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暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第八章 虚と実と (4)


 皇女が自分を侮っているのは分かっていた。
 だが、それはむしろ好都合と言える。

 あの女の目に自分が十五歳の少年として映っているのなら、それを利用してやればいい。

 くしくも目の前の男に言われたとおりだった。
 油断させて相手の懐にもぐりこむのは自分の常套手段。

 あの夜皇女に正体を見られて以来、調子を狂わされっぱなし、けちのつきっぱなしだったが本来自分とはそういう人間であったはずだ。

 何度となく、だました。裏切った。殺した。
 
 感じる心も、覚える感情も、きっと当の昔にまともではなくなっている。

 帝国でなくとも、仇でなくとも、いまさら目の前にぽっと現れた赤の他人に心を惑わされることなどありえない。



 「ありえない、ねぇ?」
 
 ふん、とヘザルは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。

 「ありえないなんて事、それこそありはしないさ。カルハリア滅亡からもう二年。好むと好まざると変わっていくものだ。国も、地図も、人の心も」

 大体、とヘザルは先刻の話題を蒸し返してきた。
  
 「ありえない割には、ずいぶんと庇っていたじゃないか? 黒髪の皇女を」

 「かばう? 俺は事実を述べたまでだ」

 「どうだかな。お前だって一応、男だろう? 本来なら見ることすらかなわない宮殿の奥深くで咲く花を間近にして、何も感じないという事があるか?」

 「馬鹿馬鹿しい。あんたと一緒にするな」

 「女として潜入しているお前のことだ。着替えを手伝う機会だってあるだろう。どうだ? 皇女の、いや異国女の肌の具合は? 真白というが実際どんな風に白い? 質感はどうだ? 指に吸い付くようだったか?」

 相手の目に浮かぶ卑猥な光が、自分を揺さぶるためのものと知りつつも不快感はぬぐえなかった。

 「お前もこっちに潜入して以来ずっと、ご無沙汰しているんだろう?」

 いい加減、分かっていた。

 この男は別に、アシャンが皇女に情を移したかなどと本気で疑っているわけではない。
 単につっかかる口実を探しているだけだ。

 「まさか耐えかねて押し倒したなんて事いわないよな。それとも案外くわえこまれたのはお前の方か?」

 「いい加減にしてくれ。さっきから私情を挟んで話しているのはあんたの方だ。俺を嫌うのは結構だが、いちいち低俗な方向にもっていかれては話すものも話せーー」

 突如として喉元を襲った手を避けようとするが、手中の花束が邪魔して一拍、遅れた。

 喉ごと背後の木にたたき付けられ、一瞬呼吸が止まった。
 赤くなった視界に他の色が戻ってくると、大写しになったヘザルの顔。

 「低俗、ね? こりゃ傑作だ。お前の口からそんな言葉を聞かされるとはね」

 ドンと木の幹に押し付けられ、利き腕の肩をつかまれた。関節部分に指が強く入り込み、圧迫される。
 バラの花束がアシャンの手からこぼれ落ち、足元に転がった。

 「だがまぁ、そうだな。お前みたいな奴にオスとしての本能が残っているわけもないか。女にしたところで抱かれた事はあっても抱いた事はない、ってな」

 喉を押さえていた手が上にずらされて、顎を持ち上げられた。
 正対させられる。

 「今でも覚えてるぜ。お前が始めて卿の前に現れたときのこと。綺麗なおべべに身を包んでな、公子がどうとか言って、立ち居振る舞いも一応は様になってやがったっけな。
 でもな、そんな風に上物の衣装を着こんで、せいいっぱい気取って見せても、やっぱりお前は見世物小屋の家畜以上には見えなかったよ」

 くつくつとヘザルは愉快そうに笑い、噛み付くように顔を寄せた。

 「お高く止まってんじゃねぇよ、淫売が」

 木の幹に縫いとめられたまま、アシャンは抵抗しなかった。

 一つに、体格と膂力りょりょくの差は歴然であり、それ以外の点でも決して自分が勝っているとはいえない男を相手に、闇雲な抵抗をしても無意味であるということ。

 二つ、ここで騒ぎを起こせば、人がやってくるかもしれないということ。

 三つ、そうである以上、この男の嗜虐心を無駄に満足させてやる義理はないということ。

 「なんだったら試してやってもいいんだぜ。お前が女としてどこまで使い物になるかどうか」

 やおらヘザルの顔が首筋に埋まり、強く歯を立てた。
 噛み付いたと言っていい。

 脊髄反射で身を引くが、肩をつかむ手に引き戻される。
 関節に食い込む指の力がさらに強くなり、これ以上負荷がかかれば外れると分かった。
 力を抜いた。

 ヘザルの唇はそこから付かず離れずアシャンの首筋を上にあがり、生ぬるい呼気で耳の稜線をなぞった。
 たまに歯をあてて反応を見る以外には、けっきょくはそれ以上噛みつくことなく正面に戻ってくる。
 獲物を前にした肉食獣さながらの鳶色の目が、アシャンを見下ろして笑う。 

 「嫌がるなり喜ぶなり、もう少し反応して見せろよ。面白味のない」

 ぐいと額を押さえつけられて仰向けにさせられると、相手の唇が降ってきた。

 つけるやいなや性急に唇を割って入ってくる舌の動きは、もはやアシャンの反応など度外視して口腔内を我が物顔にはいずりまわった。
 浅く抜いては、深く押し入る事をくりかえす蠕動運動。
 右に左に入り込み、ねじ伏せ、執拗にからみついてくる。

 蛇のようだ、とアシャンは思った。








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