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暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第三章 夜半、畔にて (1)


 ギギ、と扉の軋む音がして、回廊の明かりと共に人影が滑り込んできた。

 やがて、また開いた時と同じ音がして扉が完全に閉じられるのを確認してから、シルヴィアは闇の中で上半身を起こす。

 「セラ、いるの?」
 シルヴィアは小声で乳母の名を呼んだ。

 「はい、姫様。セシーラはここにございます」

 月明かりの中で、小暗い闇がうごめき老婆が歩み出た。
 彼女が両手でささげ持っているものが何かシルヴィアは確認するまでもなく知っていた。なにしろ毎年のことなのだ。
 
 衣類一式。
 より詳しくいえば侍女のお仕着せと、頭まで隠れるフードのついた外套である。

 「済まないわね。お前には苦労ばかりかけるわ」

 「いえいえ。このような老いぼれでも、まだまだ姫様のお役に立てると思うと、生きる気力も湧いてこようというもの。姫様のおかげで長生きさせていただいております」

 寝台をきしませないようにシルヴィアは起き上がり、乳母の前に立つ。
 乳母は心得た手つきで、手早く皇女の寝巻きを侍女のお仕着せに気がえさせていった。

 「しかし、これで何回目になりますか?」

 「三回目よ」
 シルヴィアは短く答える。

 「さようですか。もう四年……イン・シァン様がお亡くなりになられてから、もうそんなに。月日が立つのは本当に早いものですな」

 「いいえ」
 とシルヴィアはかぶりを振る。
 「長いわ。母を死に追いやった者が罪に裁かれることもなく、安穏とした暮らしを貪り続けるには、本当に長すぎる時間よ」

 乳母の手が強張ったのを気配で察して、シルヴィアは、くすりと笑う。

 「いやね、冗談よ……母の死が自殺か他殺かだったかすら分かっていないのに。それにお前には悪いけど、私は母様のことがそんなに好きだったわけではないのよ。泣いてばかりいた母様……」

 懐かしさと苦さを等分に含んだ微笑でシルヴィアは続ける。

 「己の出自に引け目を感じていて、いつも俯いてばかりいた。陛下の寵にすがる以外にこの宮廷での生き方を知らなかった。みずから自分の居場所を切り開くことを怠り、与えられた運命に嘆くことしか出来なかった母様……しょせん母様は、この土地に馴染まない、か弱い異国の花だったのだわ。遅かれ早かれ枯れる運命だった」

 「…姫様」

 母の死体は、庭園の外れの泉で発見された。
 死因は溺死。
 公には自殺という事で処理された。
 
 むろん裏では、皇帝の寵姫の死について、様々な噂や憶測が入り乱れた。その中には他殺説もあった。
 競合相手を蹴落とそうとした他の愛妾の仕業だとか、はたまた踊り子時代のイン・シァン妃を忘れられない昔の情人の狂行だとか。

 シルヴィアにも本当の所は分からない。自殺か他殺かと聞くならば、どちらも有りそうな話だとしか言い様がない。

 母の死に無関心というわけではなく、限られた情報を元にして考えた場合そういう曖昧な言い方しか出来ないという事だ。関心というなら、むしろ他の誰よりも母の死の原因について関心を抱いているのは自分だろう。

 シルヴィアは自嘲の笑みを浮かべた。

 「セラ、私はね。毎年のこの夜、母を悼むために、こんな事をしている訳ではないのよ。そうではなくて…むしろ母のような生き方はすまいという戒めのために、私は母を訪うのよ」

 母のように弱い生き方はすまい。
 母のように哀れな死に方はすまい。

 だが――とシルヴィアは思う。

 なら自分の今の有り様はどうだ? そんなに母と違ったものだろうか? 
 『黒髪の皇女』、『踊り子の娘』という母が残した負の遺産をいまだに引きずっている自分が、果たして母の弱さを責められた立場だろうか?

 仕える者たちの本心を危ぶみ、有形無形の蔑みの視線に苛立ち、父帝に命じられるままの相手と婚約し、やがてはその男の妻となり、子を産み、政治の道具としての一生を真っ当するだけの……
 それでは正に自分が嫌悪する母親の人生そのものではないのか? 主体性など欠片もなく、与えられた運命に不平不満を垂れ流すしか能がない。

 ぞくり、と寒気を感じてシルヴィアは乳母をせかした。

 「さあ、早く上着を羽織らせてちょうだい」

 乳母は後ろから、シルヴィアに外套をそっとかけ、編み上げた黒髪を隠すよう目深にフードを被せた。そして最後にシルヴィアに印章の刻まれた木片を差し出した。

 「これで準備は整いました。いいですか。姫様。衛兵に見咎められたら、セシーラの使いだと言ってこの手形を見せるのです。それと衛兵とはいえ若い男のこと。若い娘と見れば、卑しい誘いをかけたりもいたします。からかわれたからといって短慮を起こして、うっかり――」

 「命令口調なぞ出さないよう気をつけるわ……分かっているわよ。毎年毎年、飽きもせずに同じことばかり繰り返されたら嫌でも覚えてしまうわ」

 シルヴィアは苦笑しながら、手形を受け取り掌に握り込む。木片はまだセシーラの手の温もりと湿り気を残していた。

 「それではお急ぎを。それと必ず一刻の内には戻られますよう。私の息のかかった見張り番が交代する時間まであと一刻半とありません」

 「ええ」
 シルヴィアはうなずき寝室の扉に向かって歩きだす。ややあって思い出したように乳母を振り返った。

 「セラ、お前には本当に感謝しているわ。私の味方はお前だけよ……だから長生きしてこれからも働いてちょうだい」

 セシーラは、また一段と白いものの目立つようになった頭を、主人にむかって深々と下げた。

 「姫様のおおせのままに」








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