第八章 虚と実と (2)
「まぁ驚いた。まさかあの皇女様が、この忙しい最中にお前に暇を与えるなんて。てっきり嫉妬のあまり婚約者との面会など到底お許しにならないと思っていたのに」
果たして嫉妬の対象は婚約者を持つアシャンか、それともアシャンの婚約者なのか、そのあたりを明確にせずに、侍女フィオラは言った。
フィオラは白磁宮に仕える侍女の中でも、アシャンと同年輩の年若い侍女である。
春の陽だまりのような柔らかい金髪に、澄んだ泉の水のような碧眼。
そう称される容姿は、なるほど皇宮の侍女の中でも指折りといわれるだけの事はある。
あどけなさの残る小作りの顔にぽってりと乗った小ぶりな唇。
青めがちな碧眼。それを縁取る長い金糸の睫。
十六歳のみずみずしい肢体は、過不足なく理想的な流線型をえがき、少女の初々しさと、香るような女の肉感との間で鬩ぎあって、危うい均衡を保っている。
じきに十七になるにもかかわらず、ともすれば痩せっぽちと形容されかねない七分咲きのシルヴィアに比べると、この侍女はさながら今が盛りと咲き誇る満開の花のようだった。
「でも皇女様も本当にお前がお気に入りよね。何かごとあればアシャン、アシャンと。まるで恋人か何かのよう。あの方そちらの気があるのかしら」
パニエラならば声を潜めていいそうなものだったが、フィオラは悪びれもせずに堂々としたものだ。
あるいは本当に悪いことを言っているとは思っていないのかも知れなかった。
「まぁおかげで私達は助かっているわけだけど……でもねアシャン、あそこまで皇女様がべったりになるのは、きっとお前が初めてよ。今までにもお気に入りはいたけれど、お前ほどじゃなかったもの。この分だと記録更新かもしれないわ」
記録更新……いったい何のだ。
しかし、なるほど。
はたから見ると皇女がアシャンに嫌味を言うのも、事あるごとに指名するのも、全てはお気に入りのゆえ、という事になるのか。
ふとアシャンは去り際の皇女を思い出す。
彼女は拍子抜けするほどあっさりとアシャンが抜けることを許した。婚約者について深く問いただされることもなかった。
その代わりに、シルヴィア皇女は部屋を辞そうとするアシャンの裾を引いて、こういったのだ。
行ってもいい。だが自分の皇帝への謁見には間に合うように戻ってきてくれ、と。
なぜ一人で行きたくないのだと聞いても、言葉を濁すばかりで。
すがるような目をしていた。
「−ーー……さんなら、その辺りを散策してらっしゃるはずよ」
フィオラの声に現実に引き戻される。
「あなたが皇女様のお相手からいつ解放されるか分からないと申し上げたら、ぜひ名高い白磁宮の庭園を見学して時間をつぶしたいとおっしゃって。なんでも『茂みが多いから久しぶりの再会には最高の場所でしょう』ですって」
そう言ってフィオラはころころと笑った。
「きさくな方ね、ヘザルさん」
どうやら自分の婚約者の名前はヘザルと言うらしかった。
「でもアシャン、あなたにもそういう相手がいたのね。少し意外だわ」
「……意外、ですか?」
アシャンは苦笑いを隠さなかった。
「別に変な意味ではないのよ。ただあなたが殿方に寄りそっている姿って、すこし想像しづらかったから……でもいいこと、アシャン」
そこでフィオラは流線型の眉を寄せて厳しい表情を作って見せた。
「いくら将来を誓い合った仲でも慎みを忘れては駄目よ。後で泣くのはいつだって女の方なのだから」
やはり苦笑いを浮かべるしかなかった。
「そうですね。ご心配いただき恐縮です。フィオラ様」
「様はつけなくていいのよ。確かにここでは私のほうが先輩だけれど年はお前の方が上、よね?」
実年齢はともかく、公けには侍女アシャンは十七歳という事になっている。
「ですが……」
だが生まれが、血統が違う。
フィオラに限らず皇宮ではたらく侍女は、中流階級以上の貴族の子女ばかりで占められている。ましてやアシャンは敗戦国カルハリアの出身でもあるのだ。
アシャンの無言の訴えが気に入らなかったのか、フィオラはさらに深く眉根を寄せた。
「ここでは私もあなたも同じ侍女だわ。それに女にとって身分など男次第でどうとでもなるものよ。踊り子が皇帝の寵姫になり、その娘がこの宮の主人になれるように、ね……それと、もう一つ。私……その、実はね」
くるくると百面相のようだった表情と声音が、心なしか緊張を帯びて硬くなる。
「はい。なんでしょう?」
「私、あなたとはずっとお友達になりたかったの」
言い終えて、フィオラはその名の通り花のような顔を上気させた。
「あなたってほら、素敵じゃない。こんな事いうのは変かもしれないけど私、以前からあなたに少し憧れていたのよ。皇女様がお前を独り占めにしたがる気持ちも……分からないではないの」
「……」
衛兵や侍従をはじめ男がまるでいないという訳ではないが、女性の比率が多い社会では同性愛じみた紐帯が産まれるものらしかった。
それとも彼女達は無意識のうちにアシャンの男の匂いを嗅ぎ取って惹かれているのか。
「だから、ね? お友達になってくれるかしら?」
馬鹿馬鹿しいとは思ったが、断れる話の流れでもない。
それに距離を縮めすぎるのは得策ではないが、好意を抱かれるのは決して悪いことではないはずだった。
「こちらこそ」
上目づかいで返答を待つフィオラを前に、アシャンは感に堪えた表情を作って見せる。
「喜んで。光栄です。フィオラ」
微笑むアシャンに名前を呼ばれて、フィオラは花が零れるように笑った。
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