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暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第二章 白百合の花詞は (2)


 
 薄い紗のカーテンを夕陽が透過し、皇女の居室を赤橙の光の散乱で満たす。

 初夏のけだるい微風は、ともすればシルヴィアの直ぐな黒髪を、さらっていく。長椅子の背もたれに体をあずけたシルヴィアは、顔の前に落ちてくる髪を、掻き揚げてみたり、指を差し入れて梳いてみたり、と暇をもてあますことしきりだった。

 カチャカチャという陶器の擦れ合う音ばかりが、静かな室内に響く。茶器をテーブルに並べるアシャンの様子を見るともなしに見ていたシルヴィアは物憂げな溜息とともに、言った。

 「ねえ、前々から思っていたのだけれど…」

 「はい」

 手を止めてアシャンは、顔を上げた。柔らかい茶色の髪が、その拍子にふわりと舞い上がり、澄んだ緑の眼差しがシルヴィアを向いた。

 それを見て、シルヴィアは再確認する。
 やはりカルハリアの民は帝国の民と、人種的な違いはほとんどない。アシャンの淡い色彩は、金髪碧眼とまでは言わなくとも、自分よりはずっと皇女の容姿として相応しいだろう。

 それに、この新しい侍女には何というべきか…品の良さのようなものを感じる。
 行儀作法に問題があるわけでもないのに、人に仕える者にありがちな媚や卑屈さ、言ってみれば腰の低さがない。といって、それは大多数の侍女たちが自分に対して隠し持っている感情、侮りなどでもない。
 初めて自分の世話をして粗相をした時も、下げた頭と見上げる瞳に、哀願や恐怖の色はなかった。本来あるべき服従の色さえ。

 もっとも取り立てて気にする事でもないと思う。
 侍女とはいえ皇女付きともなれば、みな貴族の出身であり、ことにアシャンはまだ侍女となって間もないのだから、侍女らしくないのは言ってみれば当たり前なのだ。

 それに彼女はカルハリア人だ。侵略者に仕えることに対して、口でどう言おうと色々と複雑な思いもあるだろう。
 そもそもの話、自分はアシャンの侍女らしくない所が気に入って、彼女を側においているのではなかったか?

 「前々から聞こうと思っていたのだけれど、その格好、暑くはないの?」

 そういってシルヴィアはアシャンの衣装を差し示す。もう初夏だというのに、アシャンは首まで伸びた詰襟つめえりの内着を侍女のお仕着せの下に着込んでいる。

 「あ、はい。これですか」
 アシャンは少し困ったように笑う。
 「これは傷を隠すためなんです。あまり、見目よいものではないので」

 「傷? ひょっとして先の戦の折に?」

 言及されている戦とは、もちろん、二年と少し前、帝国がカルハリアに侵攻したときのことを差している。

 「……はい」

 と微笑を含みながら遠慮がちに答えるアシャンを相手に、初めての時と同じような話題を蒸し変えても仕方がないので、シルヴィアは「そうなの」と気のない返事を返しておいた。

 憎んでいるか? などという設問は無意味だ。憎まなかった筈はないのだから。
 問題は受け入れられるかどうかだ。
 恨みや悲しみを呑み込んで、勝者に頭を下げて生きていくことを。敗北を、服従を、その中で得られるささやかな幸せを、受け入れられるかどうか。
 なんとなれば残ったのは体の傷ばかりではないだろうから。

 「そうはいっても、いい若い娘が地味な色ばかり着ている理由にはならないわ。新しいのを新調なさい。私の衣装箪笥から好きなものを持っていっても構わないわ」

 「…そのような畏れ多い真似は出来ません」

 こういう所はパニエラに似て堅苦しい。

 「なんなら舞踏会用の、あの緑色のドレス、あげるわ。きっとお前の瞳の色に映えて似合あうでしょう。首まで隠れることだし」

 「あれはラバウル公が殿下に贈ったもの。私のようなものが身につけられる筈もありません」

 ラバウル公、ヴァレーリオ=ディ=ダルタヴィッラ。

 思い出したくもない名前が思い出されて、シルヴィアは眉を潜める。それは他でもない自分の婚約者の名前である。

 三十代も大台にせまった年増の婚約者からもらった衣装は一着や二着ではきかない。

 「アシャン、知っている?あの方、やたらと露出の抑えたドレスばかり贈るのよ。花を贈るときは馬鹿の一つ覚えみたいに白百合ばかり。何を言わんとしているかは明白でしょう?」

 意外なことにアシャンはこの答えにくい質問に、あっさりと答えてのけた。

 「白百合の花言葉は純潔だと記憶しておりますが」

 「そう、無垢な白百合。体を隠すドレス。婚約者殿は、よほど私の貞節を気にかけてくださっているみたいだわ。私の母方の血がそんなに気にかかるのかしら」

 母方の血。シルヴィアの母は異国の舞姫だった。

 肌も露な衣装で、扇情的な踊りを売り物にする、見た目ばかりはきらびやかな職業だが、所詮は芸を売り物にする流浪の身、場合によっては芸以外にも春をひさぐため、堅気の職業とは程遠い。それだけに金貸しや売春婦と同様、社会的には一段下に見られる、卑しい生業とされていた。

 シルヴィアの母は、宮廷で異国の舞を披露した際、皇帝の目に留まり、後宮に入れられた。そしてそこでシルヴィアを産み、シルヴィアが十二の時に他界した。
 
 母が死ぬ前に何人の男に体を委ねたかなど、シルヴィアは知らないし、興味もない。
 ただ……

 「さすがに、こうも露骨だとね。あなたの純潔が心配ですって言われているみたいで、いい気はしないわ」

 「……殿下」

 おずおずと話かけるアシャンにシルヴィアは驚いた。この侍女が自分から発言するのは珍しい。どうせ前例にもれず、辛抱強く、黙って主人の繰り言が終わるのを、待っているものだろうと思い込んでいた。

 「白百合の花言葉は一つではございません。威厳という意味もございます。それに、古来より百合は繁栄の象徴として尊ばれてまいりました」

 何を言いたいのか、とシルヴィアはアシャンを見た。普段は寡黙な侍女が今日はよく喋る。

 「また百合の根は食用にもなります。球根は美味であるだけでなく、薬効効果も期待できます。生薬として昔から滋養強壮や鎮咳にと使われて参りました代物……百合は、とても有用な植物です」

 どうやら慰めているらしいのだが…
 美しい花ではなく、有用な植物? 薬効効果?
 滋養強壮?

 シルヴィアは思わず吹き出した。

 「あの……殿下?」

 「お前、やっぱり面白いわ」

 こんなに笑うのは、いつ以来だろう?

 くすくすと肩を震わせて笑っていると肌を滑っていく初夏の風が心地よい。さっきまでは、あんなに、うっとおしく感じていたのに。








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