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暗殺者と姫君
作:ばいばるす



第七章 髪には紅あざみを飾り (3)


 
 深く低頭し、アシャンは再び謝罪の言葉を口端に上らせた。
 「ご無礼の段、幾重にもお詫び申し上げます。どうか平にご容赦のほどを」

 ラバウル公は溜息をついた。
 「それで? よほどの要件なのだろうな」

 「さきほど出入りの布地商人が宮に参りましたので、こうしてシルヴィア殿下に、ご報告に上がった次第にございます」

 真面目な顔でそういうアシャンに、ラバウル公は両手を宙に放り上げて声を荒げた。

 「布地商人だって? そんなことでわざわざ? 頭は確かか?……馬鹿馬鹿しい。君は良識というものを母親の胎内に置き忘れてきたのか?」

 「以前に殿下がご注文なされた夏物の布地が織りあがったとの事です。殿下は非常にこの布地の出来上がりを楽しみにされていて、その際には何をおいてもお知らせに上がるようにといいつかっておりました」
 アシャンは臆面もななくそう言ってのけると、呆然とするシルヴィアを向いた。 
 「それとも、私の記憶ちがいだったでしょうか?」

 「あ、いえ……そうね、確かに私はお前にそう言ったわ」
 
 アシャンは再びラバウル公に一礼すると、その傍らを通り過ぎてシルヴィアの側に歩み寄った。膝まづき手を差し伸べる。

 「お立ちになれますか? 殿下。そのままではお召し物が汚れてしまいます」

 差し伸べられた手を取ろうとしてシルヴィアはためらった。自分の手が震えていると気付いたからだ。
 アシャンは構わずにその手を掴んで引っ張ると、シルヴィアを支え起こした。そのさい唇をよせシルヴィアの耳元にささやいた。

 「婚約者相手だと意外に受動的なんだな。俺の時とずいぶん違う」
 
 一体なんの……と聞き返しそうになって理解した。

 思わず相手の顔を見返した頃には、アシャンはすでに侍女の顔に戻っている。憎らしいほどに涼しい顔だ。一体いつから見ていたのか。

 そこに至ってはじめて、流されかけていた自分の醜態がつぶさに思い出され、シルヴィアは羞恥と屈辱に顔を赤らめた。
 くだらない感傷に流され、婚約者のいいようになっていた自分。果てには、よりにもよって一番弱味を見せてはならないはずのアシャンに救わるという体たらく。なんという様だ。
 悔恨に身を焼きながら、そこでシルヴィアは今更ながらに思い当たったのだった。

 アシャンに助けられた。だが、それならば何故アシャンはシルヴィアを助けたのだろう?

 いや、質問の焦点が違う。
 そもそもの話、最初から二人の様子をうかがっていなければ、あの間合いで介入することは不可能なはずだ。
 シルヴィアを見張っていたのか? 確かにそれもあるだろう。だがシルヴィアをというよりはむしろ……
 
 シルヴィアはアシャンの様子をうかがう。そして気付いたのだった。
 水を打ったような無表情に反して、自分を支えるアシャンの手こそが、ひどく強張り震えていることに。


   ■   ■   ■


 
 
 「見かけない顔だな、新入りの侍女か?」
 ラバウル公は言った。

 「はい、先月入ったばかりの新参者にございます。シルヴィア殿下の身の回りのお世話をさせていただいております」

 「名前は……アシャンだったか? どこから来た?」

 「帝国東北部、ルーヴァ暫定直轄領……いえ、旧カルハリアと言った方が通りがいいでしょうか?」

 そう言ってアシャンは上目遣いに相手の様子を窺う。その表情のどんな変化も見逃すまいと。

 「それはそれは……」
 ラバウル公は考え込む素振りを見せた。
 「言いにくいことだが、実は私もあの国とは少しばかり縁があってね。機会があって、しばらくあの地に逗留していた事もある――」

 「存じ上げております」

 相手の言葉の上に押しかぶせるように言った。一介の侍女が皇族に向けるものとしては少々、高圧的にすぎたかもしれない。

 「閣下は、カルハリア戦役において第二方面軍の副指令官として参戦なされておりました。公都陥落にも尽力をつくされ獅子奮迅の働きだったとか。そこで立てた華々しい武勲の数々、私のような者の耳にも届いております」

 戦場で姿をお見かけした事もございます――そう喉元まででかかった。
 
 あの時はそれが誰なのか分からなかった。あれから公都陥落に関わった主だった顔ぶれの履歴には一通り眼をとおしたが、残念ながら名簿に似顔絵は載っていない。特定するまでにはいかなかった。
 将軍格であるかもしれないとは思っていたが、そうか。皇族だったとは…


 「武勲、か」
 ラバウル公は自嘲気味に笑った。
 「たてたのは私ではないよ。私の部下だ。公都陥落戦の時も私は後方支援に回されてね。獅子奮迅の働きなどしたくも出来なかった」

 カルハリア出身の侍女に慮っているのか、どこか歯切れが悪い。困ったような顔は、つい今しがたアシャンに色事を邪魔された事も忘れかけているようだ。
 屈託のない笑顔だった。そのままの表情だけ見れば、良い人間だと錯覚してしまいそうなほどに。
 だが一体、あの惨劇の夜を演出した者が浮かべる、屈託のない笑顔とは何なのか?
 アシャンにとって、ラバウル公の爽やかな微笑は唾棄すべき奇形として映る。


「有能な部下に恵まれてね。私の立てたとされている功績のほとんどは、彼等にゆずってもらったものなのだよ」

 だが――アシャンはシルヴィアを支えていない方の手を握り締める。
 だがそれでもお前はあの夜、他の誰にもひけをとらぬ戦功をたてたのだ。たとえ誰も、お前自身ですら気付いていなかろうと。

 「そこで悟ったわけだ」
 ラバウル公は神妙な顔をつくって見せた。
 「私は戦に向いていない、とね」

 アシャンは握り締めた拳を強くする。爪が掌に食い込み、その痛みで冷静さを取り戻せるよう祈りながら。

 「もともと好きで参戦した戦でもない。陛下に出陣を命ぜられてね、嫌とは言えなかったんだよ」

 「自ら望んで戦ったいくさではなかったと……?」

 「戦った? 後方支援に戦う機会などそうそうないよ。大体あれを戦ったと言えるのかどうか……」

 アシャンは目を閉じる。

 胸の裡に固まって動かない夜の記憶があった。
 それは鉄と血と炎に彩られた記憶だ。
 悲鳴と怒号、間断のないすすり泣きに断続的な断末魔の叫び声。ありとあらゆる種類の叫喚は、城塞の外に出、郊外にあっても止む事はないようだった。
 おびただしい血が石畳の溝に細流をつくり、人々は屍の上を跨いで歩いている。四方にたなびく黒煙。吹き付ける熱風。火の粉が舞い散り、人肉の脂が焦げる臭いで大気は重くべとついていた。 
 アシャンはその記憶の中に立ち、その空気を肺に取り込み、自分の体の隅々にまでいきわたらせる。
 そうして目を開くと、あらためて自分の前に立つ男の顔を見据えた。

 「しかし後方支援がなければ軍は成り立ちません。誇るべき重責だと思います。糧秣を確保し自軍の後背を守り、そして敵軍の退路を断つ。カルハリア公都陥落戦においてそれは―――」

 「逃げ出す市民の虐殺を意味した」

 アシャンは虚をつかれて相手を見返した。ラバウル公は何とも言えぬ微笑を浮かべて視線を落とす。

 「だから言ったんだよ、私に戦は向いてないってね」

 何かを言い返そうとして口を開くが、言葉が出てこなかった。握り締めた拳にばかり力がこもる。

 「まぁ君も色々と思うところもあるだろうけれど、それを呑んで強く生きていくことだ。カルハリアもようやく落ち着いてきた事だ。恨もうと悔やもうと過去は過去でしかない。未来に目を向けなければ」

  アシャンは視線を落とし顔を伏せる。

 ――未来。

 ではその未来を奪ったのは誰か。カルハリアの『未来』を、アシャンの生の指針を鼻先でかすめとり、踏みにじったのは誰なのか。
 
 (自分が戦に不向きだと? ふざけるな)

 お前は殺した。たくさん殺したではないか?
 今と同じその涼しい顔で。
 命請いにも耳をかたむけず、断末魔の叫びにも眉一つ動かさず、淡々と殺していったではないか?
 男を、女を、子供を、そして――

 握り締めた拳の中爪が食い込んで、皮膚を裂いた。

 お前は何人殺した? 五人か? 十人か、百人か? いや、そんなものじゃ到底きかないだろう。
 答えろ。一軍の将としてあの場所にいたお前は、一体どれだけの死をカルハリア人に強いた? どれだけの土地を焼き、どれだけの血を流し、どれだけの希望をその手で摘み取った?
 何もかも、かなぐり捨てて叫びだしたい衝動に、アシャンは奥歯を砕けんばかりに噛み締めた。

 (そのお前がさかしらに『過去は過去』などと語るのか? 『未来』を口にするのか? 
 お前は俺から全てを奪った。国も両親も、たった一つ残された生きていく理由さえも。残らず奪い取っていった。お前が、お前が――)

 皮膚を裂いて食い込んだ爪が、血を流し掌の内をぬからせたが、もう痛みは感じられなかった。

 (――お前が“アイン公子”を殺した)

 アシャンはシルヴィアの手を放し、伏せた頭をゆらりと上げる。視線がラバウル公の腰に向かうのを止められなかった。

 シルヴィアの住む白磁宮では、身分が上位に当たるラバウル公は佩刀を許されている。
 刃を潰した、ただの儀礼用のものかもしれない。だがたとえお飾りの剣あったとしても、刺突で喉を一突きにすれば人は死ぬ。

 視線をわずか上方にあげ、ラバウル公の顔に固定する。
 三歩の距離。注意はアシャンの表情に向けられ、佩刀した右腰が開いている。

 (――俺に『未来』などない。それは当の昔にお前が壊したものだ)

アシャンは握り締めていた拳を開いて、間合いをうかがう。
 血がしたたって指の間をすべり落ちていったが、痛みも熱も消えうせいて、もう何も感じることはなかった。



 







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