序 全ての始まりの話から (1)
十三年という歳月を過ごしてきた城は、いまや屠殺場と化していた。
悲鳴と喚声が城壁の内側を満たし、部屋という部屋の扉は全て開け放たれ、豪奢な絨毯のことごとくは土足に踏みにじられた。
野蛮で血に餓えた侵略者達の前にあって、価値のあるものの内、一つとして略奪をまぬがれる物はないように思われた。
どれだけ、そうしていた事だろう。
時間の感覚など当の昔に麻痺していた。重みに耐えかねてサイエンは自分の上に覆い被さる体の下から、はいずりでた。
痺れた足を押して夢遊病者のように、ふらふらと立ち上がったサイエンは、足下に転がる二つの体に目を向けた。
一つは、これまで自分の上にのっかっていたもの、もう一つは最初の体を庇うような格好で血塗れの床に伏している。
右手に抜き身の剣を握ったまま体は固まり、その顔に触れても人肌の温もりは感じられなった。
暖かくはなく、かといって冷たいというほどでもない生温い体を前にサイエンはしばらく、ぼんやりとしていた。
ややあって、それが今夜見る何体目かの死体なのだと気付く。
だが、いったい誰の?
その問いの答えを得た瞬間、今夜という記憶のすべてが一度にサイエンに戻り、一度は立ち上がったはずの彼は再びその場にくずれ落ちた。
記憶と一緒に部屋に立ち込める、濃密な血の臭気も戻ってくる。
口腔に膨れ上がる金錆びた味も、背筋にべったりとはりつい汗も、頭の中で鐘が衝きまわされているような頭痛も、全てがもどってくる。
下卑た笑い声。
自分達に『逃げろ』と叫び、侵入者に斬りかかっていった誰か。
しかしあまりにも呆気なく、一太刀の元に自分達を守ろうとした男は床に沈んだ。
その断末魔の悲鳴に兵士達は笑声をどっと沸きあがらせ、残された自分達に向き直った。
凍りついた心臓に、叫びだしたい衝動に、うち勝たねばならなった。視線は活路を求めて部屋の中をさまよい、手は武器を求めて背後の卓子の上をまさぐる。
守らなければならない人がいた。
すぐ隣に。
たとえ武器の一つも持たぬ空手であろうとも、自分こそが彼女を背に庇わねばならぬはずだった。
――サイエン
しかし核心の瞬間、立場は逆になった。
、
彼女は己の体ごと、自分を床に押し倒した。
もがき出ようとする自分を、その体をもって封じ自分の耳に唇を押したてこう囁いた。
――――じっとしていなさい。
どす、という異音と共に肉が切り裂かれる感覚が、直に接した肌から伝わってきた。
自分を抱きしめ、覆いかぶさる体が一瞬、大きく強張り、反った。
ぬるり、とつたう血の感触。
耳元の荒い呼吸。
じょじょに緩くなり、か細くなっていく。
呼吸も心音も体温も、永遠とも言える時間をかけて残酷なほどにゆっくりと消えていった。
凶暴なほどに荒れ狂う心臓を押して、もう一度サイエンは自分の隣に横たわる二つの死体を確認した。
「…母さん、父さん」
悲鳴とも嗚咽ともつかぬものが喉元を、せり上がってくる。
――声を出してはいけない
サイエンは咄嗟に口を両手でふさぎ、体を丸めた。
胃酸の臭いが口腔にわき上がり口をこじあけようと迫るが彼はそれを無理矢理、吐瀉物ごと呑み込み、飲み下した。
二度三度と肩が己の意志とは無関係に飛び跳ねる。
こめかみの当たりが酸欠でぎゅっと痛くなり視界が涙で滲んだ。
「…はっ、はっ」
ようやく口を解放し、押さえた呼気で空気を吸い込むと少し楽になった。
――静かに。サイエン、声を出してはいけない。
耳によみがえる母の声。
自分をかばい、斬られ、自分の体の上でゆっくりと死んでいった母の息づかいと声音が、そのまま再生される。
――じっと、していないさい。じっとして静かになったら、ここを出て、そして公子を、
「公子を見つけなさい」
低く小さく、サイエンは母のいまわの際の言葉をそのままに口に上らせてみた。
「アイン公子を――」
サイエンは繰り返す。
暗示のように、祈りのように。
ちょうど母が息のある間中、何度でも自分に繰り返したのと同じように、一字一句違わず。
何度でも。
自分の中にそれを浸透させ、根付かせ、たった一つ取り残された己の命の指針となすために。
「アイン公子を守りなさい。お前の命に代えても」
昨日までの全てが跡形もなく崩れ去り見るも無残に変わりはてた世界の中で、もういちど立ち上がり動き出すためには、それが必要だった。
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