第十四章 手紙が宛てられたのは (1)
結局その日の隠し通路の発掘は、他に気をとられた事もあって、めぼしい成果を挙げることはなかった。
あるいはアシャン自身は勝手に成果をあげていて、それをシルヴィアに伝えていないだけなのかもしれなかったが。
王立図書館から白磁宮に戻る道すがら、二頭立ての馬車から緞子の仕切りをもちあげて外に視線をやりながらシルヴィアは聞いた。
「それで本当に解読できるの? 暗号とやらは」
「ああこれだけの量があれば十分だ。見たところ、そう込み入った方式を使っているとも思えない。一晩か二晩もあれば平文にもどせるだろう」
と三枚の紙を丁寧にしまいながら、アシャンは答える。
最初の一枚を発見して以降、閲覧室に持ち込んだ本や資料室の棚をひっくり返して捜索した結果、計三枚の同種の文面を見つけた。
出所不明の一枚目はともかく、二枚目三枚目は同じ棚続きであったところを見ると、そういう風に一定の規則にしたがって仕込んであったものと思われる。
すべて同じ筆跡……イン・シァン妃の手になるもので、どれも同じようにアルファベットを無作為に並べ立てたような意味不明の文字列だった。
はたしてあの母が暗号などという洒落たものを使えたかどうか自体シルヴィアとしては半信半疑だったが、アシャンはそれを解読できると請け負った。
イン・シァン妃についてシルヴィア以上の知識があるとは思えない彼が、どうして自分が解読できない母の暗号を一瞥しただけで解読できるなどと言えるのか、正直シルヴィアとしては納得がいかない。
あるいは彼は錬金術師の息子で、偶然父親がおなじ暗号を使っていたのかと真剣に疑ったが、口に出したら鼻で笑われそうな雰囲気だったのでやめておいた。
かわりに暗号とは、暗号化の際に使われた秘密の法則なり鍵なりが分からなければ解読できないのではと聞くと、「そうでもない」という。
「どうやって?」と聞くと「やり方さえ分かれば、あなただって出来るさ」との事。
やはり錬金術なのか。
とすれば今度、目の前で鉛を金塊に変えて見せてもらわねばならない。
■
白磁宮に戻ると、二通の手紙がシルヴィアを待ち受けていた。
一通は異母妹のソフィアから、もう一通は……シルヴィアが返書を心待ちにしていた人間からのものだった。
「オンジュー侍従長様よりお届け物です」
そういわれて受け取った封書一枚と小包一つを手にシルヴィアは居室を右往左往する。出迎えてくれた仔猫をいつもどおり抱き上げてキスをすることも忘れていた。
シルヴィアとて湯殿での一件以来、ただ寝込んでいた訳ではない。マファルダ皇后とオンジュー侍従長にそれぞれ書簡を出していた。
定石どおりの挨拶に加えて、謁見の場での心遣いに感謝を述べ、次期公爵夫人として不肖の自分にこれからも尚一層のご指導ご鞭撻を願う、と言ったようなへりくだった文面を二人それぞれにしたためた。
それに加えてオンジュー侍従長には、象嵌細工の鳥篭をおくりつけ、彼が謁見の場で披露した小話に感じ入った旨を伝えたのち、こういう趣旨の文面を書き添えた。
『鳥が住む篭が一つであるとは限りません。鳥篭の掃除などの折には、鳥は二つの篭を行き来せねばならぬ事もございます』
鳥はシルヴィア。二つの篭はラバウル公とオンジュー侍従長。
つまり公爵婦人となるシルヴィアは必ずしも夫と立場を同じくするものではないと伝えたつもりだった。
アシャンに謁見の場での出来事をかいつまんで説明した後、草稿を見せたところ『ずいぶんと直球だな』と鼻で笑われ、さらに『まあ、あなたらしくていいんじゃないか』と馬鹿にされた。
兎にも角にも、そうして出した手紙への返事なのだ、これは。あるいは小娘の先走りと黙殺されるかもしれないと覚悟していた。
「いつまで猫と一緒に部屋をうろついているつもりだ」
そういわれて下を見ると、ひらひらとゆれるシルヴィアの裾の動きを追いかける仔猫がいた。シルヴィアが立ち止まると、ぱたぱたと繰り出されていた前肢の攻撃がようやくドレスの一端をつかまえる。
立てた爪で獲物を補足しつつ、仔猫は寝転がりながら四肢をけって、シルヴィアのドレスと格闘をはじめた。
真鍮のペーパーナイフを差し出す暗殺者と足元の猫、双方に急かされてシルヴィアは仕方なく封書の蝋をきった。
中には、これと言って特筆することのない定型どおりの挨拶、贈り物に対する感謝の言葉。
次いで小包のほうを開くと花の簪≪かんざし≫。
茎と葉の部分は金で出来ていて、花の部分は黄玉で象られている。葉脈にいたるまで細密な彫りをほどこした精緻な一品だった。
大陸でも指折りの工房の銘が入った薄い銀板の証明書には、作品名は【紫羅欄花】とあった。
「紫羅欄花≪あらせいとう≫、か」
と横合いから花言葉にやたらと詳しい女装の少年が口を出した。
「花言葉は『求愛』だ。どうやらあなたは年増にもてる性分らしい」
「嘘」
「嘘じゃない。だがより一般的な花言葉は『思いやり』や『努力』。そして『未来を見つめる』。それに狙ってのことかは知らないが黄玉の石言葉には『希望』という意味もある。生誕祝いの品としても悪くはない」
「つまり……」
「まとめると『あなたの成長を待ちます』と言ったところか」
「それって喜んでいいのかしら?」
「これから次第という事だが、まあいいのではないか? 今のあなたの立場からすればこれ以上の返答は望めない。良くやったほうだ」
けれんもなく褒められてシルヴィアは憎まれ口をなくす。
こういう時のアシャンは、どういう訳か薄気味悪いくらい優しい目をする。シルヴィアに向けるものとは思えないほど優しい目を。
「でも皇后陛下からはやはり音沙汰なしね」
「そうそう何事も都合よくいかない。それにあなたの次期公爵夫人としての本格的なお披露目は、おそらく次の舞踏会になるだろう。
それまでにせいぜい宮廷の勢力図や未来の夫の身辺事情を遺漏なく頭にいれておくことだ。赤恥をかきたくなければ」
シルヴィアは手に入れたばかりの簪を握り締める。
そうだった。
たったこれしきの事で飛び上がるのは早い。何もかもがまだ始まったばかりで、自分がどの道を進むと肚を決めたわけでもない。
今の自分はまだ岐路にあって、それぞれの道がどこへ通じているかを学ばなければならない段階だった。
シルヴィアは月の障りの間、鈍痛とまどろみの間を浮き沈みしながら、ずっと考えていた。
この国のこと、宮廷のこと、シルヴィア達が世界と呼ぶ大陸とそこに住まう貴賎の人々のこと。
大小無数の勢力図を動かす、大きな流れと小さな流れ。その流れの中で逆巻いている無数の渦。さまざまに折り重なった対極図。教皇権と皇帝権、農民と封建領主、都市と農村、封建貴族と皇帝、二人の次期皇帝候補の皇子、彼等の後見人。
その中で自分がどの位置を占めるのか、占めたいのか。どう考えるのか。何がしたいのか。
そうして今更ながらに気づいたのは、何かを選ぶためには知識と理解が必要で、その双方ともが自分には圧倒的に不足しているというものだった。
十七年間もの間この皇宮に生きてきたにもかかわらず、自分は母親同様、白磁宮の中にひきこもり地歩を固めることを怠ってきた。そのつけをシルヴィアは今かみ締めている。
そんな自分の現時点における価値といえばまさに『未来のダルタヴィッラ公爵夫人』というただの一点のみだ。皮肉なことに今までずっと鬱屈の種であった結婚こそが、シルヴィアの足がかりとなり得るのだった。
いや、もはやそれは望まぬ結婚とは言い切れない。
あの男が何を考えて自分との婚約や結婚を思い立ったにせよ、それはシルヴィアに未来を選択する力を与えてくれる。
あるいは、とシルヴィアは自分の傍らに立つ気配を意識する。このカルハリア人と渡り合う力さえ、与えてくれるかもしれない。
はじめて、あの男が自分を選んだ事に感謝してもいい気分だった。次に会うときはベルトテゼランの進言どおり、送られたドレスや白百合で出迎えてやってもいい。
異母妹ソフィアから送られたもう一通の手紙に関しては、シルヴィアは心配していなかった。どうせいつも通り暑中見舞いか何かに事かけた嫌がらせの類だろうと思っていた。
この時は、まだ。
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