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暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第十七章 鳥篭の中で (5)


 つんざくような叫びが、回廊に響き渡った。
 シルヴィアはわずかに眉をひそめ、後ろにつき従うアシャンを連れて声の発生源へ向かう。

 「いったい何事です?」

 居間。
 散らばった白百合の花びらと、こぼれた園芸用土。その中でフィオラを含む侍女数名が悲鳴を上げ、逃げ惑い、あるいはへたり込んでいる。

 「駄目です、シルヴィア様。こちらに来ては――」その先のフィオラの言葉は彼女自身の悲鳴に消された。

 が、彼女が警告を発するまでもない。
 いつの間にか背後にいたアシャンがを前にいて、シルヴィアを後ろに追いやっていた。針のような警戒をやどす薄緑の視線の先にあるものを、シルヴィアは彼の肩越しに目にした。
 それは、散らばって踏みしだかれた白百合の花弁と茎、転がった鉢植えと飾りつけの包装紙、その周辺でうごめく無数の小さな生き物たちだった。
 白い花にたかる虫、虫、虫、蟲――――血の気が引いた。

 「お下がりください、殿下」

 耳元で言い置かれ、腕を引かれ、体を支えられて安全地帯まで誘導される。
 アシャンはシルヴィアをどかす事に成功すると、嵌めこみの暖炉の脇にある火かき棒をつかんで、蟲の群集の傍らに膝をつき、ひっくりかえしては一体一体、検分していた。
 毛虫。百足。その他シルヴィアが見たことのない小さかったり長かったり黒かったりする生き物の群れがうねり、とぐろを巻き、這いずり回っていた。

 「毒を持つ個体もあるようですが、せいぜい痺れや嘔吐、じんましんを発症させる程度のもの、または解毒の容易なものばかりのようですので心配はないと思われます。誰か噛まれた方は?」

 侍女達を見回し被害が無いことを確認すると、かしづき達を呼びつけ、毒虫の処理、そして包み紙、鉢植え、用土などの証拠物件の保管を命じる。そして聞いた。
 
 「虫は白百合の鉢に仕込まれていたのですか?」

 「あ、はい」と侍女の一人が答える。「居間に放置されていたので、てっきり公爵閣下の贈り物とおもい、シルヴィア様のお部屋に運ぼうとしていたところ、誤って落としてしまいまして……」

 「それは幸いでした。ですが公爵閣下がシルヴィア殿下に贈られる白百合は切り花だけです。それを覚えておいてください。また次からは、殿下のお部屋に運ばれるものは、それが何であろうと上から下まで十分に検分して安全であることを確認してからにしてください。そうでなければ、あなた方がここにいる必要はない」

 唖然とするフィオラの眼差しの先、そういって言葉を切り、部屋の隅にいるシルヴィアに目を向けた。理解した。

 シルヴィアは動揺を胸の底に沈め、侍女達に向きなおり表情を作る。

 「お前達、大変でしたね。ですがアシャンの言うとおり次回からは気をつけるように。それとここで起こった事は他言無用、お前達だけの胸に収めておくように。物が白百合の鉢である以上、下手な噂でも立ち閣下の名に傷がつく事があってはなりません。
 最後にアシャン。彼女達がここにいるべきかどうかは私が決めることです。お前の決めることではありません」

 薄緑の目をした侍女は、静かに頭を垂れて謝罪の言葉を口端にのぼらせた。
 





   ■



 「虫が苦手だと以前にも言っていたが……」
 部屋に戻ると、アシャンは卓の上の教材やらを片付けながら言った。
 「それはイン・シァン妃の溺死体のせいか?」

 シルヴィアは一つためらい、そして頷いた。溺死体には虫がたかっていて黒く群がるそれは、かつて母親であった白い体に無数の穴を開けていた。

 「多分そうだと思うわ。でも耐えられない程ではない。さっきは抜き打ちで来られたから少し動揺してしまったけれど」

 「今までこういった事はあったのか? 鉢でなくとも、脅迫文などが届けられた事は?」

 「ないわ。ささやかな嫌がらせの手紙くらいなら時々もらいはするけれど」

 「ソフィア皇女の?」

 「あの子はこんな事はしない」 

 「本当にそういいきれるのか?」

 心の底を覗くような、薄い緑の目。
 シルヴィアの水底にいつでも手を差し入れる権限を持ち、その流れや水位を計っては点検と微調整をおこたらない。
 
 「言い切れるわ。ソフィアではない。私はダルタヴィッラに嫁ぐのだし、宮廷にはそれを良く思わないものもたくさんいるわ。その中の誰かの嫌がらせでしょう。母様にだってこういう事は良くあった」

 「ああ、オウムが切り刻まれて殺されたようにな。そういえばあれからソフィア皇女殿下からは何のお言葉もないな。お寂しい限りだ」

 「ソフィアではないと言っているわ」

 「ではその主張の根拠は? 可愛い妹姫だからという以外に何かあるか?」

 「……」

 「肉親など」
 アシャンは冷めた目で言った。
 「そういいものでもない。赤の他人と違って血や時間といった絆を共有しているだけに、その縛りは強く、その要求にも際限がない。あなたの母親が手紙の中で、あなたを繰り返し『あの子は本当に私そっくり』と自らの分身に仕立てあげていたのを忘れたのか?
 肉親だからといって何かを期待したりするな。愛情とは時に、相手を支配し自らの傀儡にしたてあげる方便ともなる。畢竟、見返りを求めない関係などないし、骨肉の争いなどめずらしくもない……どうした?」

 シルヴィアは喉元にひっかかった言葉を飲み込んだ。かつて王立文書館で、自分が聞き、彼が返した返答を。

 「……いいえ、何でもないわ」

 ――良い、両親だった。
 また一つ、胃の腑のそこに何かが沈んでいくような気がした。


 
 シルヴィアは唇を噛んで、顔を上げる。
 「それよりも、何を片付けているの? 今日はまだ時間が空いているわ。続きをしましょう。そう、円周率や、円が円であるべきための優雅な証明を見せてくれると言っていたではないの」

 「いや今日はもう終わりだ」
 有無を言わせぬ口調。
 「俺だけではない。午後に入っていた授業、予定、すべて外せ」

 「そんな勝手に――」

 「夜、寝台から抜け出して一人で自習するのも禁じる。たまにはゆっくり骨を休めて、したい事をする時間を持つといい」

 「したい事はこれだわ。続行して」

 「では十分に睡眠をとるといい。その方が明日の能率もあがる」

 「こんな気分では寝れないし、他の何も手につかないわ」

 「シルヴィア」
 その目はもう微笑っていない。
 「鏡を見てみろ。ひどい顔をしている。今日はもう休んで明日に備えろ。そしていい忘れていたが夜間の自習は俺が許した時間枠を厳守しろ。それを超過することを許可した覚えはない」

 何もかも見透かしているような眼差しの下で、シルヴィアは我知らず拳を握り締める。
 「でも私には時間が……時間がないのよ」
 こんな風にものを言ってみせるのは上手くないと分かっていたが、“これ”まで取り上げられては我慢がならなかった。

 それを、どう“計った”たのか。
 アシャンの薄緑の瞳がゆっくりと色を変える。口元にきざんだ微笑はそのままに、わずかに透明な皮膜がはがれ落ち、そこから貪婪な光がめくれて覗く。
 肉食獣のような……いや、束縛の手綱をにぎる絶対者の眼差しで、シルヴィアにかけた首輪の締まり具合を確かめる。嘲笑に近い表情。

 「シルヴィア、さっきも言ったがあなたは美しい。ならばそれを維持することに専心しろ。十分な休養をとり、手入れを怠らず磨きあげろ。それはあなたの武器であるばかりでなく、俺の武器でもあるのだから」

 シルヴィアが視線をそらして屈従の姿勢をとると、「なに、時間はたくさんある」とねぎらうような声を出した。
 
 「そう焦ることもない。俺にしたところで何もソフィア皇女が犯人だと決め付けているわけではない。あくまで考慮すべき可能性の一つということだ。
 だが犯人が誰であれ、白磁宮に手引きした人間がいるはずだ。運良く目撃者がいれば簡単に見つかるかもしれないが、いずれにせよ俺はそちらの手配に忙しい。
 だからあなたはそれまで信頼のおける侍女、パニエラやフィオラ辺りに身辺の世話をしてもらうといい。出来ればパニエラのほうがいい。フィオラにはまだ色々と気の回らないところがある……後そういう風に唇をかみ締めたり、拳を握りしめる癖はなおせ。子供じみて見える上、食い込んで跡がつきかねない」
 

 扉が閉まる音がして、シルヴィアは震えるまでに握り締めていた拳を壁に叩きつけようとし、かろうじて留まった。
 ぎり、と唇の代わりに奥歯を擦れるほどに噛みしめて、衣装箪笥へ向かう。

 肌着を収めたそこならば、おそらく秘密は守られているはずだった。いかに我が物顔にシルヴィアの部屋を闊歩し、持ち主であるシルヴィア以上に諸物のおき場所を把握している彼でも、流石にそこには必要以上に手をつけないだけの羞恥心は残っているらしかった。

 二重底となった底をはずし、紙幅の束を取り出す。
 それは全てここしばらくの期間に白磁宮に届いた、差出人不明の手紙の数々である。
 その大半は『娼婦の娘』や『授かり婚』などといった児戯に等しい内容だったが、その中の数通は『破談にしろ。さもなければ後悔する』や『殺す』などとシルヴィアに対して明白な敵意や殺意を表しているものもあった。
 焼却せずに保管しているのは、のちのち証拠として使える可能性があるからだ。

 なぜこれをアシャンから隠したのか?
 奇しくもアシャンが言ったとおりの理由だった。それは一重に、肉親の絆を信じ切れなかったからに他ならない。
 もしソフィアが彼女特有の軽率さでこういった手紙を出し、白百合の鉢の中に虫を、死に至らしめるものではないとはいえ毒虫を仕込んだのだとしたら。万が一にもそれ以上のことに及んだら。そしてそれをアシャンが知ったとしたら……
 そのとき彼がどんな手を打つのかシルヴィアには保障できない。それが妹であるソフィアの身や名を直接傷つけるものでなかったとしても、誰かを傷つけない……血が流されないという確信が、今のシルヴィアには持てないのだった。
 あの夜、自分が誘いをかけた衛兵が次の日には消えていた事を彼女が気付かなかったわけではない。









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