第五章 しんしんと音もなく (2)
扉が閉まる音と共に、シルヴィアの中の何かが瓦解した。
心を縛っていた緊張が一気に解け、体の力が抜ける。脚がふらついて、シルヴィアは糸の切れた人形のように、その場にひざまづいた。
両手をこわごわと顔の前に開くと、指が意志の力とは無関係に震えていた。
それを掌ごと握りつぶしても、今度は拳が震えだす。カチカチとかみ合わない歯の根を力の限りかみ締めてみても、体の芯まで凍えるような悪寒はおさまらない。
シルヴィアは両腕をまわして自分の体を強く抱きしめた。
――自分は上手くやれただろうか?
アシャンを、あの憎しみに滾った目で自分を見据えた少年を、納得させる事が出来ただろうか? 上手く取引を持ちかけられただろうか? 利用するに足る相手だと認識させる事が出来ただろうか?
(出来たわ。だって私はまだ生きている)
シルヴィアは震えに定まらない手を喉元にやった。
つい先刻まで、そこには自分を殺そうとする短剣の刃があった。自分を憎む者の指がかかっていた。いまでも、その時の感覚が残っていて思い返すだけで皮膚が粟立つ。
知らなかった。
即物的な暴力の行使とは、あれほどまで明確に彼我の力関係を知らしめるものなのか。
首を振っても、爪を立てても、自分の口を塞ぐ手は小揺るぎもしなかった。全身の力で相手を跳ね除けようとしたのに、拘束はびくともしなかった。
腕も、脚も、首も、この体全部で覚えている。暴力の下に組み伏せられる恐怖。力に屈服することへの屈辱。
皮膚を通して体に刻み付けられた感覚は、そう簡単に忘れられるものではない。
(アシャンは始め、私を殺す気だった。でも途中でそれ以外の事に囚われた)
最初に向けられた冷ややかな殺意は、相手がシルヴィアだと分かってから感情に揺らいだ。そこから染み出した敵意は、侮蔑の形を取り、憤怒に染め上げられ、憎悪の塊となってシルヴィアに降り注いだ。
淡々と語っているようでいて、シルヴィアに向けられた舌鋒は冷静とは程遠かった。彼自身、己の感情をもてあましているようにさえ見えた。
捕らえた鼠を猫が嬲るように、短剣をおさめ、シルヴィアの喉を締めた手。
段階的に込められていった力。怖気脱つような冷静な力加減と、剥き出しの嗜虐心。
それこそがシルヴィアに立ち直る気力と時間、付け入る隙を与えたのだとはいえ、産まれて始めて真っ向から向けられた悪意は、容易には心の中から、ぬぐい去れなかった。
耳の中で、まだ少年の放った声の残響が尾を引いて残っている。
――絞め殺してやりたいのを我慢するのに必死な毎日でしたよ
そう言った声を震わせた憎悪、怨恨、嗜虐…ああいうのを復讐心とでも呼ぶのか。
カルハリア人が帝国の民に、いや、帝国の支配階級に向ける感情としては、多分ありふれた部類に入るのだろう。
だがそのありふれた感情は、確実にシルヴィアの心に押入り、その内部をかき乱した。
なぜ自分が責められねばならないのか、不当であるとすら感じた。この帝都の中枢にあって尚、『異国の踊り子の娘よ』と後ろ指を指され続ける自分が、一体なぜ帝国の皇女として裁かれなければならないのだと。
相手に向かって叫び出したかった。
自分がカルハリアを侵略した訳ではない。仮に反対したとして、一体自分に何が出来たというのか。
自分は確かに皇女だろう。責任を担うべき皇族だろう。
だが一介の庶子であり、女である自分に、一体どんな権限があったというのだ。
それとも無駄を承知で闇雲に声を上げれば良かったのか。
カルハリア人が可哀想だから侵攻はやめろ、と父帝に訴えればそれでカルハリア人の気持ちが幾ばくかなりとでも救われたと言うのか。
そもそもの話、侵略側の人間、『帝国の皇女』であるところの自分が、一体全体どうして滅びゆく一小国のために涙できるというのだ?
帝国の支配を受け入れている国など、主権を放棄されられた国など、いくらでもある……確かにカルハリア侵攻に関して武力行使が必要以上に凄惨な形を取ったことは事実だ。
だが軍隊とは戦争とは元来そうした側面を持つものではないのか?
殺戮も略奪も、戦の副産物であって目的ではない。帝国にした所で、カルハリアを潰す目的で潰したわけではない。カルハリア人を苦しめる目的で苦しめたわけではない。
確かに一般市民に対する略奪や殺戮は、道徳政策の両面から控えるべき愚行だ。だが、それを避けるべく軍規の徹底と兵站の万全を期するまで待たなければ戦争してはいけないという理想論が通用するような世界なら、最初からアシャンのような人間など存在しなくて済んだ筈ではないのか?
国家とは、その構成員とそれによって構成される共同体を存続させるための機関だ。ゆえにその設計上、自国民の命と富を守る義務は負っても、原則的に他国の人間に関しては何の責任も負わない。
いやむしろ、結果として国を豊かにする事に繋がるならば、他国を侵略するという行為は完全に正当化されるのではないか?
手段を選んだ挙句、民を飢えさせる王よりは、外ではどんな残虐非道を尽くしても国内に富を運んでくる王。民衆にとって、どちらが望ましい王であるかは明らかだ。
むろん、これは極論だ。
戦争とは必ずしも費用対効果が合うものではないし、国家間の協調は結果的に自国の利益に繋がることの方が多い。被支配国や敗残兵に寛容になることも必要だ。
だがその判断は、決して人道主義や博愛精神に根ざすものではないし、またそうであるべきではない。純粋な道徳を求めるならば教会の扉を叩いた方がまだしも確実というものだ。
感情論で国家力学は動かない。
だがもし、その中でことさらに道徳論を取り上げるというのなら、罪だけではなく功も取り上げるべきだ。
強大な帝国による一極統治という構図は、曲がりなりにも総体としての平和をこの大陸にもたらしているではないか。だとすれば、その平和は、カルハリアで失われた人命以上の数の人間を、結果的には救っているはずではないのか?
そもそも侵略した国は悪くて侵略を許した国は一切悪くないのか?
帝国には元々、カルハリアのような小国を支配下に置かなければならない積極的な理由はなかった。
全ては、亡命した帝国の貴族をカルハリアが受け入れた事に端を発する。
懐に飛びこんできた窮鳥を殺す事を偲びなく思ったのか、外交カードとして利用できると思ったのか、カルハリアが亡命者受け入れに踏み切った理由は定かではない。いずれにせよ、この決定は、多いに帝国を刺激した。
なお悪いのは、このカルハリアの行為を東の大国ナーガが支持したために、事は単純な亡命貴族の引渡しの問題から、二大国間の国家力学の問題に発展してしまったことだ。
帝国とナーガ、双国の間に存在する緩衝地帯の国々は、文字どおり二大国の対立の狭間で、宗旨を明確にすることを迫られた。ありていに言えば、お前はどっちの国につくのか、と両国から突き上げをくったのだ。
そのうち、その混乱は帝国の同盟国、服属国の間にも飛び火し、勇み足で帝国に反旗をひるがえす国も出はじめた。
その渦中にあって帝国は、国内の反乱を治め、また国境警備をかためるために、四方八方に軍を配備せざるをえなくなった。
帝国の軍は各地に分散され、手薄になった国境線では一触即発の状態が続き、一時は『帝国崩壊の危機か』という声さえ、もれ聞こえた。
幸いというべきか、結局すべての原因である帝国の貴族が亡命先のカルハリアで死亡し、ナーガも拠ってたつべき論拠をうしない、事態は一応の収束をみた。
だが帝国は、事後処理の一環として、全ての発端となったカルハリアに対して何らかの措置をとる必要性があると判断した。
この空騒ぎでヒビの入った帝国の威信を回復し、曖昧な態度を見せた内外国に対する牽制の意味合いも兼ねていたのか。
そう、『見せしめ』と呼んで差し支えないだろう。それが二年前のカルハリア戦役と呼ばれる武力行使に繋がり、一つの小国を地図の上から消し去った理由だ。
それを必要悪というか、許すべからざる非道というかは人の勝手だ。
だが覚えておくべきは、帝国に武力介入の理由を与え、大陸を混乱に陥れた切っかけは、他でもないカルハリアにあるということだ。
自国を戦場にする覚悟がなかったのなら、何の成算もなく大国の意に背くような真似をするべきではなかった。
いやその後でも、再三にわたる亡命貴族の引渡し要請に応じる機会はいくらでもあったはずだ。だがカルハリアは応じるべき時にそれに応じなかった。
カルハリアは他国の亡命貴族をかくまい、その結果、自国の民を戦火にさらした。
それはある意味、帝国兵がカルハリア人に対しておこなった残虐非道な行為以上の罪ではないのか?
そうだ。
シルヴィアは脳裏に焼きついた、突き刺すような淡緑の瞳を見かえして、言う。
恨むなら判断を誤った自分たちの指導者を恨め。
呪うと言うのなら、侵略を許した自国の甘さをこそ呪うがいい。
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