第十二章 それぞれの (3)
茶番?
そう、言われてみれば、これは確かに茶番だった。
シルヴィアが仕掛け、アシャンに強要した茶番。
シルヴィアが立ち直り、再び女装のカルハリア人を懐柔しようとする皇女にもどったという、またそれにアシャンが乗って見せるという茶番劇。
だが、どうしてその猿芝居はこんなにも楽なのだろう。演技を必要としないのだろう。
抱きつく事も、好きという事も、甘える事も、この相手であれば、いとも容易く出来てしまうのか?
ひょっとして自分はこのカルハリア人の少年に、ただそうして見たかったのだろうか? 抱きついてみたり、好きといったり、甘えたりすることを?
それならそれで好都合だとシルヴィアは結論をくだす。
この気持ちが本物であったとしたら、それは偽物でない分、効果的だということだ。
弱さも甘えも、この相手であれば隠すだけ無駄かもしれないし、隠すよりもむしろさらけ出して見せたほうが有利だと今日学んだ。
それは本物であればあるほど相手の同情と怒りを誘い、妥協と叱責を引き出し、まわりまわって結局はシルヴィアの糧となる。たった今そうなったように、この先もきっと。
そうすることでシルヴィアは彼が持っているものを残らず引きずり出し、吸収しつくすことができる。
「アシャン」
だからそのためにも、繰り返し相手の名前を呼ぼう。
何度も何度も心おもむくままに好きだと言って、無理にでも相手に同じ事を言わせて、いつか嘘を本当にしてしまおう。そうすることで彼が目的を諦めるとは思えないが、だからといってシルヴィアだって自分の目的を諦めはしないのだ。
肝心なときに感情に流されない楔があれば、それでいい。裏切らねばならぬ時に裏切る強さがあれば、それで十分だ。
だから、それまでは――
「ではその茶番に付き合ってくれたお礼を形にしてあげるわ。動かないでね、アシャン」
またか、と表情を曇らせる相手に、もったいつけてシルヴィアは向かい合い、濡れて重くなってきた浴布から腕を差し出した。
すこし身をよじって勢いをつける。
――バシン。
と予想よりも幾分か派手な音がした。
「これで今日のことは、犬に噛まれたとでも思って忘れてあげるわ」
これで全部すっきりした。
しかし悔しいかな、渾身の力をこめてひっぱたいたにも関わらず、その威力といえば相手の顔をわずかに傾けただけだった。
しかも、一体いつから飛んでくるものが平手だと気づいていたのか知らないが、アシャンの顔に驚きはない。真っ向から受けてくれた事に、礼を言うべきか嫌味を言うべきか迷うところだった。
結局シルヴィアは後者を選択した。
「殴られた方の頬にしなかっただけ感謝なさい」と。
■
アシャンが出て行った後も、シルヴィアは暫くその場に立ち尽くしていた。
長い一日だった。長湯だった。長い湯冷めでもあった。
そのせいだろうか。
体中が冷えて、なんだか頭がぼんやりする。少し前から感じている妙な倦怠感と吐き気と、そして痛み。押し倒されたときに体を打ちつけたのか、体中がじんじんと痛い。
胸の脇。腰。ももの外側。特に下腹部の痛みが顕著だ。内側からうずくように痛む。
そしてその痛みは加速度的にひどくなっていくようだ。
ずくん、ずくんと脈打つようなそれは、最初は鈍痛だったのに、いまや激痛に変わりつつあった。悪寒はひどくなる一方だというのに、背中をつたう汗はだらだらと留まるところを知らない。
さっと頭から血の気が引くような眩暈をかんじた時には、足から力が抜けてその場にへたり込んでいた。
両手をタイル地の床について体を起こそうと試みるが、ぜんぜん体が持ち上がらなかった。一体いつから自分の体はこんなに重くなったのだろう? それともこの腕が急に非力になったのか。さっき人の顔を張った報いだろうか?
とりとめのない思考のうちに手の感覚すら怪しくなってくる。体と意識がずれこむような感覚。視界がたわんだ。
「……ヴィア様…!…かがなされたのですか?……様っ!?」
耳元で何かを怒鳴られているが、その意味が理解できない。
肘に手をかけられてもちあげられ、体を上向かせられる。それがたまらなくうっとおしくて気持ち悪くて、今は放っておいて欲しいと思うのに、振り払うことも嫌だという事も出来ない。
覗き込んでくる人間の顔、顔、顔。
視界がぐらぐらと定まりなく揺れていて、知っている顔か知らない顔かも分からなかった。
「………!……!?」
「……!……」
「!!……」
歪む視界の中、痛みと吐き気と複数の人間の気配がごちゃごちゃになって――
シルヴィアは意識を手放した。
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