幕間 ベルトテゼランと薄幸の美少女
「あれ? いつものパニエラさんやフィオラさんはいらっしゃらないのですか?」
客間に通されたベルトテゼランは素朴な疑問を口にした。
今日、彼を出迎えてくれたのは、淡緑の瞳と薄茶の髪の見慣れない侍女だった。すらりとした痩身と凛とした容貌が見るものに清冽な印象を与える、若く美しい娘だ。
それだけに左頬に薄く化粧でも隠しきれない青黒い跡が残っているのが気になるところだが、その訳をきくような不躾な真似は出来ようはずもない。
「申し訳ありません。パニエラ様やフィオラ様は臥せっておられる殿下の側についておりまして、及ばずながら今日は私がベルトテゼラン様のお相手をするように、おおせつかって参りました」
おや、とベルトテゼランは思う。
丁寧な一礼と口上には一分の隙もなく、それでいて、かしこまりすぎた感じもない。
あくまで礼を失さず、といって卑屈ではなく、背筋に一本芯がとおったような気持ちのよい姿勢と喋りかただ。
それでいて不思議と人をくつろがせる、流れるせせらぎのような声音。
出された飲み物もいつもフィオラが出すような薔薇水ではなく、すっきりと喉をとおる冷茶である事がうれしい。正直、あのような臭い水は飲めたものではない。
そういえば汗をぬぐう手ぬぐいも用意されていたか。白磁宮のなかは石造建築と通風孔の工夫で割合と涼しいのだが、ベルトテゼランは、この夏のうだるような暑さの中を駆けてきたのだ。
この分だと冷茶をのみすぎて体が冷えた頃には、暖かい紅茶とかが出てきそうだった。
昨今珍しい、なかなか出来た娘ではないか、とベルトテゼランは一気に好感を持つ。公爵邸に欲しいくらいだ。
なにせ主人が女に甘いものだから、公爵邸の侍女も姦しいやら仕事がいい加減やらで、彼は常日頃から自邸のそのような惨憺たる末端人事の現状を憂えていた。
いやまったく新しく奥方を迎えることで、邸内の女社会に規律が戻るといいのだが。
いやそのような瑣末な問題はまずはさておき、だ。
「臥せっていらっしゃる? ひょっとしてシルヴィア様はご病気が何かで?」
なんという事だ。主人はそんな事は一言だって教えてはくれなかった。
病気なのに、嫌味の権化のような白百合と純白のドレスを持ってノコノコやってきてしまった自分の立場はどうなる? どうしてくれる? どうしてくれよう、ヴァレリー。
「ご病気、というわけでは……」
最初の挨拶に比べるとずいぶんと歯切れの悪い調子で侍女は言った。淡緑の瞳には言葉を選ぼうとして見当たらない人間の困惑がある。
「ひょっとしてこの前、主人がこちらにお邪魔した時からですか? それは一体なんとお詫びしたら良いものやら……」
「いえ、そうではありません。ご心配には及びません。ベルトテゼラン様がお気にやまれるような事は一切ありません……それに後もう数日のうちには元通りにお元気になるとの事です。もともと殿下はお体が丈夫な方ではないので、こういう事もままあるようです。この先もあるかもしれません、ええ」
病気ではないが臥せっている?
だいたい数日のうちには元気になるなどと、そんな予定調和のような都合のいい回復の仕方があるだろうか?
しかし、なんとなく相手が焦っているようにも見えたので、ベルトテゼランはそれ以上の追求は手控えた。
「本日は、例によって例のごとく主人の使いで白百合とドレスをお届けに参上したのですが……」
とベルトテゼランもまた焦ったように贈り物を振り返った。
本当に両手に抱えきれなかった白百合の花束と夏物の純白のドレス。
どちらも主人の注文どおりに彼が見立て、花屋やら反物屋やら仕立て屋やら角を突き合わせて、最短の時間で発注、仕入れてきたものだ。
無論の事これらは金と権力にものを言わせての所業であり、前注文をおしのけたり、流用してもらうのも忘れなかった。
とはいえドレスに関して彼のした事といえば上質の絹地を手に入れたあと仕立て屋を呼びつけ、
『露出を極力ひかえめにした上で、流行のデザインを出来るだけ取り入れ、若い娘の心を華やがせるようなものを。とはいえ縫製や意匠には手を抜かず、あくまで将来のダルタヴィッラ家の若奥様にふさわしく品格をたもった仕上げに。ちなみに納入は明後日まで』
とほぼ難癖に等しい注文をつけて、
『さすがにダルタヴィッラ家の方のご注文は一味ちがいますな』と嫌味を言わせたくらいのものであった。
「でも出来ればご病床のシルヴィア様のお目につかない内に焼却処分してあげてください。お願いします。代わりに当家一同、一日も早くお元気な姿を見られることを心よりお待ち申し上げております、と」
本心からの謝罪の意味をこめて頭を下げると、淡緑の瞳の侍女も頭を下げ返してきた。
「お心づかいありがとうございます。きっと殿下も、公爵閣下やベルトテゼラン様をはじめとする公爵家の方々のお優しい心配りに感じ入ることでしょう。暑い中、お勤めご苦労様です」
「いえ、こちらこそ……ええと、お名前をうかがっても宜しいでしょうか?」
「アシャンと申します。以後お見知りおきを。ベルトテゼラン様」
天窓からふりそそぐ夏の陽光の下、淡緑の瞳の侍女は冬の陽射しのように透き通った笑顔でそう名乗った。
そしてその瞬間ベルトテゼランは――
「……ベルトテゼラン様?」
気づかわしげに名を呼ばれて、ベルトテゼランは我にかえった。
「あ、はい。そう………そうですね。アシャンさんと申されるのですか、そうですか、それは素敵な響きですね……あの大変ぶしつけな質問で申し訳ないのですが事によると、お国はカルハリアのほうで?」
「はい」
と微笑をふくんで答える侍女アシャンの表情には遠慮と、そして極々ほそい針のような痛みがあった。
「申し訳ありません」
ベルトテゼランは謝る。
おもわず謝ってベルトテゼランはあわてる。偽善者だと……いや頭のおかしい男だと思われただろうか?
案の定、相手は目を丸くしていた。
「おかしいですね、どうしてベルトテゼラン様が謝られるのですか?」
先ほどより明るい調子で侍女アシャンは表情をつくる。そこにいましがた見たと思った針のような痛みは消えていた。
こういう反応には慣れているのだろう。むしろベルトテゼランの心境をおもんばかっているようで、それがえって彼の胸を痛ませた。
「また妙なことをお聞きしますが先日、当家の主人がこちらにうかがった折に、その……なにか失礼な事を言われたりされたり、しませんでしたか? あ、いえ」
とベルトテゼランは手をあげて、恐らくは即座に否定しようとしただろう侍女アシャンを制す。
「答えは聞かずとも分かっております。重々承知しております。
一体どうお詫びもうしあげたら良いものか検討もつきませんが、もう二度とそのような不始末が起こらないようせいいっぱい勤めさせていただきますし、あのような不愉快な顔をお見せして本当に心の底から申し訳なく思っております。
主人ともども出来るだけこちらに伺うことを控えさせていただきますので、その、あの……」
糞。
馬鹿ヴァレリー。
何が絶望を知っている、だ。
何が戦場以外では久しぶりに見る、だ。
何が染まりきった、だ?
どこが、一体どこが醜いというのだ?
この目は、この目は、断じてそんなものではない。
確かに絶望は見たかもしれない。ひょっとしたら戦場にいたかもしれない。だがその目には染み一つはない。一点の曇りもない。ただれてなどいないし、染まってもいない。
ただ澄んでいる。
カルハリア戦役の虐殺者ヴァレーリオ・ダルタヴィッラの従者の自分を前に、たじろがないほどに強く、普通に話せるほどに優しく、気遣いを見せるほどに悲しい。
あのヴァレリーにしては珍しく人間観察で、完全に読み違えた。
この目は綺麗なものを、まだちゃんと綺麗に映せる目だ。
ベルトテゼランは居住まいをただし、やおら頭を下げた。
「こんな事をいえる筋でないという事も分かっております。何を言っても、どんな事をしてもそれは偽善で、はた迷惑な独りよがりで、完全なる自己満足で、許してくれとなどと頼める義理ではなく、ひっぱたいてくれた方がまだしも救われるようにも思うのですが、そもそも、こんな事を言っている事自体あなたのためではさらさらなく、ですから私のために言わせてください」
「あ、はい。どうぞ」
「主人はああ見えて悪人では……いえ、まごう事なき悪人ですが、好んでした事ではなく、いや自ら選んでそうしたのかもしれませんが、自らのなしてきた事を……悔やむことすらないかもしれませんが、本当にどうしようもない人間で、それはもう神に誓って救いようのない人間なのですが、それでも主人は、主人は、私にとって主人は……」
どうしようもなく言葉が足らず、見つからず、ベルトテゼランは無力感にかられて下げた頭のまま、うなだれた。
「……おっしゃりたい事はなんとなく分かります。顔をお上げください、ベルトテゼラン様。そうでないと、人に見られて何をしているのかと思われてしまいます」
顔を上げると侍女アシャンの口端には薄い微笑がたゆっていた。
「……ベルトテゼラン様は、カルハリア戦役には?」
「いえ。丁度あの時期に、恥ずかしながら落馬して足を折っていたので……ですがもし馬に乗れる状態にあったなら私もあの地にいたでしょう。主人の傍らで主人を守り、主人と同じ事をしていたでしょう。それだけは確かなことです。ですから……」
「あなた様が?……それはないでしょう」
その目はどこか儚く、夢見るように遠かった。触れれば溶けてしまいそうな白昼夢のように。
「私や主人を許して欲しいわけではないのです。けっして償いのつもりなどではないのです。ただもし私に何か出来る事があれば、あなたのために何かたった一つでもお役に立てることがあるならば、なんなりとお申し付けください。私の力のおよぶことであれば全力で奔走させていただきます。もとよりそれが職分ですので」
あわく淡緑の瞳の侍女は笑った。
「そうですね。では今回のシルヴィア殿下の縁談を白紙に戻してくださいますか? そして元の縁談がつつがなく執り行われるよう」
「は?」
ベルトテゼランは聞き返す。
それは噂くらいは流れていてもおかしくないが、元の縁談とはソフィア皇女と主人のか、それとも……?
「冗談です。ベルトテゼラン様があまりに必死なご様子なので、つい無理難題をふっかけたくなってしまいました」
と侍女アシャンは笑いの上に笑いをまとう。淡淡と幾重にもまとわれた笑いのベールは層を増すごとに、かえって透き通っていくようだった。
「確かありましたでしょう? 東の国にそういった話が」
良かった、とベルトテゼランは安堵する。元の彼女らしい笑顔だ。
それに最初より随分とくだけてきてくれたように思える。そう思った矢先、
「それに許されるとか許されないとか……そんな事はベルトテゼラン様のお決めになることではないと思います」
淡緑の瞳は一つ二つ瞬きして付け加える。
「もちろん私の決める事でもありません」
「……神が、ということですか?」
その単語を聞いたことが意外だとでもいう表情を見せて、侍女アシャンはただ一言「さあ、どうなのでしょう」とだけ呟いた。
その時だった。
ミャア、という鳴き声がベルトテゼランの懐からしたのは。
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