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王太子とダジャレ侍女 作者:菜宮 雪
7/10

7.求婚

「どうか、私の妃になってくれ。今、そなたと踊ってみて、私はそなたへの気持ちがさらに強くなった」
 アンジェリンはすぐに返答できずにいた。

「いやか?」
「いやとかではなくて……あのっ、……私は釣り合う身分ではありません。お考え直しくださいませ。駄洒落ならば、これまで通り言いに伺いますから」
「それではだめなのだ。この部屋で私がそなたと親しげに話をしていることが父上の耳に入れば、おそらく、そなたは侍従長ともども城を追われる。そうなる前に、きちんと公にしたい。そなたが侍女としてではなく、私の婚約者として堂々とここに出入りできるようにする」

 彼は冗談を言っているとは思えず、まじめそのもの。アンジェリンは汗がじわじわと全身から噴き出してくるのを感じていた。
「殿下、幸せなお言葉、ありがとうございます。ですが、それは無理なことでございます。私は駄洒落だけが取り柄のどうしようもない平民出の女で、王太子妃の器ではありません」
「王太子妃が務まるかどうかなどは、そんなことはやってみないとわからない。私だって、将来国王が務まるかどうかの自信などないのだ。それでもなってしまえば、精一杯やるだけだ。歴代の王も王妃も、皆、そういうものだと思う」
「仰せのとおりかもしれないですが、私にはとてもそんな。もっとふさわしい方がいらっしゃると思います。殿下のお相手はすでに――」
 フェールはアンジェリンの言葉をさえぎった。
「誰か好きな相手でもいるのか? 将来を約束するような」

 問い詰めるようなフェールの口調。ごまかしは許されない。
「いいえ」
「そなたに交際を申し込んだ男は今までにいたか?」
「そういう方はいましたが、きちんと交際したことは一度もありません」
「その相手はこの城の者か」
「はい」
「誰だ」
 アンジェリンは困ってしまった。付き合っているわけでもないのにうっかり名前を出してしまったら、相手に迷惑がかかってしまう。

 フェールは、言いにくそうなアンジェリンの様子を察してくれたのか、質問を変えてくれた。
「では、その者の他に、そなたに縁談は来ていないのか」
「ないです」
「ならば、そなたには決まった相手はいないと思ってよいのだな? 私をしっかり見ろ」
「申し訳ありません。見おろすことが失礼な気がしました」
「そなたは私のことはどう思っているのだ」

 アンジェリンは唇の震えを必死で抑えた。
「殿下はきちんとご公務をこなされ、次王にふさわしい素晴らしいお方だと思っております」
 手はまだ捕まっており、王子は膝をついたまま。
「私はそのようなうわべの言葉が聞きたいのではない。そなたが私を男としてどう思っているのかを知りたいのだ」
「そ……そのような目で見ることも畏れおおくて……」
 アンジェリンは自分の舌がからからに乾いてきたのを感じた。これはとんでもないことだ。結婚相手が決まっている王太子殿下が自分に求婚している。侍女長のマリラがよく言っている言葉がぴったり当てはまると思った。
 ――『あってはならないことですよ!』

 マリラの言葉を借りた。
「こんな私にとっては……このようなことは、あってはならないことでございまして……」
「私を男だと思ったことはないと?」
 フェールは言葉にいらだちを隠さないまま立ち上がると、つかんだままのアンジェリンの手をグイと引き、有無を言わせず肩を抱き寄せると、いきなり顔を寄せ、アッ、という間もなく。

「っ!」
 触れ合った唇はしばらくの間、重なり合っていた。フェールは、アンジェリンの後頭部に手を回して唇をさらに密着させ、もう一方の手で腰をギュッと抱き寄せた。

 長い接吻が終わると、フェールはアンジェリンの耳元に唇を押し付け、高まりを抑えるように熱い息を吐き出した。
「そなたを……誰にも渡したくない」
「……殿下」
「乱暴で驚いたか? 男は皆、こういうことをする。唇を奪うだけでなく、その服を引きむしろうとする者もいるはずだ。そなたは目に付きすぎる。他の男がどういう目でそなたを見ているか、もっと考えるべきだ。交際を申し込んだ男だって同じ思いでいることだろう」
「あ、あ、あの、申し訳ありません。お許しくださいませ」
 アンジェリンはもうどうしていいかわからず、こみあげるわけのわからない感情に両眼から涙がドッとあふれ出てしまった。口づけの熱はまだ収まらず、耳まで真っ赤になっていることは自覚している。

「そなたはわかっていないのだ。重い前髪の下にある緑の大きな瞳が、どれほど男を魅了するか。美しいのは瞳だけではない。このサラサラした癖のないきれいな髪も、笑うとできるえくぼも、常にひかえめな態度も好ましい。それに加え、おかしな駄洒落を吐く大きすぎないかわいい口。そなたのすべてが好きだ」
「私のようないやしい者に……っ……そのようなおやさしい言葉をかけてはいけません」
 フェールはアンジェリンの髪をやさしくの髪を撫でた。その手がここちよくて、よけいに泣けてくる。
「アンジェリン、私にはそなたが必要だ。ずっとそばにいてほしい。そなたの真の両親は平民ということでも、そなたは廃貴族の養女。廃貴族は元は貴族だった者たちのことだから、そなたが思っているほどいやしい存在ではないぞ」

 身分のない女性が恋愛で高貴な家に嫁ぐ場合、婚礼前に名のある貴族の養女になり、世間体を整える、ということは実際にある。貴族の血よりも大事なのは体裁だ。

「ですが、殿下、私は、本当に、いやしい出自で……身分ある方に望まれてはいけない存在なのです」
「もしかして、そなたは、私と一緒にいることが苦痛だったのか? そなたはいつも楽しそうに駄洒落を言うから、そなたは私に気があると勘違いしてしまった、ということか?」
「いえ……それは……そうではなく……」
 ――私も楽しいと思っていました。殿下の笑顔が拝見したくて。
 彼はアンジェリンの頭を何度も撫で、すすり泣くアンジェリンの気持ちを静めようとしてくれる。その手のやさしさが悲しい。

 いつまでも泣きやまないアンジェリンに、フェールはあきらめたようにアンジェリンを離して、一歩下がった。
「私以外の男と気安く話をするな。そなたが他の男と話をしていると思うだけで、私は耐えがたい苦痛に襲われる。そなたが誰かに取られてしまいそうな不安で、子供のように大声で暴れ叫びたくなる。よいか、他の男からの求婚は絶対に受けるな」
 フェールは再びアンジェリンに手を伸ばし、顎に指先をかけると、今度はやさしく、撫でるように唇を触れ合わせた。
「……っ……殿下……いけません」
「何がいけないのだ。そなたは私のものだ」
 ――下品な私にやさしくしないでください。あなた様にはすばらしいお相手がいらっしゃるじゃないですか。
 心の叫びは涙になってボロボロこぼれ落ちた。
「悪かった。乱暴に扱うつもりはなかった。今日は下がってよいぞ」

 アンジェリンは、涙を指でぬぐうと、頭を下げ、扉へ向かって歩き出した。その背にフェールが追い打ちをかけた。
「私は本気だ。皆に反対されようとも、必ずそなたを妃に迎える」


 王太子の部屋を出たアンジェリンは、一階の最奥にある侍女たちの控室へ駆け込んだ。
 幾つもの二段寝台が並ぶ狭い侍女専用宿泊部屋には、今夜が夜勤の侍女が他にもいたが、アンジェリンは彼女たちの前を早足で素通りして空いている寝台へ飛び込み、枕に顔をうずめた。
 ――殿下。
 こらえきれない嗚咽に、口を必死で押さえる。涙が止まらない。フェールの琥珀色の瞳はアンジェリンの心まで貫き、あのまま身をまかせてしまいたい衝動を悟られないようにすることがとてもつらかった。
 ――私なんかがお相手になれるはずもないのに。

 フェールが触れてくれた肩。腰。つないだ手。そして触れ合った唇。すべてが熱を持ち、身も心もせつなく疼く。ダンスの稽古で密着した時の体のぬくもりと至近距離で感じた彼の呼吸。普通ならば話すどころか、顔を近くで見ることすらできないほど高貴な人。偽りのない心からの求婚だった。真直ぐすぎた琥珀の瞳は濁りなく澄んで美しく。
 初めて駄洒落を披露した時の彼の驚いた顔。身分の仮面がはずれ、普通の人になった瞬間。あんな顔、公の場では決して見られない。自分だけの王太子殿下、そんな思いあがった気持ちになっていたのかもしれない。
 命令とはいえ、毎日のように部屋へ行くのは控えるべきだった。相手は独身男性。若い女が私用で入り浸っていいはずはなかった。自分は道化師だから恋愛とは関係ない、と勝手に思うことで、ときどき感じていた彼の熱い視線を気にしないようにしていたが、それではいけなかったのだ。

「もしも政略結婚のお話が無かったとしても、無理なんです。だって私は」
 最低の親から生まれた娘だから。


 アンジェリンが実の両親の真実を知ったのは、七年前で、十歳のときだった。
 アンジェリンは、幼いころからずっと、サイニッスラと呼ばれる山の裾野の高原地帯で暮らしていた。もともとは別荘地として開発された広大な土地。ロイエンニ・ヴェーノが妻の病気療養のために建てた家の周辺は森ばかりで、付近に他の民家はない。ロイエンニの仕事場であるエンテグアの城からは遠いが、彼は妻のために必死で遠い道のりを通った。
 不治の病を抱えたモカーヌと、彼女より七つも年下で当時まだ十六歳の学生だったロイエンニが、周囲の猛反対を押し切って情熱的な結婚をしたことは、社交界ではよく知られた話である。この強引すぎる結婚により、ロイエンニはすべての友人や親戚付き合いを断つことになった。アンジェリンはそんな二人の娘として育てられ、少数の使用人たちの他には、ときどき訪れる医術師や家庭教師以外の人間は知らず、静かに暮らしてきた。

 モカーヌが病死して五年が過ぎたころ、この辺鄙へんぴな高原の家に、一台の馬車がやって来た。
 訪問者はロイエンニの実の妹テネゼで、彼女は馬車を降りるなり、駆け寄ってきたアンジェリンの姿を見て顔をしかめた。
『いやしいわね、それ以上近寄ってこないで。手を出してもお金なんかあげないわよ。あなたがお兄様が引き取った子ね? お兄様もなにを考えているのかしら。犯罪人の子を引き取って育てるなんて』
 ――犯罪人の子?
 アンジェリンは、突然やってきたこの女性の言葉の意味がわからず、立ちすくんでいると、屋敷内からロイエンニが飛び出してきた。

 ロイエンニは久しぶりに会った妹の顔を見ても笑いもせず、眉間にしわを寄せた。
『何の用だ。縁を切ると言ったのはおまえの方だぞ。俺の顔など見たくないと言ったくせに』
『確かにそう言ったけれど、今、どうしても顔を見て話したかったからここへ来たの。久しぶりに会ったのに冷たいこと。やっぱり本当だったのね』
『何だ、いきなり』
『その子よ。お兄様はいづれその子を後妻に迎えるつもりだって、ちょっと聞いたから、心配になって様子を見に来たの』
 ロイエンニは、アンジェリンの方を見て『あっちへ行っていなさい』と命じたが、アンジェリンは動けなかった。

 招かれざる客人は、汚いものをみるような目でアンジェリンをにらみつけた。
『お兄様ひとりで、血もつながっていない女の子をこんな不便な場所で育てているなんておかしいわ。モカーヌのためにここに住んでいただけなのに』
 ロイエンニは、テネゼを大声で怒鳴りつけた。
『そんなことを言うためにわざわざここへ来たのか。帰れ!』
『ええ、すぐに帰るわよ。なるほどね、この子、なかなかの美人じゃない。モカーヌがいなくなってさみしいお兄様がそういう気持ちになってしまっても仕方がないわよね』
『黙れ!』
『お兄様、いいかげんに目を覚まして。モカーヌがいないなら、こんな辺境に住むことなんてないわ。お父様もお母様も、口に出さないけれど、無理してサイニッスラとエンテグアを往復し続けているお兄様のことをとても心配しているのよ。お兄様の若すぎた結婚について今更あれこれ言う者はいないし、モカーヌが死んで家族ごっこが終わったのなら、その子はすぐにでも孤児収容所へ送ればいいのよ。エンテグアの家へ戻って来て』
『この子の教育のこともあるから近いうちにエンテグアへ引っ越す予定だが、家に戻るつもりはない』
『へえ~、こんな子にきちんと教育をつけるつもり? こんなかわいい服を着せて娘として育てて。そこまでするなんて、その子はもしかしてお兄様の子なの? そういうことを聞いてくる人もいるのよ』
『おまえ、何を言う』
『盗人の子どもをこんなに大切にするなんてどう考えたっておかしいわ。この子、お兄様に全然似ていないけど、お兄様の子なら母親は誰? 誰にこの子を生ませたのよ』
 ロイエンニはそこに固まっているアンジェリンに目をやったが、すぐにテネゼに視線を戻した。
『帰れ、さっさと帰るんだ。さもないと』
 ロイエンニは青筋を立てた顔で、そこに置いてあった巻き割り用の手斧を取り、威嚇するように刃先を妹に向けた。
『ちょっと、お兄様! そんな得体のしれない子のために私を殺す気なの? なぜ、この子のためにそこまでするの? お兄様はどうかしているわ』
『今すぐ消えろ。俺がこの斧を振り下ろす前に』
 剣を振りかざした恐ろしいロイエンニに、黙って見ていたアンジェリンは思わず悲鳴を上げていた。
『お父様! やめて』
 アンジェリンの声に、ロイエンニは少し正気に返ったようで、斧を元の場所に戻した。
『テネゼ、おまえたちとはとっくの昔に縁を切った。用が済んだなら早く帰ってくれ』

 この出来事はまだ十歳だったアンジェリンにとって重すぎた。
『私はお父様とお母様の子どもじゃないの?』
 アンジェリンは、テネゼが帰った後、まだ怒りが静まらぬ様子のロイエンニの袖口をそっと掴んで訊ねた。
 違う、と言ってほしかったのに。
 静かに告げられた真実。
 それは受け入れがたいものだった。

 アンジェリンの実の父親は屋敷の下男で、妻と共に屋敷に住んでいたが、ある夜、屋敷から金品を盗んで逃走。それきり行方知れずだという。下男一家が与えられていた部屋はからっぽになっており、生まれて間もないアンジェリンだけがぽつんと放置されてひとりで泣いていたと。子に恵まれず、今後も子を授かる可能性が低かったロイエンニとモカーヌは、置き去りにされていたその赤子を、自分たちの子として育てることにした――。


 真実を知った七年前の衝撃を思い出したアンジェリンは、枕を抱きしめ毛布を頭までかぶった。
 ――実の両親は私を捨てて逃げた……。
 養父母になってくれたヴェーノ夫妻がすべての愛情を注いでやさしく育ててくれたから、その事実を時々忘れていただけ。過去は無くすことはできない。
 自分は本当は、どこかの国の王様の隠し子かもしれない、などとおとぎ話のような夢を思い描いたこともあった。物語の挿絵に出て来るような立派な王冠をつけた人がいつか迎えにきてくれる、と信じようとした。馬車がやってくるといつも走って飛び出して出迎えた。
 しかし、誰もアンジェリンを迎えに来てくれなかった。馬車が運んでくるのは家庭教師など、用事があるから来る人だけ。実の両親らしき人が覗きに来ることもなく、様子をたずねる手紙すら届かず。

 アンジェリンは真の両親にとっては『いらない子』。子を捨て、金品だけを持ち去って逃げるような愚かな親から生まれた娘。いやしい、あまりにも下衆で、さげすまれるべき出自。
 そんな下品な親から生まれた娘が、王族の愛をもらっていいわけがない。彼に政略結婚の話があってもなくても自分は論外。たとえ有名貴族の養女にしてもらって身分を取り繕っても、生みの親のことはどうしようもない。

 アンジェリンは、涙でかすむ目を擦った。
 ――私、きっと王太子殿下のことを好きになってしまっている。そういう気持ちは絶対に持ってはいけないと自分に言い聞かせてきたのに。
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