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(前話と同じシーンのリピートです)
暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第十一章 湯殿にて (6)


 どうしてこんな事になってしまったのか、利用するはずだった相手に自分が何を泣き喚いたのか、それを彼がどんな風に受け止めたのか、分からなかった。

 ただ一つはっきりと分かってしまったのは、この少年が自分に向けていた感情は最初から今まで一環していたという事だ。

 一体、何を勘違いしていたのだろう? 
 懐柔できるなどと、態度が軟化した、などと。
 ほんの少しでも、その心の憎しみ以外の部分に触れることができたと考えた自分はどれだけ馬鹿だったのだろう?

 愚かしい錯覚だった。取り返しがつかないくらい愚かしい錯覚だった。
 その錯覚はアシャンがシルヴィアに見せたものかもしれないし、シルヴィア自身が勝手に望んで見ていたものかもしれない。
 いずれにせよアシャンの中で自分が占める位置は、あの側付きにした日から何一つ変わらなかった。そう思い知らされた。
   
 彼が自分に浴びせかけた言葉は、あの泉の時と変わらずに憎悪に満ちていたけれども、あの夜よりもよほど冷静だった。その淡緑の瞳は終始一貫、物でも見るようにシルヴィアを見下ろして激情に我を忘れる事などなかった。
 組み伏せられ体を暴かれた時でさえ、それは変わらなかった。婚約者に抱きすくめられたときとはまるで違う。ぞっとするほど熱のない愛撫。

 服越しに接した肌からつたわってきたのは蔑意であり、触れてくる指がシルヴィアに教えたのは、彼が本当に心の底から自分を嫌っているという事だけだった。
 手首を抑えつける力は痣が残るほどに強く、扱われ方もとうてい優しいとは言いがたかったのに、それでも彼は静かだった。どこか深いところで冷めていた。

 想像していた、男が女を抱くときの熱情の滾りなど、どこにも存在してはいなかった。
 憎しみや怒りでさえ、その時は成りを潜めていたように思う。代わりにあったのは嫌悪だ。
 ぬぐいがたい、嫌悪。

 こうして体を重ねるのは復讐と目的のために他ならなく、本来なら触れるのもけがわらしいものに触れているのだと言われている気がした。
 彼のほうがよほど被害者で、自分はこれまで彼を汚してきた人間たちと何らかわる所はないと、同じように汚いと、同じように醜悪だと。
 汚されているのは、耐えているのはシルヴィアなどではなく。

 それを証拠に、皮膚の上をつたう唇は体のそこここに点々と立ち止まっていったが、ついにシルヴィアの唇に足を止めることはなかった。
 汚いものでも避けるように、求められなかった。
 あの、紅あざみの花をさらっていった時のように、アシャンはシルヴィアの唇を避けたのだ。


 「……ア、シャン」
 なぜ、こんなにも胸が痛むのだろう。
 「そんなに私が嫌いだった?」

 嫌われている。それ以上に憎まれている。そんな事とっくに分かっている。
 ならば、いまさらそんな質問をして何になるのか。

 だが嫌いだと、お前など愛する人間はいないと、その口から言ってもらえばきっと納得できる。今までの事も、これからの事も。
 それもこれも全部シルヴィア自身が招いたことであり、だからこれは因果応報で、被害者面をする資格などないのだと、このカルハリア人の口から聞かせてもらえれば、きっと受け入れられる。だから。

 「私は、お前にとってそんなに耐え難い人間だった? みなに嫌われて仕方のない主人だった?」

 誰も自分を嫌いだとは言ってくれなかった。母も父も、自分に頭を下げるもろもろの人間たちのうち誰一人。
 彼等の心はいつも、どこか抜きがたいところでシルヴィアを拒絶していたのに、それでも面と向かってそれを口にすることはなかったのだ。愛していると言ってもらえなくても、せめて嫌いだと言ってくれれば諦められたかもしれないのに。

 剥き出しの感情を、本心からの言葉を真っ向から自分に向けたのは、皮肉なことに自分を憎んでやまないこのカルハリア人の少年一人きりなのだ。

 「そうだな」
 ほら、こんな時であってさえ彼は自分を否定する。

 いつだって容赦なく、斬りつけるように鮮やかに。
 そうされることは胸が引き裂かれんばかりに痛く、と同時にわずかに救われたようにも思うのだった。


 
 母はいつも言っていた。
 『昔は』と。『私がお前くらいの頃は』と。だが話が『お前は』という風に転ぶことはなかった。
 彼女が目を細めてする話は、いつだって過去の追憶で占められていて、その話の中には皇帝もシルヴィアもいない。
 
 父は一言も言わなかった。
 だから幼いシルヴィアには分からなかった。自分を見る父の目がガラス玉のような理由を。自分が他の異母姉妹たちのように扱われない、その理由を。
 毎夜のように白磁宮に母をおとなう父は、ただシルヴィアの存在を黙殺した。

 あの頃、どうして言ってくれなかったのか? 『お前は自分の子供ではないからだ』とちゃんと言葉に出して説明してくれれば納得できた。『愛せない』と告白してくれれば馬鹿な期待などしなかったかもしれないのに。
  
 疑っているなら、すこしでも自分の子供ではないと疑っているなら、なぜシルヴィアの存在を許したのか。
 母の懐妊が分かった段階で堕胎させなかったのか、手に入れたばかりの愛妾の体に傷がつくことを恐れたというなら産まれた後だって良かった。
 流産として人知れず葬ることも、人手に流すことも出来たはずだ。

 なぜ皇女として育てたのか。白磁宮に、手元においたのか。そうしておいて尚、なぜ突き放したのか。
 答えは得られなかった。父親としても、皇帝としても、ガラス玉の瞳は何も答えてはくれなかった。
 だからシルヴィアにも分からない。自分が踊り子の娘なのか皇女なのか、それ以外の誰かなのか。

 「なら、どうすればよかった?」

 誰も教えてはくれなかった。
 自分がどんな人間で、自分のどんな所が嫌いで、それを直すためにはどうすればいいのか。どんな風に振舞うことを期待されているのか。そもそも期待などされているのか。
 ただ彼等はもの言いたげな視線で遠巻きにしていいるだけだ。問いかけても言葉を濁すばかり。

 そんなに自分が嫌いなら、どうして頭を下げるのか。裏で自分を『踊り子の娘』と呼んだその口で、どうして『皇女殿下』などとかしこまるのか。
 それを聞いても、おびえきって平伏するばかりで。問い詰めれば問い詰めるほど、その瞳は恐怖に萎縮していき、答えはしどろもどろになっていく。
 腹立ちまぎれに『もう二度とお前の顔など見たくない』と追い出した次の日には、彼女の姿はもう白磁宮のどこにもなく、残された侍女たちの脅えとも非難ともつかない視線がシルヴィアに自分が何をしたのかを理解させた。
 その日を境に、自分に仕える者たちの顔から笑いが消えた。

 「どうすれば嫌われなかった? どうすれば皆に尊敬される主人でいられた? どうすれば……愛してもらえた?」

 耳……顎の付け根の部分を相手の指がなぞったとき、また首を絞められるのだと思った。
 しかし、ゆるやかな指の動きは気管を圧迫することはなく、しばらくはただ耳や首筋の周りで規則的な反復動作を繰り返していた。 
 それが暴力のためのものではないと気づいたのは、頬に手が添えられ顔を仰向けにさせられてからだった。
 
 「なぜ、あのとき指輪を拾おうとした?」

 苛立ちと、そして狂おしいまでに切ない光を宿した淡緑の瞳があった。








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