、だって私は普通の男子高校生で……名前は…え? リビティウム皇国辺境伯オーランシュの五女シルティアーナ……あれ? なんで??)


 地球の日本という国に生まれ育った平凡な男子高校生と、大陸北部に位置するリビティウム皇国における高位貴族の五女という掛け離れた二つの記憶が私の中にあった。

 相反する二つの記憶の(せめ)ぎ合い――というほどのものもなく、『どちらもそれは正しい』という認識が、ストンと胸に落ちて自然と納得できた。一瞬で融合したといえば、より正確でしょうか。


 気持ちが落ち着いてきたところで、呼吸の方も随分と楽になってきたので、私は妙に重たい身体に苦労しながら、上半身を起こして――薄い毛布のようなものが掛けてあったようで、膝の方まで落ちましたが――もう一度布で顔を拭いて、恐る恐る瞼を開いてみました。


「――なんですの、これは……?」

 まず目に入ったのは、趣味の悪いピンク色のやたらフリフリしたドレスと、それに包まれたはち切れんばかりに膨らんだ肉の塊――それが自分のお腹だと自覚するまでに、しばしの時間と実際に触っての実感が必要でした。


 それから手を見てみます。まるで赤ん坊の手のようにくびれのない、ひたすら贅肉を詰め込んだだけのハムのような手。地球でのそれなりに鍛えられていた腕とは雲泥の差です。


「なにか可笑しなところでもあるのかい?」

 怪訝そうな声に、ハッとして先ほどからショックのあまり失念していた同室者の方へ首を巡らしました。


 ある程度予想していたところですが、寝台の傍らの粗末な椅子に座っていたのは、『いかにも』という黒いフード付きのローブを纏い、節くれだった長杖を持った魔法使いらしい女性でした。

 年齢はちょっと見当がつきません。背筋がぴんと立って凛とした佇まいの上、若い頃はさぞかし佳人であったであろう面影を色濃く残しているため、見事な白髪(いえ、白銀色でしょうか?)にも関わらず50歳過ぎにも100歳にも見える不思議な印象の女性です。


「あの、失礼ですが鏡のようなものはございませんか?」


 取りあえず現在の顔を確認したいと思い、私は老女――まあ、どう見ても魔女でしょうね――に懇願しました。彼女は、何か言いたげにピクリと片眉を跳ね上げましたが、無言のまま部屋――物置小屋のような小さな部屋ですが、最低限の生活用品は整っている個人の生活空間という感じです――の隅にあったチェスト(長方形の蓋付きの箱)を開けて、中から手鏡を取り出した。


「ほれ」


 渡されたそれ――若干古ぼけてはいますが、貴族が使うような曇り一つない精巧な鏡――に驚きながらも、ありがたく借用いたしました。


 楕円型の鏡の中で白豚が目を丸くしています。


「……これはまた」

 自分でもなんと続けようと思ったのかはわかりませんが、それに併せて鏡の中の豚も同じように唇を動かしました。


 弛んだ贅肉のせいで若干老けて見えますが肌の張りはまだ子供のそれです。そういえば確かシルティアーナ(自分)の誕生日は来月で、11歳になる筈です。再来年には13歳で成人。ということもあり、社交界デビューを考えて、皇都シレントで生活するために旅程を組んでいた筈……ドミノ倒しの様に関連した記憶が甦って参りました。


(どうしてこんなところへ……?)


 鏡から目を離して、周囲を見回した私の不審の眼差しから胸中を察したのでしょう。老女が面白くもなさそうに、状況を説明してくれました。


「ここは大陸中央部にある、魔物の根城と言われる闇の森(テネブラエ・ネムス)の外れ、皇国と接する帝国領のちょっと端ってところかね。あんたの父親の治める辺境領と皇都を結ぶ街道からは、ざっと50キルメルトは離れたところにある、あたしの庵さ。

 状況としては、薬草採りに出かけた時にあたしの使い魔が、森の中で横倒しになっていた貴族の馬車――家紋が描いてあったから、リビティウム皇国のオーランシュ辺境伯のものだとピンときたよ――が転がっているのを見つけたので、確認に行ってみた。

 正直、面倒事の臭いがしたから、放って置きたかったけど、知らないままで面倒事に巻き込まれて、痛くもない腹を探られるのも嫌だったからね、ちょうど遊びに来ていた友人と二人で、しぶしぶ様子を見に行ったら、あんたが倒れて死んでいたのさ」


 あまりにもあっさり言われたため、「はあ?」と思わず間抜けな声を出してしまいました。


「友人の見立てでは、おそらく馬車が転がった時の衝撃で、心臓が止まったんだろうってことだね。もともと不摂生な生活をしてたせいで、ポックリ逝ったんだろうって……ってのが友人の見立てだね」


 直接の原因は事故だとしても、(よわい)10歳にして成人病だか動脈硬化だかの影響で、夭折(ようせつ)とは、情けなさ過ぎてとても他人様には話せないですわね……と暗澹たる気持ちになりました。と、同時にふと気になった疑問をぶつけてみました。


「あの、死んでいた――ということは、貴女様が治療を施して助けてくださったのですか?」

「いいや、あたしの専門は使役魔術だからね。多少の病気や怪我程度は治せるけど、死人を生き返せるなんて芸当どんな――いや、兎に角あたしには無理だね。だけど幸か不幸か一緒に居た友人が、そっちの専門だったので……まあ、アレもあたし以上の変わり者だから、多分単なる気紛れだと思うけど、蘇生術を施して――もっとも時間の経過で成功するか失敗するかは半分賭けだったんだけど、あんたはこうして天上でハープを奏でることもなく、この地上へと舞い戻ってきた」


 おめでとさん、と取って付けたように、果てしなく投げ遣りな口調で付け加えられました。


「それでは、その……私に蘇生術を施してくださった方は……?」

 予想通りこの老女が魔女であった警戒や驚きよりも、私の治療を行ったというもう一人の術者の存在が気になり――治療を施した当人であれば、現在のこの記憶の混乱の原因について、なにか説明して貰えるかも知れないと、幾ばくかの期待を込めて――私はやや性急に尋ねました。


 ですが、

「さっき転移魔術で帰ったよ。アレもなにかと忙しいからね。今度来るのは何年後だか」

 木で鼻をくくったかのような返事が返ってきました。


「……そう、ですか。それは残念です」


 落胆した私はため息をつくと、手持ち無沙汰にまた鏡を覗き込みました。

 鏡の中ではやはり白豚が気落ちした様子で、しょんぼりとうな垂れています。


 改めて確認してみれば、癖のない長い金髪は少し赤み掛かっていて、全体的に見ればピンク色――おそらく衣装はこれに併せたのでしょうが、明らかに遣り過ぎです――肌は栄養状態の偏りのせいか、吹き出物や肌荒れを起こしていますが、元の色がとんでもなく白く――まあ、そのせいで白豚に見えるのですが――肌理も細やかそうです。翡翠色の瞳に通った鼻筋、桜色の唇など、もともとのパーツは悪くはないのに、兎にも角にも、ブクブクと不健康に肥満した脂肪の塊が全てを台無しにしていて酷いものです。


(リビティウム皇国のブタクサ姫、か)

 かつて『リビティウム皇国のカトレア』と謳われた実母とは、似ても似つかぬ醜女(しこめ)と言う風聞から、いつの間にか揶揄されるようになった自分の蔑称(べっしょう)

 箱入りだった自分の耳や、闇の森(テネブラエ・ネムス)に庵を構える、世捨て人同然のこの魔女ですら知っているということは、市井の間にもそうとう流布していることでしょう。


 ……自分で見た限りは、素材そのものはさほど悪くはないと思うのですが、まあ美醜の基準など国や時代が違えば大きく変わるものです。世間的にはよほど酷いものなのでしょうね。


「ありがとうございました。お手数をお掛けして申し訳ございません。それと、助けていただいたことに、改めてお礼申し上げます」

 気落ちしながら寝台の上で精一杯頭を下げ――腹肉が邪魔でまともに前屈みにもなれません――手鏡を返しました。


 憮然と――まあ、最初からこんな風だったけれど――鏡を受け取った彼女は、鼻を鳴らして一言付け加えました。

「――レジーナだよ」

「?」

 首を捻る私を無視して、矍鑠(かくしゃく)と言う言葉すら蹴り飛ばすような足取りで、再び部屋の隅のチェストのところまで歩いていく、その背中がもう一言付け加えました。

「あたしの名前さ」


 ああ……と腑に落ちた私は、再度頭を下げました。

「失礼しました、レジーナ様」


「ふん。恩人扱いしても名前も聞かないなんて、どうにも無作法なブタクサさね」

 盛大に鼻を鳴らしながら、手厳しく切って捨てられます。正論だけに私も黙って頭を下げるしかありません。それにして『女王(レジーナ)』とは、ある意味ピッタリの名前ですね。


 そんな時ではないとわかってはいますが、『ブタクサの姫』が『魔女の女王』の庵にお邪魔しているという、おかしな語呂合わせのような状況に、私は軽く笑みを浮かべました。


 思えば前世らしい自分の記憶と、今の自分とが融合して蘇生して以来、曲がりなりにも笑えたのは、これが最初かも知れません。

12/5 若干設定を変更しました。

シルティアーナを三女→五女へ。

遅く生まれた子供ですので(´・ω・`)


作中で書いたほうが良いのでしょうけれど、この世界の単位ですが。

1セルメルト=1センチ

1メルト(100セルメルト)=1メートル

1キルメルト(1000メルト)=1キロメートル

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