第十二章 それぞれの (8)
知らせを受けて居間から戻ってきた主人の表情はちょうど窓からのぞく夏の空のように晴れやかだった。
「良い知らせでしたか?」
主人は部屋を行きつ戻りつしながら、さきほどまでは使者との引見のために絞めれていた襟元に指をかけて崩す。
そうして長椅子に腰を下ろすと、噛み殺せない笑いに耐えるように額に手をやって天井を仰ぐ。
「ああ。とても良い知らせだった。これで結婚に向ける気がかりが一つ減った」
「どういう意味でしょうか?」
「私の姫君がまた一つ大人になったという事だよ」
それこそ、どういう意味だろうか? シルヴィア皇女は確かに来月には十七になるが。
「ベルトテゼラン、私の姫君に白百合を届けておいてくれ。今回はいつにましても上物の大輪を、両手で抱えきれないくらいに」
「白百合……ですか?」
とベルトテゼランは確認する。以前、主人が白磁宮におとない白百合を差し出した時の事の顛末を付き人であった彼は間近に見ていた。
花言葉が分からなくてもあれが一級の面当てだということは分かる。
「『紅あざみ』でなくて、よろしいのですか?」
「ああ白百合だ」
とラバウル公は長いすに体を沈ませたまま手を振った。
「ついでに純白の夏物のドレスも一着。これも夏物とは思えぬほど露出の控えたものを」
ベルトテゼランは溜息をついた。
「お気づきになってないとは言わせませんが、あの姫君があなた様の贈ったドレスを身に着けた姿を一度でも見た事がありますか?
聞けば姫君は、公が贈られるドレスを片端から侍女に払い下げているとか。白百合の花束にしたところで、あの分では目につくところに飾られることは一生ないと思いますが」
なのになぜこの男はこりもせずに、かえりみられない花や着られる事のないドレスを贈り続けるのだろう。精神的マゾヒストなのか。
「だからだよ」
と主人は満面の笑みをつくる。
「贈った花がよろこばれ、見立てたドレスが身につけられるようでは、まるで普通だ。まるでつまらない。
そんなもの花が枯れてしまいドレスが飽きられてしまえば心の片隅にも残りはしない。時がたつごとに新しいドレスやいま咲いている花に駆逐されていく。私の姫君にそんな安っぽい感動を贈れというのかね?」
つまりベルトテゼランを含める世の男たちは、その安っぽくも普通の感動で一喜一憂し、心の片隅にも残らない贈り物のために奔走しているわけか。
それでも、嫌がられてやまない贈り物よりは幾分かマシだろう。すげなく扱われるドレスや花がかわいそうだし、何より勿体ないではないか。
「そもそも私は彼女に、私の贈る花をめで、ドレスを身につけて欲しいと思っているわけではない。それを疎んじ捨てるくらい、自分の視界に入ることが絶対に許せないくらい、強く意識して欲しいんだよ。
知っているかい? 『嫌い』という感情は『好き』という感情よりもよほど強く、無視できないものなんだよ。博愛と恋愛はまるで似てないが、恋慕と憎悪は驚くほどそっくりだ」
つまり何か?
この男は相手に嫌がられることを百も承知で、否、嫌がられたい一心で、相手が深読みしそうな花やドレスを贈り続けていたと、そういうことか?
その上で、既につけている髪飾りの花をおしのけてまで、あの姫君の髪に白百合の花を挿そうとしたと?
脳裏にあの日の黒髪の皇女の姿を描き出す。
ずいぶん生き生きとした表情でこの男に痛烈な肘鉄をくらわせていた彼女は、その後、結婚の申し込みを受けた途端に顔色が変わり、傍目にも気の毒なほど狼狽し意気消沈していた。
きっと、よほどこの男と結婚するのが嫌なのだろう。無理もない。いや良く分かる。
「だいたい何であの姫君なんですか? 後ろ盾にしろ血筋にしろ容姿にしろ、あの姫君より条件のいい結婚相手はいくらだっていたじゃないですか?」
「君は最低でも一つだけ間違っている。シルヴィアは誰よりも美しい」
ベルトテゼランは真顔でそういう主人を無視して言葉を継いだ。
「聞けばソフィア皇女との縁談を蹴ってまで……そうまでしてあの姫君に固執した理由を是非あなたの口からお聞かせ願いたいですね」
シルヴィア皇女だってきっといい迷惑だと思ってるに違いないのだ。
そもそも皇女とはいえ母親が平民であり、しかも何かと噂の多いシルヴィア皇女と、ある意味皇家フォルトナートより血筋の正しいとも言えるダルタヴィッラ家とでは釣り合いがとれているとは言いがたい。不適当な言葉だが身分違いといった感が否めないのだ。
それも愛妾の忘れ形見という理由で皇帝に溺愛されているならともかく、どうやらその反対であるらしい。
こういう言い方は残酷だが、あの姫君の持つものはあまりに少なく、ダルタヴィッラの公爵夫人は荷がかちすぎる。それを分からぬ主人ではあるまいに……
「それはもちろん愛だよ」
「まるで笑えませんから、よしてください」
「あながち冗談ではないのだがね」と主人は立ち上がる。
そのまま軽い足取りまで露台のほうまで歩いていくと手摺に背を預け、まだ部屋の中にいるベルトテゼランに向き直った。
少し癖のある金の髪が、風に揺れてせわしなく、額と耳を隠し現しつしていた。
逆光の加減で表情がよく見えない。
「別に私だって、女をつかって出世競争や政争を勝ち抜くことが姑息だの間違っているだのとは思っていないし、まあもっと姑息で間違っている事をして来た自覚はあるしね。
ただ私の場合、何も娶る相手を妥協してまで、あくせくする必要もないというだけの話さ……それともう一つ。ひょっとして君も皆のように皇帝陛下がシルヴィアを疎んじていると思っているのかい?」
「あのなさりようではそう取られても仕方ないでしょう。シルヴィア皇女が陛下から許された特権は母君から譲り受けた白磁宮に住まうことのみ」
それも賃貸契約の間借り人のように、結婚までの期限付きで。
「それ以外の点ではいつも他の姉姫妹姫がたに差別されてきたじゃないですか。今度の十七の誕生日にしたところで公に祝うことも許されない。ちょうど今までと同じようにです。
公式の行事の際もあの姫君はいつも末席で……いくら母方の血筋が違うといってもあそこまで徹底すると示しをつけるというより単なるいじめですよ」
「それはどうかな」
と主人は薄青の瞳をくるくるさせた。
「陛下はイン・シァン妃だって白磁宮に隔離していたも同然じゃないか……だいたいシルヴィアのような立場にあるものを皇女として扱い、宮廷の風にさらすことが彼女にとって幸せだとでも思うのかい?」
「あ」
とベルトテゼランは声を上げた。
そういう見方は盲点だった。
つまり角度を変えてみれば、シルヴィア皇女は他の皇女と同等に扱われないことで、実は守られていた? それもこれもすべて不毛な宮廷争いから彼女を遠ざけるために?
「もちろん私は陛下じゃないから陛下の気持ちなんて分からないよ。本当にシルヴィアの事をうとんじていたとしても驚きはしないし、私の知る由のない事情があるのかもしれないし。
だいたい真実なんてものは期待するだけ、袖にされる事のほうが多いものさ。
ただここだけの話、シルヴィアがほんらい嫁ぐべき相手は、私ではなく、どこかの中流貴族の子弟だったんだ。政争争いとは無縁で、それなりの領地も持ってい て、婿殿も私と違って彼女に釣り合った年齢で、良い人間……つまり温厚で凡庸だったらしい。彼と結婚していたらシルヴィアも退屈で幸せな人生を送ることが出来たかもしれないね」
だんだんと話が読めてきた。
「そこにあなた様が横槍を入れた訳ですね」
「ご明察」
と主人はいたずらっこのように声を立てて笑った。夏の涼風にくぐもった笑い声が散らされていく。
「無理矢理、白紙に戻してやった。だって陛下は私がシルヴィアを狙っていたとご存知の上で、まだ幼いシルヴィアをそんな人間性以外にはなんの取り柄もないような、つまらない男の妻にしようとしたんだよ。まあ、あの頃は姫君もまだ幼すぎたから俗にいう白い結婚というヤツだろうけど、許せないじゃないか?」
許せないのは、どう考えてもお前のほうだろう。その人間性という取り柄も持ち合わせていないくせに。
頭痛を感じてベルトテゼランは眉間をおさえた。
いっそのことシルヴィア皇女にばらしてしまおうか? あなたの不幸の原因は全てこの男のせいです、と。
「シルヴィア皇女に同情したくなって来ました。どちらにしろあなた様は、あの姫君をではなく、あの姫君の母君が欲しかっただけでしょう?
母親を手に入れられなかったからといって娘を身代わりにしよう等という、節操なしで厚顔無恥もはなはだしい算段。私が女でしたらそのような男は絶対に願い下げですね。求婚なんかされた日には手に唾を吐きかけて返してやります」
とベルトテゼランは主人の反応を見た。
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