恋愛ゲームの悪役令嬢になったから主人公を抹殺する
10/13 ジャンルをコメディに変更
本文中表記を「某県」に変更
小鳥の囀る木々に囲まれた緑の庭で、純白のガーデンセットに腰掛けながらゆったりと紅茶なんぞが入った高級そうなカップを傾けてながら、私は内心で困り果てていた。
先ほどまで、自宅の狭いリビングで寝転びながら携帯型のゲームをしていたはずなのに、いつのまにか緑豊かな庭園にある白い椅子に腰掛けていたからだ。
誰だっていつの間にか行動してしまった記憶の欠落というのは発生する。それが人間である。だから、大抵のことには目を瞑るつもりだ。
しかしながら、いつのまにか年齢や身分が変わってしまっていた場合はどうすればいいのだろう。
さっきまでの私はどこにでもいる、ちょっとゲーム好きの某県在住の女子大生だったはずだ。それが今は明治時代から続く旧家の一人娘だという。
外見も身分も教養も全て異なる世界で育ってきた良家のお嬢様(17歳)だ。
なぜそんなことを知っているかと言えば、誰かに聞いたわけでもなく私自身に今まで生きてきたその記憶が存在しているのである。
しかし同時に別の記憶には、その記憶が以前の私(女子大生)がせこせこと携帯ゲーム機で遊んでいた乙女ゲーの設定そのままである。というおまけがついていた。
つまるところ携帯型ゲームの登場人物になってしまったようなのだ。
胡蝶の夢というやつなのか、今の私にはお嬢様として育ってきた記憶と、現代日本の庶民として携帯ゲームを遊んでいた女子大生の記憶が共存している。
あるいはお嬢様の人生に神様視点の庶民の記憶が宿ったというべきか。
その記憶によれば私の役どころは主人公をいびる悪役である。ドラえもんで言うジャイアン。マリオでいうところのクッパ大王だ。
劇場版では仲間になるかもしれないが、今のところその予定は無い。
雷に打たれたように、もしくは天啓をうけた預言者のように身体を硬直させた私は、紅茶をこぼさぬようにゆっくりとソーサーの上に乗せた。
「よし、殺そう」
「お嬢様!?」
ポットの茶葉を取り替えていたメイドが驚いて新しい茶葉を地面に落とした。
思わぬ台詞に粗相をしたのは私の専属のメイドで、上に立つ態度で接しているが私よりも5つ年上で幼い頃から色々と世話をしてもらっている。
父親同士が友人で、海外でこさえた借金の肩代わりに娘の大学卒業と同時に身柄を預かって云々、という設定があるがそれは今は関係ない。
私は何の意味も無くメイドを驚かせるために殺害を仄めかしたのではない。ゲーム知識によると、今のままでは私はろくでもない最期を迎えることが決定していることを思い出したからだ。
私の登場する携帯型ゲームは、いわゆる女性向け恋愛ゲームと呼ばれるジャンルのものだった。
主人公の女の子となって富裕層の通う学園に入学し、そこで様々なイケメンと紆余曲折を経ながらも結ばれるというオーソドックスな内容だった。
大まかに分けてゲームの最後はグッドエンド、トゥルーエンド、ノーマルエンドの3種類に分かれている。
グッドエンドは特定の男性キャラクターとくっつく恋愛成就エンドで、この場合、私は恋路を阻む役として八面六臂の活躍をして、最後には悪事が全て露見。
父親の事業にも影響を与えて没落し、一家が路頭に迷い一気に貧乏生活に。最終的に裏街で春を売っているところを麻薬中毒者に刺されて死ぬ羽目になる。
トゥルーエンドは全ての男性キャラクターとのグッドエンドを見た後で解放される大団円エンドだ。
本編で匂わせてきた伏線や設定などを全て回収し、メインキャラクターと結ばれる結末となる。
その場合、私は嫌がらせ目的でチンピラを金で雇ったことから始まる悪い人間付き合いが派手に失敗して、死んだほうがマシな目に遭ったあと海外の臓器ブローカーに売られて消息不明となる。
ノーマルエンドは、主人公が誰とも恋愛成就しなかった場合のエンドだ。
「楽しい学園生活でした、でももっと積極的に恋をしたかったな」
という、どうでもいいモノローグが流れて終わる。
その場合、私は交通事故で車に撥ねられて意識不明の寝たきりの植物人間となり、その間に撥ねた車の持ち主だった爺と強制的に結婚させられる。あまりにも酷い。
どれもろくでもない終わり方しかしないし、どう転んでも私にはバッドエンドしか用意されていない。どうにも製作陣には嫌われていたようだ。
第三者としてゲームを楽しんでいた立場ならまだしも、その張本人となってしまったからにはバッドエンドは回避しなくてはならない。没落も臓器売買も爺ルートも真っ平ゴメンである。
となれば確実に取れる手段を選ばなければならない。一番確実なのは、主人公を殺すことだろう。
主人公がいなければグッドエンドは訪れない。トゥルーエンドにもならない。
ノーマルエンドは主人公が関係ないように見えるが、実際は主人公と爺の関係が伏線になっているので主人公がいなくなれば爺が出てくることもなくなるだろう。
親が事業に成功して金持ちの学校に通うことになったけど庶民感覚の抜けない、明るさと元気なことが取り得の主人公。恨みはないが、死んでもらうしかない。
「お嬢様、前々から性格が悪いとは思ってましたけど、まさか人を……冗談ですよね?」
「真剣よ」
良く出来た作り笑いを顔に張り付かせながら問いかけてくるメイドに対して真顔で殺意を肯定した。
というか前から性格悪いと思っていたとは、主に対して随分な口の聞き方だ。
「ハサミを持ってきて頂戴」
「まさか、手始めに私を……!?」
少しだけ刺してやろうかと思ったが、それは今ではないと思い直した。馬鹿なことを言っているメイドを急かしてハサミを持ってこさせる。
「お嬢様、ハサミじゃ人は殺せませんよ」
「知ってるわよ」
受け取ったハサミをカチャカチャと数回鳴らして感触を確かめ、切れ味が良さそうだから大丈夫だろうと確認すると、もみあげから伸びている左右のドリルをジャキンと切り落とした。
「お嬢様!?」
「後ろは無理ね、切ってもらえる?」
「なんてことをするんですか!?」
さっきからメイドが叫んでばかりだ。
「奥様になんて言えば……」とうろたえているメイドにハサミを持たせる。
「これ以上、無駄に時間を取らせるなら貴方に切られたと騒ぐわよ」
「お嬢様、後ろを向いて下さい」
保身のためなら聞き訳が良いようだ。
小器用なメイドの手によってビロビロと長いドリルヘアーは、さっぱりとセミロングに整えられた。
本当はバリカンで坊主頭にしたかったのだが、メイドが「それだけは許して下さい」と泣くので仕方なく妥協した。長い髪の毛など邪魔でしか無い。
ため息をつきながら髪の毛を掃除するメイドに確認のための質問をする。
「学校はいつからだったかしら」
「本当にどうしちゃったんですか。今日は土曜日で、学校は月曜日からですよ」
となると明日一日の余裕があるわけだ。これを無駄にするわけには行くまい。
「明日、出かけるわ。動きやすい格好でついてきなさい」
「はぁい」
気のない返事からして買い物か何かと思っているのだろうが、今は気を抜いておけばいい。
明日は活躍してもらわなければいけないのだ。と内心で思うに留めて顔には出さないでおいた。
夕食の席で両親に髪の毛をどうしたのだと驚かれたが「キツネ狩りを始めようと思うの」と微笑んだら何もいえなくなったようで「そうか」と言ったきり黙ってしまった。
死体の処理以外で迷惑はかけないので邪魔はしないで欲しいと強く願う。
翌日、祖父が集めていたコレクションケースからライフルと弾薬を手に入れると、メイドを伴って街へと繰り出した。目的地は家で所有している空きビルである。
その屋上の扉を開放し準備してきたライフルを固定する。60kgもあるので二人で分担して持ってきたが、それでも一苦労だった。
「さあ、頼んだわよ」
「え、っていうかコレ銃ですよね。何させるつもりですか」
このメイドは人の話を聞いていなかったのか。
「人をひとり、殺すのよ」
「どうして私が!?」
何も自分の手を汚したくなくてメイドにやらせるのではない。
経験者に任せたほうが確実性が上がるからだ。
「あなたライフル経験があるるんでしょう?」
ゲームの設定では悪役令嬢の護衛も務める万能メイドという役回りだったはずだ。当然、ライフル射撃もお手の物で狩猟免許も持っているとゲーム中では説明されていた。
「ありますけど! 健全なスポーツライフルですよ!」
「猟銃免許もあると聞いたわ」
命を奪うのであれば、そこに魂の貴賎はない。全て同じ大切な命だ。ただちょっと、人と獣かの違いがあるに過ぎない。引き金の重さは、いつだって平等だ。
「大違いですよ! それに私、獣も撃ったことないですよ。免許も持ってますけど、おじいちゃんの家で畑を荒らす猿を追い払うのに空砲撃つだけなんですから!」
「チッ、使えないわね」
事前に知っている情報とだいぶん差異があるようである。
あれも出来ないこれも出来ないでは何も任せることが出来なくなってしまう。
メイドなら素直にハイハイ言うことを聞いていればいいのだ。
「突然、変なことを言い出したと思ったけど、性格悪いのは変わってないですね」
何を失礼な。これは全部が正当防衛の為だ。私だって、できるならば人を殺めたりはしたくない。
だが、やらなければ私が酷い目にあうのだ。
だから仕方ない。避けられない道なのである。
「まあいいわ。銃の威力が高いから掠っただけでも致命傷になるでしょう。やりなさい」
「結局やらされるんですね……」
「お風呂屋さんで働きたくはないでしょう?」
「お父さんお母さん、ごめんなさい。私は外道に堕ちます」
意外に覚悟が決まるのが早い。なんだかんだ言ってこのメイドは肝が太いようだ。
「ところで銃、おっきくないですか。狩猟用じゃないですよね」
「……ライフルよ」
「対物って、頭につきませんか?」
「つかないわ」
「何ですぐに分かる嘘をつくんですか!? どう見たってハリウッド映画に出てくるサイズですよね!?」
嘘ではない。祖父が戦後のどさくさに紛れてかっぱらってきた日本軍の九七式自動砲だ。
第二次世界大戦時は対戦車ライフルと呼ばれていたので、決して対物ライフルではない。
だから嘘はついていない。
「いいから撃ちなさい。ここから見える一軒家に住んでいるショートカットの女の子を殺すのよ」
「うぅ……こんなので撃ったら物理的に身体が消えちゃいますよ」
「願ってもないわね」
照準は既に主人公の住む家の玄関に合わせてある。
帰宅時、どうしても玄関の鍵を開ける必要があるだろう。
その瞬間に狙いをつければ多少の距離があっても、その綺麗な顔をフッ飛ばしてやることが出来る。
「あのぅ、やっぱり私には無理だと思うんですけど……」
「成功したら私が頼み込んで借金を帳消しにしてあげるわ」
「警察には捕まりますよね?」
「出所てきたら良い目に会わせてあげるから」
「それヤクザが使い捨ての鉄砲玉に言う台詞ですよぅ」
とほほ、と肩を落としながらもメイドはスコープを覗き込む体制になる。
親同士が友人だということで普段は気にもしていないが、こういう機会でもなければ一生返すことの出来ない借金を彼女は背負っている。
正直なところ、それは人ひとりの人生を買うことが出来る金額だ。
だからこそ、私が言ったことには最終的に従わざるを得ないと彼女は分かっている。
「御免なさい、御免なさい、御免なさい……」
「謝るのは心の中で一回、それ以上は無駄だわ。指先は軽く。力まないで、弾道がズレるでしょう」
「どうしてそんなに詳しいんですかぁ」
某県に住む女子大生としては一般的な常識である。
奪う側か、奪われる側か。人はどちらかにしかなれないということを魂に刻み込んで生きている。
生きると言うことは奪うと言うことだ。人の業の深さは、簡単な善悪だけでは語れない。
双眼鏡を使って家を見張っているとスーパーの袋を下げた女の子が歩いてくるのが見えた。
間違いない主人公だ。
高貴な顔立ちではないが小動物的な可愛らしさと魅力に溢れている。男性キャラクターが次々と陥落するのも無理からぬことであろうと思わせる。
「違う出会い方をしていれば、こんな別れも無かったでしょうに」
「お嬢様、完全に悪役の台詞ですよぅ」
当たり前だ。私は今、名実共に悪役令嬢なのだから。
しかし私の心の中など関係なくメイドは涙ぐんでいる。
「お嬢様、今なら冗句で済みますよぅ……私も誰にも言いませんからぁ」
「私に必要なのは東郷よ」
「うぅ……小粋な冗談を言う鬼がいるぅ」
それでも職務に忠実なメイドはスコープから目を離さない。
このライフルは7発まで装弾できるが今は1発しか入っていない。
街中であるし撃ったあとは直ぐに逃げる必要があるからだ。
三脚も反動を抑えるためにコンクリに固定しているから、撤収にはそれなりに時間がかかると想像できる。
双眼鏡の中の主人公はバッグから鍵を取り出して玄関へと近づいた。
イヤープロテクターを装着し合図を出す。
「あと3秒……2秒……1秒……」
「うぅ……死んだら絶対に地獄行きだなぁ……」
「情け無用、ファイヤ」
掛け声に従い破壊音が響く。
いざとなれば素直に引き金を引くじゃないかとメイドを見てみたが、こちらを見て顔を真っ青にして首を横に振っていた。
その様子を見るにメイドが撃ったわけではいないようだ。それにもかかわらず今の音は何だ。
急ぎ、双眼鏡を覗き込むと先ほどまで鍵の掛かっていた玄関は完全に破壊されていた。
但し、実弾ではなく貨物トラックによってだ。
「ええっ!? どうして!?」
同様にスコープを覗き込んだメイドが驚きの声をあげているが構っている暇はない。
すぐさまライフルを分解して現場を撤収する必要がある。
「早っ! お嬢様、ライフルの分解が滅茶苦茶早いですよ! どうしてそんなに手慣れているんですか!?」
驚いてばかりのメイドに荷物を持たせると空きビルを後にした。
ライフルの分解など、某県では小学校の必須授業として誰でもできるように訓練されている。
手早く分解できないと休み時間も残ってやらされるのだ。
ちなみに体育の授業もドイツ軍式である。嘘だと思うなら近くにいる某県の出身者に確認して貰いたい。
体育の授業で教師に名前を呼ばれたら立ち上がって「Ja」と答えるように教育されているはずだ。
「おかしいですよ、撃とうとした先にトラックが突っ込んでくるしお嬢様は裏社会の人間みたいだし」
ブツブツと現実逃避をしはじめたメイドを連れ、予め待たせていた車に乗り込んで帰宅する。
尾行はないようなので空きビルの屋上でライフルを構えていた件については誰にも見つかっていないと思って良いだろう。
「お嬢様、済みませんでした。私が撃つのが遅かったから……」
「過ぎたことを言っても仕方が無いわ」
別段、メイドを責める気もない。
今回の方法では確実性が薄かったというだけだ。
「もっと確実に殺らないと駄目ね」
「お嬢様が闇の世界の人間の目をしてますぅ」
明日、学校が始まったら確実に殺る。
◆
そんな決意を反映するように、翌朝はには雲ひとつなく晴れ渡る青空が広がるのが部屋の窓からでも確認できた。気持ちのよくなる快晴だ。
「死ぬには絶好の日ね」
まあ死ぬのは私ではないのだが。
私が起きるのと同時に部屋に入ってきたメイドが着替えを用意しながら「また危ないことを言ってます……」と呟いていた。
「何を他人事のように言っているの。殺し役はあなたでしょう」
「嫌ですよぉ! どうして私にやらせようとするんですか!?」
「私は遠距離は苦手なのよ」
嗜みとして銃の分解や構造の理解くらいはしているが、それが狙撃の腕前に直結するわけでもない。
主に集中力の問題で、私には狙撃の適正が無いと義務教育の段階で既に判断されている。
その代わりにナイフを持たせれば大抵の相手は無力化することが可能である。
私は近接格闘向けの能力なのだ。
そんな理由を語って見せてもメイドは喚いて首を左右に振るばかりだ。
年甲斐もなく結んでいるツインテールが首の振りに合わせてブンブンと揺れる。
「私は綺麗な身体のままお嫁に行きたいんですよぉ!」
メルヘン脳め。20歳を過ぎて未だにシンデレラ・コンプレックスを引き摺っているようだ。
「知らないのかしら。例え汚れても足は洗えるのよ」
「手は汚れたままですよねぇ!?」
私だって出来るなら清い身体のままお嫁に行きたいとは思っているが、人生には泥沼がある。這いつくばって汚れなければ進めない道だってあるのだ。
それならば汚れることを受け入れなければならない。
「割り切りなさい」
「お嬢様がいつの間にか覚悟完了してますよぅ……」
どんなに叫んでも最終的に私の命令には従わなければならないのである。言わせるだけ言わせておけばいいと思って黙殺した。
ゲームの画面で見慣れた制服に着替えてから軽く朝食を摂る。父親が仕事に行くのを見送り、メイドの運転するロールス・ロイズに乗って学校へと向かった。
元の大学生だったころの記憶が生きているから、どうしても車の窓越しに見える生徒達は皆年下に見えてしまう。
大学なら2歳くらい離れた人も同級生として普通にいるが、高校生では1歳の成長の差が大きい。
私は本当は年上なのに、下級生のクラスに間違えて足を踏み入れてしまったような気まずさを勝手に感じていた。
ぼんやりと道行く生徒を眺めていると、イベントCGでよく見る顔が歩いているのを見つけた。主人公だ。
昨日、目の前に貨物トラックが突っ込んできたというのに絆創膏ひとつしていない。
少しだけ眠そうな顔でテクテクと歩いて横断歩道を渡ろうとしていた。
丁度、この車の前を通るルートだ。
「チャンスよ、アクセル全開!」
「え!? えぇ!?」
「何をしているの! 早く!」
「む。無理です!」
心構えのできていなかったメイドがブレーキを離さなかった為、みすみすと目の前を通り過ぎてしまった。
「まだ間に合うわ、信号が青になったら間違えて急発進した振りをして校門にぶつけなさい。巻き添えにあった可哀想な被害者は数人で済むわ」
「後部座席に悪魔がいるぅぅうううう」
赤信号の間にガタガタと震えていたメイドだが、借金の帳消しに加えて弁護士と保釈金の費用の負担まで保証するとようやく心が座ったようだ。
信号が変わった瞬間、人の緊張感を煽るタイヤのスピン音を響かせながら大きくハンドルを切って主人公の歩く先へと急発進した。タイヤの音に似た生徒達の悲鳴が窓の外から聞こえる。右へ左へ蛇行を繰り返しながら、勢いを殺さずにノンブレーキで校門に激突する。
「ロールス・ロイズはエンジンをかけても立てたコインが倒れない」という売り文句は嘘ではない。
まるで映画を眺めているように窓の外の景色が流れるが、車内は静かなものだ。
おかげで主人公を狙うのもやりやすい。
この距離であれば確実に仕留めたと思ったが、主人公や道行く生徒の誰一人として巻き込まずに車は停止した。
それどころかただの事故だと思ったのか、主人公が心配そうな顔でマジックミラーの窓を覗き込んで来た。
お人よし設定が発揮されているのだろう、運転席のドアをガチャガチャと引っ張って中に乗っている人を助けようとしている。
よし、チャンスだ。この距離なら確実に殺やれる。
目撃者が面倒ではあるが、この混乱した状況なら後付でも事故に巻き込まれたように偽装できるはずだ。
膝の上に載った鞄から畳まれた扇子を取り出す。
一見してただの扇子であるが、実は中に刃が仕込まれている仕込扇子だ。
刃渡りに少々不安があるが、内臓を傷つけることができれば致命傷に足りえるだろう。
歪み一つない運転席の後ろのドアを勢い良く開けてる。
飛び出すと同時にドアを閉め、驚いて動けないでいる主人公に向かって袖に隠したナイフを突き立てた。
刃を隠してあるから、傍目には事故の恐怖の余り抱きついた程度にしか見えないだろう。
勢いあまって突き飛ばして押し倒す形になったが、肋骨の隙間に入るように刃を横にしたナイフの感触は、しかし肉を切るものではなかった。
刃先は数ミリ進んだだけで、何か硬いものに阻まれている。
まさかの防刃ジャケット。
常日頃からそんなものを着込んで生活しているなんて正気とは思えない、しかしその危機管理能力は驚愕に値する。
苦々しく思いながらも、この後どうやって逃げるかの算段をつけながらも、今まで接点のなかった同級生に命を狙われたらどんな顔をするのだろうと視線を主人公に向けた。
「あ……あーっ!」
しかし押し倒された主人公は、私を見ずに阿呆のように口を大きく開けて私の後ろを指差した。
思わずそちらを見ると、学園のシンボルである聖母像が今まで乗っていたロールス・ロイズを押しつぶすところだった。
いかにロールス・ロイズといえども屋根の上から数トンの加重がかかることは想定していないのだろう。メキャメキャと金属の歪む音を出しながら車全体がペシャンコになる。
あのまま運転席のドアに張り付かせていれば一緒に潰すことができたのに。焦りすぎて判断を誤ったようだ。
倒れたマリア像から視線を戻した主人公が私を見つめる。
じっくりと顔を見られた。これは非常にまずい。
「あの……助けてくれたんだよね……ありがとう」
防刃ジャケットを着込んで学校にくる癖に、まるで人を疑うことを知らない表情だ。
この顔から察するにジャケットは親の指示で着込んでいるのかもしれない。
緩みきった表情で、本気で私に感謝しているのだと分かる。
だが都合がいい、今はそれに乗っておこう。
「ええ、あなたは怪我はないかしら」
「うん、ちょっと尻餅ついたくらいかな」
えへへ、と無邪気に笑うが、私にとってその笑顔が何より恨めしい。
殺害計画の根本的な見直しを決めると同時に、聖母像の下敷きになった車の残骸がガタガタと動き出した。
何事かと目を見張ったが、すぐに歪んだドアを押しのけてメイドが匍匐前進の体勢制で車外に出てくる。
「お、お嬢様ぁ、ご無事ですかぁ」
車に閉じ込められて潰されれば、一流のマジシャンでも死んでいるだろう。
車がつぶれた瞬間にメイドのことは諦めていたが、案外と生き意地が汚いようだ。
「あぁ……車がめちゃくちゃになってますぅ。これ、私の借金に上乗せですかねぇ……内臓を売るのはもうちょっと待って欲しいんですけど」
ほろりと涙を流しながら微笑んだ。さっさとメイドの命を諦めたのは少しばかり悪いと思ったので、罪滅ぼしのつもりでディーラーに電話をかける。
「すぐに替えがくるから待ってなさい」
端的にメイドに告げて、さてこの事故をどうやって隠蔽するかと思案しはじめたところで校舎から教師が走り寄ってきた。
「どうした事故か、けが人は!?」
「先生、聖母像が倒れてきたんです!」
「そこに私達を逃がすために車が突っ込んできて」
「誰も怪我はしてません!」
7つほど誤魔化す話を準備していたが、口を開くより前に周囲にいた生徒達が誤った状況説明を教師に伝え始めた。
彼らによれば、聖母像が倒れる気づいた私は、逃げ惑う彼らの身代わりに車を下敷きにしたらしい。
同級生が自分達に害悪を及ぼさないと信じている脳味噌お花畑が都合のいい方向に転がったようだ。
これ幸いと、適当に「やってくれたのは家のメイドですよ」と微笑んで済ませることにした。
穏便に済むならそれに越したことはない。
これから念のために保健棟で検査するらしい。
この学校では保健室ではなく医療用の独立した建物が存在しており、レントゲンやMRIまで完備されているので全身の検査が可能だ。恐らく怪我はないが従っておくことにする。
車の中で潰されたメイドは何かしら怪我をしていそうだが、学校の生徒ではないので検査を受けることが出来ない。
後で掛かりつけの病院に行くように言ってその場に残し、主人公と一緒に保健棟へと向かった。
◆
目だった外傷は見当たらないとは言ってもムチウチなどは後から発覚することも多いので、念の為に精密に検査を受けさせられることになった。
メイドは車の中で潰されていたので腕や足の一本も無くなっていてもおかしくなかったはずであるが、よくよく頑丈な女である。
主人公と一緒に更衣室で検査着に着替えていると、彼女の首から下がっているアクセサリーに気づいた。
「あ、これ? ちょっと恥ずかしいよね」
可愛らしい素朴な笑顔に似合っていると言って良いのか、首から下がっていたのは神社のお守りであった。
わざわざこちらに向けて見せてくれた文字は「交通安全」である。
「この学校が私の家から遠いからね、おばあちゃんが買ってきてくれたの」
このお守りは私も覚えている。ゲーム中のとあるイベントを進める際に必須となるアイテムだ。
おばあちゃんとの親交を深めておかないと貰えないので、攻略対象にばかり現を抜かしていると修学旅行先で遭難イベントが発生してしまうのだ。
「……怪我が無いのはお守りの効果かしらね」
「うん、きっとそうだと思うな」
しかし彼女の指先につままれたお守りは、ふるると揺れたかと思うと横を真一文字に切ったように分離して分厚い絨毯の床に落ちた。
彼女の手元に残ったのは上半分のみである。
「あ、あー! お守り壊れちゃった……」
「身代わりになってくれたのかもしれないわねっ」
口ではロマンのあることを言っているが真実は違うと気づいている。
床に落ちたお守りの下半分を拾い上げてみると、中に入っている経木に刃物がつきたてられた跡が残っていた。
間違いなく私が仕込扇子で突きたてた傷であろう。
何のことは無い、着替えている最中に防刃ジャケットを着ていなかったことから想像はしていたが、凶刃を防いだのは交通安全のお守りだったのだ。
まるで漫画か映画の世界のような出来事ではあるが、ここがゲームの中だということを忘れてはいけない。
おばあちゃんのお守りを所持していれば修学旅行先で遭難しないし、交通事故に遭うことも無い。
それで攻略対象のキャラクターと出会えなくなってしまうのでゲームとしては扱いの難しいアイテムであるが、現実世界でそんな効果のあるアイテムがあるなら防刃ベストよりも役立つに違いない。
しかし、そのお守りは既に破壊されている。身代わり地蔵のようなものだ。
役目を果たして破壊された防御装置は二度と刃を防ぐことは無いだろう。
つまり、暗殺を邪魔するものは無い。
着替え途中の主人公は首からお守りを外していそいそと鞄にしまっている。殺るなら今か。
鞄の中から仕込扇子を出そうとする私の前で、ヒロインは同じようなお守りを鞄から取り出して再び首にかけた。
「えっ。な、何なの。それはっ」
驚きのあまり口に出して問いかけてしまった。
彼女は首の後ろで紐を結んでから、再び同じように「交通安全」の文字を見せ付けてくる。
絶対防御アイテムが無限にわいて出てくるとか。何だこれは、悪夢かと目を疑った。
「おばあちゃん、ボケちゃって毎日同じお守り買ってくるの」
「ボッ……」
老いぼれめ、余計なことをしてくれる。
これはあれだ。チートだ。ズルもいいところだ。ゲームの製作元に実弾が入った封筒を送りたくなる。
取り出しかけていた仕込扇子を鞄の中に戻し、大人しく検査を受けることにした。
検査結果はすぐに出たが、どこにも怪我は無く健康そのものだったので学校に戻ることにする。
午前中の授業は終わっており、丁度昼休みの時間だったので教室へは行かずにラウンジへと向かった。
ラウンジとは別で食堂もあるのだが、ターゲットから距離を置くために離れた場所まで来ている。
軽いサンドウィッチのようなものを頼むことも出来るが、出来る限り体に臭いがつくのは避けたいので携帯用のブロック栄養食を口の中に突っ込んで、それをグレープフルーツ味のゼリー飲料で流し込む。
モサモサとした食感は大学生の記憶からすると食べなれた無味乾燥のものであるが、今現在のお嬢様の体では食べなれていないようで妙に喉に引っかかる。
えづきそうになるのを堪えて手早く食べ終わったらすぐに席を立ってラウンジを出て行く。
ものの数分で食べ終わっているので、わざわざラウンジになど行く必要はないと思うのだが定められた場所以外での飲食は厳しく目を光らせている教師陣によって固く禁止されている。
学校の成績が多少悪くても何も言われないが、マナーや儀礼に関することとなると急に厳しくなるのだ。
本当はブロック栄養食も良い目で見られないのだが、監視対象の多いラウンジでは見つからずに済んだようだ。
先ほど、検査の時に昼ご飯を食堂で食べるという話は聞いているので、迷うことなく主人公のいる食堂へと向かう。
決して走ってはならないのが難しいところだが、なんとか食べる終わる前に食堂へと到着することができた。
主人公はうどんをつるつると食べていた、他の生徒は「日替わり御膳 華」という仰々しい名前のランチをつついている人が多く、麺類などたべているのはひとりしかいないのだが、そんなことを気にしない顔で白い麺を啜っていた。
さりげなく近づいて毒でも混ぜてやろうと思ったのだが、十数品からなる御膳ではなくただのうどんでは毒を仕込む隙もない。
内部に仕掛けた空洞に薬品を入れてある扇子をそっと懐にしまう。
「チッ」
まるで内心を具現化したかのような舌打ちをする音に視線を向けると、そこには赤色の髪をした男が立っていた。
見覚えのある顔立ちである。
忘れるわけも無い、主人公と共に悪役令嬢を地の底に叩き落す正ルート攻略対象の男だからだ。
しかし、顔こそ整ってはいるが主人公を見つめるその眼差しは憎しみに満ちており、尋常のものとは思えない。
激情家の面を持っている設定ではあったが、こんなにあからさまに感情を表現する性格ではなかったはずである。
その彼と、ふいに目が会う。
この瞬間こそが主人公の抹殺を目論む二人の終結者の出会いの瞬間であり、苛烈な戦闘の日々の始まりであったのだが、それを知るのはもう少し先になってからだった。
事故から30分後、校門で待機するメイドのところにレッカー車とキャリアカーがやってきた。
作業着のスタッフが手際よくレッカー車が像の下敷きになったスクラップを回収し、代わりにキャリアカーから同型のロールス・ロイズを下ろす。
どういう訳か壊れた車と同じナンバープレートまでつけていた。
「サインはどこにすれば……あと、費用はどのくらいかかるんでしょうか……?」
入れ替え作業の終わったスタッフにメイドが不安げに声をかけると、スタッフは笑顔で「何のことでしょうか」と答える。
「え、この車って新車ですよね……壊れた車の回収費用とか車の代金とか……」
予想外のスタッフの返事にメイドが挙動不審になりながらも答えると、相変わらず張り付いたような、良く見れば目だけは笑っていない笑顔のままスタッフが答えた。
「お客様……ロールス・ロイズは、壊れません」
それだけ言うと、用は済んだとばかりにレッカー車に乗り込み新車のロールス・ロイズと倒れた像だけを残して、スタッフはどこへともなく走り去っていってしまった。
残されたメイドは呆然と立ち尽くすばかりである。
「ロールス・ロイズ……すごいなぁ」
何事も選ばれるのには理由があるのだとメイドは痛感したのだった。